第2話 恩恵と弊害

事故が起きてから、雨谷あまがや さとるはまる一週間は学校にも家にも顔を出すことは無かった。


「悟。ご飯...食べてる?」


「...。」


病院に行くと、悟はずっと両親を見つめていた。その背中はやけに小さくて、声をかけても、返事が帰ってこないことは分かっていたが、声をかけずにはいられなかった。


「ここにお弁当置いとくね。食べたら持ってて。後でまた来るから。」


ふと視界にコンビニ袋が映り込む。私は病室を出てから少しだけ安堵した。


学校を早退してから直ぐに作ったお弁当は、どんな中身にすればいいのか分からなくていつもより質素なお弁当になってしまった。


「食べてくれたかな...」


家に帰りながらそんなことを考える。


自室に着くとベッドにダイブした。悟の両親が病室のベッドで並んで寝ている姿を思い出して枕に顔をうずめる。


ピンポーン♪


・・・


ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪ ピンポーン♪


絶え間なく鳴り響くチャイムに、なぜ親は出ないんだと思いながら、恐る恐る窓から玄関を覗くと、さっきまで病室にいた悟と目が合った。


駆け足で玄関を開き裸足で飛びつく。


「悟...なんで...。」


「知恵の弁当がいつもより不味かったから...かな。」


「なにそれ♪」


「ありがとう。」


「...。」


「俺のことも、親のことも、心配してくれたんだよな。」


「...うん。」


悟の顔を見ると桃色になっていた。ふと我に返り、悟の肩を両手で押して腕分の距離をとるが、互いに顔が見える分、余計に鼓動が早くなるのを感じた。


「“ガチャ” あら、お邪魔だったかしら?」


玄関を開けるど同時に聞こえた母のその一言が余計に恥ずかしさを倍増し、さらに顔が熱を帯びるのを感じた。


「うぅぅぅうう、おか〜さ〜ん!!」


冷静さを欠いた私はやり場のない恥ずかしさを怒りにして母にぶつけることにした。


「これから、しばらくお世話になります。よろしくお願いします!」


「そんなに改まらなくていいよ、悟。昔からよく家に来てたでしょ?」


「いや、まぁそうなんだけど。」


いつもより少し落ち着きが無い様子の悟。高校生になってから、家に泊まるのは初めてだ。中学から付き合っていることは両親ともに知っているが、やはり緊張するのだろう。


「心配かけしてすみませんでした。どうやら命に別状はない様なのですが、それでも目覚めないのが気がかりで...。」


お父さんもお母さんもいいのよと悟を慰めてくれている。やっぱり家の人もかなり心配していたようで、言葉の随所で不安が見え隠れしていた。


「とにかく、ご両親が目覚めるまではこの家が自分の家だと思ってくれていいからね。気楽に過ごして。さとくん」


――悟は、家に泊まることになった。――


「「行ってきま〜す。」」


二人で家を出ると、いつも通りの学校生活が始まった。


私たちは無事に進級することができたが、別のクラスになってしまった。


私のクラスに着くと、見慣れた顔のクラスメイトがザワザワしていた。


「知恵ぇ〜♪ 昨日何があったの♪」


「何も無いけど?」


「えぇ〜、昨日彼ピの元に行ったんじゃないの?」


「えっ!? い...いや、昨日は早退した理由の通りだようぅ?」


「知恵っちって、結構わかりやすいよね〜。」


朝のホームルームが始まるまでは私と悟の話で持ち切りだった。


お昼休みになって悟とご飯を食べる。


「授業は着いていけそう?」


「ちょっと難しいな〜。」


「それなら、私が見てあげるよ! 中学の時みたいに!」


「ほんとっ! 助かるよ。じゃあ、部活が終わったら家で見てもらおうかな。」


「任せて♪」


「...やっぱり昨日の弁当、あんまりだったよ。」


「何回も言わないでよ!」


放課後、悟は部活に、私は真っ直ぐ家に帰った。


悟が家に帰ってくると、悟が寝泊まりしている部屋で勉強会をした。


「悟? 寝ちゃったの?」


机に教科書とノートを散らかしたまま突っ伏して寝てしまった。

毛布をかけて腕の隙間から見える寝顔を覗く。


「お疲れ様。」


悟は一週間分の学習を二週間弱で終わらせた。


「知恵? 今日は朝練があるから先いくね。」


「早いね。行ってらっしゃい。」


今した会話に少しの安心感を覚えるが、背中が玄関に阻まれると途端に不安になる。


「...なんで隠してるんだろう? 」


私は不穏な空気を感じ取っていた。


一週間程前に学校で見たことが頭をよぎった。



私たちの日々は風に飛ばされる葉のように早く、...青春真っ只中の高校2年の夏休みになった。


「セミの鳴き声、皮膚が溶けてゆくような力強い日差し、今日は熱いね〜。」


「最高気温34℃って今日言ってたな。」


「うそ〜! もっと熱いって〜。...でも、これだけお日様が「おはよう」って言ってくれてるんだから、二人とも目を覚ますかもね♪ 」


「そうだといいな。」


私たちは、まだ目を覚まさない悟のご両親の元に向かっていた。


二人の様子を見ると、だいぶ痩せてしまったと思う。食事とか栄養は、多分点滴とかでしてくれてるのだろうけど、やはりずっと寝たきりだから筋肉が衰えてしまっているようだ。


