―閑話―

 朝日が部屋に差し込む頃には響香は起きていて、朝食の用意をしてくれていた。メニューは温められた昨晩の残りと焼きたての玉子焼きだ。次の日時と待ち合わせ場所の話をしながら、それらをありがたく摂ってから、僕は元の世界に戻ってきた。

 時間帯のせいか、もしくはすぐに学校に行かないといけないせいか、またしても妹神が待ち構えているなんてことはなかった。流石に相手している時間はないので助かるけど、やっぱり何らかの察知はしているんじゃないかと思った。


 帰って来た僕はすぐに着替えを済ませ、学校用のバッグを持って家を出た。家を出てから宿題を終わってないことを思い出したが、このタイミングからではどうすることもできないので、あきらめて普通に登校することにして駅へ向かう足を速めた。


 月曜日も思ったが、人間はタイミング的にどうしようもないとこまで来るといっそ心のどこかで開き直ってしまうのか、結構気が楽になる。もしかたら僕が結構適当な人間であるだけかもしれないけど。

 こういう風に気が楽になる瞬間を何度か繰り返すと、いつかちょっとした良くないこと行うときに心を傷めなくなってしまうじゃないかと思って、僕は少しだけ怖くなった。


 教室に辿り着いて、宿題のプリントが入ったファイルを鞄の中に残したまま、僕は自分の席に座る。

 宿題の存在は頭の端に追いやるとして、適当に筆入れの中を整理しながら朝のHRを待っていると、そのうち乃も教室に入って来た。


「よーっす、おはよう、どうした、昨日に比べてなんか疲れているようだけど」

「そうかな、うん、まぁ、昨日はちょっと疲れたかな」


 疲労の原因は乃と桂ちゃんにもあるんだけど。一番は響香のことではあるけど、二人のせいも結構大きいからね。


「なんだ? 彼女と喧嘩でもしたのか?」

「違うよ、乃」


 いつも通りの……というより、そうじゃなかったはずが、もういつも通りになりつつある乃の反応を見ながらちょっとだけため息を吐く。これから疲れそうで、そう考えただけで少し疲れを感じる。


「というか、何から何まで違うよ」

「そっか、それで、どうしたんだ?」

「いや、どうもしてはいないけど」

「まぁ、確かに休み明けの様子からすると、ここ最近の方がどうかしている感じだったしな」


 乃に言われて振り返ってみると、確かにその通りな気もする。


「それは否定できないかも」


 なんやかんやで僕には妹が必要なのかもしれない。数日とはいえ響香と関わってみてそんな風に思えてきた。

 だから次で最期と言われて、自分でもいろいろ思うところがあるのかもしれない。


「まぁ、なんだ、本当に困ったらいつでも相談してくれよな」


 そう言って乃はニカッと笑う。まずはその話題で僕を疲れさせるのをやめてほしいっていうのは何度か伝えていると思うのだけど、乃の中では本当に困ったことにはカウントされていなかったようだ。割と本当に困ってはいるつもりだったんだけど。


「お、朝から二人とも元気だね」


 乃と話していると、カバンを片手に登校としてきたこうがそんなことを言う。

 彼は高校に入ってからの友達で、僕の知り合いの中では一番のイケメンと言っても差し支えはない。乃も見た目だけなら負けてないとは思うんだけど、いかんせん中身がね。いい人だとは思うけど、話始めるとどうしてもポンコツ感が伝わってしまう。勉強も出来るし、スポーツも出来るのに、拭えないポンコツ感は何処からくるのか割と不思議だ。

 いろいろな誤解から始まった仲ではあるけど、今では仲の良い友達だ。


 三人も揃えば話は弾むもので、先生が来るまで雑談をして盛り上がった。

 そうして、一限が始まって、いつも通り宿題を忘れて来た乃と久しぶりに宿題を忘れて来た僕が二人して軽く怒られる。その後、宿題を忘れたことを乃がいじってきたりもしたのだが、毎回忘れているお前が言うなと言わんばかりに何度も先生に指されていた。


「うげー、今日の授業は何だかいつも以上に疲れた気がするぜ」

「正直乃の自業自得だと思うよ、授業中に私語した上に内容が自分を棚の上に上げたようなな言いようだったし」

「そう言ってしまえばそうなんだけどよ、ちょっとくらいは慰めてくれたっていいだろうよ」

「いや、僕はいじられた側だし、乃を慰める理由がないと思うんだけど」


 うえー、というような表情をしている乃の事は放っておいて次の時間の準備を始める。


「ほら、乃、次は体育だからさっさと更衣室に行くよ」

「あー、そうかー、今日は二限体育だったな!」


 そう言うと、机の横にかけてある体操着入れを持って元気に立ち上がる。


「ちょっと、乃、教科書とノートは片付けないの?」

「いんだよ、ほっとけほっとけ」


 乃はそう言って廊下に出て行った。


「本人が良いならそれでいいんだけどさ」


 一応は追いかけて廊下へ出ると律儀に待ってくれている。

 待つ余裕があるなら多少は片付ければいいのになと思ったが口には出さなかった。


「今日は何するんだろうな」

「どうだろうね」


 体育は嫌いじゃないけど、疲れるからあんまり好きでもない。

 前回次回予告とかしてなかったし、何をするか分からないので適当に答えると、光が「まぁ、サッカーとかじゃない?」と言う。


「お、矢口、なにか根拠でもあるのか?」

「他のクラスがなんかやっていたみたいだし、たぶんうちのクラスでもするんじゃないの」

「なるほどな、そういうことか」


 光の返答に乃が頷く。光は他のクラスにも友達が多いし、そういうの知っていてもおかしくはない。

 更衣室で着替えていると、日直の人が今日はグラウンドだと伝えられる。これは多分光の言った通りサッカーだろう。


 案の定サッカーだった体育では乃が暴れに暴れて、いつも通りの光景が繰り広げられて終わった。

 体育の後の時間は乃が大人しくなる。理由としては眠くなって寝てしまうから。決して良い事をしている訳ではないが、先生はそれを叱ったりはしない。いや、最初の方は叱っていたが、乃の場合、起きていた方がうるさいので、今となっては寝ていてもそっとしておくことにしたようだ。


