第11話 二つのつくもがみ

 

 ユヅに言われた通り、俺はバカ傘を連れて目的地に向かった。附属幼稚園はキャンパス内の端っこにあり、隣はだだっ広い広場になっている。一応多目的に使用できる広場ということになっているが、この時間には誰もいなかった。

 安心したのもつかの間、広場を囲むように生える桜の木がバサバサと揺れる。……出てきたな、つくもがみさんが。

 

「おいバカ傘、起きろ」

 

 俺は対象から目線を外すことなく、右手に持った傘を広げる。するとゆらゆらと空中を漂っていたそれは、突如俺ら目掛けて、脇目も振らず一直線に向かってくる。 

 

「うお! まじかよ!」

 

 思わずそう叫ぶ。ここまでいきなり好戦的なのは、今まで見たことがない。俺は自分を隠すように、傘を空へ向けて、ぐっと体に力を入れる。つくもがみは傘に思いっきり衝突し、そのままの勢いでまた上空へ戻った。

 

「プギャーー! おい優太! 結月はどうした!?」

「すまねぇな。あいつもあいつで忙しそうなんだよ」

 

 起きて早々、爆速でぶつけられて、こいつも不幸だなと心の中で笑う。

 

「よし、大丈夫そうだな。この調子で粘り通すぞ」

「相変わらず、ダサい戦い方だな! 優太!」

 

 お前がこんなつくもがみだからだろうと言ってやりたくなった。すんでのところで、言葉を飲み込む。

 さて、マフラーって言うもんだから、どんな拡張仕様かなと思ったが、あまりトリッキーな感じはなさそうだ。お、言ってるそばからちょっと形が変わってきたか?

 明らかにマフラーの長さが伸びている。芋虫から蛇ぐらいの変化だろう。俺たちの周りを、舐め回すようにぐるぐると飛んでいる。

 

「来るぞ!」

 

 バカ傘が叫ぶと同時に、構えた傘にマフラーが再度衝突する。さっきより格段に速いぞ? まじか?

 今度はすぐに離れず、グリグリと、生地を食い破るかのごとく迫ってくる。俺は傘を左右に力いっぱい振り回す。

 

「ぐぁぁぁ! 揺らすんじゃねぇぇ!!」

 

 文句が聞こえるが、気にしない。しばらくすると諦めたのか、マフラーは後方へ退く。

 

「ふぅ、危なかったな」

「おい優太! 今のがやつの全力だと願いたいぞ!」

 

 同じ気持ちだ。まさかここまでスピードがあるとは。

 

「意外と保たないかもな……俺達……」

 

 言動が弱気になってくる。気持ちを鼓舞しようと、太ももを手のひらで引っ叩いた直後、携帯がタイミングよく鳴る。

 

「はいもしもし、おう結月か。ちょうどよかった。俺ら、結構厳しめ……」

「え? ……あぁ、分かった。」

 

 何ということだろう。今キャンパス内に、同時に二体つくもがみが存在しているとは。

 

「行くぞ、バカ傘」

「あぁ!? おい優太、こいつに背を向けるなんて!」

 

 俺は上空のマフラーから目を離し、傘を開いたまま、全速力で走る。うぉぉぉぉ……!

 

「こうやって、傘を後ろに向けたまま走れば、奴がどんなに速くても、俺に攻撃が当たることはねぇだろ!」

「バカ優太! 前に回り込まれたらどうするんだよ!」

 

 あのつくもがみはまだ発展途上のはずだ。経験上、未熟なつくもがみは、思考もお子様だ。一直線に走る俺を、そのまま一直線に追いかけることしかできないという予想が当たっているように、俺は全力で祈りを捧げる。

 

「とにかくユヅと合流する! あとはあいつに任せるぞ!」

「結局、いつもどおりじゃねえか!」

 

 鋭い指摘だが、よりにもよってこの人外から受けると、いつもより余計に、棘が心に刺さる。仕方ないのだ。どんなに後輩の前でカッコつけても、俺はこういうやり方を選ぶ人間なんです。

