第4話・来たる約束の最後の日(ラストデー)
窓の外から鳥の鳴き声が聞こえる。
朝に聞こえる小鳥の声の定番といえば雀という印象があるけど、実際にカーテンの隙間から覗いてみたりすると全く別の鳥だったりするからびっくりする。
睡眠時間はいつもよりやや短めだけど、妙に目覚めは良かった。
枕元のスマートフォンのボタンを押して、時間と日時を確認する。
「今日だよね」
誰もいない部屋でぼそっと呟く。
着替えや洗顔などを済ませて部屋に戻ると、カーテンを開けて日差しを浴びる妹神がいた。
「おはよう、おにいちゃん」
「ああ、うん、おはよう」
普通じゃない光景ではあるが、ここ数日で慣れてしまったのか、「今回はいた」というくらいの感想しか出てこなかった。
「今日が約束の日なんでしょ、頑張ってきてね」
「うん」
朝だからなのか、それとも空気を読んでいるのか、心なしかいつもより大人しい雰囲気だ。もしかしたら最初だけかもしれないけど。
「困ったときは一昨日と昨日の私の言葉を思い出してね」
「えー、まぁ……うん」
微笑んで真面目よりなトーンで話す妹神に対して、僕は曖昧な感じの言葉を返した。
一昨日の放課後、あの時の妹神は少しだけ頼もしく思えたものだが、相談の内容自体は微妙で、どこまで参考にしていいんか分からないものだった。というか、ほぼほぼ雑談していただけだったような。
「待ち合わせの時間まではまた時間あるんでしょ」
「そうだね、早めにつくようにするつもりではあるけど、それでも十分時間はあるかな」
「それじゃあ、それまで最終作戦会議だよ」
「作戦会議って……いいけどね」
予定の時間まで妹神の雑談に付き合った。うん、雑談。案の定というかなんというか、作戦会議っぽかったのは最初の数分だけだった。話が一度脱線してからはずっと雑談だった気がする。
一昨日と昨日の様子と併せて考えても、意外とおしゃべりなところがあるのかもしれない。いや、意外でもないかな。神様が意外とおしゃべりだなってだけで、何回か見た彼女自身からは意外な感じはしない。割と最初からおしゃべりな感じだったし。
「よし、それじゃあ、頑張ってきてね、おにいちゃん」
「うん、行ってくるよ」
妹神に見送られながら、リモコンを操作して世界を移る。
移動先の部屋は既にもぬけの殻だった。
もう外に出ているのかな?
待ち合わせの場所は響香の部屋でもなければリビングでもない。
これから向かうのは、家の最寄駅である
家には両親がいたため、非干渉の状態のままそっと家を出て、公園の物陰で干渉状態切り替えてから駅に向かった。
待ち合わせの時間よりも30分くらい前だが、響香は駅前のベンチに腰を掛けて、スマートフォンの画面を見ている。
もしかしてとは思ったが、こんなに早くから待っているとは……
すぐ近くまで近寄ると、こちらに気づいた響香は顔をあげて表情をほころばせた。
「ずいぶんと早いね」
「待ち合わせ場所と時間決めたのはこっちだし、先に着いていたかったからね」
「にしても早すぎるんじゃないかな?」
「そういうお兄ちゃんだって、まだ30分前だと思うんだけどなー」
響香はスマートフォンをバッグに仕舞いつつ、にやにやしながらでこっちをみてくる。もしかしたら、僕のことをからかってるつもりなのかもだけど、そういう僕よりも先に来ている時点で、響香も相当あれだと思うよ。
「こっちだって待たせるつもりはなかったし……なぜか僕より早く来ていたみたいだけど」
「だってお兄ちゃんのことだし、早く来そうな気はしてたからね。私のお兄ちゃんと同じ人だと思えるくらいにお兄ちゃんなんだし」
ベンチから立ちあがり軽く尻を叩くと「すごく早くなっちゃったけど、いこっか」と言って駅の方へ歩き出した響香のあとをついて歩く。
「そう言えば、待ち合わせの事は聞いていたけど、今日は何処に行くの?」
待ち合わせと場所くらいしか決めていないので、今日なにをするのか全く知らなかったりする。外に出てどこか行くってことくらいは察せられたけど、それだけしか知らなったのもあって妹神との相談会でも、話が脱線しやするく雑談会に移行しやすくなってしまっていた。
「バナンテューン行こっかなって」
「バナンテューンって、あのデパートの?」
「うん、4つ先の
「なんだかコマーシャルみたいだね……って、確かテレビCMでそんなのやっていたような気がする……」
もう何年か前の話ではあるんだけど、完成した時は毎日のように流れていた。
「そうそう、今はそうでもないんだけど、昔はテレビをつけっぱなしにしたリビングでよく遊んでいたからなんか覚えててねー、お兄ちゃんの方でそうだったの?」
「うーん、どうなんだろう……でも覚えているってことは何回かそういう日もあったのかも」
そこから派生して響香から昔の話を聞きながら、改札を抜けてホームまで歩く。
「あ、そういえば、お金とか大丈夫なの?」
話ながら駅のホームで電車を待っていると、響香がそんなことを言ってきた。
一応、財布の中身を思い浮かべてみる。そこまでたくさん入っている訳じゃないけど、1日遊んでも大丈夫かなとは思うけど、沢山買い物するとなったら少し心もとないかも。
