第7話 違和(7)


 二人は並んで橋を渡った。


 まだ夕方とは呼べない午後の空では、白から黄色に変わろうとする太陽が、雲に隠れたり顔を出したりを繰り返している。

 伯爵の城を中心とした街は、歪な円形の城壁に囲まれていて、南端の壁のすぐ外をこの川が流れている。橋を渡り切ると、門番に見張られながら狭い城門をくぐる。


「レイモン神官はどんな講義を?」


 連れ立って歩くのも久しぶりだった。

 マティアスは一度オディロンを見上げた。

 その視線は少し上を向いて街の風景を眺めている。オディロンにとっては、年に数日しか帰ることのできなかった故郷。行儀見習いに出た日から数えれば、実に十年ぶりにゆっくり見る景色だ。


「今日は緑の布を箱に入れて、暗いところでは緑色には見えないっていう話をされたよ」

「それは何か、詩的な表現……いや、哲学的な問答……あれ? レイモン殿は医学の教授じゃ」

「あはは、いつもこんな話ばかりなんだ。今日のは人間の視覚についてで、前回は人間には聞こえない音の話。その前は言葉をどう捉えるかっていう話で」

「それ、医学なのか?」


 予想通りの質問に、マティアスは再び声を出して笑った。


「先生はご自身の手法を記録医学と呼んでいて、患者の生活や症状を細かく記録して、積み重ねていくことで、同じような病気や症状に対する対処法を導き出すんだ」

「つまり、数学の統計みたいな、そういう手法か」

「うん。近いものだと思う」


 マティアスも目線を上げて、城壁の中の街並みを眺める。この時間は荷馬車も少なく、通りは静かだ。


「特に目眩や気鬱の治療の実績がある方なんだ。次回からは、人間の記憶の話をしてくれるって。それが目眩や気鬱とどう関係があるのか、実はボクもよく分かってないんだけど、なんでかすごく面白くって」


 説明しながら傍らのオディロンを見上げると、今度は目が合った。とても優しい目をしていて、思わずドキリとする。その気持ちを見抜かれたのか、一層目を細められて、マティアスはつい目を逸らしてしまった。


「どうした?」

「君が、すごく、見るから」

「マチューが楽しそうで、いいなと思っただけだ」


 オディロンがそう言って、大きな手でマティアスの肩を抱きよせた。荷物を抱えていたマティアスは、少しよろけるようにしてその胸に飛び込む。


「それは、楽しいよ。好きなだけ勉強させてもらって、家族はみんな元気で……オッドも帰ってきて」


 人通りが少ないといっても、無人なわけではない。尼僧の噂の有名人とまで言われて、すれ違う人の目線が気にならないわけでもない。

 それでもマティアスは、密着した体を離す気にはならなかった。

 オディロンと共にいる時、マティアスの心は無敵になるのだから。












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