第2話 さよなら最終兵器
どんどん近づいてくる魔法で照らされている看板。
下手すれば、初めてこの街に来たときよりも緊張している。
「シースくんはさ、こういうの初めてなの?」
2人で入り口をくぐりながら、そんな話をしている。
「はい!初めてです!女性経験もありません!」
「ちょっと、そんな大声で何言ってんのよ」
緊張して声がうわずっているシースを見て、アージェはクスリと笑いながら、エントランスで手続きを済ませていく。
アージェの内心では、理由は分からないが、自分の狙いを看破していることはほぼ確実であろう影無しがここまでついてきたというチャンスを活かそうと必死になっている。
逃がさない。
そんな意味を込めて、アージェはシースの手を握って部屋へ向かう。
シースは急に手を握られて、心臓が張り裂けそうなほど興奮していた。
(アージェさん、情熱的すぎだろ!!)
応えねば男ではないと思い、強く握り返す。
アージェは少し目を見開いた後、挑戦的な笑みを一瞬浮かべて、そのまま歩き出した。
どちらもベクトルは違うが真剣だ。
部屋についた2人の間には、それぞれ別の緊張から、謎の沈黙が訪れていた。
「と、とりあえず私、体を綺麗にしてくるね!」
「どどどどうぞ!!」
そう言って、部屋の中に備え付けられた風呂場にアージェが消えていく。
その間、シースの頭の中では既にアージェと結婚するところまで妄想が進んでいた。
だが、ここでふと、こんなにうまくいくものかと我に返る。
前の町では女の人から話しかけられたことなどなかった。まるでシースを空気のように扱っていた。話しかけても当然無視される。
そんな自分に、ここまで都合の良い女性がいるものだろうか。
(あれ、もしかしてこれ、女の人を使った詐欺か?)
その可能性に思い至った瞬間、シースの目は一気に覚めた。
アージェが風呂に入って出てこないことを確認すると、部屋の出入り口を確認する。
一応、入るときに気をつけたつもりではいたが、もしかしたら魔法で遠隔ロックされるかもしれない。
(特に魔力的な繋がりは…なし。廊下にも怪しい人影はない)
シースは得意魔法の1つである観察魔法で魔力を可視化し、わずかな魔力的痕跡も見落とさないようにする。
次は室内の確認だ。
こちらも、外部に魔力的な繋がりを持つものは見つからない。つまり盗聴器や監視カメラのようなもの魔道具はない。
(何も見つからないが、念のため…)
シースは両手を合わせ、目を閉じる。そして右手と左手から異なる波長の魔力を発生させた。
こうすることで、ぶつかり合った異なる波長の魔力が室内に満ち、魔道具による監視や盗聴はもちろんのこと、観察魔法なども妨害することができる。
これはシースが泥棒をやっていた頃に編み出した、言わばジャミング魔法とでもいう代物だった。
「よし、何も怪しい痕跡はない。ってことは…ガチで童貞卒業だぁあ!」
嬉しすぎて小躍りしてしまう。
国から出て、街へやってきて良かった。本当に良かった。
「何か言った-?」
「いえ何も!」
「もうすぐ上がるから、待っててねー。怖じ気づいて帰っちゃだめだよ」
「大人しく待ってます!」
そして待つこと数分。本当にアージェは上がってきた。しかも、体にバスタオルを巻いただけの格好で。
「お待たせ」
「アージェさん?」
アージェが後ろ手に何かを隠し持っていることにはすぐ気がついた。
流石のアホスケベでも、女性のあられもない姿より、自分の生存本能が優先された。
(やっぱりこういうことだよね。あーあ、逃げよ)
だが、逃げる前にシースは見てしまった。
彼女のバスタオルがはだける瞬間を。
そして、中身に釘付けになってしまった。
「悪いんだけど、少しだけ気を失っててもらえるかな」
アージェが魔道具の銃口をシースに向ける。
「おっぱッ」
魔道具から放たれた魔力弾は、シースの体を貫いた。非殺傷武器のようだった。
シースは、なんとも情けない断末魔を上げて、気を失ってしまう。
本人は自分にそんな大層な異名が付いているとは知らなかったが、腐っても『影無し』と恐れられていた男。本来であれば攻撃を避けられたはずだったが、おっぱいによって敗北する。
(でもいいか…いいもの見れた…)
気絶したシースの顔は幸せそうだった。
「影無し…。結局、何故ここまで付いてきてくれたのかしら…」
仕留めた本人も首をかしげていた。
§
シースは肌寒さで目を覚ました。