「大丈夫だとは思うけど、響香は僕に高い買いものをさせるつもりなの?」
「ん? いや、えーと……そういう事じゃなくて、多分お兄ちゃんが使うお金って、お兄ちゃんの世界のものだよね、だからほら、なんか番号とかそういうの大丈夫なのかなと思って」
「あ……言われてみれば……電子マネーだって、実際怪しいよね」
響香に指摘されるまで気づかなかったけど、良く考えてみれば駄目かもしれない。もうちょっと使っちゃってるけど、大丈夫かな。最初の日に買った缶コーヒーを思い浮かべて、ちょっと不安になった。
いや、大丈夫。大丈夫なはず、というか大丈夫だと思い込もう。そうじゃないとなにかと不便だし、響香にも申し訳ない。流通しているお金の数はとんでもない量だし、たまたま同じものが同じ場所に揃うことなんてないはず。
「でも、大丈夫だよ、うん。そこまで大金を使うわけじゃないなら問題が起きるようなことはないと思う。電子マネーとかは駄目な気がするけど……さっき改札通る時使っちゃった」
これ駅を出る時に問題にならないかな。
「うーん、まぁ、使えているならいいんじゃないかな? たぶんだけど。なにか問題が起きたらあれだから、今回だけにした方がよさそうな気はするけど」
一度改札を抜ける際に使ってしまった以上、もう一度改札を抜ける時は使うしかないけど、響香の言うとおりそれが終わったら素買わない方が無難かも。
「駄目なことだって聞いちゃうとお金を使うこと自体、なんか少し気が引けてくるね……だからって響香に全部払わせるのもそれはそれでだめな気がするから、なるべく僕もお金は出して行こうとは思うよ。この世界と僕の世界には悪いことしてるとは思うけどね」
少し覚悟を決めてそう言ったのだけど、響香は「お兄ちゃん、かっこいー」と言うと、またしてもにやつきはじめる。あれ、なんか嫌な予感が。
「そういえばー、さっきは何か酷い事言っていなかったー?」
「……いや、それは、まぁ、そういう冗談かなって思って……」
「へー……」
「ご、ごめん」
なんかこれ以上からかわれるのもあれだし、とりあえず謝っておくことにした。
態度から分かってはいたけど、別に怒っていたわけでもないらしく、響香はすぐに表情を普通の笑顔に戻してくれたのでほっとした。
「まぁ、あれは私の言い方が悪かったのもあるし、流石に全部払わせるのも学生の兄妹的には正しくない関係性な気がするから、基本は個人持ちでも大丈夫だよ」
そう言ってくれるのはちょっとありがたい。ある程度使うことを予想してそれなりにもってきているとはいえ、沢山使ったら個人的なところで金銭ダメージ自体が発生するわけだし。
今いくら財布に入っているかなと思って、財布の中身をサッと見ていると待っていた電車が駅に到着した。
「あ、でもせっかくだし、お昼ご飯奢ってね、お兄ちゃん」
そんなこと言って笑う響香と一緒に少しだけ混んでいる電車に乗り込んだ。
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時間にして30分ほど電車に揺られて目的に駅に着いた。
改札を通る時は少しドキドキしたが無事通り抜けることができた。
バナンテューンまで、駅から歩いて5分と言ってはいるが、ホームから駅の出口までの時間や人混みとか信号の都合で実際は倍くらいかかる時もある。今日は時間がちょっと早いのもあって、休日の割には人が少なかったので7分くらいで、正面入り口の向かいの歩道まで到着した。僕たちは「やっぱり5分じゃつかないよね」なんて話をしながら、信号の色が切り替わるのを待っていた。
最近は来られてなかったから、それなりに久しぶりかも、バナンテューン。最後に来たのはいつだっけな。正面入り口を見ながら、思い出そうとしたものの、記憶にあるのは去年末に乃に誘われて桂ちゃんと一緒に来たときのものだ。あの時はこの近くの美味しいレストランがあるとかで一緒に行こうと言われて来たのはいいが、誘った乃が遅刻したせいで手持ち無沙汰になったので時間を潰すために入っただけだったけど。
あのときからもうほぼほぼ1年たつけど、昔はちょくちょく来ていたからあんまり久しぶり感はないかも。なんとなくだけど中がどうなっているかも覚えていし、たぶん響香とはぐれても迷子になることはないと思う。あくまで僕の世界と同じだったらという前提ありきではあるけど。
「ほら、お兄ちゃん、青になったよ、ちゃんと左右確認してから渡ろうね」
響香が袖をクイクイッと引っ張ってきた。
「もう小学生でもないのに、大丈夫だって」
そりゃ軽くは見るけど、そんな分かりやすく左右を確認するようなポーズは取らないって。そう思って、冗談交じりの返答をしつつ軽く車道を見たあと、視線を強化の方へ戻したけど、思ったより真面目な表情をしていた。
「そう? なんかぼーっとしているように見えたから」
どうやら、先ほど乃に誘われて来たときのことを思いだしていたのが、ぼーっとしているように見えたらしい。
「最近ここに来てなかったなから、最後に来たのいつだっけなって思っていただけだよ」
「そうなの? えっと……お兄ちゃん疲れているのかなとか思っちゃった……あ、そういえば私も中に入るのは結構久し振りかも」
