第6話 諦めたくない

 ラーニングエリアを飛び出し、あたしは女の人の後を追った。なぜだかはわからないけど、きっとあの人もあたしのマフラーを追いかけている。いや、もうあたしはわかっている。きっとあの人は……。

 

必死に足を動かし、離されないように走り続ける。しかしあたしは既に飛んでゆくマフラーを見失ってしまった。階段に1段飛ばしで登っても、手すりを使って滑り降りても、とても追いつけるものではない。


 女の人は迷うことなく、足を止めることなく走り続けているので、あたしもそれに付いていく。すると女の人は不意に振り向いて、あたしを目を丸くして見ていた。この顔……甲斐さんもしていたよ。

 

「よく考えたら、あなたも見えているんですね」

「もしかして、相澤さんですか?」

 

 走るスピードを緩め、あたしが追いつくと、彼女はそう問いかけた。やっぱりあたしを知っている。この人が、あのサークルのもう一人のメンバーであることは明白だ。

 

「は、はい。そ、そうです」

「なるほど。いくつか合点がいきました」

 

 納得したような表情を見せ、走るのを止める。え、なんで?

 

「ハァ……ハァ……もしかして見失いました?」

 

 あたしも足を止め、どこか責めるような口調になってしまう。別にこの人のせいじゃないのに、あたしは焦る気持ちを身勝手にぶつけてしまう。

 

「いえ、後ろにいますよ」

 

 淡々としたその声に、あたしは危機感を持てなかった。でも振り向いたとき、今まで走っていたのが嘘のように、全身が凍る感覚に陥る。視界に飛び込む光景は、あっという間にあたしを、恐怖の色に染めあげた。

 

「嫌!!」

 

 あたしの宝物だったマフラーは、さながら昔アニメで見た妖怪のようだった。視界を覆い尽くすほどの大きさの、鋭い歯を携えた大きな口のようなものが、そこにあった。室内なのに風が巻き起こり、体を吹き飛ばされそうになる。すべてが見たことのない未知の光景で、あたしは反射的にうずくまってしまう。

 

「嫌! 来ないで!!」

 

 怯えるあたしを隠すように、彼女はに対峙した。彼女の後ろ姿を目の端で捉えるのが精一杯で、あたしは何が起こっているのかを詳しく見ることはできなかった。

 気づけば風は治まり、数秒ほどの静寂が空間を包み込む。

 

 ァァ……ゴァァァ

 

 痰を絡ませたような音を響かせ、は再び飛び立ち、目の前から姿を消した。あたしは頭を上げ、真正面を見据える彼女を、縋るように見上げる。

 

「あ、あの……ありがとう……ござい」

「甲斐くんから聞いてるかもしれないですが、あれはつくもがみです」

 

 あたしがお礼を言う前に、彼女ははっきりと現実を伝える。その目は、じっとあたしを掴んで離さない。

 

「自己紹介がまだでしたね。私、神代結月といいます」

「今から私達のサークル室に来れますか、相澤さん。あなたは、危険な目に会うかもしれませんから」

 

 断る理由はなかった。

 気づけば体の震えは止まってた。反面、1度揺さぶられた心の支柱は、崩れ去ったまま元には戻っていない。

 

 

 

「シャァオラァ! よし決まったー。残り5分だし、これは勝ったな」

「きぃー糞が!」

 

 男性と傘が一緒にテレビゲームをしている。おそらく、世界初の光景だろう。画面を見る限り、多分サッカーのゲームだ。


 あたしと神代さんは、このAOSサークルのサークル室(通称サ室)に一緒にやってきた。土の陸上グラウンドの外周沿いに佇む、一見倉庫なのかと思うほどちゃっちい作りの建物の一室に、人間一人と傘の化物一匹が、仲良くゲームをする光景があった。部屋に足を踏み入れてまず感じたのは、とにかく埃っぽい。そしてジメジメしている。キノコでも生えてそうな勢いだ。


 部屋にはソファーが3つコの字に並んでいる。中央にこたつが2つあって、片方にテレビが乗っかっている。引き出しのないシンプルな机と、ゲーミングチェアっぽい椅子が角に位置する。何故か食器棚があるが、よく見ると本当に食器やら電子レンジやらがある。中々快適そうで、ここで生活できるんじゃないかとさえ思う。

 

「あ、ユヅ、帰ってきたか。刀持って行かなかったけど、大丈夫だった? ってあれ、相澤さん!?」

「ガハハ優太ぁ。時代はポジティブトランジョンじゃ! ボールを奪ってすぐ攻めるんじゃ!」

 

 化物はゲームの話をしているが、神代さんは特に応じることなく、甲斐さんにさきほどの出来事を説明した。ゲームはひとまず終わったのか、甲斐さんはコントローラーを置いて、話を聞いた。 

 

「昼間につくもがみが出てくるなんて珍しいな。……そのマフラーは、相澤さんのなんだな?」

「はい……」

 

 甲斐さんは立ち上がり、若干申し訳無さそうな様子で、

 

「原因と対策を考えたい。できるだけ、詳しく話してくれると助かるんだけど」

 

 とあたしに説明を求めた。その姿勢から、彼がこの事態に対して親身になってくれていると感じた。

 実際この人たちを、あたしはまだ完全には信用できていない。でも、ここに連れてきてくれた神代さんや、ゲームをしているときとは別人のように、真剣な表情で話を聞いている甲斐さんを見ていたら、自分の内面に関わることとはいえ、出し惜しみはとてもできないと思った。

