第5話 連載版・勝ち筋


「取りあえず、カタログを確認しておこう」


 ベソベソと啜り泣きながら、正志は石板のページを捲る。

 物騒なアレコレを目にして、さらに落ち込む彼の心。ある意味、己を追い詰める愚行でしかないのに、なぜかページを捲る手を止められない正志。これも文系の性だろうか。


 剣..... 槍..... 重火器..... こんなん使える気しねーよ。ってか、使いたくないよぉぉぉ! めちゃ高ぇしっ!!


 単純なロングソード一本で一万二千もする。これが高いのか安いのかは分からないが、少なくともカタログに表示されたポイント五万から見たら間違いなく高い。

 これからどれだけこのゲーム回廊で過ごすかも分からないのだ。少なくともポイントの半分以上は残しておきたい少年。

 超文系な彼は運動がからっきしだ。誰かに出会ったら逃げるほかないので、正志は逃げるための準備を始める。

 この世の終わりのようにさめざめと涙にまみれ、彼はぎこちない指でページを捲り続けた。


「まずは装備。ブーツと..... 手袋。あとは.....鎧? うわ、鎖帷子でも重量十キロもあんのかよ、そんなん着て動けるわけねーわ」


 眼を白黒させながら、結局カタログを最後まで確認した正志は、ふと場違いな商品を見つける。


「.....チケット?」


 そこには目立たない薄い黄色の文字があり、チケット・ルンと書かれていた。しかも御値段0円。

 まるで詐欺の常套手段のように隠された一文を発見し、訝しげに見つめる正志。

 

「.....どういうこった? 罠か? いや、罠なら、もっと目立つ場所で人の眼に触れるよう記すよな? うーん」


 しばし悩んだ彼だが、どうせ明日をも知れぬ身の上だ。ひょっとしたら何かの役にたつかもしれない。

 そう無理やり楽天的に思考を誘導して、結局彼はチケットを手に入れた。

 当たるも八卦当たらぬも八卦。こんな怪しいモノに手を出すなど自殺行為かもしれないが、ゲームであれば、こういうモノこそ起死回生の一手だったりもする。

 楽観的にも程があると自嘲じみた笑みを浮かべ、彼は買い物を続けた。

 他にも丈夫そうなザックと、あとは胸当てと肘当て膝当て。他にも薄手の綿毛布などを慎重に考えて購入する。


「んと..... あ、食べ物も要るな。水も。お、サプリとかもあるじゃん、買っておこう」


 ポチポチと正志がカートに入れた商品は、決済した途端、石板横に現れた。

 どういう理屈かなんて、もはや考える気力もない。こんなゲーム空間を造れる奴等に地球人の一般論など通じるわけがないのだから。

 幸いなことにカタログには最初からゲームポイントが五万入っていた。それを使い、一応の準備をした正志は、購入したお握りを無意識に食べる。

 緊張が味覚をも固めてしまったかのようで味がしない。それでも体力温存のためにモソモソと咀嚼し、胃の腑に押し込む正志。


 .....なんで、こんなことに。


 ぐしぐしと涙を掌で拭い、正志は購入した薄い綿毛布をかぶって眠る。

 ここまでで一万ほどのゲームポイントを彼は使っていた。残りはあと四万。

 武器は購入しても使える気のしなかった正志である。だから、一応の道具としてサバイバルナイフを手に入れておいた。

 これを人間に使わずに済むよう祈りつつ、彼は疲れも手伝って、泥のような深い眠りに落ちていった。


 それを配信で見守る地球の人々。


「.....死なないで、正志」


 スマホ画面から眼を離せず、女子高生は祈るように無機質な電子機器を額づけた。

 彼女の名前は末永和。正志と同じ学校に通う同級生で、同じく文芸部。

 物静かで大人びた彼に、微かな憧れを抱いてもいる。

 そんな彼を襲った、いきなりの災難。.....正確には地球を襲ったなのだが、そんなことはどうでも良い和。

 彼女の頭の中は、正志の安否で一杯である。


「死なないで..... 正志を無事に返してください、神様」


 切実な彼女の祈りは神々に届いたのだろうか。和は、なぜか神々が嗤う声を聞いたような気がした。


 そんなことを知りもしない正志は、翌朝、けたたましいベルの音で叩き起こされる。

 何事かと飛び起きる少年。それは別の空間の者らも同じだったようで、ざわざわとした喧騒がゲーム回廊を満たしていた。


 そして響く荘厳な声。


《おはよう、諸君。いきなり寝込みを襲われても困るだろう? なのでサイを振る前にベルを鳴らす。これで起きなかった者は運がなかったということで》


 あのけたたましいベルで起きなきゃ、そりゃ運がないとしかいえない。

 寝惚け眼が一気に覚醒し、正志は毛布やらを片付けて身支度を整える。

 万一、ここに誰かが転移してきたら、速攻でサイを振って、逃げ出す作戦だ。

 その先にもプレイヤーのいる可能性はあるが、可能性の段階で怯むわけにはいかない。

 少なくとも目の前に現れたプレイヤーは、問答無用で正志を攻撃するだろう。それより、安全地帯かもしれない他の空間へ転移する方が万倍マシである。

 

《さあ、サイを振りたまえ》


 さも愉しそうなゲームマスターの声。


 ごくりとサイを握りしめた正志は、突如轟く悲鳴を耳にして思わず飛び上がった。どこからか悲痛な絶叫が辺りに谺する。


 何事っっ?!


