第15話 追憶(5)


 ルールは簡単。

 カードの絵札の三種類だけを使う。

 Rの王はLの女王より強い。Lの女王はVの従者より強い。しかしVの従者は、Rの王より強いという三すくみになっている。

 手札は五枚。一枚ずつ見せ合って、手の強い方が勝ち。勝ったカードは捨てて、負けたカードは手札に残る。手札が先になくなったほうの勝利だ。


「嘘……また負けた」


 マティアスはそのシンプルなゲームで、オディロンに三連敗を喫していた。


「騎士の訓練に、カードゲームも入ってるの?」

「正式な科目じゃないが、実質的に入ってるな。金かワインを賭けさせられる」

「え、本当に?」

「団の中じゃ俺はいいカモにされてるよ」


 オディロンは笑いながらカードを混ぜた。もう一戦やる気らしい。

 新騎士の帰還からひと月以上経ち、大々的な祝宴はすべて終えた。久しぶりに用事のない夜を迎え、マティアスとオディロンは屋敷の遊戯室で二人で遊んでいた。


「ここにいたのか」


 カードの山から手札を配っているところで、開けたままだった遊戯室のドアから叔父のラウルが顔を出した。


「少し付き合わないか?」


 召使いがガラスのカラフェに移したワインと、三脚のグラスを運んできた。遊戯卓の横の小さなテーブルにそれらが並べられる。


「すみません、ボクは今日はもうお酒は」

「どうした。体調でも悪いのか?」

「いえ、体調のために、です。飲み過ぎは眠りに障りがあると先生に言われてまして。今日はもう夕飯の時に飲んだので」

「最近のマチューは神僧みたいに健康志向なんです。贈り物はワインでも牛肉でもなく、ミントティーか蜂蜜がおすすめですよ」


 オディロンが目配せしたのは、遊戯卓の端。レイモンから勧められた、あたたかいミントティーの入った茶器が置かれている。


「では、トランサルピナの極上ワインは私の独り占めだな」

「俺は飲みます」


 オディロンが軽く手を挙げると、従順な召使いは静かにカラフェからグラスにワインを注ぐ。


「私も混ぜてくれないか。何で遊んでた?」

「RLVです。オッドがすっかりカードに強くなってしまって、連敗なんですよ。昔はボクの方が強かったのに」

「ははっ、多少は鍛えられたか」


 ラウルが近くの椅子を引っ張って来て、卓の一面を陣取る。


「しかしお喋りの傍らにはやるには、早く終わってしまうゲームだな。数合わせにしよう」

「えっ、数合わせですか」


 グラスを傾けていたオディロンが慌てて卓に顔を向ける。その態度にラウルが眉を寄せた。


「お前、自分の得意なゲームだけやるつもりだったな?」

「そんなつもりでは」

「あはは、相変わらず数合わせは苦手?」


 ラウルは早々にカードの束を取り上げ、すべて裏にして卓の上に広げ始めた。


 数合わせは、名前の通りカードに書かれた数字を揃えていく遊びだ。

 カードをすべて伏せて絵柄が見えないようにし、一人二枚ずつ裏返していく。同じ数字が揃えばカードを取り、揃わなければまた裏返す。最後に手元のカードが多い者が勝者となる。子供が最初に覚えるゲームのひとつで、マティアスは昔からこれが得意だった。


 卓を埋め尽くすように、裏返しで見分けのつかないカードが並べられた。


「ではボクから」

「お、余裕だな。私もまあまあ強いぞ」


 マティアスはまず、自分の目の前のカードを開く。絵柄は杖、数字は一。

 一番手はまったく情報がない。当てられなくて当然だが、自分の覚えやすい場所を開けられるという有利さもある。

 二枚目は卓の角を選んだ。絵柄はコイン、数字は十三だ。マティアスは二枚とも元通り伏せて、隣のラウルがカードに手を伸ばす。


「勉強はどうだ? 記録医学、だったか。随分熱心にドミティア神殿に通い詰めてるらしいな」


 ラウルは自分の前の二枚を立て続けにめくった。絵柄はコインの四と、剣の九。まだ数字は揃わない。


「変わり者の神官だとも聞いているが」

「はい、とても変わった方です。話をしていても、どんどん話題が移っていって、付いていくのが大変で」


 オディロンも自分の目の前のカードを選んだ。まずカップの二、次がカップの五。カードを伏せたオディロンが卓に頬杖を突く。


「もう覚えきれなくなってきた」

「そうやって油断させる作戦?」


 マティアスの番だ。

 まだ開かれていない中央から一枚を選ぶと、絵柄はカップ、数字は十三。一巡目で見たコインの十三と揃って、二枚がマティアスの手元にやってきた。カードを表のまま卓の端に寄せ、ラウルに順番を譲る。


「その記録医学というのは、あれか。神殿の生没の記録とは、どう違うんだ?」

「……もっと詳細なものですね。ボクも今、自分の記録をつけているのですが、起きた時間に眠った時間、食事の内容やその日の体調など、なんでも記録するんです」

「そこまでか。新婚の王妃様の如し、だな」


 ラウルが新しい二枚を開け、数字の揃わなかったそれらを伏せる。


「うちは武闘派か、好々爺のどちらかばかりだからな。その点シャルロットは堅実で芯が強い。ミレーヌが芸術、マティアスが医学となれば、なかなかどうして多彩じゃないか。ゼブラノールは安泰だ」

「あ、でも、それは、まだ……」


 まだ決めかねているが、レイモン神官の講義は、回を追うごとにマティアスの心を惹きつけた。そして実際に自分の生活に取り入れている。もはや、実用性のない道楽のような研究と切り捨てることができなかった。


「ボクが医師になって、それで将来、義姉上やオッドの役に立てるでしょうか?」

オディロンがコインの一を開けた。次の手がマティアスの目の前のカードに伸びてくる。

「なんでもいい」


 マティアスが最初に開いた杖の一がオディロンに回収された。

 カードを指で挟んだまま、オディロンがマティアスを見つめる。マティアスの大好きな灰色がかった濃いグリーン瞳はいつもまっすぐだ。


「マチューなら、なんでもいいんだ。ただマチューがここにいて、生きていて、笑っていたら、それでいい。本当に、それでいいんだ」


 どんな学問でも、どんな仕事でもいい。彼を少しでも支えられるなら、それがこの世界で最上の役割だとマティアスは知っている。


「うん。ボクも、君と一緒にいられれば、他になにもいらない」


 オディロンは優しい。マティアスは記憶の件だけを隠し、神官から体調についての指摘をもらったと伝えた。それにオディロンはすぐに協力してくれて、今日もお茶に付き合ってくれた。いつでも労りの言葉をくれて、気にかけてくれる。

 だからこそ、マティアスは乗り越えなければならなかった。自分の中の不可解な問題に決着をつけて、彼の盾を守れる人間にならなければならなかった。


「薄情なヤツらだ。せめて叔父上様とは一緒にいたいと言え」


 二人が見つめ合っていると、ラウルがグラスの底に残っていたワインを煽り、早く次のカードを引けと急かす。

 オディロンと笑い合ったあと、マティアスは再び卓のカードをめくった。











































  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る