いつか蕾の咲く夜に。
神前りん
【序章】稟太朗と異母兄弟の齊藤家の、過去。
「…ただいま。」
小学生の
とあるマンションの501号室。
廊下には、たくさんの、無造作に置かれた満杯になったゴミ袋。
(……そろそろゴミ捨てなきゃ怪しまれそうだなぁ。)
そう思いつつ、ゴミ袋だらけの薄暗い廊下の先の、リビングのドアを開けた。
「……今日、母さん帰ってきてたのか。2万5千円…上手くやらなきゃ。」
机の上に、無造作に置かれた2枚の一万円札と1枚の五千円札を見て、稟太朗は呟いた。
母が行方を晦ましてから1年ほど経っただろうか。
大体、月に一度、こうしてお金が置かれている。それが、母と稟太朗との、唯一のやり取りだった。
稟太朗は、そのうちの1万5千円を寝室の小さな鍵付きの金庫に入れ、残りの1万円は学校で預かってきた給食費の袋に入れた。
そして、その薄暗い寝室にある壊れかけのパソコンのスイッチを慣れた手つきで点けた。
稟太朗の拠り所はこのボロパソコンから見るインターネットだけだった。
匿名掲示板。
【いじめ、虐待を受けてる子が集まるスレ】
そこには様々ないじめや虐待を受けたエピソードが無造作に羅列されていた。
その稚拙な文字列の中から、稟太朗は、自分の方がマシだと思えるような他人を探した。
【458:傷だらけの名無したん:つらいよね、わかるよ。】
【459:傷だらけの名無したん:俺も同じ。学校行きたくない。家も居心地悪いよね。】
【460:傷だらけの名無したん:同じような人が集まってて、ここが一番安心する。】
【461:傷だらけの名無したん:おまいら、みんなで辛いこと吐き出して、支え合おうぜ】
見えない、有りもしない友情を持つ事で満足していた。
「…何で産まれたんだろ、俺。」
--齊藤家。
「俺に、もう1人兄弟がいる⁉︎龍二以外の⁉︎」
「あれ、言ってなかった?アイツ(父親)がどっかで作った女との子供。父親が一緒だから一応兄弟でしょ。」
「マジか…!」
「え?もう1人、にぃにが居るって事?」
「そうなんだって!嬉しいよなァ、龍二!?」
とても兄の青龍に懐いていて、非常に仲のいい、男兄弟。
しかしながら、そんな龍二も青龍とは異母兄弟である。
その事は、青龍と龍二も、幼いながらに分かっているような、まだ理解し切れていないような、そんな感じで。でも、たった2人の兄弟、仲良く毎日過ごしていた。
それが、もう1人、兄弟が居ると知る事になるなんて。
「ん…よくわかんない。おれ、青龍にぃにが居ればいいもん。」
「んだよ、それ。…にしても、会ってみてぇな!もう1人の兄弟…!」
「あんたらと同じ小学校にいるでしょ。てか青龍と同じ年じゃない?…たしか、名前は…」
--翌日の学校。
「霆、おまえキモいんだよ!学校来んな!」
「男か女か分かんねーんだよww」
「お前んち、母ちゃんも父ちゃんも居ないんだろ?何で生きてんだよww」
「……。(いつもの事だ、気にするな…。)」
校舎の脇の小さな茂みの裏で、稟太朗は同じクラスの数人から罵倒されていた。
「おいテメェら何してんだァ?」
どこからともなくやってきた青龍が、幼いながらにドスの効いた声と、力強い青い瞳で、稟太朗をいじめている同級生を睨みつける。
「うわ、青龍じゃん…行こうぜ!」
青龍の顔を一目見た子供たちは、一目散に逃げ出した。
「………っ。」
「ったく、しょーもねぇイジメしやがって。…なぁ、お前か?霆稟太朗。」
「…何で俺の名前…」
「やっぱり!お前が俺の兄弟か!」
「え??な、何言っ…」
「母違いの兄弟なんだって!俺たち!」