辺りを確認すると、ここは気を失った部屋のままだということが分かる。
「いって-なぁ…。いくら非殺傷といえども気を失う程度には痛い…」
魔力弾が貫いた胸に手を当てる。
むにゅんと豊満な柔らかい感触が手のひらに伝わった。
「え?」
改めて自分の体を見下ろす。
目の前には、それはそれは大きな双丘がそびえ立っていた。
「なんでここにおっぱいが!?」
困惑しつつも、ここぞとばかりに揉みまくる。
手のひらに伝わる幸せな感触と、なんだか少し痛い胸の感触。
「はっ!ということは待てよ…?」
シースは目にもとまらぬ早さで風呂場へ向かう。
そして鏡の前に座り込んだ。
そこにいるのはなんともかわいらしい黒髪ショートの女の子。
鏡に映るその子は、興奮した様子でガバッと股を開いた。
そこには、シースが人生で初めて拝む花園が広がっていた。しかも、何がとは言わないが何故かツルツルだ。
「うおおおおおおおお!!」
シースは溢れる感情を抑えきれず自らの右手をいつものポジションへ持っていき、そして、
「あれ?」
その手は虚しく空を切った。
「あっそっかあ…」
シースはここで初めて自分の置かれた状況を理解し、そして泣いた。
「しくしく…なんで急に女の子になってるの…」
これでは彼女が出来ても良いことができない。
一度も使われないうちに、シースの最終兵器は跡形も無く消えてしまったのだ。
今日、初めて使われるはずだったのに。
あんまりではないか。
「ぐすっ…この魔力の感覚…固有魔法か…?」
自分の体に残る魔力の残滓から、魔法によって性転換させられたとしか思えない。
しかし、そんな魔法聞いたこともないし、もし存在するのであればシースは死に物狂いで習得している。
ということは、誰もが学べる魔法では無く、生まれ持った素質によってのみ使用可能な固有魔法によるものだと考えるほかない。
「アージェさんだ!!アージェさんが俺の息子を殺した!!」
肩を怒らせながら浴室から出たシースは、まずは服を着ようとする。
起きたときから全裸だったのだ。
辺りを軽く見渡してみても、シースの服は見当たらない。それどころか、荷物類も全て消えていた。
「なるほど、身元が分かる物を全て持ち去ったわけか」
アージェの固有魔法により、容姿はおろか性別すらも変えられてしまったシースが持ち物を失えば、完全に身元を証明することは難しくなる。
仲の良い友人がいれば、お互いしか知らないエピソードや秘密を話すことで、もしかしたらシースだと信じてくれるかもしれない。だが、あいにくシースは國を捨ててこのウィーユの街へやってきたのだ。頼れる知己などいようはずもない。
「どーすっかなあ。このナイスバディを衆人環視に晒すのも許せん。裸で外に出る訳にはいかないぞ」
自分ですらついさっきまで見たことの無かった理想郷をただの通行人に見せるのは癪だった。
しかも時計から判断するに、かなりの時間気絶していたらしい。このまま部屋にいた場合、チェックアウトしない客を不審に思った従業員が部屋に様子を見に来るだろう。
「あ、なんだこれ、服あるじゃん」
室内の収納を覗くと、何着か緩い服が掛けてあった。
田舎者のシースは知らなかったが、都会のホテルであれば、部屋着くらいは置いている。
「悪いけどこれ、着ていこう」
裸の上にバサッと部屋着を羽織り、前を紐で縛る。
激しく動くと下半身が露出するが、裸よりはマシだ。
「さってと。アージェさんに会いに行きますかね。ついでにおしおきとかしちゃったり…ぐふふ」
常人であれば取り乱すような事態に遭遇しても、この元男は案外心の余裕があった。
既にホテルに宿泊料金は支払っているので、気兼ねなく脱出することができる。
向かうは当然紫月社だ。アージェはそこから出てきたし、メインストリートでの様子を思い出せば、恐らく偉い人間であるということも分かる。
シースは窓枠に足をかける。
「ちょっと楽しくなってきたな」
小さく呟いたその声は、風に流れて消えていった。
シースは窓から飛び出し、近くの屋根に飛び移る。人目に触れないようにするならば、屋根の上を歩くのが一番手っ取り早い。
屋根の上を走り、次々と飛び移っていくというのに、まるで羽が地面に落ちるかのように静かな音がする。
だがここは田舎ではないため、高い建築物が沢山ある。そこから見下ろせば、屋根の上を走る人物は逆に目立ってしまうだろう。