響香は「このあたりは何度も来たんだけどね」と小声で付け加えつつ苦笑する。
「それよりも、早く渡っちゃおう。ここで喋っていたらもう一回待たされることになるよ」
「それもそうだね」
少し早めに足を動かして、信号が点滅するまでに渡り切ることが出来た。
入口から見る限りはこっちの世界のここもあまり変わりはないように見える。
「最近来ていなかったで思い出したけど、服もあんまり買いに行けてなかったから、とりあえずは服選びを手伝ってよ」
「僕は特に用事があるわけじゃないから、響香に付き合うよ」
「じゃあ、4階にちょくちょく行く店があるからまずはそこね」
そう言うとスタスタと歩き出す。4階は桂ちゃんにつきあって数回行ったことがある程度で、普段は通り過ぎることの多い階層だ。
「僕はその店までついて行けばいい?」
女性服の店とかだと、ちょっと気まずいかもなので一応聞いてみる。
「服を選ぶんだから当然……ではあるんだけど、半干渉とかになってくれると嬉しいかも」
「うん、分かったけど、どうして?」
男が入りにくい店だったりするのだろうか、だとすると僕も入りにくいとは思うんだけど。
「今から行く店はお兄ちゃんも何度か一緒にっている場所でね、そんなに何回も行ってたってわけじゃないけど、もしものことがあったら、ちょっとあれでしょ」
「あー、なるほど」
確かにそれは問題だ。
上の階に上がる時に階段を使うことにして、周りに人がいないことを確認してから、リモコンを取り出す。エレベーターやエスカレーターだと、人とかカメラとか気になるし切り替えは難しいからね。
一応ダイヤルを回す前にもう一度周囲を確認する。
「これで響香以外の人には見えていないと思う」
「よし、じゃあ行こっか」
響香の後をついて目的の店までは来たけど、どう見ても女性向けのお店だし微妙に入りにくさを感じた。結局、入りにくさはあるんだ。
今は周りからは見られていないからいいけど、こっちの世界の僕は響香が一緒にいたとはいえ、この店に一緒に入ったこともあるのか。勇気あるなぁ。
お店のスペースに入ると店員さんと響香は話し始めた。
話を終えて少しすると、響香はいくつか服を持って試着室に向って歩き始めた。僕にだけ見えるような感じで、小さく手招きしたのが見えたのでその後ろをついて行く。
試着用のスペースがいくつか並んでいるの場所まで来たのだが、なんだかここにいるのはなんだか悪い気がしてくる。
なるべく響香の近くにいよう。そう考えて響香の近く寄ると、響香に腕を掴まれた。
「お兄ちゃんも一緒に入ってきて」
小声でそう言う響香に腕を引っ張られた僕は試着室の中に引きずり込まれた。
「ここの試着室は広いから二人入っても結構余裕があるでしょ」
学校とかにある物置くらいの広さはあるので、確かに狭苦しさはないけど……。外で待っているよりも気まずいような。
「一緒に入る必要はなかったんじゃないの?」
「だって、試着したのを見てもらうためにいちいちカーテンを開けて虚空に話しかけるのはおかしいでしょ、だから一緒に入った方が都合がいいでしょ」
「それはそうかもしれないけど……」
兄妹とはいえ恥じらいは持った方がとも思ったが、兄妹って案外こんなものなのかもしれない。今の僕にはよく分からないことなんだけど。
響香は持ってきた服の中から上下を組み合わせて、それらを広げて見せてくれる。
「これとかどうかな?」
「似合うとは思うけど……今日着ているものに似ていると思うんだけど、いいの?」
「いま着ているのもここで買った物だし、似ているのはそうかもね」
店員さんと仲良く話していたから、もしかしたら常連なのかもしれない。
「違ったものとかが欲しくないの?」
「この服お気に入りだし、もう一つ近いものがあると嬉しいかなって思っているから、そこはいーの……それより、この組み合わせはお兄ちゃん的にはどう思う?」
「さっきも言ったとおり、似合っていると思うよ。今日着ている服だってすごい似合っているし、響香がいいなら買ってもいいんじゃないかな」
「じゃあ、これは買ってもいいかも」
鏡の前で手に持った服を自分の体に重ねて見ると、うんうんと頷くとそれらを畳んで椅子の上に置いた。
「着てみなくてもいいの?」
「いまのは最初から買うつもりのものだったし、多分お兄ちゃんも似合ってるって言ってくれると思っていたものだから」
「そうなんだ、そういうのもあるんだね」
「そういうのもあるの……と言ってもこれだけだけどね、次からはなんとなくで選んだものだったりだから、お兄ちゃんの意見を聞かせてね」
その後、数着の服の組み合わせの中から似合いそうなものをいくつか試して、気に入ったものと最初の2セットを持って試着室から顔を出す。
そうしていると店員さんが近くにやって来たので、響香はそれらを渡して残りの服を畳んだりハンガーにかけたりして、それらを持って試着室を出た。
僕だけここに残る訳にもいかないのでそれを追って外に出る。
「お兄ちゃんは店の外で待ってて」
小声でそう言われたので、人や物にぶつからないように気をつけながら店の外の通路まで出た。
