2章
第15話 小言
大学ってのは不思議なもので、これだけデジタル技術が発達した現代においても、未だ学生への連絡手段に掲示版を用いている。講義の休講情報だったり、学生の呼び出しであったり様々な連絡が掲示版を埋め尽くしている。
「甲斐、お前呼び出されてんぞ」
友人の一言がなければ、俺はその掲示を本能的に無視していたであろう。だがこうも名指しされてしまえば、それに気づかざる負えない。
「農学部 農業資源科学科 2年 甲斐優太 至急、学務部学生課ヘ来て下さい お話があります」
1枚の紙に、その字面だけが無機質に記載されていた。本当に俺に来て欲しいなら電話が鳴り止まないはずなので、この用事は大したことがないのは分かる。それでも、あんまり大学側を無下に扱うと悪い気がするので、ここは素直に従おうとするか。
俺は外に停めていた自転車に跨り、いつもの部室とは違う方へペダルを漕ぎ始めた。正直憂鬱である。どうせ碌なこと言われないからな。
「甲斐、今日だよな」
去り際の友人の一言に軽く返事をし、俺は今夜の予定を改めて思い返す。せめてそれには遅れないようにしないとなと、力強くペダルを踏み込んだ。
キャンパスの北東にある、1階にコンビニが入居しているこの建物の2階に学務部は事務所を構える。その中身は、市役所とか銀行と同じく、職員の仕事場の手前に窓口が1列に並んでいる構造だ。
学生課は真ん中くらいにいる。足取りが重い中、窓口に向かうと既にそこにはスーツの人間が待ち構えていた。
「……全壊はまずいですって……」
俺を見るやいなや、山下さんは開口一番悲痛な胸の内を明かした。
山下さんはこの学務部学生課に配属されている、20代後半の大学職員だ。俺らAOSの事情を知る数少ない大学関係者で、つくもがみのこともある程度知っている。実際につくもがみが存在するのか、本当に信じているかは分からないが。
「いやぁ、今回のつくもがみ結構強くて……壊れちゃいました……」
俺の言っていることに嘘はない。だが山下さんにとってそれは大きな問題ではないようだ。
「先々月はグラウンドの照明、その前はイチョウの木がボッキリと」
「あぁそういえば、新しいグラウンドの照明、明るくて助かりましたよ!」
明るい雰囲気に持っていこうとしたが、山下さんはそれを振り払うほど深い溜息をついた。くそ、別に俺達遊んで壊したわけじゃないのにな。俺は軽く唇を噛んでやるせない気持ちを表現する。
「いや、すまないね。別に君を責めているんじゃないんだ」
「ただ本当にこのようなことが続いて、このキャンパス、ひいては学生達は大丈夫なのだろうかってね」
確かにその気持ちは理解できる。もし今後、ユヅが本気を出さないと勝てないつくもがみが発生したらどうするのか、俺はどこか考えないようにしていた。あんな汚い倉庫だって、大事な財産なんだよな。
「だ、大丈夫ですよ山下さん。新部員が入ったから、今までより上手くできますって!」
俺は相澤さんの姿を思い浮かべる。決して働き蟻のようには思っていない。でも、彼女の加入には心強さを感じずにはいられなかった。俺はもう、今より上手く立ち回れるとは思わない。だったら、新顔に期待するしかないだろう。
「やっぱり
山下さんが言ったその名前に、俺は間を置かず反応する。
「いえ、必要ないです」
自分でも驚くほど毅然とした返事だったと思う。山下さんは特にそれに触れることはなく、
「まあ、気をつけて下さいね。業者の手配とか諸々はこちらで済ましておきますから」
とだけ言って自身のデスクへ戻っていった。
「ありがとうございまーす!」
とりあえず元気良くを意識してお礼を述べる。あの人のおかげで俺達は随分自由に動けてるなと、改めて思う。面倒なことは、何卒よろしくお願いします!
「あ、そうでした」
「環境省から連絡ありましたよ。報告書、早めに提出するようにって」
げ、そうだった。俺達は月1回、学内のつくもがみについて報告をしなければならない。先月も先々月もユヅに書いてもらっていたので、すっかり忘れていた。
「あ、どうも……わざわざ伝えてもらって……」
お礼を言いながら気づいたが、これを伝えるためにわざわざ呼び出したとは考えにくい。この人やっぱり、俺に最近の不満をぶつけたかっただけなんじゃないかと勘ぐってしまう。
「じゃ、俺帰ります……あ痛!」
その場を立ち去ろうとしたとき、死角から誰かに激突される。体幹の無さがこれ以上ないほど露呈してしまった。よろける俺には目もくれず、その男は学生課に向かって声を張る。
「あの……! りょ、寮を出たくて……!」
何だか切羽詰まってるように見える。寮って、普通にキャンパス内にある学生寮のことだよな。確か家賃が凄く安かったと思う。
「今すぐ出たいんです! どこ、どこでもいいから他のアパート見つけたいんです!」
流石に大学職員がアパートまで探してくれるとは思えない。退寮手続きはここで行えるだろうが、その前に不動産屋に行き、部屋探しをするべきではないだろうか。
山下さんが少し待つように言い聞かせたが、それは逆効果になったようだ。
「早くしてください! 僕は!! すぐにあそこから離れたいんですぅ!」
ぶつかったことを今更指摘する気にはなれない。このようなヒステリー迷惑学生には極力近づかないのが懸命だ。面倒なのはつくもがみだけで充分だ。
そろりそろりと、俺は逃げるようにその場を立ち去る。一瞬だけ山下さんがこっちを見たような気がするけど、その目を合わせることはなかった。
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