第3話・日常
次に響香に会おうと約束した日は来週の月曜日。まだ一週間くらい空きがある。
昨日は妹神が去った後、来週に備えてどうするか考えていた。しかし、特になにも思いつかなかったので妹神に言われたとおり、待ちの姿勢でいることにした。
あの神様のことをどれだけ信用していいのか分からないけど、確かに僕が何をすればいいか分からないので、そうすること自体は間違っていない気がする。
なので来週まで普段通りの日常を過ごすことにした。きっといつも通りではないんだろうけど、それはあっちの世界の存在を知ったり、影も形もない妹の存在を知った今だからいえる話だ。だから、今の僕にとっては何か足りないと感じていたこの日常こそが平常通りのもののはずだ。
目標が見つかることは生きていくうえで活力を与えてくれるのか、月曜日同様に普段よりはしっかりした学校生活をおくれた気がする。
その様子は割と他人の目から見ても分かるようで、幼馴染の
彼女が出来たわけじゃないけど、そのまま話せるような内容でもないため誤魔化すのに昼休み丸々消費させられたので、午後は微妙に疲れていたがなんとか乗り越えて、ちょっとだけへとへとになりつつ帰宅する。
一時的になのか、これから下がるのかは分からないけど今日は結構涼しい。家の中に熱気が籠っていることもなかったのでリビングには寄らずに、自室に戻るとベッドの上で妹神がぐーすか寝ていた。
予想外のものに三秒ほど頭も体も固まってしまう。
なんでここにいるのか、そしてなんで僕のベッドの上で勝手に寝転がっているのかなど色々言いたいことはあるが、まずは起こすかそっと立ち去るか二択から行動を選択しなければならない。動き出した頭はまずの二択の選択肢を考え付いた。
前者を選択した場合、色々な疑問をぶつけられるけど、ちょっと疲れているのに、相手をしなければいけないというデメリットがある。
後者を選択した場合、とりあえずは難を逃れることができるけど、後で部屋に戻った時彼女がまた部屋の中に残っていて起きていた場合、なにかと文句を言われる可能性がある。たとえば「なんで起こしてくれなかったのか」とか。僕の部屋で待っているなら、起きて待っていてほしいし、なんだったら急に現れないで欲しいくらいだから、本当に「そんなこと言われましても」という感じなんだけども。
どうしようかなと悩んでいると、彼女欠伸をしながら身体を起こした。どうやら強制的に前者を選んだ状況になるらしい。
「うぅん、ふゎ~……おはよう、お兄ちゃん」
「季節柄もう夕方ももう夜に近い方なんだけど……」
まだ日は出てるけど、世界のカラーリングはやや橙がかったものになっている。閉めた覚えのないカーテンのせいでこの部屋からだと分かりづらいけど。
「ああ、うん、そうだった、そうじゃなくて、おかえりだった」
まぶたを擦りながらいつもより、抑え目の声で彼女はそんなことをいう。神様にも寝起きとかあるのだろうか。
ぼーっとした様子でこちらをじーっと見つめていた彼女が首を傾げた。
「ああー、えっと、なんだっけ?」
「いや、こっちのセリフなんだけど……」
こっちからしたら、色々聞きたいことがあるくらいなのだが、完全に寝ぼけているらしい。神様がそれでいいのだろうか。
「……ちょっと待ってね」
「それも多分こっちのセリフかな、とりあえず僕は下に行ってトイレとか済ませてくるからそのうちに体裁くらいは整えておいて」
「ふゎ~……任せておいて~……」
大きな欠伸がセットで付いてくるセリフに信頼性はあまりないが、一応は神様らしいし、戻ってくるころにはしっかりとしていることを祈って部屋の外に出る。いや、戻っていても、いつもの付き合うのが疲れるキャラクターになるとしたら、もしかしたらこのままの方が……とも考えたけど、話も出来ないのは流石に困るので、やっぱりいつも通りになっている事を願おう。
用を足して手を洗ったあと、もうちょっと時間を稼ごうと、コップ一杯の水を飲んでから部屋に戻ると妹神がベッドの上に立っていた。
「おかえりー、おにいちゃーん」
両手を広げ、元気いっぱいの笑顔でそんなことを言う。いつもの通りに戻っている事を願いはしたけど、いざ目にするとこれから疲れそうだと、ちょっとだけ気を落とす。
「う、うん、ただいま」
とりあえずは彼女につきあって返事を返すけど、このやり取りにはそこはかとなく茶番臭がする。
「さてと、茶番は置いておくとして、今日お兄ちゃんのもとへ来たのには理由があります」
茶番の自覚はあったんだ。というより、この神様自覚を持ってなにかすること多いなー。
「おにいちゃん、次に会う日まで時間が空いてもやもやしてるんじゃないですか?」
昨日考えていたことを言い当てられて、少しドキッとする。あんまり神様らしくはないけど、一応は神様。もしかしたら僕の心の中を読むことが出来るのかもしれない。
「別にもやもやはしてないけど、でも確かに何か出来ることはないかなと考えている節はあるかも」
彼女に心を読まれているとしたら、ちょっと不敬なことを思い浮かべることが多いので不安にはなるが、今回の提案自体はありがたい。ここは乗っかっておこう。
肯定するようなことを言うと彼女は「やっぱり」という表情をして、ベッドの上から飛び降りてこちらに寄ってくる。いや、これ別に心のなか読めているわけじゃないかも。
「ですよねー、じゃあ、そのために、約束までに間が空いた時に出来る事講座を死に来ましたー、いぇーい」
「なんでそんなハイテンションなのかは分からないけど、まぁ、助かりはするかも」
「でしょでしょ~。それでなんだけど……、よい、しょっと」
妹神は胸元からB5サイズくらいのホワイトボードを取り出す。
どうやってしまっていたんだろう。先ほどまで服にそれほどまで大きなものが入っていたとは思えないのだけれど。色々と考える前にそんなことを思ってしまった。
「それじゃあ説明していきまーす」
同じようにして蓋にスポンジっぽいのが付いたマジックペンも取り出した。それも地味にどうやってしまっていたのか分からない。普通ならぽろっと下から落ちそうなものなんだけど。
「えっとね、こうして、こう」
彼女は一生懸命ホワイトボードになにかを書き込むと、それをこちらへ向けた。
「じゃーん」
「う、うん、えっと、それで?」
自信満々向けられたボードに対して、僕はそんな反応しか出来なかった。
