白い彼女は夜目が利く

@torao00

きみへの恋に夢を見る

001

 ぎらぎらと頭上でまん丸い月が輝いている。

 少し遠くにある山から聞こえる蝉の音を聞きながら草木をかき分けると、ぽつんと設置された小さな噴水とそれを取り囲むようにベンチが設置されている空間が見えた。

 月明かりに照らされたその景色を目にした瞬間、ぼんやりと今見ているこの景色は夢なのだということに気がつく。

 これは俺、神埼かんざきほのかが小学生の時に遭遇した出来事だ。

 当時やんちゃ盛りだった俺は幼馴染と自宅の塀の上に登って遊んでいたのだが、足を滑らせて落下。

 着地に失敗して骨折してしまい少しの間入院したことがあった。

 入院中、看護師さんにはあまり動き回るなと口酸っぱく言われていたが、塀に登るようなやんちゃ坊主が黙って寝ているはずもなく……夜中にこっそり病室を抜け出して院内を散策した後にたどり着いたのが、この中庭だった。

 木々に囲まれた中庭はまるで秘密の園のようで、わくわくしながら中庭に飛び込もうとした時、その空間に先約が居ることに気がついて足を止める。

 木陰のベンチに、髪の白い少女が座っていた。

 小学生が読むには難しそうな分厚い本を膝の上に広げたその少女は紙面に夢中なようで俺には気付いていないようだった。

 時折吹く強い夏風が彼女の柔そうな髪を巻き上げて弄ぶ。

 風が収まると少し不機嫌そうに髪を手櫛で整え、彼女は再び血のように赤く輝きを放っている瞳で物語を見つめた。

 その一挙手一投足がまるで額縁の向こうに飾られた美しい絵画のようで、俺は呼吸も忘れて彼女を見つめる。


 一目惚れ、だった。


 絹糸のような真っ白い髪。

 ルビー色に輝いている瞳。

 陶器のように透き通る肌、瞬きをするたびに揺れる長い睫毛。

 それら全てに俺は心奪われてしまった。

 その日を境に、毎日毎日、足繁く中庭に通ったのを覚えている。

 通って……月明かりを頼りにいつも読書をしているその少女にひたすら見惚れるのが入院中の日課となっていた。

 彼女は決まって月が明るい晴れた夜にしかあの場所に居ないから、いつも夜中に病室を抜け出していたんだけれど、そのたびに看護師さんにしこたま怒られていたっけ。

 現実世界では、このあと話どころか自己紹介すらできないまま俺は退院してしまうのだけど、夢の中だからか少し展開が違った。

 彼女が、ふいに視線を上げたのだ。

 その視線に絡め取られて動けなくなった俺の方を見る彼女。

 少女はそのままゆっくりと瞬きをして……。


「おい、仄!」


 名を呼ばれてはっと顔をあげると、視界にドアップの幼馴染の顔が映り込む。


「……あれ?」


 さっきまで俺は中庭に……と一瞬混乱したが、ふいと辺りを見渡してすぐに夢を見ていたんだと思い直した。

 口元に垂れていた涎を拭いながら身体を起こすと色んなところからばきばきと音がする。


「可愛い可愛い幼馴染を前にして居眠りとは何事だー?」


 膨れっ面で機嫌悪そうに足を組み、ぎしぎしと椅子を揺らしている彼女は飛梅とびうめゆかり

 家が隣同士で幼い頃からずっと一緒に育ってきた。


「……縁」

「ん?」


 夢から急に現実世界に引き戻されてぱちくりと縁の顔を見つめる。

 すると彼女は不思議そうに首を傾げた。

 バスケットボール部に所属している彼女は今頃部活動に勤しんでいるはずなんだけれど。

 そう思い、部活はどうしたんだよ、と尋ねると彼女は顔をしかめる。


「はあ? もう七時だよ? 忘れ物取りに来たら仄が机に突っ伏してたから起こしてあげたんだろ」


 ふん、と鼻を鳴らした縁は再び椅子をぎしぎしと揺らした。


「あれ、もうそんな時間? ちょっと勉強してから帰ろうと思っただけだったんだけど……」


 そう言うと彼女はまた不審そうに眉をひそめる。

