第10話 自分が情けない
すっかり夜になってしまった。暗く進路が見えづらいのか、美玲は走るペースを落とした。
「もう、追ってきてないみたいだね」
後ろを振り返ると確かに、神代さんの姿は見えなかった。どこかに回り道をして、あたし達の先回りをしている可能性もあるけれど。
あたしは正直追いついてきてほしかった。ちゃんと説明をしてほしい。あたしは苦し紛れに、美玲に言葉をかける。
「あ、あの、美玲? 神代さんは……そんなひどい人じゃ、」
「ここ、ここなら大丈夫だよ。あたしだけが知ってる、隠れ家なんだ」
神代さんに気が取られて気づかなかったが、美玲は何だか様子がおかしく見える。いつもよりイライラしているというか、ソワソワしているというか。今も、あたしの声は聞こえていないみたいだし。
「あれ……ここって、あのときの……」
美玲が隠れ家だと言って指を指したその場所は、入学間もないあたしが、トタンの落下によって大怪我しそうになった場所だ。後から知ったのだが、ここは旧自動車部の倉庫だったようだ。どうしてこんなところに……美玲が?
「ここの窓がね、外からでも開けられるんだよ」
美玲は慣れた手付きで、窓を枠から外す。その動きにあたしは少し動揺した。あまりにも今までの美玲のイメージとかけ離れていたから。
窓はあたしの頭の位置ぐらいの高さなので、少しだけ勢いをつけて、頭から倉庫内へ入る。あたしの後に美玲が足から入り、持っていた窓を枠に再びはめ込んだ。
「ゲホッ。ここ、大分埃っぽいね。それになんだか、変な匂いも……」
一切の電気が無い、ほとんど何も見えない状態だったので、あたしは肌や鼻で感じる感覚を伝えるしかなかった。そしてこの匂い……物凄く覚えがあるような……。
「……あたしね、マキとユリに嫌われちゃったかもしれないんだ」
マキ?ユリ?あぁ、美玲と仲の良いあの2人の名前か。……やっぱりそれが原因で、元気が無かったのかな。
「見られちゃったんだ。いけないことしてるのを」
「千尋ちゃんは、どっちだろうね?」
な、何の話だろう。またあたしだけ分かっていない状況だ。うぅ……どうしてみんな、ちゃんと説明してくれないの?
「み、美玲? 一体何の話? いけないことって、何?」
「………」
返答がない。あたしの問いが、少し苛立ちを含んだ声になってしまったことを後悔して、軽く地団駄を踏んだ。
(グニャ)
……あれ? 何か踏んだかな? 暗闇に目が慣れてきたあたしは、既に美玲のシルエットは見えていた。今踏んだ何かも近づけば見えるかもしれない。
何がなんでも見たかったわけではない。でも、やっと周りが見えてきたので、少しだけ安心感を得たかったのかもしれない。あたしは踏んだそれに、膝を曲げて目を近づけた。
「これ……吸い殻……だよね……」
1つ、2つ、いやもっとある。……そうか!この匂いは、タバコの匂いだ。踏んだものも、匂いの正体もわかって、あたしはホッとした気持ちになった。
けどそれは一瞬だった。
「美玲……もしかして、いけないことって、ここでもしてたの?」
美玲の表情までは分からない。それでも、肩が震えていることはシルエットで分かった。間違いない。美玲はここで、タバコを吸っていたんだ。
「こんなあたしを……千尋ちゃんは…どう思う?」
イライラしていたのも、ニコチンが切れたから?ま、待って。確かに美玲は未成年だし、どう見ても悪いことはしているんだけど、それであたしが友達を辞めるなんて、そんなことはないよ。
「美玲! あたしは……」
美玲に声をかけようと一歩前に出たあたしだったが、その歩みは、彼女にたどり着く前に止まってしまう。
美玲の背負うリュックの、神代さんに引っ張られて少し開いた箇所から、カチャ、カチャと、金属が当たる音を立て、何かが這い出てくる。耳元で音が響いているにも関わらず、美玲は何のリアクションも示さない。
立ち止まったあたしは、それがなんなのか、必死に目を凝らしてみる。嫌な予感が、頭を駆け巡る。
「千尋ちゃん? どうしたの? やっぱり、こんなあたしなんか……」
「違う、違うの! 何かいるの! リュックから、出てきてるの!」
あたしはわざと気づいていないふりをしていた。神代さんが何で美玲のリュックを取り上げようとしたのか、自然に考えれば、答えは浮かび上がってくるのだから。
つくもがみは、ここにもいたんだ。
カランカラン、と音が響く。おそらく、リュックから床に転げ落ちたんだろう。暗闇に目が慣れたと言っても、その姿を鮮明に捉えるまではいかない。