描かれていたのはゆるい感じの猫のイラストだ。それだけだった。ホワイトボードを一面全部使うような感じの大きさで描かれた猫ちゃん、それと左上に丸いひらがなで書かれた「にゃー」の文字。これをみて、どう反応するのが正解なのか僕には分からない。
「可愛く描けた」
「う、うん、良かったね、それでその絵には何の意味が?」
「いや、ないけど、ちゃんと書けるか試しただけ」
彼女は「猫ちゃん可愛く描けたからこのままにしておこう」と言って机の上に置いてからベッドまで戻り腰を掛けた。
なんでホワイトボード出したんだろう。それは言葉には出さないでおこう。
「さてと、じゃあ説明していくんだけど」
「う、うん」
「お兄ちゃんは今のところ、妹ちゃんとは二回会っただけだよね」
「そうだね。先週の土曜日と月曜日にあっただけだよ」
「そして聞いた話をまとめた限りだと、そのどっちも多分妹ちゃんから見える状態であったよね」
「そうだけど……」
もしかして何か問題でもあるのだろうか。思ったよりちゃんとした相談会になりそうな雰囲気を感じ、少しだけ姿勢を正す。
「だからこそのアドヴァイスなんだよ、ブラザー。今日はそれをしにきたのさー!」
こちらが真面目に聞く気になった途端にそんな砕けた事を言い始めたので、思わずため息を吐きそうになった。実際にはしなかったけど、ちょっとだけ、間が空いてしまった。
「……それで、アドバイスってなに」
「それはだねー、お兄ちゃんがどっかしらで一日使って、妹ちゃんの観察をするって事だよ」
ドヤ顔でそんなことを言う。そのドヤ顔も気にはなったが、それよりもその言葉の方が気になった。
「観察?」
思わず聞き返すと、妹神は頷いてその説明をし始めた。
「うん、その通り、非干渉モードを使ってね、妹ちゃんの日常を覗いてみるんだよ。そうしたら、なにかしらわかることもあるんじゃないかなってね」
つまりは覗き見をしてみてってことだ。
彼女のことは彼女自身の口で聞いたことしか知らないし、あの世界の知識もほとんど彼女由来のものだ。確かに自分自身で手に入れた情報はそう多くないし、素の彼女を見てみれば新たに得られる情報もあるかもしれない。
「お兄ちゃん、たぶんだけど彼女の救い方、まだ分かってないでしょ。それに彼女が他の人からどう接せられているかとか、学校で何しているかとかね」
それはそうなんだけど、思春期の女の子の私生活を覗き見するのもなんだか悪い気がする。
「それらを知ればなんかわかることがあるかもだよ、それじゃあね、お兄ちゃん」
こちらの言葉を待たず、彼女がすっと消えていく。少し気が引けるが、ここは彼女の言うとおりにしてみるとしよう。珍しく言っていることに説得力はあったし。
やるとしたら月曜日の昼かな。早めに移動して、放課後までは非干渉の状態で響香の様子を見てみるとしよう。
学校を休むのは少し悪いような気もするけど、何度か休んでいるから別に皆勤が途絶える訳でもないし、この際だから一日だけなら休んでも構わないだろう。
ちょっとした覚悟を決めてから机の上に視線を向けて、そこにあるものをどうしようか悩み悩んだ末、とりあえずは下手にいじらず壁に立て掛けておくことにして、バッグから宿題をとりだした。
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乃がやたら彼女云々でいじって来るので不要な疲労を溜めてはいるものの、特に変哲のない日常が過ぎていく。
ちゃんと「彼女はいない」と説明したはずなんだけど、土曜日に遊びに出たときまで言ってきた。桂ちゃんも僕の説明は聞いていたはずなのに、それに食いついてくるから毎日の昼休みと同じような感じになったので少しだけ疲れた。
その点についてはちょっとだけ勘弁してほしいなと思うけど、二人といる時間はたぶん妹の存在が在ったときも変わらなかったんだろう。この世界では一番居心地の良い時間だ。
そうして心の休息を取り、週が明けて、問題の月曜日がくる。
特別体調を崩したわけでも、冠婚葬祭でもないのに学校を休むのはちょっと悪い気もするけど、これも妹のためということで覚悟を決める。
自分にそう言い聞かせてはみたものの、ちょっとした罪悪感が心の中を漂う。それは始業時間が過ぎるまでずっと残っていたのだが、それが過ぎてしまえば、後に引けなくなったからか気が楽になった。
リモコンを操作して、見る回数ももうすぐ二桁となる異様な風景を眺める。この不思議な光景にも慣れてきて、あまり心を動かされることはなくなってきた。
世界が切り替わると共に、足裏に床の感触を感じる。そういえば、とリモコンを見ると干渉状態になっていた。
先週、元の世界に帰ってからリモコンをいじるのを忘れていたのと、今日は学校を休んだことによって、こういったところまで気が回っていなかったせいだ。
今は響香が部屋にいなかったからいいものの、いたなら色々言われていたんだろうな。そう思いながら、そっと小ダイヤルを反対端まで回す。
身体がフッと軽くなる。だからといってそういう風に考えなければふわりと浮かびあがるようなことはないが、身体や身に付けている者の重量を感じなくなるせいか、この状態になると疲労感などが感じにくくなる。
一応モードを切り替えても大丈夫なように靴を履いてから、響香の通っている中学校まで向かった。
そういえば在学中は正面玄関から出入りすることはあんまりなかったなと思いながら、軽々と侵入に成功する。
誰からも認識されていないし、なにかに干渉しているわけでもないから、気付かれるはずはないんだけど、潜入という非日常的行動に少しだけドキドキする。
響香は二年生なので、たぶん三階に教室があると思うけど、よくよく考えたらクラスとか知らない。
しかたないので、一つ一つクラスを回っているのだけれど、こうしていると本格的に悪い事をしている気がしてくる。心の中でごめんなさいと謝りなら一つ一つ回っていって、最後の五クラス目でようやく響香の姿を見つけることができた。
響香のクラスでは理科の授業をしているようて、里木先生(ちょっと懐かしいと思ってしまった)が鉢植えを持って何かの芽を見せながら植物の話をしている。
ドアをすり抜けて教室に入って、一番後ろで授業参観のようなかたちで響香を観察することにした。
そこまで学校に愛着を持っていたってわけではないけど、それでも懐かしさはあるようで、知っている先生たちの授業を聞いたりしてるのは悪くはなかった。