 慌てて周囲を見渡した彼は、昨日確認した空間の一つで異変が起きているのを目撃した。

 それは例の溶岩が満ちた空間。そこで暴れる物体は焼け焦げ、爛れた顔で正志に手を伸ばしていた。今にも溶け落ちそうに裏返る濁った眼球。

 びたびたと飛びる溶岩の飛沫が膜に当たっては消えて行く。まさに地獄絵図。

 

「ひっっ?!」


 あまりの惨状に眼を凍らせた正志の視界で、その人間だったモノは、呑まれるように溶岩の海に沈んでいった。


 いったい、なにがっ?!


 振ったサイの出目で溶岩空間へ転移してしまったのだろうか? だとしたら運がなさすぎる。


 突然の惨劇にヘナヘナと腰を抜かす正志の耳が、無機質なゲームマスターの声を拾った。


《あ~、今のはサイを振ることを拒絶した者だ。拒絶=即死エリアへの転移が起きるので気をつけたまえ》


 無機質を通り越して棒読みにも近いゲームマスターの言葉。


 そういうことは先に言えぇぇーーーーーっっ!!


 喉元までせりあがった絶叫を根性で呑み込み、何とか正志は立ち上がる。

 だが脚が震えることまでは抑え切れない。

 どうせ、このゲームマスターのことだ。敢えて言わずに、駒達が下手を打つのを愉しんでいるに違いない。


 当たり。と、ほくそ笑む奴等の顔が見えたような気がする正志。遊ばれているのを自覚しつつ、しばらく待ってから彼は思いきってサイを振った。


 .....南無三っ!!


 固く眼を閉じていた彼が恐る恐る瞼を開くと、そこには何もない空間。

 さらりと見渡しても何もない、砂だけの空間である。


 砂漠.....かな? 助かったぁぁ。


 安堵しすぎて深呼吸みたいな深い溜め息をつく少年。だが、それも束の間。ご.....っと妙な地響きが走り、その揺れは、しだいに大きくなっていく。


「何が起きて.....っ?」


 唖然と空を見上げていた正志は、突如砂漠中央に現れた穴に気づき、凝視する。

 少しずつ周囲を巻き込み、すり鉢状に砂を呑み込む不気味な穴。その穴に正志は見覚えがあった。


 .....蟻地獄?


 ばっと起き上がり、彼は空間の隅に身を寄せる。

 そうする間にも穴は広がり、どんどん渦を巻いていた。このままいけば、この空間全てが穴に落ちるだろう。


 そして.....? あの大穴の下には何がある?

 

 ゾッと顔を凍りつかせて外周を囲う膜に張り付く正志。

 

 ウスバカゲロウの幼虫様かっ? ホタルといい、儚げな見かけの物が獰猛な肉食って、よくあるよねーっ! ってか、これが即死ではないトラップかいっ!! ほぼ即死と変わらねーーーっ!!


 死に至るまでを想像出来てしまう分、即死トラップより質が悪い。そんなことを考えているうちに、サラサラと砂を呑み込む穴の縁は、正志の足下まで迫ってきていた。

 どうするっ? どうしたら? 必死に頭を巡らせる少年。

 しかしそんな時だ。ザックを両手でぎゅっと握りしめた正志は、そこに小さな音を聞いた。

 かさ.....っと微かに聞こえる紙独特の音。


 .....あ。そうだ、これがあった!!


「えっと.....っ? どうやったら使えるんだ? チケット・『ルン』?」


 ザックからチケットを取り出し、彼が呟いた瞬間、正志は再び転移し別の空間にいた。


「へ.....?」


 突然切り替わった風景に度肝を抜かれ、すっとんきょうな顔をする彼の脳内にシグナルが走る。


『チケット使用。ゲームポイント一万消費』


「はへ.....?」


 ゲームポイント一万消費?


