戦争となにが違うのか

改宗の為に戦い続ける祖父。

争いごとが 信仰 の為に起こる。


私も信仰をしていた。

生まれた環境がそうだった。

それが当たり前だと思った。

正しいものは、正しいと。


しかし、争いを前にして・・・

「戦争はダメだ」と繰り返し聞かせてくれる祖父が

身近な人と争う姿を見てきた。

幸せになる信仰なのに、争いを見せられた私の心は穏やかではない。

争いたい祖父はたぶん幸せだったと思う。

幸せなのは祖父だけ。


鉄砲やら戦闘機やらを使う戦争がダメで、信仰のための争いは良い?

一番身近な人たちと争っていくことは良い?

戦火に散った仲間を思い、生きた自分を後ろめたく感じながら

残された人と争うことは良い?


信仰で争いたくない。私は信仰を捨てた。

家庭訪問と称して自宅に来る幹部。家庭訪問の数の一つに入るから。

選挙になると「選挙行きましたかぁ?」と確認の留守電が入る。

全て無視している。


「戦争はダメだ」と言いながら周囲と争う自分をどう思ったか。

いつか、あの世で祖父に聞きたい。


・・・信仰を捨てた私は、祖父母と同じあの世にいけないかもしれない。

・・・答えは聞けないだろうか。

・・・この信仰をしない人は、阿鼻叫喚の地獄に行くらしいから。

・・・十分に阿鼻叫喚を見せられたから、もう十分ですって言ったらいいかな?

・・・祖父母の事大好き。嫌いなのは信仰です。

・・・そう言ったら、祖父母に会えるかな?

・・・いま、思い出すのは祖父母の笑顔だけ。


8月を迎えると、戦争反対と叫び、周囲と争った祖父の人生を想う。






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祖父の「戦争反対」 まもり ちとせ @azuki-purin

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