ここで僕が支払とかをした方が兄っぽかったんだろうか。今の状態じゃそれは不可能ではあったけど。お昼ご飯のほかにもチャンスがあれば、そのときは僕が払った方がいいのかも。
人にぶつからないためにも周りに注意を向けつつ、響香が店から出てくるのを待つことにした。
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店員と雑談をしてたのか、ちょっとしてから店から響香が出てくる。
「お兄ちゃん、お待たせ」
響香は近くまで来ると小声でそう言う。そして、僕に視線を向けることなく歩き始める。
店の方を見ると店員が響香の方へ視線を向けていた。これでは確かに僕に話しかけるわけにもいかないよね。
響香の後を付いて行くと先ほど使った階段で足を止めた。僕は周りを確認しつつ、小ダイヤルを回して干渉状態に切り替える。
「どう? 切り変わった?」
僕がリモコンを取り出したのを見た響香は、念のためか小声でそう話しかけてくれる。
「うん、切り替えたよ、これで普通に話しても大丈夫」
リモコンをバッグにしまっていると、「良かったー、ずっと小声で話すのけっこうきつかうんだよねー」と普通の声量ではなす。
「これからどうしよっか。早くに出発したから一店舗回った後だけど、やっと本来の到着予定時間になったって感じだよ」
響香にそう言われて時間を確認したけど、お昼ご飯にはまだ早いな。
「普段、こっちの僕と出掛けたときはどうしてたの?」
「普段はーて言うほど一緒にこういうところは来なかったかな。たまに一緒に来ることはあったけど、そんなにしょっちゅう一緒に出かけていたわけじゃないし……買い出しとかは一緒に出ることは多かったけど、そういうことでもないだろうし……うーん、じゃあ一緒もうちょっと服選びに付き合ってよ」
「うん、分かったけど、僕はどうしたらいい?」
また半干渉にした方がいいだろうか。そう思って周りに人がいないことを確認する。
「そのままで大丈夫だよ、行ったことない店とか行くつもりだからね」
そう言われたので干渉状態のまま、響香についていくことにした。
この世界の僕のことや、響香の好みの話をしながら何店舗か回って、これからの季節の冬服を見たり、在庫処分で安くなり始めた服を何着か買ったりした。途中ちょっとマニアックな服の店を見つけて覗いてみたりもした。そんなことをしている途中、響香は急に足を止めると「あ、そうだ、お兄ちゃんも服どう?」と言った。
「え、僕?」
てっきり響香の服選びに付き合うだけかと思っていたから、その発想はなかった。
「うん、お兄ちゃんもせっかくだし一着くらい買っていったら?」
特に服には困ってはいないけど、僕も一着くらいお気に入りの服とかあった方がいいのかな。
「まぁ、響香がそういうなら……でも僕はあんまり店に心当たりとかないよ」
「大丈夫、お兄ちゃんに会いそうな服売ってるところ知ってるから」
自信満々にそう言う響香に連れられて、それっぽい感じの服の店に入った。
普段は全国展開されているようなところで適当に買っているので、こういったところに入ることはあんまりない。
なんとなく入りづらく感じたりはしているんだけど、入ってみると特に威圧感や緊張感などはなく、いがいと普段使足っているお店と大した違いはない。当然っちゃ当然なんだけども。
「あ、お兄ちゃん、これとかかっこいいんじゃない?」
お店に入ると響香はすぐとジーンズが並べられている棚の近くまで向かっていって、そんなことを言った。
「どれ? この薄目の色のもの?」
「うん、それそれ」
「こういうの似合うかな?」
一応ジーンズは一着だけだけど持っている。ただ、あんまり穿かないし、そこまで自分に似合っているという印象もない。
「似合うとは思うけど、気になるなら試着してみたら? たぶんパリッとした白のYシャツとかと組み合わせるとかっこいいと思うんだけど」
頭の中で言われたとおりの組み合わせで身に着けた自分を想像してみる……なんか背伸びしているような感じのイメージしか湧いてこない。
「自分で言うのもなんだけど、僕って素があんまり格好いいタイプじゃないから、そういうシンプルなのって似合わないと思うんだけど……」
身長だってあんまり高いわけじゃないし、顔がかっこいいわけでもない。それ故にシンプルなかっこよさの服装は、なんか背伸びしている感が出ちゃう気がする。
「そうかな、私は結構いい顔してると思うけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、そうかな?」
乃あたりからは童顔って結構からかわれたりするし、あれ、たぶんほめ言葉じゃないし。
「そうだよ。というか、そうじゃないと同じ遺伝子の私だってブサイクってことになっちゃうじゃん。だからお兄ちゃんはかっこいいってことで」
「そうとは限らないと思うけど、響香が言うならそういうことにしておくよ」
男性と女性じゃ方向性って結構違うと思うけど、褒めてくれるなら素直に受け取っておこう。
「それで、どうかな? 私的にはすごく似合うと思うんだけど」