そこから数学、英語、国語と続けて授業が続く。月曜日から、三連続で疲れる教科が入っているとは、このクラスはなかなか大変そうだ。
国語の先生は新しい先生が担当していて知らなかったが。話が面白く飽きない授業だった。それと、教科書に載っていた小説がちょっと懐かしく思わず響香の手元にあるそれを覗き見して読んでしまった。
卒業してからまだ三年もたっていないというのにこんなに懐かしいんだったら、大人になる頃はどんな風に感じるんだろうかと思ってしまう。国語の授業が終わると昼食の時間となった。
配る係りの生徒たちが皿に盛っていく給食がまた懐かしく思える。そして、そんな様子を見ていて、自分のお腹が減っていないことに気づいた。
尿意や便意も感じないし、もしかしたらこの状態でいると生理的な活動が必要なくなるのではないかと思い息を止めてみた。すると給食の時間の間ずっと止めていても平気だった。
このモードの便利さというか特異性がちょっと怖くなってきたけど、深く考えてもどうしようもないので考えないことにした。便利ではあるし。
便利であることはいいことに違いない、文句言って消されてもあれだし、これはこれでいい物だと思おう。まぁ、あの妹神のことだから文句言ったところで、そんなことはしないとは思うけど。
給食の時間が終われば、生徒たちにとっては待ちに待ったであろう昼休みの時間が訪れる。
今までの様子を見ている限り、響香は学校でいじめられてるとか友達がいないとかそんなことはなさそうだけど……。
軽く周りを見てみた感じでは、生徒たちは置いておくにせよ、先生たちはちょっと響香のことを気にかけてはいるような気はした。
これは担任の先生がぽろっと独り言として喋っていたことを聞いたから分かったことだが、この世界の僕と響香は随分と仲が良かったらしく、夏休み明けは随分と元気がなかったらしい。
その言葉を聞いてからだと、響香と仲のいい子たちは、話すときに微妙に気を遣ってくれているように見える。
仲良しグループで楽しそうに話す響香の姿を見るが、大きな問題を抱えているようには見えないし、この世界で僕がするべきことって本当にあるのかな。
彼女の日常を覗いてみたけど、特に問題らしい問題が見えないし、妹神の言う「救う」ということがなんなのかは、今回の観察では分からず仕舞いだった。
でも、問題がないことはいいことには違いない。案外、僕が変に動くよりも、こんな感じのなにもない日常を過ごしている方が彼女のためになるかもしれない。
そんなことを考えていると、響香が会話から離れトイレに向かっていった。
流石にトイレについて行くのはあれなので、戻ってくるまで教室で待っていることにした。
特にすることもないので、響香と話していた子たちをぼんやりと眺めていると、彼女たちが響香について話し始めたので聞き耳を立てる。
「響香、最近いいことあったのかな。また元気になったよね」
「うん、お兄さんがなくなってから、無理して明るくしてる感じしたもんね。それがなんというか、自然な明るさというか」
「そうそう、昔通りというかなんというか、いい感じだよね」
先生が言っていたことと同じだ。この様子なら、自分がいなくてもそのうち立ち直って、元気に生きていくんじゃないかと思える。だとすると、僕は必要なのだろうか。
「ただ、なんか、無理はしてないけど、お兄ちゃんの代わり、というか別のなにかみつけたみたいな感じしてるのは気になるかも」
「あー、なんとなくわかるかも、彼氏かどうかは分からないけど、自暴自棄なってないといいよねー」
彼女たちの言葉を信じるなら、僕がいる意味はあるのだろう。でも、自分がいることで響香に悪い影響を与えるんじゃないかという心配もある。僕がいることは長い目で見たとき、本当に彼女にとってプラスになるのだろうか。
そんな響香に対する本音の話も本人が帰ってくるまで。戻って来たらトイレに行く前と同じように楽しく談笑をし始めた。
あんな話を聞いたらずっと響香に張り付いているのもなんだか悪い気がして、学校を後にした。
放課後までは若干時間があるので、近くの公園のベンチに腰を掛け(た気になって)放課後の時間まで待つことにした。
何もしないで、風景をただ眺める。
その間、考え事をしていてもいいし、頭の中をからっぽにしてぼんやりしていてもいい。こういう時間は好きな方だ。こうしていれば一時間くらいは割とすぐに過ぎていく。とはいえ、ずっとこうやって放課後まで待っているのもあれだし、ランドセルを背負った小学生たちが目につくようになった辺りで立ち上がる。
散歩でもして、響香と会うための気持ちを作っておこう。
風景をぼんやり眺めているのと同じでこうやって目的もなく付近を歩くのも好きだ。あまり行った事のない辺りだと特に楽しいが、この周辺は僕の世界との違いは感じられず、なんというか慣れ親しんだ散歩道といった感じがする。そのせいで、最初の日は間違って響香の前に姿を現せちゃったわけなんだけど……。結果的にいい感じに打ち解けられたからよかったけど、あれは大分大きなしくじりだった気がする。
そんなことを考えていたら不安になってリモコンを確かめたが、ちゃんとダイヤルは非干渉の状態になっている。この辺をあんまり長い事歩いていて、彷徨う亡霊みたいな都市伝説になっても困るし、こまめなチェックは大切だ。
そんなこんなで、特になんにもないことをして時間を潰していると、大分日も暮れてきた。そろそろいい時間かなと中学校へ向かって歩いていると、友達と一緒に歩く響香の姿が見えた。
水を差すようで悪い気もしたが、とりあえずいることだけは伝えようと、リモコンを取り出して半干渉のモードに切り替えて、響香の方に手を振った。
するとこっちに気づいたようで、響香は一瞬だけこちらに顔を向けた。
公園の方を指差して、そこで待っているというジェスチャーをしてから公園の方へ歩いて行く。
そういえば、半干渉でも声は大丈夫なんだっけ? と思ったけど、でも伝えたいことは伝えられただろうと、またベンチに腰を掛けて響香を待つ。
家に帰ってからくるかなと思っていたのだが、すぐにこちらに来たようで、待ち時間は短いものだった。
公園の入り口で道の方に向けて手を振っていたので、友達と別れてこっちに来たのだろう。
響香は公園内を眺めるように見た後、こちらを見つけたようで手を上げかけるが、そういえばと言わんばかりにハッという表情をして手を下ろした。
「え、えっと、トイレに行くって言って別れて来ちゃった」