「は?…え、兄弟??」
----
まだ明るい帰り道の途中の小さな河川敷で、稟太朗と青龍は、お互いが腹違いの兄弟であることを話し合った。
「……そう、だったんだ。それで、"俺と青龍くんの父さん"は…元気?」
「あー…ロクでもねぇクソな父親だよ。稟太朗の母さんは?」
「母さんは1年くらい前に出て行って、帰って来ない。俺は、ずっと1人だ。」
「……家でも学校でも、って事かよ。…なぁ、これからは俺が一緒にいてやる!俺はお前の兄ちゃんだからな!!」
「…お兄ちゃん?…あははっ、青龍くんより、俺の方が誕生日先なのに?」
「お、稟太朗、お前笑ってた方が良い顔じゃん!」
「え…俺、今笑ってた?」
「おう!ま、細けぇ事はいいだろ!?これからはお前の兄として、俺を頼ってくれや。」
「…お兄ちゃん…かぁ。…うん。ありがと。青龍くん。」
--数日後。
「青龍にぃに!!…と、稟にぃに!」
「あ、龍二くん。」
「んだよ龍二。今、稟太朗と遊んでたのによぉ。」
「最近青龍にぃに、稟にぃにとばっかり遊んでるんだもん…」
「仕方ねーだろ。兄弟だったのに今まで全然知らなかったんだ。その分、稟太朗とはたくさん仲良くしてやりたいんだよ。」
「青龍くん、ありがと。龍二くんも一緒に遊ぼう?」
「う〜ん…わかったぁ」
兄弟3人で遊ぶ毎日。稟太朗は今までに感じたことの無かった幸福感と満足感に、心を躍らせていた。
自分以外、誰もいない薄暗い自宅へ帰ってからも、青龍と龍二のことを思い出すと、寂しくは無くなった。
慣れた手つきで毎日見ていた壊れかけのパソコンも、電源を点けることなく見下ろした。
(兄弟が居たことを知って、俺は、初めて、1人なんかじゃないんだって思えたんだ。)
そんな事を思いながら、稟太朗は夕飯に1枚の食パンと、自分で作った薄い味噌汁だけを食べ、眠りについた。
----
ある日、稟太朗と弟の龍二が2人で一緒に下校していると、突然、龍二は提案した。
「稟にぃに、今からうちに遊びにきてよ!」
「えっ?龍二くんと青龍くんの家?」
「そう!稟にぃにと、おうちで遊びたい!!」
「うーん、、俺が行っても大丈夫?」
「だいじょぶだよ!父さんも母さんも居ないし、青龍にぃにも後で帰ってくるから」
「そう?じゃあ、少しだけ…おじゃましようかな?」
「うん!楽しみだな!!」
心底嬉しそうに笑う龍二を見て、稟太朗は、やっと龍二が心を開いてくれた事に安心していた。
そしてその幸せな気持ちのまま、稟太朗は、齊藤家の狭いアパートへと足を踏み入れた。
「稟にぃに、ほんとに優しいよね!いっぱい遊んでくれるし、たくさんお勉強も教えてくれる!」
「あはは、弟に優しくするのは当たり前だよ。青龍く…お兄ちゃんも言ってたでしょ?」
「うん!でも青龍にぃには勉強教えてくれないもん!」
「まぁ、それは……仕方ない、かなw とにかく、お勉強は俺に任せて。いくらでも教えてあげるから!」
「わーい!稟にぃに、ありがとう!!」
そんな幸せな会話をしていると、突然玄関の扉が開いた音がした。
「青龍にぃに帰ってきたかな!?」
龍二が元気よく立ち上がると、居間の引き戸が乱暴に開けられ、大きな影が現れた。
「あ…っ、と…父さん……」
「あぁ?!何だ龍二、誰だコイツ」
「あ…」
「誰に許可得て知らねぇヤツ連れて来てんだってんだ!オイ!!」
夕方から既に強く酒に酔った様子の父親は、非情なまでに乱暴な言葉で、幼い2人に詰め寄ってくる。
「ご、ごめんなさ…」
大きな拳を、涙を浮かべている龍二に向かって振り下ろす"父親"を見て、稟太朗は咄嗟に龍二を庇った。
「痛……っ、」