響香に勧められたジーンズを手に取って広げてみる。僕の持っているものと比べると、色が薄目で裾がシュッとしている。確かにかっこいい服だと思う。
「せっかく響香がすすめてくれたんだし、せっかくだから僕も一着くらい買おうかな」
「試着とかしなくてもいいの?」
服を折りたたんでレジに持っていこうとすると、そう言われて響香に止められた。
「僕はいいよ、響香が似合うって言ってくれたしそれで十分かな」
「でも、本当に似合うかどうかは分からないよ、せめてほら前に持って来て、なんとなくで見せてみてよ」
響香に連れられて姿見の前まで移動するとジーンズを広げる。思っていたよりあっているかも。脳内イメージではあんまり似合っていない印象だったから少し意外だ。
「んー、似合うって言いはしたんだけど、あれだねー、もうちょっと濃い色の方がいいのかな、あと裾ももうちょっと広いやつの方がいいのかも」
これなら買ってもいいんじゃないかと思ったけど、響香的にはちょっと違うらしい。僕の手からジーンズとスッと取ると元の位置に戻して、すぐ近くの別のジーンズを取って手渡してくる。
「こっちも試してみて」
同じように合わせてみると、こっちの方が僕にあっている気がした。意外とジーンズも似合うのかもしれない。服装を褒められ慣れてないから、もしかしたらそう思わされているだけかもしれないけど。
「うん、そっちの方が似合うと思う。そっちにしよう」
響香のお墨付きも出たので、ジーンズ一着買って(思っていたよりは安かった)店の外に出ると、次は上も買いに行こうということで2階にあるYシャツの店へ連れていかれた。
「Yシャツなら僕も持っているけど」
「持っているって、たぶんだけど制服で着ているものでしょ?」
「そうだけど、良く分かったね」
「だってお兄ちゃんそこまでファッションに興味持ってないもんね」
昔は気にしていた時期もあってけど、身長も全然伸びないし周りに乃という、本人に言うには癪だがイケメンだと言える友人がいるため、自分が着飾っても仕方ないだろうと思い始めて、中学3年辺りにはもう既に「適当でいいや」という思いが生まれていた。
「いいんだよ、僕はそこまで格好つける必要もないし、変にださくない程度の服さえあれば」
「大又さん格好いいもんね」
「うっ……乃はいいんだよ、格好いいのは見た目だけだし」
ある程度話せば、彼の格好よさはそこまででもないことはすぐ分かる。実際にあんまりモテてる様子はないし。それに、今は光もいるから乃の見た目のかっこよさの価値もだいぶ下がっている。
「でも大又さんの事は置いておいてもお兄ちゃんも格好いい方だとは思うし、格好はちゃんとした方がいいと思うよ」
「そ、そう?」
身内からの言葉とはいえ、言われてみれば悪い気はしない。
「そうそう、だからYシャツもしっかりしたの買っちゃおう」
なんだか上手く言いくるめられたような気もするが、響香のすすめで衿が小さくて胸ポケットが無い真っ白なシャツを二枚購入した。
「あとは、何があるかな……」
響香が僕を見て、次に買う物を考え始めたので慌てて止めた。
「いや、もういいって……あー、ほら、そろそろいい時間だしご飯でも食べようよ」
丁度いい口実を探して辺りを見渡したところ、近くにあった時計が目に入ったので、いい感じに話題を逸らすことにした。
「んー、それもそうだね、お兄ちゃんはなにか食べたいものある?」
「いや特にないけど、そういう響香の方はなにかあるの?」
少し考えるようなそぶりを見せた後、響香は近くにあったマップの方をみた。
「そうだねー、これだーっていうのはないけど、それだと決まらないだろうし、カレーでも食べに行く?」
「カレーかー、家だと食べるけど言われてみるとお店食べる事ってあんまりないかもしれない」
「じゃあ決まりだね、ここに行こうか」
そう言って地図を指差す。下の階にカレーの店があるらしい。
食事時なので混んでいそうなものだが、タイミングが良かったのか運がよかったのかあまり待たずに席につくことができた。
水を飲みながらメニューを見たけど、初めて入った店だしどれがいいとかも詳しくは分からなかったので、基本メニューっぽい特製カレーを二皿頼んだ。
注文するとあまり待つことなくカレーが運ばれてきた。
カレーを入れる以外に使い道が思い浮かばない銀色の器に入ったカレーに浮かぶ具材はとても大きく食べごたえのありそうなものだ。
「カレー入れるやつだー」
「これってなんなんだろうね、カレー入れるやつというイメージが強いけど」
「そうだね、私もカレー入れるものの印象はあるけど、他にも何か使うのかな?」
そう言うと響香はスマホを取り出して調べ始めた。そしてすぐに教えてくれたのだが、本来はソースを入れておくものらしい。
響香の話を聞きながら、ご飯の上でカレーの入れ物(ソースボードだとか、グレービーボードって言うらしい)を傾ける。ご飯に色を付けると共にスパイスの香りが辺りに広がった。
「あ、お兄ちゃん、私が調べている隙に先に食べようとしている」
「響香が勝手に調べ始めたんじゃん」
それに響香は猫舌だし急がなくてもいいんじゃないかと思うけど、響香は「せっかくだから、一緒に食べたい」と言って、スマホを仕舞ってカレーをご飯にかけた。