と早足でこっちまで駆け寄った後に、小声でそんなことを言う響香。
「別に一旦家に帰ってからでも良かったのに」
友達との時間を邪魔したくなかったから待っているつもりだったのに、ちょっと悪いことをしちゃったかも。
「あはは、いいのいいの、二人とは明日も学校で会えるし、今はお兄ちゃんの方が大事。一緒にいられる時間短いしね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね」
「さてと、今日も買い物だけど、付き合ってくれる?」
「うん、分かったよ」
ということで二人でスーパーまで雑談しながら向かい、近くについたらダイヤルをもうちょっとひねって干渉状態に切り替えて、一緒に中に入る。
「今日は何を作るの?」
「うーん、どうしようかな……カレーでも作ろうかな、いっぱい作っておけば二日くらい持つだろうし、私も楽できるからね」
「カレーかー」
「あれ、もしかして、お兄ちゃんは苦手だったりする? やっぱり微妙に好みが違うとか」
「いや、そんなことはないけど、考えてみればしばらく食べていなかったかなって思って」
「じゃあ、丁度いいね、今夜はカレーって事で正式に決定」
響香が満面の笑みでこちらに笑いかける。この笑顔が自分に向けられたものなのか、彼女の兄に向けられたものなのか。昼に考えたことから、そんなことを思い浮かべ、僅かに罪悪感を覚える。
考えていることが顔に出てしまうと悪い。こっちにいる間は、お昼のことは忘れよう。
「なんか普通に僕も食べていく流れだけど……」
「あ、もしかして、今日は無理だったりする?」
「いや別に僕は大丈夫だけど、響香の方こそ大丈夫なの?」
「うん、大丈夫、今日も多分二人とも遅いし、お兄ちゃん一人分くらいならカレーが減ってても二人は気づかないよ」
作るものが決まると買い物はすぐに終了し、二人他愛もない話をしながら家まで歩く。響香との会話は妙に馴染むというか、自然な感じがして家に着くのは感覚的にはすぐだった。
家に着くと、響香に言われて先週と同じようにリビングのソファーに腰を掛ける。
響香の腰で揺れるエプロンの紐を眺めていると、次第に玉ねぎやスパイスの匂いが広がっていき、そこまでお腹は減っていないのに食欲がわいてくる。
いま、この家に入ったら誰もが今日はカレーだなと考えるだろうな、なんて思っていると響香が振り向いてこちらに声をかける。
「後は少し煮込むだけだよー」
作り始めてそう時間は立っていないはずだけど。響香は結構料理し慣れているみたいだ。
花嫁修業じゃないけど、これなら結婚しても料理面では困らなそうだ。
「結構早く出来るんだね」
「まあねー、今は電子レンジもあるし便利な時代になったもんだねぇ……」
ちょっとしわがらせた声を作ってそんなことを言いながら、隣に腰を下ろした。
「いい時代にって、響香は一体何歳なのさ……」
「うふふ、ぴっちぴちの十四歳だよ!!」
「うん、まぁ、その表現もなかなかにあれなんだけど、この件に関して僕は口を紡ぐよ」
「えへへー」
急に表情筋を緩めてだらしない顔をする響香。
「どうしたの急に」
「いやー、なんか懐かしいなって、それ音、ちょっと嬉しくて、どうしてもほっぺが動いちゃって仕方なくてさー」
「そっか」
「うん」
そんな風に話していたら鍋の蓋の動く音がして、響香は不味いと飛び上がり駆け出していくと、鍋の蓋を取って火を弱める。
「いやー、危ない所だった、火を弱めるの忘れていたよ。カレーがこぼれると後処理大変だし、ぎりぎり間に合ってよかった」
響香は「せーふせーふ」なんて言いながらソファーまで戻ってくると、勢いよく体をソファーに下ろした。
ふたを取ったからか、より一層部屋にカレーの香りが広がる。
「良い匂いだね」
「だねー」
「あとどのくらい火にかけるの?」
「うーん、いくらでもいいんだけど、時間の都合もあるし、もう少ししたら食べよっかー」
それから、テレビをつけてニュースを流しながら、最近あった話などをして待っていると、番組が変わりバラエティ番組の「この後すぐ」という音が流れてくる。「そろそろいいかも」と響香は立ち上がると、キッチンに向かい壁にかけられていたフライパンを手にした。
「まだ何か作るの?」
「うん、先週と同じようにおまけを作るよ。私と一緒に食べてくれるおまけね」
響香が皿を二枚とって、そこにご飯を盛る。
「もうご飯をよそうの?」
「うん、ちょっと待ってね」
冷蔵庫から卵を取り出すと、響香は決めポーズをとった。
「じゃじゃーん、たまごー」
「あ、もしかして」
「うん、オムカレーだよー」
ボウルに卵を割りいれると、響香は泡だて器を使ってしゃこしゃこと卵を混ぜ始めた。
「お兄ちゃん、バターとってー」
響香は手を止めることなくそう頼んでくる。まぁ、それくらいは当然させてもらおう。
冷蔵庫を開けてバターの箱を探す。物の置き場所は僕の家とあまり変わらない。すぐにバターが見つかり、響香の手の届く場所に置いた。
「ありがとう、じゃあ、やっていくからねー」
フライパンを火にかけバターを落とすと、バターの白色が透明に変わっていき、黄金色の液体が鍋全体に広がったタイミングで卵液を半分ほど投入した。
適度に鍋を揺らしながら、タイミングをみて玉子を鍋の片側に寄せて少し火を通して、そのままごはんの上へ。箸で真ん中に切れ目をいれて広げるといい感じのオムライスになった。同じように二つ目も作ってオムライスを増やした。
「どう? 美味しそうでしょ、結構練習したんだ」
「うん、すごい、お店みたいだね」
「でしょでしょ、もっと褒めてー」
「すごいすごい」
響香の頭を撫でるとぴょこぴょこと小ジャンプをして喜んだ。なんかゲームのキャラクターみたいだ。
「よし、じゃあカレーをかけて完成だよ」
カレーは玉ねぎ人参じゃが芋、お肉は角切りの豚と割と家庭的だが、ライスの部分がオムライスとなっているだけですごくお店っぽさを感じられる。ご飯の上に卵があるだけでこうも違って見えるんだ。
「早速食べよう、玉子は温かいうちに食べないとだしね」
響香と僕は前回同様の席に座って、互いに手を合わせた。
「いただきます」
手は合わせているものの、響香はそこから動かずじっとこっちを見ている。感想を待っているのだろうか。