 慌てて荷物を投げ出して石板に飛び付き、正志は自分のゲームポイントを確認した。

 カタログ右上に表示された残高から一万が引かれている。


「減ってる.....ってことは、このチケットはーーーっ!!」


 二度めの転移を可能とするチケットだったのだ。絶体絶命から逃れられる唯一の方法。逃げるための片道切符。

 もちろん二度めの転移先が必ず安全とはいえない。それでも無いよりは絶対マシなチャンスである。

 彼の身体がわなわなと小刻みに揺れ、あまりの安堵に溢れる涙を止められない。


「ウソだろ、ありがてぇぇ.....」


 力なく突っ伏し、嗚咽を上げる正志を、全国の人々が歓喜で見つめていた。




「うおおぉぉっ、やったっ! これで日本は助かるかもしれないぃぃっ!」


「やった、やった、よくやったっ!!」


「奇跡だ! 奇跡だよぉぉっ!」


 誰もが顔を見合わせて抱き合い、雄叫びを上げる。そんななか、ゲームマスターが配信で呟いた。


《ふむ。アレを見つけるとはな。.....これで日本の勝ちは決まったね。さあて。あとどのくらいの国が生き延びるかな》


 にやにやと人の悪い笑みを浮かべたまま、地球人に隕石をぶち込むゲームマスター。


 勝ちの決まった一国に嫉妬し、絶望で自棄になった世界が結託、滅ぶなら諸ともと日本を焦土に化すかもしれない。

 誰もが容易く頭に思い浮かべる結末。過去の歴史ではざらにあった話だ。

 歓喜したのも束の間、ゲームマスターの口からまろびた一言が、日本の希望を打ち砕き、最悪を予想させる。


 .....それも、また一興。共食いして勝手に滅んでくれたら手間もはぶけるしな。


 獣じみた笑みをし、ゲームマスターは、じっと正志を見つめていた。


 こうして希望を掴んだ正志が逃げ回るなか、本格的にデス・ゲームが始動する。




「『ルン』」


 全身を奮わせて叫ぶ正志。


 今日も今日とて言葉も通じぬ獰猛な眼差しの奴等に襲われ、彼は疲労困憊していた。

 体力的なモノでなく精神的に。

 何せ誰もが十代後半から二十代後半。若くネット世代な皆様は、当然のように小説やゲームを嗜み、デス・ゲームにも造詣の深い御年頃だ。正志以外の者らは、何の躊躇もなく、この異常事態に慣れてしまったらしい。

 いや、それなりに躊躇した者もいたに違いない。だが正志が見る限り、彼等は問答無用で唸りながら襲ってきた。

 そんな相手と対峙して、躊躇うほどの余裕はないだろう。心の中では嫌悪しつつも、応対するしかないのである。

 そして人間は慣れる生き物だ。さらにはゲームポイントというオマケまでついてくる。

 誰かを倒して身ぐるみ剥がし。.....息の根を止めれば..... 多額のポイントを得て、もっと良い武器装備を買い、生存確率を上げられるし、美味い物も食べられる。

 そんな甘美な誘惑に抗えるはずもなく、正志の予想通り、各国の若者達はこのゲームにのめり込んでいった。


 こんな不安、的中して欲しくなかったのにな.....


 正志も、最初の数回は話し合おうと思った。転移してくるのが英語圏の人間であることを祈りつつ。


 長く学んできた学校の英語教育の賜物で、片言なら話せる。たぶん、通じる。頼むから、理性的な誰かが転移してきますようにっ!!


 しかし、こういった期待は往々にして裏切られるのが常だ。

 彼が初めて遭ったプレイヤーは、英語かどうかも分からない唸り声を上げ、重そうな斧を軽々と振りかぶり、問答無用で襲いかかってきたのである。

 

 .....正志に残された選択肢は、逃げる(ルン)だけだった。


「なんで..... ほんと、なんでだようっ!」


 ぐすぐすと体操座りで泣き崩れる少年。そんな風に彼が嘆いている間にもゲームは進み、多くの命が散らされる。


 ただ、ここにも一種の法則性が生まれていた。


 好戦的な者は、さっさとサイを振り、誰かを倒そうと動くが、それを良しとせぬ者は、誰かの転移を待ち、正志と同じようにサイを振って逃げるのだ。

 戦いたくない、殺しあいたくないと思う者も少なくない。むしろ、デス・ゲーム上等の獰猛な人間の方が、実はまだ少ないのである。


 .....まだ、今はだが。

 

 しかしこの攻略法も、時間が経てば看破されるだろう。通常のゲームと同じく攻略される日も近い。

 そういった理知的な思考の者も、襲う者に感化され、あるいは逃げ場がなくなり、いずれ仕方なしに応戦せざるをえなくなる..... 嫌でも暴徒と化していく。


 このゲームは、そういう仕組みなのだ。


 何せ、糧を得るのにゲームポイントが必須で、運良くアイテムなどが拾える空間にでも転移しない限り、初期に貰った五万ポイントしかない。

 こんなポイントは直ぐに尽きる。飢えや渇きは簡単に人をケダモノに変える。

 一ヶ月という期間は長い。殺し、殺される以前に、ただただ生きるためだけに誰かを犠牲にしないとならないゲーム。理性を容易く崩壊させる、悪どいゲーム。

 これもゲームマスターの思惑のうちなのだろう。しかも、プレイヤー側は一ヶ月という期限があるのを知らないのだ。

 永遠とも思える殺伐とした空間で、正気を維持するのは難しい。


 そんな中、正志は勝ち筋を見付けた。用意されていたモノか、偶然の産物かは分からないが、これを他のプレイヤーにも教えたいのに、言語の壁が大きく立ちはだかる。


「ほんと、なんでだよう.....」


 毛布を引っ張り出してくるまり、正志は泣きつかれて眠る。

 ゲーム回廊の擬似的な天候による夜空の星が、そんな彼を穏やかな瞬きで見守っていた。


 彼の切なげな寝顔を余所に、明日もデス・ゲームは続く。

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