「いただきまーす」
そう言って食べ始めた響香に続いで僕もカレーライスを口に運ぶ。カレーの香りと共にじんわりと刺激が口の中に広がっていく。
ここのカレーは汁気が多くスパイスが強めで、うちのカレーとは真逆って感じだ。
「結構辛いねー」
響香が水をちろちろと飲んでいた。
「たしかにここのカレーは結構辛めだね。僕は結構好きだけど響香は?」
「美味しいとは思うけど……ちょっと辛いかも」
「辛いのはあんまり得意じゃない?」
「うん、苦いのよりはマシだけど、辛いのもあんまり」
響香がカレーを食べ終えるのには僕より少し時間をかかった。響香が食後に水を二杯飲み干す見届けてからレジに向かい、二人分の会計を済ませて店の外へ出る。
「うへぇ……舌とかおなかとかひりひりする」
「大丈夫?」
「大丈夫、美味しいには美味しかったし、もし次来ることがあるなら辛さ控えめにしてもらうことにするよ」
おなかを落ち着かせるために、しばらくは特に目的もなく二人で歩くことにした。
「次はどうする?」
「うーん、どうしようかなー」
目的もなくエスカレーターを利用して移動したりしつつ、なにかいい店はないかなと次の目的地を探す響香と二人並んで歩く。
午前中に比べ人が増えてきて、ほんの少し歩きにくくなってきた。別にはぐれるほどではないけど、響香とあんまり離れないようにはしよう。
「あ、お兄ちゃん、あそこ」
響香はなにかを見つけたようで手をひく。気持ち駆け足と言った速度で人の隙間を進んでいくと、ちょっとしたゲームコーナーのような場所に辿り着いた。
ゲームコーナーといっても、ゲームセンターのように格闘ゲームや体感ゲームといったものがあるわけではなく、プリクラやエアホッケーなどの一部ゲームがあるだけだった。目ぼしいゲームがあるわけでもないせいか、店内の人の量の割にここにはあまり人はいなかった。
「よーし、プリクラ使おう、思い出を形に残すのは大事なことだよ、いつでもできると思っていることでも、いざできなくなってから見返してみるとあんまり残っていなかったりするものだからね」
響香が言うと少し重く感じられる言葉だ。でも良く考えると言われた側である僕の場合、存在が抹消されているせいで、物質的な物はおろか、記憶すら残っていない。
もしかしたら、それはすごく重たい意味の言葉なのかもしれない。
そんな言葉を聞けば断るという選択肢があるわけもなく、響香に手を引かれたまま空いているプリクラボックスの中に入った。こういったものは使った事がないので、中の光景はちょっとだけ新鮮だった。
「それでこれはどうすればいいんだろう。とりあえずお金は入れるとして」
500円玉を一枚入れると機械が反応する。
「えっと、実は私も使った事がなかったり……」
「え?」
「うん」
二人であわあわしながら数枚写真を撮ったが、どれもなんというかちょっと硬い写真になってしまった。二枚目に撮ったものなんて、二人並んだ証明写真のようにも見えるほどだ。
最後の思い出的なものなのに写真そのものの加工をするのもどうかとなったので、適当にペンで自分の名前を書いたり、響香がちょっとしたイラストを描いたりしただけにとどめて、最後の肯定を終了した。
「うん、これはいい感じだね、はい、お兄ちゃん」
プリントアウトされたシールを手に取った響香はニコリと笑うと、どうやら持ち歩いているらしいはさみをバッグから取り出してシールを二つに分け、半分をこちらに差し出してきた。
「ありがとう」
「うん、二人の思い出ならちゃんと二人で持っていないとだしね」
半分を僕が受け取ると、響香は残り半分を大切そうに財布にしまった。響香にならってぼくも財布にしまっておこう。
「さて、次はどうしよう、せっかくだしなんか遊んで行く?」
財布を広げてどこに仕舞っておこうか考えていると、響香がそんな提案をしてくる。
カードを入れる場所の奥にシールを仕舞いこんでから、周りを見渡してみるけどやっぱり大したゲームはないような気がする。遊ぶっていってもなにもないような……。
「なんかって……こう言うのもあれなんだけど、この場所はあんまり興味がわくようなゲームとかはないと思うんだけど」
「うーん、それは確かにそうかも」
なにか二人で出来そうなものを探したけど。それらしいのは見つからなかったし、適当に占いをするだけのゲームを互いに一回ずつやって、その場を離れることにした。
一応、エアホッケーはあったんだけど、なんか目立つしあんまりやる気がしなかったので見なかったことにした。
またしばらくぶらつくのかなと思っているけど、ゲームコーナーを出て響香はすぐに足を止めた。
「あ、そうだ、辛いモノ食べたし、今度は甘い物でも食べない?」
「それ、僕が甘いモノあんまり好きじゃないの分かってて言っているよね」
「私が食べたいだけだからね」
響香はえへへと誤魔化すように笑う。
「さっき食べたばかりだし、お腹もそんなに減ってないんだけど」
「まぁ、お兄ちゃんはコーヒーとか飲んでいればいいから」
また手を引かれる。