カレーだけをスプーンですくい口へ運ぶ。安心感のあるおうちカレーだ。次に玉子とご飯も一緒に食べる。うん、見た目はお店カレーぽくなっていたけど、カレーの力がすごいのか、食べてみると急に家に帰って来たような気分になる。でも、別にそれが悪いなんてことはなくて、すごく美味しい。僕好みの味だ。
「どうかな?」
「うん、美味しいよ」
「よかったー、いただきまーす」
僕の返答を聞いてまたしても表情を崩した響香もカレーを食べ始めた。
大分猫舌なのか一口目であちあちとしてから、ふーふーして食べ始めたので肉じゃがよりは時間がかかったが、自分でも満足のいく出来だったのか、残り半分になってからは勢いを増して美味しそうに食べていた。
「ごちそうさま」
「今回は僕が皿を洗うよ」
「んー、悪いような……でも、せっかくだし、今回はお願いしちゃおうかな」
「うん、任せて」
皿洗いくらいなら、家でもやっているし問題なく出来るだろう。
二人分の皿をサクッと洗って乾燥機の中に入れた。
「わー、流石お兄ちゃん」
「流石って、別にお皿洗うくらいは誰でも出来るでしょ」
「うん、まぁ、そうなんだけど、結構洗い慣れた手つきだなって」
「普段は自分で洗ってるからね……もしかしたら、本当はそうじゃなかったのかもしれないけど」
忘れているだけで、元々は僕の妹が洗っていたのかもしれない。そうだとしたら随分と良く出来た妹だが、目の前の彼女を見ていると、僕の妹もそうだったんじゃないかという風に思えてくる。
「うーん、でも私のお兄ちゃんもちょくちょく洗い物はしてくれていたし、お兄ちゃんも結構洗っていたんだと思うよ」
「そうかな? そうだといいんだけどね」
「きっとそうだと思うよ」
そんなやり取りをしながら、二人でソファーに座って、別れの時間になるまで、しばらく会話をしていた。
「あ、そうだ、次は木曜日に来てよ」
帰り際、次の予定として、響香が木曜日を指定してきた。
月曜日は両親が遅くに帰ってくるときいたが、今週は木曜日も大丈夫なのだろうか。
「木曜日?」
「うん、木曜日。七時くらいに家に直接来て、こっちのいろいろ準備しておくから」
「分かったけど、何かあるの?」
「ふふん、それは来てからのお楽しみって事で、じゃあね」
なにかサプライズでも用意してくれるということだろうか。だとするならばその内容を聞き出すのも野暮というものだ。
「うん、またね」
なので、そう言って今日はこれでお開きとした。靴などの入ったバッグを忘れずに持ってからリモコンのスイッチオフにする。
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「いやー、おかえりー」
「うん、ただいま」
さも当然のような顔をして僕の帰りを待ち構えている妹神も心構えが出来ていれば特に驚くことはない。ごく自然にそんな返答をして、椅子に腰を掛けた。
「それで、一日妹ちゃんの事を観察してみてどうだった?」
そう言われて、今日あちらの世界で見聞きしたことを思いだす。
「そうだね……まぁ、彼女が別に困っている訳じゃないんじゃないかと思った」
僕がいなくても響香はいつか立ち直ると思われる。
「そっかー、ということはお兄ちゃんがいるだけで彼女はそれでいいって言うのは本音の話だったのかもね」
うんうんと頷く妹神。
「でも、僕はそうは思わないんだよ」
「どうしたの、何かあった?」
「だって、響香に僕が付いていたら、いつまで立っても彼女自身が本当に立ち直ることはないんじゃないかなって思って」
僕は兄の代わりにはなれるのだろうけど、それが彼女にとってプラスになるかは分からない。僕がいなくてもいつかは立ち直るだろう彼女が、僕を兄代わりにしていることで立ち直れないんじゃないかとも考えられる。
「……そっかー、お兄ちゃんは別世界の妹ちゃんのことも本気で考えているんだね」
妹神が優しい微笑みを浮かべる。
別にそんなつもりはなかったけど、そう言われると少しだけ嬉しいものだ。
「僕の都合で彼女を付きあわせているとはいえ、本当に彼女の事を救えるなら救った方がいいに決まっているし、まぁ、うん」
「それじゃあ、頑張らないとだねー」
珍しく真面目そうな表情をした妹神は優しい口調でそんなことを言う。
「頑張る?」
「うん、だって、どうせいつかは別れないとだし、お兄ちゃん自身も離れる必要があると思っている。でも、妹ちゃんは今、お兄ちゃんのことを必要としている。だから、下手な別れ方したら、また後引いちゃうでしょ」
そっか、響香と分かれるときがいつかは来るんだ。出会った以上、分かれないといけない時が来る。それにまだいかないといけない世界が8つもあるんだ、あまり時間をかけるのも良くないんだ。
「そうだね……しっかり考えないとか」
響香を傷つけないように、出会ってよかったと思って貰えるように頑張らないといけない。
「うん、まぁ、また何かあったら相談には乗るから頑張ってね、それじゃあ、おやすみ」
「おやすみにはまだ早い気もするけど、うん、おやすみなさい」
妹神は特に派手な演出をするわけではなく、スッと消えて行った。
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約束していた木曜日が訪れる。
夜になったら直接家で会おうと響香が言って来たし、なにがあるのかは来てからのお楽しみとも言っていた。そんなことを言われたから、僕もやっぱりそわそわしていたらしい。それが外から見ても分かるほどだったのは失態だったような気がするけど。
そんな様子の僕を見た乃がいつも以上にいじってきていた。というより、月曜日休んだこともあって、先週以上に彼女云々の話を仕掛けてきた。そして、何故か桂ちゃんも話に参加してくるから、その話をするだけで休憩時間が終わってしまうこともしばしばあった。
というより、桂ちゃんは別のクラスなはずなのに、なんでちょくちょくこっちのクラスまで出張ってくるんだろう。
それにしても本当に今日はなにがあるんだろう。準備するとか言っていたし。多分料理は作っているんだろうけど、わざわざ夜に行く必要はあるんだろうか。
やろうと思えば月曜のように覗き見も出来はするけど、せっかく用意してくれると言ってくれているのだから、早めに行くなんて野暮なことをしようとは思わない。気になりはするけど、そこは我慢しよう。
帰宅後も僕はそわそわしていた。約束の時間まで時間があったので、いまだ終わっていない提出日が昨日となっている宿題の続きに取り組んてみたものの、あまり進みは良くない。他にすることもないので、ずっと勉強机と向き合ってはいたのだが、約束の時間の少し前になっても宿題はギリギリ終わらなかった。
