002

 朝の教室内は昨日の夜放送していたテレビ番組だとか最近人気の芸能人だとか、そういった話題で賑やかだ。

 放っておいたらずっと喋ってるんだろうなと思うほど。

 孤立とまではいかないが、縁以外に特別仲のいい友達がいるわけでもない微妙な立ち位置の俺は、すぐ近くにある喧騒をどこか遠く感じながらぼーっとしていた。

 縁はというとクラスの女子に囲まれて、来月に控えた練習試合の激励を受けている。


「おーい、お前ら、席につけ―い」


 そんな気怠げな声と共に担任の教師が教室のドアをがらりと開けた。

 途端ざわめきは一瞬鳴りを潜める。

 が、担任に続いて見慣れない少女が教室に入ってきた瞬間、再び教室内はざわめきを取り戻した。

 そういや昨日、縁が転校生がどうとか言っていたっけ。

 やっぱり男として生まれた以上、女の子ってのは気になるもんで。

 思わずちらりと横目で転校生を見た瞬間、俺は心臓を鷲掴みにされたような気がした。


「……!」


 思わず立ち上がってしまい、勢い余って椅子が倒れる。

 がたんと大きな音がした瞬間クラス中の視線が俺に集中した。


「ほ、仄……?」


 冷ややかな視線も、前の席に座る縁の困惑したような問いかけも聞こえず、ただただ教壇に立っている転校生を見つめる。

 その転校生は幾度となく夢に見た、あの少女と瓜二つだった。

 記憶の中の彼女よりは多少大人っぽくなっているけれど、十年間夢を見続けるぐらいだったんだ、見間違いなはずはない。

 だけど、あの少女の髪は雪のように白く、瞳は血のように赤かったはずだ。

 壇上にいるあの子の髪と瞳が普通の日本人らしい色をしていることを考えると……まさか、他人の空似?

 あの少女に焦がれるあまり似たような容姿の女性に敏感になっているだけかもしれない。

 そう冷静に考えてやっと、立ち上がったままの俺をぽかんと見上げているクラスメイト達の視線に羞恥心がこみ上げてきた。

 慌てて椅子を直して座り直し、教員のどうしたんだという問いに震える声でバランスを崩しただけです、と返す。


「仄、どうしたんだ?」


 縁にこそりと耳打ちをされても、なんでもない、と首をふるのが精一杯だった。


「えー、では気を取り直して、転校生を紹介する」


 くいとメガネをかけ直しながら担任が転校生に視線をやると、彼女はにこりと笑みを浮かべる。


あかつきしづくさんだ。みんな、仲良くしてあげてくれ」


 途端、教室中に響き渡る拍手。

 それを聞きながら俺は、自分自身を落ち着かせるように心臓のあたりをそっと撫でた。

 本当に似ているだけの別人だと飲み込むには、彼女はあまりにも……あの少女そのものすぎる。

 異物扱いを恐れて髪と瞳の色を隠しているのかもしれないし。

 とりあえず事の真相を暴くには彼女に直接問いただすのが一番手っ取り早いだろう。

 "小学生の頃、長期間入院していたか"、そう尋ねるだけだ。

 少し遠くの空いていた席に座った彼女の背を見つめながら俺はどう声を掛けようかと頭を悩ませる。

 が、その努力は虚しくも徒労に終わった。

 転校生という存在は誰から見ても興味の惹かれるもの。

 ホームルームが終わり、彼女に声をかけようと席を立った頃にはもう遅く、彼女はクラスの女子達に引っ捕まり質問攻めにされていた。

 にこにこと愛想のいい笑顔に釣られてか男子陣も何とか参戦しようと周囲をうろついているが、女子が集まって盛り上がっているとやっぱり男としては近寄りがたい何かがあるわけで。

 異様とも言えるその空間を前に怖気づいた俺はそっと席に座り直した。

 少しでいいから彼女と話す機会がないだろうかと朝から昼まで様子を窺っていたけれど、残念ながら一度も近付くことすらできないまま、昼休みを迎えてしまった。


「はあ……」


 女子たちに囲まれて学食に行った彼女の後ろ姿を思い出しながら、裏庭で一人、何も植えられていない花壇の淵に腰掛けながら購買で買ったカレーパンを貪る。

 ああ……空が青いなあ。

 憎らしいほどに。


「こーらっ」


 そんな声と同時に頬にひんやりとした何かが当たり、思わず飛び上がった。

 視界の端に学校指定ジャージの裾が映り込む。

 ゆっくり見上げると、両手にジュースの缶を持った縁が立っていた。

 頬に当たったのは彼女が持っているキンキンに冷えた缶だったらしい。


「こんなところで何してるのかな、仄きゅん」


 にんまりと笑みを浮かべた彼女は、よっこいしょー、と零しながら俺の隣に腰を下ろし、持っていた缶を一つ俺に向かって投げる。


「誰が仄きゅんだ。てかなんでここにいるってわかったんだよ」


 投げられた缶をなんとかキャッチ。

 ありがたく貰っておこうと思ってパッケージを見ると、思いっきり炭酸飲料だった。

 こいつ、いま投げたよな?