向かっている先はすぐに分かった。視界にカフェがあったからだ。それに大きなハニートーストの写真が写っている旗が立っていた。アレを見て甘い物が食べたくなったんだろう。
アイスクリームとか、パンケーキとかそう言ったものを注文するのかな? まさかアレを食べるつもりではないよね。ない……よね……。ないと信じたいけど……。
店員に案内されて席に着くと、響香はメニューを開いてサッと目を通すと、迷いなく注文をした。
「ハニートースト一つとミルクティー砂糖入りを一つ」
普通に頼みましたとさ。
きっとあの旗を見た時点で、ハニートーストを頼もうと思ってこの店に入ったのだろう。
「えっと、コーヒーを一つ」
注文を受けた店員の背中を見送ってから響香の方に視線を移す。
「えっと、食べ切れるの?」
「うーん、甘い物は別腹てきな感じで行けるとは思うけど」
「そ、そう? 響香がそう言うならいいんだけど、僕は結構お腹一杯だからね」
「お兄ちゃん男子にしては小食だもんね。もうちょっと食べれば大きくなると思うんだけど」
いっぱい食べたからって背が伸びるとは思えないし、そうだとしてもそんなに食べられないから挑戦する気はない。
「そんなこと言って、響香は食べ過ぎると太るんじゃないの?」
「ざんねーん、私は太りにくい体質なのでしたー」
胸を張って自慢するかのように響香が話す。
「女の子にとっては便利な体質だよね」
「そうでしょ、と言ってもそんなにいっぱい食べること自体あまりないから役に立てることも普段はなかったりするんだけどね」
先に運ばれてきた飲み物をちょっとずつ飲みながら会話していると、少し遅れてハニートーストが運ばれてくる。
画像ではちらほら見たことあるけど、実際に見る半斤サイズのハニートーストは結構な量があって、思ったよりインパクトが強い。これ、昼ごはんよりも量がありそうなんだけど、本当に大丈夫なのかな。
「響香、これ本当に食べきれるの?」
「うーん、実物見てみると私も不安になって来たけど、頑張ってみるよ」
そう言って意気揚々と食べ始めた響香だったが、半分ほど食べたあたりから急激にペースが落ちてきた。
飲み物が無くなったのか、おかわりを店員に頼むとパンの山の解体作業を再開させたが、どうにもペースは落ちる一方で手の動き鈍くなっていく。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないかも……なんというか、最初は良かったんだけど、半分くらいから味が全然甘くないし、口の中の水分は持っていかれるしで結構きついかも」
「そうなんだ……」
「た、食べる?」
食べる気はなかったけど、このまま全部響香に食べさせるもの酷な気がしてきた。
「そんなにお腹に入れられるわけじゃないんだけど、まぁ、少しだけなら僕も手伝うよ」
いくつかの解体済の食パンが移された取り分け皿が僕に差し出される。
「はい、お兄ちゃん」
「う、うん」
カトラリーボックスからフォークを取り出して、渡されたそれを口へ運ぶ……うん、食パンだ。焼かれた食パンでしかない。
甘くはないのでたぶん元のものよりは食べやすくなっているとは思うんだけど、でもなにもない食パンを食べること自体に虚無感がある。そして、口の水分はなくなっていく。
響香の頼んだミルクティーのおかわりが運ばれてきたタイミングで、僕はコーヒーのおかわりを注文した。
食パンとの格闘を終えて店から出た僕たちは、またお腹を落ち着けるためにうろつき活動をしていたら空いているベンチを見つけたので腰を下ろした。
想定外に一杯となったお腹が落ち着くまで、響香と会話をしていたのだが、そうしているうちにも時間は過ぎていく。
時計の短針がほぼ真横を指す頃合いになると、響香は顔をあげて広場にある時計を見た。
「そろそろ時間かも」
「もう帰る時間なの?」
まだまだお昼の範疇ではあるが、帰りの電車の時間も考えるとそう早い時間でもないのかもしれない。
「そうだねー、今日はお母さんに遅くなるとかそういうことは一切言ってないから、夕方までには帰らないとだからね」
「そうなんだ、それじゃあ一緒にいられるのはあと少しだね」
自分で言っていて、少し寂しい気持ちになった。
「そうだね……でも今日はお兄ちゃんとの思い出が十分なくらい出来たような気がするよ」
「そう言ってくれると僕も嬉しいよ」
短い間……期間にしても短く、時間にするとかなり短い時間だったけど、不思議と居心地の良い関係性だった。僕にも妹がいたのだろう思ってしまうようなそんな時間だった。
ちょっとした感傷に浸っていると響香が立ち上がる。
「えっとね、ちょっとトイレ行ってくる」
そう言い残して少し駆け足でその場を離れて行った。我慢していたのだろうか。
時計を眺めながら待っていると響香が戻ってきた。
「ごめん待たせた?」
「ううん、全然」
「じゃあ、帰ろっか」
モールの出口まで向かって二人でのそのそと歩く。その足並みは時間と共に遅くなっていく。
今日の晩ご飯はどうするとか、友達がどうとか、他愛ない話をしながら二人並んで歩く。随分と歩みは遅くなっていたはずだが、気付けば正面入り口から外に出ていた。建物の外に出ると自然と会話は止まった。