 こちらの顔をじろりと覗き込んだ彼女の肩をさらりとサイドテールが滑り落ちていった。


「ちょっと、本当に大丈夫? ぼーっとしちゃってさ。疲れてる? それとも何か悩みとか?」

「いや、悪い。そんなんじゃないよ」


 すると彼女はどこか不安そうなまま、ぽつりと呟く。


「また、一目惚れしたっていう子の夢?」


 言われてどきりとした。

 まるで全てを見透かすような瞳に見つめられて思わず視線を逸らす。

 そういえば縁にだけは話していたんだっけ。


「全く仄も一途だよねぇ。小学生の頃の初恋を未だに夢に見るだなんて」

「う、うるさいな。いいだろ別に」

 

 思わずつっけんどんにそう言うと、縁は悪戯っぽく目を細めた。


「別に悪かないけどさ。後ろよりちゃんと前見ないと、転んじゃうかもよ? 実際、仄ってそそっかしくて怪我しがちなんだし」

「大きなお世話だっつーの」


 赤黒い夕日が差し込む教室にはもう俺と縁しかいない。

 大方の部活動も終了したであろうこの時間帯、特に学校に残っている理由も見つからなかったので身体を軽く伸ばした俺はそっと椅子から立ち上がった。


「腹減ったし帰るか」

「はいはーい」


 そう言い、小さく頷いた彼女は揺らしてついた勢いそのまま椅子から飛び降りる。

 あ、と思ったときにはもう遅く、つい先程まで縁を乗せていた椅子がゆっくりと倒れた。

 しんと静まり返った教室内に椅子が床をこする音がいやに響く。


「あーあ。何してんだよ、もう。その椅子傾けるクセ、危ないからやめろっていつも言ってるだろ」


 あちゃー、なんて頬を掻いてる縁の後頭部に軽くチョップをお見舞いしてやると、彼女はどこか楽しそうに口角を上げた。


「何笑ってんだ。椅子に謝りなさい」

「はーい。ごめんなさい、椅子さん」


 倒れた椅子をもとに戻しつつ素直にぺこりと頭を下げた縁を後目に、机の上に広げたままだったノートと教科書、筆記用具を鞄に放り込んでさっさと教室のドアへと歩き出す。


「ちょっと待ってよ、仄」

「早くしろよ」


 後ろから縁の上履きが床を擦る音がしてふいと振り向くと、彼女と目が合った。


「? どうしたんだよ、急に立ち止まって。あ、わかった。縁ちゃんの美貌に見惚れてたんだな? ふふん、もっと見ていいぞ」


 そう言い、夕日を浴びたまま彼女はきりりと決め顔をする。


「いや、相変わらずちっこいなーって」

「え、ちっこくて可愛いって? 知ってるよー」


 たはは、と笑う縁の顔は、俺の胸と同じくらいの高さにあった。

 彼女の身長はざっと百四十五センチ。

 同級生の女子と並んでもだいぶ小柄だ。

 しかしそれでも彼女はバスケットボール部のエースに君臨している。

 身長故に舐められがちだが、彼女はその小さな体躯で、まるで野山を駆ける小動物のようにコートを駆け抜けゲームメイクしていくのだ。


「来月、隣県の高校との試合だよ! 忘れずに見に来てよね、仄」

「わかったわかった」


 縁が出ている試合はそれはそれは盛り上がる。

 だからわざわざ俺が行くまでもなく会場は熱い声援でぎゅうぎゅうになってしまうだろうけど……まあ、特に予定もないしな。


「そういえば、聞いた?」

「? 何を?」


 学校の敷地を出て、薄暗い影が落ちている帰路を彼女と一緒に辿る。

 時折吹く生ぬるい風のせいでじとりとした汗が頬を伝った。


「近々、転校生が来るんだって」

「転校生? こりゃまた微妙な時期に来るんだな」

「ね。バスケ部の後輩ちゃんが職員室に見たこと無い子が入ってくの見たらしいよ。顔は見えなかったけど女の子だったって」


 ぐいと頬を伝った汗を拭うと同時に、縁がどこか楽しそうな笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込んでくる。