 開けるのもうちょっと待ってからにしよ。


「仄は落ち込むとすぐ一人になりたがるからね。つまり、誰も居なそうな日もあんまり当たらない裏庭の隅っこにいる。正解でしょ?」

「……怖いなお前」

「酷いなあ。幼馴染だもん、それくらいわかるよ。ちなみに、たまにここがカップルの逢引現場になってて、それを目撃してさらに落ち込んだことあるのも知ってるよ」

「怖いなお前!!」


 どこから見てたんだよ。

 っていうか見てたんなら声かけろ。


「で、今はなんで落ち込んでるの? 幼馴染の縁おねえさんに話してごらんよ」

「同級生だろ……」

「私の方が数か月前に生まれたもん。おねえさん!」


 息を荒くしながら胸を張った彼女からついと視線をずらし、下を向く。

 青かった空から、青々と雑草が生い茂る地面が視界を覆いつくした。

 ……あ、四葉のクローバー発見。


「今日の、転校生ちゃんのこと?」

「…………」


 俺が黙り込んだのを肯定と受け取ったのか縁は隣で、ふうん、と小さく零す。

 しゅる、と彼女の着ているジャージが擦れる音がした。


「あの子がどうしたの? まさか、一目惚れでもしちゃった?」


 なおも黙りこくる俺に縁はずいと詰め寄ってくる。

 暑さで頬に張り付いた髪を気にすることもなく彼女にしては珍しく真剣な表情に少しだけ後ずさってしまった。


「え、まさか本当に一目惚れしたの?」

「いや一目惚れ……したには、した。けど、もう何年も前の話で……」


 すると縁は驚いたような表情を浮かべ、肩を震わせる。


「……つまり、あの転校生ちゃんが仄がずっと片思いしていた"あの子"、ってこと?」


 恐る恐るといった様子で告げられたその言葉に俺は小さく首を振った。


「まだわかんねえ。だいぶ時間は経ってるから記憶違いの可能性だって捨てきれない。……でも似てるんだ。髪と目の色以外は」

「そういえば珍しい色なんだっけ、記憶の中では」


 ぷしゅ、と真横で炭酸が弾ける音がする。

 ふいと横を見ると缶のプルタブを開けたらしい縁がちびちびとジュースに口をつけていた。


「でも確か、当時も仄が一方的に見てただけで話したことがあるわけじゃないんでしょ? もし本当にその子だったとしても初対面とそう変わらないじゃん」

「それを言われたら、そう、なんだけど……」


 確かに初対面かもしれないが、殆ど諦めていた恋に差し込んできた一筋の光明に縋りたい気持ちが強い。

 それが本当に光明かどうかはわからないわけだけど。


「あ、もしかして過去に入院してたかって聞こうとしてる? やめときなよ、見知らぬ男からいきなり過去のこと詮索されたら怖すぎるって。私だったら悪質なストーカーだと思うわ」

「ぐぅ……」


 辛うじてぐうの音は出たがそれ以上なにも反論することが出来ず、唇を噛む。

 縁の言うことは尤もだ。

 よく考えたら俺は彼女との関係においてまだスタートラインにも立てていない。

 寧ろ一度も話しかけられていないんだから他のクラスメイトたちより遅れを取っているぐらいだ。

 彼女が本当にあの時出会った少女なのかどうかは、一先ず彼女と多少話ができるようになってからでないと聞けないだろうし……前途多難であることは違いない。

 くそぉ!

 十年前の俺がもっと上手いことやって少しでも話せていればもっとどうにかなったかもしれないのにぃ!


「ま、何かあったら言いなよ」


 左頬に違和感を感じて首だけ捻ると、縁が俺の頬を突いたらしい人差し指を見せびらかすように揺らしている。

 胡坐を掻きながら頬杖をついている彼女は可愛らしく笑みを浮かべていた。


「縁ちゃんは、何があっても仄くんの味方なんだからね」

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