のそのそと歩いていると、渡り始めるより先に入り口前の横断歩道の信号が青から赤に変わってしまう。
足を止めてふと隣を見ると、響香がいなかった。さっきまで話していたのに、と慌てて振り返ってみると、彼女はまだ入り口付近で足を止めていた。
置き去るわけにもいかないので入口あたりまで戻る。すると響香は僕の右手を引いて歩き始めた。
「えっと……もうちょっと話していかない?」
「いいけど、時間は大丈夫なの?」
「うん、まだ大丈夫。それよりも話したいことがあるんだけど、お兄ちゃんの方は時間大丈夫?」
「僕はそんなに急いでないから大丈夫だよ」
「そっか、じゃあ伝えないといけないことがあるんだ」
響香が足を止める。そこにはベンチがあった。二人でそこに腰を下ろすと、響香はバッグの中からお茶を取り出して一口だけ飲んだ。
そのあと、少しだけ間が空いた。響香がどう話そうかと悩んでいる事が分かったので、黙ってまっていたのだ。
もう一口お茶を口にして、響香が話し始める。
「あのね、お兄ちゃんはね、事故で死んだんだ」
「そうらしいね」
この世界の僕が死んでいること。それも事故で死んだことは既に聞いている。詳しい事は聞いていないが、この程度のことなら雑談をしているときに話していた。だからこれから離される内容は、その先のことだろう。
「それでね、そのことなんだけど」
「うん、なにかあるの?」
「今日ここに呼んだことには意味があってね、あのね、お兄ちゃん、あそこで死んだんだ」
響香が横断歩道の先に視線を向ける。
「そっか……」
またしても無言の時間が生まれる。僕は何も言えず、響香は言葉に詰まる。そんな無言の時間だ。
「本当はね……その日一緒に買い物するつもりだったんだ」
横断歩道の先の先、はるか遠くを見ているような、そんな目をしていた。
「でもね、運が悪くてね、事故が起きちゃってね。本当に運が悪かったんだよ……私は少し離れていたからその大丈夫だったんだけど……それは何人か巻き込む事故でね、それにお兄ちゃんも巻き込まれちゃって……その、それでね……」
響香がまた口を紡ぐ。響香の声と入れ替わるように街を歩く人々の声がやけに大きく聞こえ始めた。
信号機の色が切り替わるのは5回目だった。青信号になると共に信号を待っていた人たちが動き出す。それを見ていると響香の声が聞こえた、そして街の人々の声がフェードアウトしていく。
「今日お兄ちゃんをここに誘ったのは最後の思い出作りっていう名目だったけど、それはね、あの日の続き、本当はあの日するはずだったこと、それができたら少しは未練というか、そういったものがなくなるかなって思ったからなんだ」
響香がこちらを向く。
視線が合う。
「それで……どうだった?」
「そうだね……うーん……8割方成功って感じかな」
ちょっとだけ頬を緩ませてそう言うと、響香はいつの間にか残り一口になっていたお茶を飲み干して、空になったペットボトルをバックの中に仕舞った。
「心残りは解消されたけど、なんというか……これからもお兄ちゃんと一緒にいられたら楽しかったのかなって、そう思っちゃったから2割は失敗かも」
信号が赤信号に変わり、人達の足が止まり僕たちの会話も止まった。
響香の言う2割の失敗は、たぶん悪いものじゃない。響香の話しかたや表情からそんな風に感じ取れた。そして、そう言ってくれて少し、いや結構嬉しかった。正直なにも分からないし、どうしたらいいかも分からない最中、なんとなく動いていたようなだけ気がしたけど、そんな僕でも響香は必要としてくれたんだと分かったから。
信号が青に切り替わる。人たちがまた動き出す。そして、響香が勢いよく立ち合がった。
「さてと、私は帰るよ、自分の場所に。だからお兄ちゃんも自分の世界に帰っても大丈夫。私はもう一人でも大丈夫。だからここでバイバイかな」
そう言うと響香はバックの中から小さな白い紙袋を取出した。
「はい、これ受け取って」
「これは?」
大きさの割には重いような気がする。何が入っているんだろう。
「それはここまで付き合ってくれたお礼。それとお兄ちゃん側への思い出のプレゼントかな」
受け取ったものがなにか確認しようとしていると、響香は信号の点滅し始めた横断歩道を駆け足で渡っていってしまった。
「バイバイ」
そして、向こう側で一度そう言うと、それからは振り返ることもなく駅の方へ向かって行った。その背中が人の影に隠れて見えなくなるまで見送ったあと、手元に残された紙袋の中を覗いてみた。
「これは……宝石とかそういったものかな」
中には不思議な形の石が入っていた。
綺麗に真っ二つにカットされたかのようなその石の中にはちょっとした空洞があって、そこには棘のような結晶がたくさん生えていてきらきらとしている。
「これが、僕へのお土産って事かな」
石を袋の中に戻して、ポケットにしまった。
響香の会話を思い出しながら、ひと目のつかない場所を探して歩く。
「この世界に来ることももうないのかな」
ビルとビルの隙間に入り、そう呟いてからリモコンの大ダイヤルを0に合わせた。
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