「あぁ?テメェは何なんだよ。男か女かも分からねぇ見た目しやがって…気持ち悪りぃヤツだな!?」
「う…ぐすっ、おれのせいで…稟にぃにが…ッ…」
「あ?!稟、にい?だと?テメェまさか……」
「ごめんなさい…俺が勝手に上がり込んだんです…龍二くんは悪くなくて…」
「ハハッ、テメェやっぱり、稟太朗?だったかァ?久しぶりだなァ。って、生まれた時以来かww会いたくもなかったがよ!!」
そう言いながら、稟太朗が初めて会った自身の父親は、何度も稟太朗に拳を振り翳した。
「……ごめんなさいごめんなさい…」
その様子を見て、龍二は泣きながら部屋の隅で震えてしまっている。
稟太朗は何度も叩きつけられる衝撃と罵声に耐えながら、龍二に危害が及ばないようにと、だけを考えていた。
「親父!!?」
「…青龍にぃに!たすけて…っ!おれのせいでッ、ごめんなさい……」
アパートの外の廊下にまで聞こえていた父の罵声を聞きつけ、勢いよく玄関へと飛び込んできた青龍に、龍二は泣きつく。
「ふざけんなよ…!!この、クソ親父が!!!!」
青龍は稟太朗を庇おうと、自分の父親だとは思いたくもない"それ"に向かって飛びかかる。
しかし、青龍は気が付かなかった。
大きな拳の中には折り畳み式のサバイバルナイフが握られていた事に。
「……」
「………あ?」
急にパタリと静まり返る室内で、一同は青龍に視線を向けていた。
焼けた畳の上に、赤黒く滴り落ちる点々とした滴。
青龍の左目の横には十字の切り傷がハッキリと赤く浮かび上がっている。
さすがに我が子の血を見て焦ったのか、父親と呼ぶには相応しくもないその男は、バツが悪そうにアパートから出て行った。
狭い部屋に残された、同じ男の血が通う幼い3人は、泣きじゃくりながら、抱きしめ合い、お互いで誓いあった。
「兄弟3人で、助け合って生きて行こう。」
----
数日後のある日。
下校途中の道で、先を歩く青龍を、走って追いかけて来たのは稟太朗だった。
「青龍くん…っ、」
「ああ、稟太朗か。どうしたんだよそんな走って。」
「はぁ、青龍くんと、は、話がしたくて…っ追いかけてきた…!」
「何だよ、そんな急がねぇでも、俺はいなくなったりしないっての!」
「……」
稟太朗は、この間の事件を思い出しながら、青龍の左こめかみを見つめた。
もう傷口は塞がってはいるものの、くっきりと目立つ十字の傷跡。
これは一生消えない傷になってしまった、と、罪悪感と悲しみで、泣きそうになる。
「ごめん…。俺のせいで…青龍くん…」
「なァに、泣きそうな顔してんだよ!稟太朗は笑顔で居ろっつったろ?」
「……」
「それにな、この傷は、勲章なんだ。…稟太朗っていう大切な弟を、俺が守ったっていう勲章。」
「…っ、でも…」
「……俺がこの傷を受けてなかったら、あのまま稟太朗が刺されて死んじまってたかもしれないんだ。…それを守れただけでも、俺は、稟太朗を助けられて良かったって、そう思う。」
綺麗な青い瞳で、少し悲しげに笑う青龍を見て、稟太朗の心は、感じた事もない感情に、大きく揺さぶられた。
「だから、これからも、遠慮なく俺を頼れよ?な。稟太朗。」
「……うん。お兄ちゃん。…ぼく、お兄ちゃんの“弟”で、本当に良かった。」
どくん、どくん、と脈打つ、幼い心臓の中で、この時たしかに、稟太朗の青龍に対する想いは、より一層、強くて熱いものへと変わっていくのだった。
いつか蕾の咲く夜に。 神前りん @Rintaro_ikazuti
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