 それに今の俺は、ある可能性に賭けている。それを確かめるには、今はただ走るしかないみたいだ。

 ふと疑問が頭に浮かぶ。

 

「ていうか、自動車部倉庫って、どこ?」

 

 

 

 カチャン……カチャン……

 

 音が近づいたり、遠のいたりを繰り返している。

 神代さんはあたしと美玲を引き連れながら、再び旧自動車部倉庫に潜った。一部壁が破損しているとはいえ、奥の方はまだ暗い。暗がりなら、あのつくもがみはあたし達を視認できないみたいだった。

 

「私は声を聞けば、ある程度位置が分かります。このまま隠れながら、避けるのがいいかと思います」

 

 そうは言うけど、あたしは金属音しか聞こえないので、ほとんど位置は分からない。その事実が、より緊張感を高める。

 息遣いでバレないように、必死に呼吸を落ち着かせようとする。でもそれは逆効果のようで、あたしの心臓はどんどん鼓動を強くしていく。

 

 キュルル

 

「ひぃ!」

 

 突然の音の変化に、思わず声が漏れる。まずい、バレたかも……。

 

「いけませんね。どうやら少しは頭が使えるようです」

「さっきの逆さの状態になりました。おそらく、闇雲に一帯を破壊するつもりかと」

 

 さっきの状態ということは、ホイールをタイヤ代わりに、むちゃくちゃに動き回るってことか。神代さんは本当に淡々と説明するから、恐怖に支配されそうなあたしでも、現状がしっかり頭に入ってくる。

 いや、逆かもしれない……。理解できちゃうから、より恐怖心が増してるかも……。

 

 キュルルルル!!

 

 まるでドリフトでもしているのかと言わんばかりのけたたましい音をたてる。あたしは咄嗟に耳を塞ぎたくなったが、何かが落ちる音や割れる音が次第に増えてくることに気づく。間違いない、暴れているんだ。

 

「来る!」 

 

 神代さんは美玲を背中に乗せ、両手であたしを抱きかかえて、すぐさま倉庫から脱出しようとする。瞬間、つくもがみはあたし達の背後を掠める。

 

「うわ!」

 

 風圧を感じる。まるで駅のホームで通過列車を眺めているときかのようだ。あたしは反射的に目を閉じる。

 倉庫の壁などお構いなしに、つくもがみはひたすら動き続ける。あっという間に、倉庫は形を維持できなくなっていく。

 

「わ……崩れる……」

 

 ズドォンと、屋根やら壁からが次々に重力に耐えきれず、地面へ転がっていく。建物が壊れる様なんて、初めて見た。

 ひとしきり暴れたつくもがみは、またもその形を変えていく。

 

「いや……何、あれ……」

 

 あたしがそう呟くのも、無理ないと思う。それはまるでロボットアニメのようで、それでいて禍々しさを燦然と放っていたのだから。 

 もはやオイルライターとは言えないだろう。金属ボディは左右に割れ、内部の構造が露わになる。割れたボディはあたかも腕のように伸び、ふたが頭のようにその形状を変えていく。ホイール部分はさしずめ牙だろうか。

 

「形状変化はつくもがみのよくある特徴です。これはまるで……猛禽類みたいですね。注意してください」

 

 神代さんがこの場から離れずにいるのは、被害が拡大しないためだろう。あたし達が逃げ回れば、崩れるのが倉庫だけに留まらない。

 怖いけど……こんなに神代さんが頑張ってくれているんだ。あたしはせめて、目を離さないようにしないと……。

 

「……結構な大技が来る予感です」

 

 神代さんの語気が若干強まった気がする。あたしは自然と体に力が入る。

 夜空を背景に、太陽のようにそれは光り輝く。ホイールは今までになく高速に回転し、見事に着火して炎が丸く形作られていく。

 

「もしもし、甲斐君」

 

 神代さんはこの状況で電話をしている。あたしは左耳でそれを聞くのが精一杯で、目の前の火球がみるみる大きくなっていくのに、不覚にも目を奪われていた。

 