残りちょっとだったので終わらせたい気持ちはあったが、約束の時間に遅れるのは悪い。
靴がはいっておらず空のままバッグだけを手にして、机の引き出しからリモコンを手に取った。
大丈夫だとは思うけど響香以外の人がいたときや不慮の事態に備えて、一応ダイヤルは不干渉状態に合わせてから移動した。
これでリビングに直接飛べればいいのだろうけど、案の定、転移先はいつも通りの響香の部屋の中だ。
響香の部屋が転移先なのは確定っぽいけど、なんか微妙に出現する部屋の位置は毎回微妙に差がある気がする。とはいえ、響香の部屋もそこまで大きいわけではないので、大差はないのだが。
非干渉状態のままリビングに向かうと、妙にそわそわした様子の響香がキッチンをウロウロしていた。今日は彼女も少なからずせかついていたのかもしれない。
念のため辺りを確認したが、特に問題はなさそうだったので小ダイヤルを動かして半干渉の状態に切り替える。
「あ、お兄ちゃん!」
現れた僕を見るや否や響香が近づいてくる。
こんなことを思うのもどうなんだという感じではあるが、ほんの少しだけ飼い主を待つペットのようだなと思った。
「いらっしゃい、今日は部活も休みだったし、結構凝ってみたんだよ」
出会いがしらにそんなことを言って来るってことは、結構手が込んでいるのかもしれない。その対象がなにかは分からないけど。
「見ておどろけー」
響香はそう言うと視線をテーブルの上へ誘導させようと両手を動かした。素直にそれに従って見ると、そこには沢山のフライが乗せられた大皿があった。
「あれは、コロッケかな?」
あの小判型の独特の形から連想されるフライ料理と言えばコロッケだ。もしかしたらほかにもあるのかもしれないけど、馴染みがあるの者といったらそれくらいで、変わったところでメンチカツがあるかなというくらいだ。
どうなんだろうと、響香の方へ視線を向けると正解とばかりに笑顔を返してくれた。
「うん、そうだよ、じゃが芋を潰してひき肉と混ぜてパン粉をつけてあげたやつ。お店とかだと結構安く売られているけど、家で作ると結構面倒くさいんだね、これ」
そう言う割に嬉しそうにしているので、料理をするのが好きなのかもしれない。
聞いてみた感じ、結構面倒な手順のようだし凝っていたというのはこれのことなのだろうか。
そう思っていると、それを狙っていたかのように響香は「それだけじゃないよ」といってどこからかミトンを取り出して両手に装着した。
「メインはこれからだよ」
オーブンの中から天板を取り出した。その上にある二つの皿には焼き目のついたチーズが乗った白いものが入っていた。オーブンから出したこの見た目の物といえばあれしかない。
「もしかして、これってグラタン?」
「せいかーい、これはホワイトソースも自分で作ったんだよ。面倒臭そうだけど実はコロッケよりも全然簡単だったりするんだよね、ホワイトソース」
グラタンの皿をテーブルに置かれた布巾の上に置くと、ミトンを外して台所に投げだした。
「あ、グラタンの中はマカロニが入ってるやつだよ、あとチーズもたっぷり、後はすこしだけじゃが芋もいれてみた」
丁度一分前とかに焼き上がったからチーズが伸びるよと、笑いながら響香は鍋からスープのようなもの深皿に盛りつけている。
「まだ何かあるの?」
「うん、二つを作っている間ずっと煮ていた、ポトフっぽい奴」
「ぽい?」
「うん、ぽいやつ。だって、実際のポトフの作り方は分からないもん、だからあくまでポトフっぽい奴」
ポトフ擬きの皿もテーブルの上に乗せられた。その中には大きめにカットされたじゃが芋と人参が入っている。
これで料理は最後のようで、響香は席に着き「早くお兄ちゃんも座って」と急かしてきたので、僕も席についた。
「早く食べよー、ほらチーズトロットロのビヨンビヨーンなうちに食べよ」
座ったら座ったで今度はそう急かしてきたので、出会ってすぐではあるが晩御飯にすることになった。
チーズの状態が気になるのか、カレーの時とは違って響香はすぐに食べ始める。僕がそれをただ見ているのもあれだし、テーブルに置かれたフォークを手にする。
たっぷりと言うだけあって、結構チーズを使っているらしく結構チーズが伸びる。チーズが変なところにくっつかないように気をつけながら口まで運ぶ。
出来立てでチーズがたくさんのグラタンはとてもおいしかった。グラタン自体は食べた事はあるけど、こんなに美味しかった記憶はない。
思い返してみれば冷凍食品やお惣菜とかでは食べたことあるけど、意外とお店でグラタンって食べたことない。もしかしたら、お店のグラタンはこういったもなのだろうか。
「すごい美味しいよ、このグラタン」
そう言って響香の方を見てみると一口も食べきれていなかった。随分な猫舌である響香はふーふーしてチーズを固めていた。
「お兄ちゃんが喜んでくれたなら、作った甲斐があったよ」
笑顔でそう言ったあと、響香はチーズを固める作業に戻った。思った以上に猫舌らしい。
あつあつのチーズを楽しみながらグラタンを食べていると、気付けは残り半分ほどになっていた。
グラタンの中にはマカロニの他に細かく切られた人参が入っている。コロッケにじゃが芋が使われていることを考えると、ポトフ風のスープは意外と余りの食材を使って作られたものかもしれない。
せっかくだしコロッケも熱いうちに一ついただこう。フォークから割り箸に持ち替えて、大皿から一つコロッケを自分の近くの取り皿にとる。
箸越しに衣のサクサクした感じが伝わってきて期待感を煽るコロッケだ。これを作ってくれたのは、きっと僕がじゃが芋が好きと言ったからだろう。割とどうでもいいことだったと思うけど、それを元に手間暇かけてコロッケを作ってくれたことがちょっと嬉しい。
まずはなにも付けずに口へ運ぶ。予感していた通りのサクサクとした衣の触感、揚げたてなのもあってお惣菜ものとは違う。じゃが芋はほくほくで美味しいし、しっかり下味が付けられているのかそのままでも美味しい。思った以上に美味しいので、すぐに食べ終えた。
お次は大きな具材が目立つ深皿に視線を向ける。スプーンに持ち替えると大きなじゃが芋とスープを口に運ぶ。見た目はシンプルなんだけど美味しい。
「美味しい?」
二口目のグラタンをフォークに乗せた響香は尋ねてくる。