 にんまりとした唇の隙間から見えた八重歯がきらりと光った。


「女の子が増えてよかったねー、仄クン」

「おい、人を女好きみたいに言うな」

「えー? 女の子好きでしょ?」

「そりゃ好きじゃな……っ…………くは、ないけど」


 男として生まれて、女の子が恋愛対象なんだもの。

 そりゃ女の子は好きですよ。

 嫌いなわけないじゃないですか。

 段々と静かになっていった俺の声に縁はぽかんとしたような表情を浮かべる。

 かと思ったら少し離れていって……彼女はくるりとその場で一回転した。

 同じタイミングで風が吹き、サービスとばかりに彼女のスカートが舞い上がる。

 ……まあ、制服スカートの下に学校指定ジャージのスタイルを地で行く彼女がぐるぐる回ったところで期待したものは何も見られないわけだけど。


「ふふ、仄の助兵衛っ。そーかそーか。ま、しょーがないよね。男の子だもんねー」

「な、なんだよその言い方」

「あーあ。ほんの数年前までは仄もちっちゃくて可愛かったんだけどなー。すっかり大きくなっちゃって」

「いつの話してんだ……」


 数歩前を歩く彼女。

 そういえば小学生ぐらいまでは身長殆ど変わらなかったっけ。

 それがいつからか彼女の成長は止まり、彼女を同じ目線で見つめることができなくなり……こうして一緒に歩いていても三十センチ近く下にある彼女の顔には影がかかっていてうまく見えない。

 彼女が下を向いてしまえば、尚更。


「なんだか、置いていかれてるみたい」

「え?」


 ぽつり、と。

 影と一緒に地面に落ちたその言葉は辛うじて拾うことが出来た。

 しかし意図までは汲み取ることが出来ず聞き返した俺を、縁は眉を下げた笑顔で見上げる。

 最近、彼女はこうして微妙な表情を浮かべることが増えた。

 笑っているのか、困っているのか……はたまた別の感情なのか。

 俺は未だに、この表情の彼女が何を考えているのかわかったことがない。


「勝手に大きくなっちゃって! 十五センチでいいから私に分ける気ない?」

「五分五分になる!」


 これでも毎日牛乳飲んだりして頑張って伸ばしてきたんだ。

 一ミリ足りとも他人に譲ってやるつもりはない。

 男の魅力が身長だけとは思わないが、平均以上あって困るものではないし。


「また、昔みたいにさ。一緒に馬鹿やって、おんなじ高さで景色見たいと思わない? ……私はたまに思うよ。あの頃は世界に私と仄二人しかいないみたいでさ。なんていうか、仄がすべてだった」

「随分大袈裟だな」

「はは。大袈裟かも」


 少し遠くに、家が見えてきた。

 ふと空を見上げると空はすっかり濃紺に包まれており、周囲にある家々から漏れる家庭の柔らかな明かりが星々に負けず輝いている。

 縁と一緒に歩いていると、背の小さな彼女に歩幅を合わせているからか自分が想定したよりも時間がかかっていて驚くことも少なくなかった。

 その分、景色をゆっくりと見られるから嫌いではないけれど。


「……あんまり、勝手にどっか行かないでよね。寂しいから」

「? 別にどこも行かないけど」


 ポケットから取り出した鍵で自宅のドアを開けた彼女はまた"あの顔"をして、目を細めた。


「もう。そういうとこだよ。仄のばーか」


 べ、と舌を出して、彼女の顔のパーツがくしゃりと歪む。

 かと思ったらすぐいつもの表情に戻った彼女は、また明日ね、と慣れたようにウインクをして真っ暗な家に入っていった。

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