第8話 どこかで聞いた名前

「うーん、やっぱり無いわ」

 

 赤マフラーつくもがみ事件(ユヅが命名)から1週間、まさに今日が期限日だ。特段変化もなく、この日を迎えてしまった。ユヅの方も、依然発見には至らないようだ。

 既に夕方6時を回った頃、俺はハンドメイドサークル『ツクロウ君』の部室に居た。落とし物捜索の依頼で、とりあえずここを手当り次第探している所だ。

 ここの部員に不審がられないよう、背中にサークル名を刻んだ、紺のブルゾンを着て所属は明らかにする。

 

「ヒェ~。な、なんとかならないのかい〜」

 

 この間の抜けた声の出処は、依頼主であり俺と同学科の、比較的仲の良い友人の磯山だ。なんでもオイルライターを紛失してしまったようだ。その上、いつから無いのか分からないらしい。

 男のドジっ子は誰も求めていないのだ。

 

「バイト代を貯めて買ったんだ。僕の1年の頑張りがぁ〜アァ」

 

 やはり大切な物は、外に持ち出さないことに限る。色んな意味でそう思う。

 

「使ってたのか?俺が見るのは、いつも使い捨てのライターだけど」

「ジッピーの方はこの部屋に置きっぱにしてたんだ。皆に自慢したくてね!」

 

 そりゃ無くすわ。そしてジッピーとはおそらくブランド名だろう。オイルライターに疎い俺でも、聞いたことはある、気がする。

 

「こんなとこに置きっぱにしてたんなら、誰かに盗まれたんだろ。」

「うちのサークルにタバコ吸う人いないよぉー」

 

 ちなみにこいつは1年浪人しているので、大学2年生の4月にして、既に20歳である。正確な誕生日は知らない。

 そもそもこの緩そうな雰囲気の持ち主が、よもや喫煙者だとは想像つき難いものだ。

 

「いいじゃんか。また買えば」

「きぃーーお金ないよぉー。これから入ってくる1年生に自慢したいのにぃー」

 

 ハンドメイドサークルに来る人間が、オイルライターを見せられて食い付くとは思えない。そもそもこいつはちゃんとハンドメイド活動をしているのだろうか。

 

「じゃ、帰るぞ俺は。今日は忙しくなるかもしれないんだから」

 

 こいつはこだわりが強そうなので、ライターがつくもがみになる可能性が割と有り得そうなのは気がかりである。

 俺がブルゾンの片腕を外したとき、磯山は両手の人差し指を同時に天へ突き出した。摩訶不思議なジェスチャーである。

 

「そうだ、1年生……!」

「1人だけ、見学に来てくれた子がいたよ」

 

 どうやら、せっかく見学に来てくれた1年生を今まで忘れていたようだ。

 というか1人しか来てないのに、1年生が入部することを期待しているとは片腹痛い。まぁ俺も一緒か。

 

「でも~僕に負けず劣らずのゆるふわヒューマンだったし、喫煙してるとは思えないよぉ……」

「……念の為その子の情報教えてくれるか?」

 

 ほんとに念の為だった。でも俺は、告げられた名前に聞き覚えがあった。

 点と点を無理くり線で繋ぐ。いや、勝手に繋がったというのが正しいか。たまたま思い付いたその可能性は、今までの疑問を全て解決しそうに思えてならない。

 

「……多分もう見つからないと思う! じゃ!」

「そんなぁ!」

 

 部室を飛び出し、サークル棟の階段を1段飛ばしで駆け下りたその瞬間、図ったように電話が鳴る。

 

「もしもし甲斐君? ついに動き出したみたい。南の附属保育園横に行って」

 

 ユヅは走っているのだろうか、声の隙間に、少しだけ息遣いが垣間見える。俺は今気づいたことをユヅに伝えようとしたが、すぐに電話は切られてしまった。

 

「……ちょっと面倒なことになりそうだな」

 

 一気に空が暗くなった気がする。ふと見上げると、俺は日没の瞬間をその目に見た。

 特に嬉しくはない。むしろ呼応するように、黒いもやが心を埋め尽くす。あらゆる不安が押し寄せてくる。

 

「……しょうがない、気合い入れてくか!」

 

 偽物の空元気でも、無いよりはましだろう。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る