「うん、どれも美味しいよ」
「それは良かった、そのなんちゃってポトフはコンソメにセロリと人参とじゃが芋を入れて煮ただけだけどね」
セロリが入っていたんだ。匂いの強い野菜の印象があるせいか、このスープからは考えもしなかった。
「おもっていたより簡単に作れるんだね」
「うん、お兄ちゃんも今度試したら?」
「まぁ、そうだね、機会はいくらでもあるだろうし、その内作るかも」
そんな感じでいろいろと料理の話を聞いていると、料理も程よい温度になってきて、彼女も食べるペースも上がってきて、響香の言葉数が少しずつ減ってくる。一方でこちらはグラタンと皿に盛られた汁物を食べ終え、コロッケもいくつか食べたことによって割とお腹が満たされている。
食べている響香を何もせずじっと見ているのもあれなので、ちょっとだけ気になっていることを尋ねてみることにした。
「そう言えばさ」
「うん、なに? お兄ちゃん」
「今日を指定したけど何かあるの?」
「あ、そっか、まだ話してなかったっけ」
フォークでマカロニを捕まえている響香は「そうだっけ」という表情だ。
「うん、ちょっとだけ気になって、前の2回は月曜日だったからなんでかなと思って」
響香は群れから捕まえたマカロニを口に運び、口をもぐもぐとさせて飲み込んでから答えてくれる。
「それはね……まず、うちのお父さんが先週末から出張で来週にならないと帰って来ないんだけどね」
僕の世界の父さんも年に一回は出張に行くけど、こっちでもそうなのかな。そんなふうに考えていると、フォークを置いて両手を広げた響香が大々的な発表のように言葉を続けた。
「それに加えて更に、お母さんも今日からアメリカに行って多分三日は帰って来ないの」
「じゃあ、もしかして……」
「そうだよ、今日からこの家は私一人ってこと、だから、今日なら好きなだけお兄ちゃんも居放題ってことだよ」
そう言って立ち上がると響香は胸を張って「えっへん」と口で言う。。
「居放題とは言うけど、僕は別にそんな長居するつもりはないけど」
響香が露骨に残念そうな顔をした。もしかして、僕の長居を前提に今日を指定していたのだろうか。
「お兄ちゃん、なにか用事あったりした?」
腰を下ろして、恐る恐るという様子でそんなことを聞いてくる。滅多にないチャンスということで今日を指定して、張り切って料理を作って待っていてくれたのだろう。今の響香を見るればなんとなくその様子が想像できる。
「平日の真ん中である以上細かいことを含めればないはずはないけど、そこまで大きな予定はないよ」
一人で留守番をする女の子の家にあんまり遅くまでいるのもどうかとは思うけど、響香が満足するまではいようかなと思ってそう答えてみたが、思っていた以上の答えが返ってきた。
「じゃあ、泊まっていってよー」
せいぜい10時くらいかなと思っていたけど、それどころではなかった。
「泊まっていって、ってそんな親がいないからって」
「親がいないからこそチャンスだよ」
いつの間にか隣まで来ていた響香が手を取って、力強く握ってくる。別に痛くはないけど、そんな熱弁するようなことではないと思うんだけど。
「チャンスって、響香は将来的にこういうタイミングで彼氏とか泊まらせそうだね」
落ち着いてもらうために、ちょっとからかうようにそんなことを言ってみると、ばっと手を離してあたふたとし始める。
「か、彼氏……しょ、将来的には分からないけど、今はたとえいたとしてもそんなことしないから。そ、それに、お、お兄ちゃんだから、兄妹だから泊めるってだけだから。ほら、お兄ちゃんの部屋もそのままあることだし……」
「まぁ、彼氏云々は響香の自由だから別に僕がどうこう言うつもりはないんだけど、その部屋って僕が泊まってもいい物なの? 使用した後とかで誰か泊めたとか分かるんじゃない?」
それこそ、僕はともかく両親に勘違いされるんじゃないだろうか。娘が彼氏を連れてきたとかそういう風に。
「いいのいいの、私だってたまにお兄ちゃんのベッド借りて寝てるから、それに関しては全然大丈夫。安心して泊まっていって」
「たまに寝てるんだ……」
思わず自分の顔が苦笑いの形になってしまっているのを感じた。響香、なんかこの世界の僕と仲が良かったんだろうなとは思うけど、それはどうなんだろう。亡くなってからそこまで時間が経ってはいないとはいえ、流石にその行動はちょっと将来が心配だ。
「む、もう、たまにだからね、たまに。週一回くらい。それにお兄ちゃんがいたときからずっとそうやっている訳じゃないから、寂しいと思った時に使わせてもらっていただけだからね」
そう早口で言いきると「お風呂沸かしてくる」と言い残して、響香はお風呂場の方へ行ってしまった。
一人残されてどうしようかなと思っていると、響香がお風呂場から着替えのことをきいてきた。響香の中ではどうやらこのまま泊まるのは確定しているようだ。
「響香がそうしてほしいなら、今日くらいは泊まってもいいかな」
それに僕がいつかはこの世界から完全に去って会えることもなくなるって、いつかは伝えないといけないだろうし、今回の宿泊でタイミングあれば切り出そう。一晩あればどこかで話すタイミングも見つかるかもしれない。
僕は着替えを取ってくると響香に伝えて、リモコンを操作して自分の部屋に戻る。
こういう感じで、なにかを持っていくために一時帰還する場合は妹神がいない。もしかして、別の世界の事を見られるのだろうか。でもだとするといちいち僕の話を聞く必要はないだろうし、なにか別の方法で察知しているのかもしれない。
服を持っていこうかと思ったけど、脱いだものを持って来るのもあれなので、着替えは済ませていくことにした。
脱いだ服を洗濯機に入れてから、再びリモコンを操作する。
なんか勝手に響香の部屋に入ったみたいになるのが嫌だったので、非干渉の状態で移動して下に降りてから半干渉の状態に戻した。
「あ、着替えて来たんだ」
「まぁ、脱いだものを持って帰るのもめんどくさいしね。忘れたらややこしいことになりそうだし」
「それはそうかも……」
響香がこちらをじっと見てくる。部屋着だから特に誰かに見せるつもりもないし、適当な服だけど、もしかして似合っていないのだろうか。そう思って聞いてみると、「違う違う」と首を振った。
「そうじゃなくて、その服うちにもあるなーって」
なるほど、そういうこともあるんだ。別世界とはいえあんまり違いは感じられないし、意外と同じものもいっぱいあるのかも。