「相澤さん、私の後ろに」

 

 黙って頷く。いや、声が出せない。あたしは美玲を抱き寄せ、せめて彼女に火の粉が降りかからないようにと祈る。

 神代さんは刀を構えた。しかし鞘から刀身を出す様子はない。きっと、ただの刀ではないんだろうけど……。

 

「うーん……弾き返せない気がする……」

 

 その弱気な発言に、緊張が一気に高まる。直後、火球はつくもがみから分離し、あたし達のちょうど真上に移動する。

 あたしが見上げたのも束の間、火球は誰かがバットで打ち込んだみたいに、勢い良く落下してきた。

 

(お願い……!)

 

 轟音が耳を刺激する。頭から爪の先まで熱い……。

 視界は赤く染まり、唯一神代さんの背中だけが異なる景色だ。

 その姿は、まるで怯む様子などなく、刀を上へ掲げている。炎は、あたし達のいる空間だけを避けるように広がっていく。

 神代さんがいなければ、あたしらはとっくにお陀仏だろう。人の領分を超えているのは、彼女もだと確信する。

 

「か、神代さん……」

 

 呼び掛けるあたしの声に反応したのかはわからないけど、微かに小声が聞こえてきた。

 

「甲斐君ならこんなの物ともしない……。彼ならきっと、みんなを守ってくれる」  

「甲斐君がそうなら、私だって……倒れる訳にはいかない……!」

 

 刀がガタガタと揺れている。炎は徐々にあたし達の元から散らばり、勢いを失っていく。辺りを見回すと、草木や崩れた瓦礫は一切燃えていない。本当の炎ではないんだ……。

 

「後ろ!」

 

 神代さんが叫ぶ。ハッとして振り返ると、まるでライオンのようにあんぐりと、つくもがみの大口が目の前に迫っていた。蓋が上顎で、回転するホイールが猛獣の牙のように、あたしの頭を砕くんだろうなと思った。きっと猛獣の檻に入れられたらこんな気持ちになるんだろうと想像した。

 

「危ない!」

 

 神代さんが刀を、つくもがみに向けて振るう。タイミング良く閉じた蓋が、刀を挟み込む。

 刀は神代さんの手を離れ、つくもがみに奪われる。おそらく噛みちぎろうとしているのか、回転するホイールに刀が擦れ、小さな火花を引き起こす。あたし達はその隙に、その場から距離を取る。

 

「火球は陽動だったなんて……やっぱりこのつくもがみ、弱くないですね」

「ご、ごめんなさい……! 刀、刀が……」

「大丈夫です。あれぐらいでは私の刀は砕けませんよ」

 

 その言葉で少し安心するが、すぐさま危機的状況を察する。次攻撃されたら……あたし達今度こそ……。

 噛み砕くことを諦めたのか、つくもがみは痰を吐き出すように、刀を後方へ捨て去った。再度、あたし達に照準を合わせる。

 

「うぅ……神代さん……」

 

 縋るように彼女の名前を呼ぶ。丸腰のあたし達は、今度こそ無事では済まされないだろう。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 何に対して謝っているのか、自分でもわからない。直ぐ側につくもがみがいたのに、気づけなかったこと? それとも、今この状況で何も出来ないこと?

 いや、そうじゃない。あたしは、謝ることで楽になろうとしているんだ。こうして俯いて目を湿らせていれば、誰かが許してくれるんじゃないかと思って。

 

「相澤さん……」

 

 神代さんが何かを言いかけている。きっと彼女も甲斐さんも、あたしを許してくれるだろう。そもそもあたしを悪いとさえ思っていないかもしれない。

 自分勝手なあたしのせいで、そんな彼女らまで巻き込まれるのだけは、どうしても耐えられない。

 

「逃げて!! 神代さん!」

 

 あたしはつくもがみに向かって走った。少しでも次の攻撃があたしに向くように、大声を出した。もしくは、情けない自分を少しでも奮い立たせようとしたのかもしれない。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 せめて、せめて……死ぬのはあたしだけでいい……。

 

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