 乃はテストでは学年一桁の順位には入れるくらい高得点を取っているので先生も放置している。これで高得点をとっているのは微妙に納得いかないけど、もしかしたら家ではしっかり勉強しているのかもしれない。いや、してないか。

 一方で僕は響香の事を一旦忘れるために勉強に気を向けたら、いつも以上に集中出来た気がした。それも乃が寝ている三限と四限の間だけだろうけど。これで乃より点数が下なのはやっぱり納得がいかない。


 お昼休みのチャイムが鳴った途端飛び起きた乃はパンを買いに教室を飛び出して行った。

 そんな乃と入れ違いに桂ちゃんが教室に入ってくる。


「あ、愛ちゃん」


 長い事そう呼ばれているせいで僕は慣れているが、あまりに男らしくなさ過ぎて、それを聞いたあとに僕の事を見て首を傾げる人もいる。

 このクラスとの付き合いももう折り返しというあたりだし、毎日のように桂ちゃんが来るので、みんなも慣れたのか特に反応は示したりはしないけど、最初の方は何人か首を傾げていた記憶がある。


 乃の机を勝手に運び僕の机をくっ付けると、乃の椅子に腰を掛けて弁当を広げる。

 いくら幼馴染間であるとはいえ非常識そうに思えるかもしれないが、いつもの行動である。そして、あんまり問題の無い行動だったりする。

 桂ちゃんと食事をしながら雑談をしていると、小走りで乃が戻ってくる。

 近くまで来ると彼は買ってきたパンを食べ始める。そして一瞬で食べ終わる。

 これが問題の無い理由である。乃が弁当を持って来ていない時は大体パンを買いに行って、戻ってきて1分以内で、早いときは10秒以内食べ終える。なので、座る必要性がそこまでないのであった。

 弁当を持って来ている日は流石に座る必要があるので、近くの人から椅子を借りたりするのだが、教室に来た時点で乃が外へ駆けだした場合、桂ちゃんはこうして机と椅子と使ったりするのだ。


 二人と話しながらゆるやかに時が流れる昼休みを過ごす。話しながらもちょくちょく響香の事が頭をよぎる。そして、付き合いの長い二人からすると、僕の様子から何かを感じ取れる程度には外に出てしまっているらしい。だが内容が内容だけに、今までとはまた違って様子に見えているらしい。

 乃からすると少し疲れたように感じるらしいが、桂ちゃんから見ると、今日の僕は少し落ち着きがないらしい。

 まぁ、たぶんどっちも正しい気がする。流石の付き合いの長さといった感じだろうか。

 二人と話していると休み時間の終了五分前となり、予鈴のチャイムが鳴って桂ちゃんが自分のクラスに戻って行った。

 そうなって、乃が机と椅子を元の位置に戻し、二人で話をする。


「ああ、まぁ、決島きめしまも俺もお前が本当に困っているなら、いくらでも手伝ってやるから、どうしようもなくなったら相談してくれよな、交藍」


 机を運びながら乃が恥ずかしげもなくそんなことを言ってくる。そう言ったことをなにもないかのように軽く言って来るのは、流石は乃だなって思う。彼の尊敬できるすごい所だ。

 これで、もうちょっと真面目だったら、みんなからも尊敬されるんだろうし、モテるんだろうけど……。五限が始まった途端、眠そうに瞼をぱちぱちさせ、首をかくかくさせはじめた彼を見ながら、僕は小さくため息を吐いた。


 午前中に二時間寝たからか、乃も流石に寝はしなかったもののHRの時間までずっと夢の世界と現実の狭間にいた。


 放課後になると、部活のある乃と桂ちゃんに別れを告げて僕は帰路についた。


 記憶も痕跡もない失った妹のこと、次いでその事実を知らされたことや響香のことで、日常らしさというものを忘れていたのかもしれない。

 今日はそのことと日常らしさを強く実感した日だった。


 もしかしたら、響香自身から最後の日と宣言された日から目を背けた結果、丁度目についたのが日常だっただけなのかもしれない。でも、乃が言っていたいつでも相談していいという言葉はすごく嬉しかった。桂ちゃんも直接的には口には出してないけど、乃の言うとおり、こちらの話をいつでも聞いてくれるだろう。今日はなんか特にそんな雰囲気があった。

 二人に話せないのは心苦しさもあるけど、二人が心配してくれているのは嬉しかった。


 響香に言われた約束のラストデーは明後日の日曜日。近すぎる日程も込みで今日の僕はちょっとだけ落ち着きがなかったのかもしれない。そして、それを昨日告げられたことや、世界を移ってすぐに登校してきたこともあって今日は疲れていたのだろう。

 家に付いて服などを洗濯機に放り込んで私服に着替えて部屋に戻ると、妹神が仁王立ちして待っていた。

 なにか言おうとも思ったが、特に言葉も出てこないので定番の一言だけ口にすることにした。


「ただいま」

「おかえり、おにいちゃん。よーし、それじゃあ対策会議の時間だよ!」


 相変わらず胡散臭さはあるものの、今日の彼女は妙に頼もしく見えた。

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