お風呂が沸くまでの間、話しながらゲームで一緒に遊ぶことにした。このゲームはうちにも同じものがある。乃や桂ちゃんが来た時によく遊ぶものだが、もしかしたら妹とも遊んでいたのかもしれない。ゲームは思いのほか盛り上がったが、途中でお風呂が沸いたので、先に僕、次に響香という順でお風呂に入った。僕の後でいいのかとも思ったけど、彼女がそちらの方がいいというのだから、そうした方がいいのだろうと思って先に入らせてもらった。
お風呂から上がってからは響香の部屋に移動してゲームの続きを遊んだ。
特に変哲のない会話をしながら二人でゲームをしている時間というのは楽しくて居心地の良い時間だった。気づけば夜も更けて来て、徐々に響香の欠伸をする頻度が短くなっていく。
響香が二連続で欠伸をしたとき、何時だろうと時計を見ると深夜の一時前になっていたので、時間の流れの速さにちょっと驚いた。ここまで早いのはいつ以来だろう。
「響香、もういい時間だしそろそろ寝る時間だよ」
「うーん……分かった……」
丁度コントローラーを持っていた僕がゲームを終了させていると、響香はベッドの中にのそのそと潜り込んだ。
ゲームの電源を切った後「おやすみ」と言って部屋の電気を消して、隣の部屋に向かった。
今からでも宿題を取ってこようかとも思ったけど、結構眠いので素直に寝よう。
一回見たことはあったけど、こっちの僕の部屋は全然変わらない。もう一人僕がいたかのような部屋だ。いや、実際もう一人僕はいたわけなんだけど、こうして瓜二つな部屋を見ると不思議な気分にさせられる。
ベッドに潜り込んで横になると、眠気がより一層強くなる。これならすぐに寝られそうだ。
微睡の最中、お別れの話をするのを忘れていた事を思い出した。最初の方は覚えていたのだが、楽しそうな響香に言い出せずに話していて、お風呂から上がる頃には完全に頭からすっぽ抜けていたな。
ぼんやりし始めた頭でどのタイミングで言いだそうかなと考えていたら、部屋の扉がノックされた。
「響香?」
すこし覚醒した頭でそう返事をする頃には扉は開かれていた。
「お兄ちゃん、今日は一緒に寝ていい?」
やっぱり響香はこの世界の僕と随分仲が良かったようだ。ちょっと仲が良すぎる気もするけど、本来死んだはずの兄と同じような人が現れたから、少し過剰になっているのもあるだろうけど。
「結構甘えんぼだね、響香は」
「……いいじゃん、たまには」
僕の返事を聞くつもりはなかったのか、響香が布団にもぐりこんできた。
響香がいまこの状態なのは、ある意味僕のせいでもあるし、それを咎めたり強く止めたりする気はなかったけど、ノータイムでベッドに潜り込んできたことには少し驚いた。
「だいぶマシになってきたとはいえ、流石に二人くっ付いて寝るにはまだ暑いでしょ」
「いいの、こういうのもたまには」
「まぁ、響香が良いって言うなら別にいいんだけど」
時間帯は深夜といったところ、昨日のお昼は普通に学校だったし、普通に眠くはある。何だったら乃と桂ちゃんのおかげで普段以上に疲れているかもしれない。だから、さっきまではすごく眠かったのだが、だれかと隣り合ってなるなんて何年振りかも分からない状態にもあるせいで、眠気が何処かへ行ってしまった。
うとうとしている響香を眺めていると、布団の下で手を握られた。
「お兄ちゃんはどこにもいなくならない……かな?」
不安そうな何かを求めているかのような声だった。
やっぱりだ。
僕を兄に重ねて見ているとしても、距離が近い気はしていたが、それは不安からくる行動だったのかもしれない。
確かに僕が現れたことによって、彼女は少し元気になったのかもしれない。けど、急にいなくなる可能性があることを知っている彼女は、同時に不安感も感じていたのだろう。
「どうなの?」
なんて答えようかと考えて間が空いてしまったところ、より一層握った手に力が込められた。
「それは……いや、分からない……かな」
早く答えないといけないと思って口を開いては見たものの上手く言葉は出てこなかった。だから、非常に曖昧な言葉となっていたが、これまでの僕の様子や態度、そして沈黙の数秒から何かを察したようで、寂しそうな表情を見せた。
どうしようかとも思ったけど、このまま何も伝えないのはいけないだろう。本来話そうとしていたことだ。話しにくい話題ではあるけど、タイミングとしてはこれ以上ないタイミングだろう。
「……そうだね、僕はいつかはこの世界を去るんだと思う。そうして来られなくなる日はいずれ来ると思う」
やはり察していたらしく、響香は特に大きな反応をするわけでもなく、ただ静かにまぶたを閉じた。
「……やっぱり、そうだよね。いつまでも、こんな夢のような時間が続くはずがないよね。普通じゃありえないようなことなんだし、いつかは終っておかしくない……なんとなくそんな気はしていた」
どうやら、響香は分かれが来ることを分かっていたようだ。もしかしたら、僕の態度や行動から、なにか感付いていたのかもしれない。
「でも……「待って」」
それまではしてほしいことややりたいことになるべく答えたい。そう続けようとした言葉は、響香によって止められた。
その後、言葉を遮って止められた僕も止めた響香も話し出すことはなく、数分の間、夜の静寂が部屋を包み込んだ。
長く感じられた沈黙のあと、何かを決心したように響香が目と口を開く。
「じゃあ……次で最後にする」
「え?」
「お兄ちゃんに会うのは次で最後。いつまでも夢の中にいちゃいけないから。夢はいつか醒めないといけないものだから、次で最期にする」
「響香……」
響香は結構しっかりした子だ。きっと僕が、この世界に来なくてもいつかは立ち上がれていたのだろう。
僕は、それを少し早めることが出来るのだろうか。それとも、長引かせてしまうのだろうか。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「……うん、おやすみ、響香」
次で最期。
それまでに、響香に一体なにをしてあげられるかを考える。
僕には難しすぎる内容だ。いくら考えても、思い浮かぶのはありきたりなものばかりでこれだというようなものは浮かんでこない。そうしているうちに、どんどん頭の回転は鈍くなっていき、気付けば眠りに誘われていた。
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