しかし、そこは隠密行動に関してはプロフェッショナルであるシースだ、彼は…いや彼女は、それを切り抜けるだけの手段を持ち合わせている。
「固有魔法、インバイアス」
シースの固有魔法は、無警戒の人に認識されにくくなるといった微妙な能力である。
こんなところに人がいるわけがないと思っている人にはシースは視界に入ったとしても認識することができなくなる。逆に言うと、もしかしたらここに人が来るかもしれない、いてもおかしくないと考えている人には通用しない能力だ。
今まさに、民家の屋根を疾走しているわけだが、半裸の女性が屋根の上を走っているかもしれないと考える人は少ないだろう。
一気に紫月社の前までくることができたシースは、こっそりと入り口を覗いていた。
警備員が入り口の脇に立っている。
「流石に正面突破は無理だろうなあ」
いくら認識阻害の魔法を使っているからといって、真面目に警備している者の目をかいくぐることはできない。きちんと警備している人は、誰かくるかもしれない、侵入者がいるかもしれないと考えながら警備しているので、シースの固有魔法インバイアスは効果がない。一番効いて欲しい対象に効かないから微妙な能力なのだ。
「依頼人を装うにしても、この格好じゃなあ…」
流石に普段着と言い張るには厳しいものがある。
「追いはぎに遭いました、荷物を取り戻してください。とかなら行けるか?いや、それだと中に入った後に目立ちすぎて、潜入なんて無理だよね」
そうなると、やはり見張りに見つからないように秘密裏に潜入する必要がある。
「よし、焦らずにもう少し回りを見てみよう」
シースは見張りに見つからないように、本社の周囲を偵察してみることにした。
両脇は建物に挟まれているが、どちらも2階建てくらいだ。
正面には先程確認したとおり警備員が2人立っており、裏口には鍵がかかっているようだ。
「秘密道具があれば、裏口から鍵を開けて侵入するんだけどな」
シースお手製の泥棒用魔道具は全てアージェに身ぐるみとともに回収されている。
「でも、行くとすれば裏口しかないな」
警備も手薄だし、荷物の搬入や社員の出入りに使われているだけのようだ、
よく見ると、扉の上には監視カメラが設置してある。機械相手には固有魔法は通用しない。
「ま、余裕かな」
シースは裏口が見える位置に隠れ、出入りする社員を待った。
2時間ほど待っただろうか。
大きな荷物を荷車に載せた2人ほどの社員が近づいてきた。2人で引くタイプの荷車に、布が係っている。
(ラッキー。監視カメラを誤魔化しつつ、ぴったりくっついて侵入しようと思ったけど、荷台に入り込めるならそんな手間かけなくていいじゃん)
シースは近くに落ちていた枝を、荷車の車輪に挟まるように投げ入れる。目論見通りに車輪に挟まった枝は、車輪の回転を妨げ、急に止まった車輪の影響で荷車に積まれていた荷物は地面に転がってしまった。
「おい、なにやってんだよ」
「やべ、怒られるって。割れ物は…ない。助かったぁ」
(悪いね。お邪魔しまーす)
シースは荷物を拾い直している2人の目を盗んで、こっそりと荷台の木箱の中に忍び込んだ。
やがて荷物を積み終わった社員の2人は布をかけ直し、再び荷車を引き始める。
「なんか重くなったか?」
「積み方の問題だろ」
と、このように一度崩したことによって、重さの変化も誤魔化すことができる。
そのまま木箱の中で大人しくしていると、ガタンという衝撃が伝わった。
(よし、侵入完了)
荷車はまだ動き続けている。
どこまで運ばれるかはシースには分からないが、アージェもどこにいるのか分からないので、問題はない。
シースはこっそりと木箱の中から這い出し、布を少しめくって周囲の状況を確認した。
今通っているのは広い通路だ。もしかしたら物資搬入用のルートなのかもしれない。
(警備員もなし。カメラもなし。今だな)
固有魔法を発動しながら、こっそりと荷台の後ろから地面に降りた。
「あでっ」
荷車は動いていたので、降りるときに少し転んでしまったが、搬入係の2人はシースに気がつくことなく通路を進んでいった。
「さて、これからどこに行くかだな」
現在地も目的地も分からない。
「とりあえず、偉い人は上にいるものでしょ」
自分の中の勝手なイメージに従って、とりあえず上を目指すことにした。
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