 あたしはできる限りすべてを話した。

 

「……宝物なんです」

 

 


 

 今日の出来事……実習のことから仲良くなった子の話まで、ありのままを話した後、あたしはマフラーについて言及した。

  

「あたし、4つ上の兄がいたんです」

「兄は……3年前から、行方不明なんです」

 

 話が唐突になっちゃったなと思ったが、2人は特にリアクションは取らず、黙って聞いている。

 

「仲は悪くはなかったですけど、お互いそこまで関心があるわけではありませんでした。でも、あたし達家族のの前からいなくなる直前に、あのマフラーをプレゼントしてくれたんです」

「今思えば、なにかの予兆だったのかもしれません。今までそんなことしてこなかったのに、急にプレゼントされたもんだから、最初は戸惑いました。でも……当たり前の存在だったお兄ちゃんがいなくなってから、何だかとっても思い入れが強くなって……」

 

 どうしてあのマフラーが宝物として認識したのか、初めて言語化することで、より悲しさが増大する。

 

「あたしが悪いんです! とっても大切なものなのに、軽率に外に持ってきてしまった。もう分かります! あれはつくもがみなんですよね!?」

 

 そんなつもりはなかったのに、どうしても感情が昂ぶる。そんなあたしを見て、

 

「分かった。もう大丈夫、話してくれてありがとうな」

 

 甲斐さんはやや強引に、話を打ち切る。

 

「結論から言えば、間違いなくつくもがみです」

 

 神代さんはテンションを変えることなく、話を続ける。

 

「本来は、持ち主の手から離れた場合に変化するのですが、相澤さんは人なので……。そういう方の持ち物は、このキャンパス内ではつくもがみになることもあります」

 

 神代さんの説明には、甲斐さんも驚いているようだった。

 

「うあまじか、そうだったのかよ。ごめん相澤さん。俺が忠告しておくべきだった」

 

 知らなかったのなら謝ることはない。あたしは逆に申し訳なくなった。

 それにしても、この大学はどうしてそんなに特殊なんだ。

 

「この人……神代結月は、つくもがみの声みたいなものが聞こえる人なんだ。だからさっきここを出て、相澤さんのとこに来たってことなんだ」

「室内にいると聞こえなくなるので、あまり便利なものではありません」

 

 そんな人間がいても今更驚かない。もうあたしの現実は、常識からは程遠いものになっているのだから。

 するとここまで黙っていた喋る傘が、ギロッと目玉を捻るようにこちらへ向け、言葉を吐く。

 

「使役者になるしかねえな」

「え?使役……?」

 

 聞き慣れない言葉にあたしは聞き返す。

 

「優太にとっても俺みたいに、お前もそれを使役するんだよ」

「こいつらが言わねぇからちゃんと言ってやるよ。それしかお前の宝物を取り戻す方法はない。1度つくもがみになったら、もうもとには戻らねぇからな」

 

 その語気からは、とても嘘を吐いているとは思えなかった。もとには……戻らない……?そんな……そんなことって……!

 

「ごめん、そういうことなんだ。俺たちが排除するか、さっき言ったように使役するしか道はない」

「でも、使役できるかは私にも分かりません。甲斐くんとバカ傘さんとの関係も、たまたまのようなものなので」

 

 フラフラと焦点が定まらなくなって、あたしは座り込んでしまった。もう足に力が入らない。

 

「話を聞く限りは、相澤さんに危害が及ぶ可能性が大いにあると考えます」

「私としては、見つけ次第、排除したほうがいいと思います」

 

 神代さんはあたしの安全のことを考えて言ってくれているのだろう。あたしもそのほうがいいと……

 

「1週間待とう」

 

 甲斐さんが提案した。

 

「まだ生まれたてだろう? 今の段階では、仮に相澤さんが襲われても、死ぬことはないよ」

「1週間の間に、もしかしたら使役化するかもしれないじゃん?」

 

 それを聞いた神代さんは、

 

「で、でも甲斐くん、何かあってからじゃ遅いんだよ」

 

 と不安そうに釘を刺す。

 

「俺も優太に賛成だ。つくもがみなんてなー、何が起きるかわからねぇものなんだよ。このちんちくりんはお前らと一緒で、特別だ。ちょっとぐらい様子見てみろよ。へへへ」

 

 この妖怪は面白がってるだけな気もする。

 

「ユヅは別件もあるんだろ? そこまで負担はかけられないし、こっちの件は俺に任せてくれよ」

 

 神代さんはほとんど表情が変わらない人だなと思っていたが、少しだけ不満そうな顔を見せる。けどそれは一瞬で、すぐにコクリと頷いた。

 

「番号教えてくれよ。何かあったらすぐ俺が行く。でも、夜は家に帰るんだぞ。昼間の間だけな」

「あ、まあ相澤さんが嫌だって言うなら、すぐ俺たちでぶっ倒しちゃうけど……どうする?」

 

 死ぬことはないって……あんなのに襲われたら、どんな怪我を負うのか、想像もつかない。何かあったらすぐ来るって、その間にあたしがどうなるか……。それにみんな、あたしの個人的な私物のために、そこまですることないよ……。

 

 

「──あたし……諦めたくありません」

 

 自分でも我儘だと思う。お兄ちゃん……あたしやっぱり、見捨てられないよ……。

 窓から差し込む夕焼けがいつもより濃く見えたのは、あたしだけだろうか。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る