しかし間違いなく、そこに存在している。あのとき感じたものと似たような、異様な気配が肌を突き刺す。
「リュックから、なにか落ちた? 暗くて見えないよ」
美玲はあたしの言動が不可解に感じていることだろう。仕方のないことだ。でも今は、そんなこと気にしている場合じゃない。あたしは美玲に駆け寄り、乱暴に腕を掴む。
「わ! 千尋ちゃん、急に迫ってくるの、怖いよ」
「いいから! 早くここから出ないと!」
ほぼ密室の暗闇でつくもがみと一緒なんて、本当は泣きたくなるほど怖い。でもあたしは、意外と頭は冷静だった。美玲の腕を掴み、入ってきた窓の元へ戻ろうとする。
すると背後で、ボボッと、火が点く音が聞こえる。見るとそこには、微かな明かりが灯されていた。
明かりのおかげで、それの姿があらわになる。……ライター? だろうか。でもコンビニとかで見るライターとは違う。少し高級な、ホイールを回して、着火させるタイプのライターだ。
ちょうど喫煙の話をしていたおかげか、あたしはすんなりその正体を受け入れる。きっと美玲は、これでタバコを吸っていたんだろう。
微かだったのは最初だけだ。火はみるみる大きくなる。落ち葉を集めて焚火をしたときよりも、実験で使うガスバーナーよりも大きな火は、あたし達の背丈をあっという間に超える。
やばい……。これは、人の領分を超えている。怖い……、足が、動かない……。
「あ、熱い……! なにこれ急に……」
姿が見えないであろう美玲も、熱さは感じるようだ。ってそんなこと考えてる暇ない、早く逃げないと。
カクッ、カクカクカクッ
「あ、あれ……なんか体に力が……膝が、かくかくしてる……?」
「千尋……ちゃ……」
美玲が突然、バタリと地面に倒れ込む。腕を掴んでいたあたしも、自動的に膝をつく。そして明らかに、意識が遠のいていく。
「……一酸化炭素……中毒……?」
分かったときにはもう遅い。火のおかげで明るくなった視界は、瞬く間に暗闇に逆戻りしてしまった。
……バキギギギ
トタンが壊れる音かな?遠のく意識であたしは思った。
すると音はみるみる四方から聞こえ、倉庫全体が揺れ動く。ついには破裂音を響かせ、人1人分は通れるであろう範囲の壁が、外気の侵入と共に吹き飛ばされていった。
空気が入ったからか、あたしは少し意識がはっきりしてきた。やばかった、今のはヤバかった。
「遅くなってごめんなさい」
この敬語で、誰が壁をぶち破ってくれたのか、すぐに分かる。どうやってやったのかはわからないけど。
さっきは持ちあわせていなかった、普通の生活では目にしないであろう、鞘に納められた刀を腰に括り付けていた神代さんは、表情を変えることなくあたし達にお辞儀した。
「神代さん……あたし、あたし……!」
「危ないです。捕まっててください」
そうだ! つくもがみがいたんだ。泣きついている場合じゃなかった。
美玲は未だ気絶したままだ。
「本当の一酸化炭素中毒ではないと思います。あくまで擬似的で、あのつくもがみの拡張仕様であるかと」
丁寧に説明しているつもりだろうが、あたしにはさっぱりわからない。しかし、美玲の状態がどうなのか聞く間もなく、その元凶はあたし達に照準を合わせる。
「神代さん! 前!」
ライターのつくもがみは、大型犬ぐらいの大きさに変化していた。あたし達を威嚇するように、金属の蓋を高速で開閉している。
そしてくるりと体躯を逆さにし、ホイールを地面につけ、ギュルギュルと回り始めた。土煙が勢いよく舞い上がる。
一連のすべての動きが、人工物のそれとは一線を画しているように思えた。やっぱりこれは、今までの常識が通用しない、異形なんだ……。
「甲斐君を待ちます。それまで何とか逃げないと」
神代さんは気絶した美玲を背負い、あたしの手を握って、少しづつ、つくもがみから距離を取る。
そんな……神代さんじゃ倒せないなんて。一体どうすれば……。
あたしは気づく。また、自分じゃ何もしちゃいないのに、他人に縋ろうとしている。
だって、無理だよ。こんなの、どうしようもないじゃんか……。
「相澤さん」
神代さんはあたしの両肩に手を置いて、小さく呟くように声を出す。
「私と甲斐君を、信じてください」
どうしてそんなに……優しいんだよ。
涙で目が染みて、上手く瞼を開けられない。自分への不甲斐なさと、恐怖と、安心が入り混じった、濁った涙だったと思う。
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