今日みたいに学校が休みの日は、私と悟で二人の体をマッサージしたり、動かしたりして固まらないようにしている。


“ブゥーブゥー”


「ごめん、部活の人から電話きた、ちょっと出てくる。」


「うん。」


悟はそそくさと病室を出ていった。


「お宅の悟くん、彼女に隠し事をしているみたいなんです。隠し事なんてしてもろくな事にならないってお二人から言って貰えませんか?」


謎の口調で二人の手を握りながら話しかける。


私たちが病院に着いた時に、雲に隠れた太陽が、もう一度顔を出して二人のことを照らした。


すると二人の瞼がピクリと動いた。


「!! お母さん! お父さん!...分かりますか!? 知恵です!」


「...。」


「病院です。お二人とも事故にあったんですよ。」


「...。」


「今、悟を呼んできますね!」


病室を出て、病院内で公衆電話の置かれている場所まで向かう。


「じゃあ...前も.......図書...。うん。ありがとう、助かるよ。」


「悟? どうかした?」


「「それじゃまた。“ピッ” 」知恵? いや〜、友達からも電話来て、「勉強教えて」って言われちゃった。ところで、知恵は...」


「あ! お父さんとお母さん、意識戻ったよ!」


「え! あ、先生は呼んだ?」


「まだ呼んでない。」


病室に着くと、既に先生が見てくれていた。


どうやら私の様子を見た看護師さんが、心配して見に来てくれたらしい。


先生の話を聞いた悟の話によると、脳の損傷はなく、事故による記憶障害があるかはまだ分かっていないようだ。


事故があった日に付いた傷はほとんどが回復しているが、寝たきりの時間が長かったため日常生活に戻るまでには、かなり時間が必要になるらしい。


「これから二人はリハビリ生活だって。」


「...。」


「俺はしばらく知恵の家にお世話になるよ。」


「私がお世話します!」


「それじゃあ、また来るからリハビリ頑張って。」


「失礼しました。」


今は二人とも声を出すことが出来ないようで、とりあえず近況報告をして今日は家に帰ることにした。


家の両親も二人の無事を聞いて、胸をなでおろした。



「悟? 明日花火デートしない? 」


「いいけど、花火大会もう終わってるよ?」


「もちろん知ってますよ♪」


「なるほどね。仕方ない、付き合ってあげよう。」


「え~、なに~その上からな感じは。」


悟の父母が目を覚ましてから数日、ゆっくりだが会話と食事ができるほどに回復した。


三か月近く意識のない状態だった両親とやっと会話することができた悟は、相当安心したようで、すこし声を震わせていた。


二人が目を覚ましたことをやっと悟は理解し、安心した。その姿を見て今ならと思い私は誘ったのだ。


明日は受験生ではない夏休みの最終日。


「どの花火からやる?」


「これから! 」


私が手に取ったのは火薬が紙に包まれている、手持ち花火。


火をつけると“ブワー”っと噴き出して、シャワーみたいに火花を飛ばすやつだった。


「知恵!」


「ん? ...! それなら私は両手で!」


二人して花火を振り回す。


暗い時間帯に、振り回す花火はやけに目に残って、瞬きをするとそこに一瞬だけ模様が浮かぶ。


それを利用した遊びをしていたのだ。


「手持ち花火。最後はこれでしめよう!」


「知恵って線香花火好きだよな。」


「うん。ちっちゃい花火見てるみたいで可愛いじゃん。でも最後はあんまり好きじゃないの。」


「なんで?」


「頑張って咲いたのに...最後には必ず終わりが来るって言われてるみたいで。」


「...それじゃ、また俺と線香花火の勝負をしよう。」


「生き残り勝負だね! いいよ!」


「「せぇの!!」」


悟が私を避け始めるまで家族ぐるみで毎年やっていたこの勝負。いつも一番最初に声をあげるのは悟だった。なのに...


「今回は絶対に俺が勝つよ。」


「え!?」


結果は一目瞭然。


「...あ〜、負けちゃった。」


「知恵! 手、貸して!」


「え!? 何?」


「...こうすればまだ落ちてないだろ♪」


悟は私の落ちた線香花火の残りを自分の線香花火につけて言った。


「どちらか一方が終わっ落ちてなかったら、こうやって助けてもらう事は出来なかったと思う。...つまりその...終わり落ちに意味をつけるかは自分次第なんじゃないかな。」


「...あ! 落ちちゃった。」


「あ...。これは失敗だったかな。」


「...ありがとう。」


「え!? 言いたいこと...分かった?」


「う〜うん。だからまた今度教えてね。」


「また今度。...わかった。それじゃ最後にドンとでかいのいきますか!」


「いっちゃおう!」


大きく打ち上がったそれは、小学生の時に見たそれよりは遥かに素っ気なくて、でもなんだかもう一度見たくなるような気がした。


「悟〜、お風呂入っていいよ〜。」


「OK! 入るわ。」


家に帰ると私は先にお風呂に入った。


悟がお風呂に入ってからこっそり買っていたアイスを一人で食べる。


“ピロリン♪”


リビングに無造作に置かれた悟のスマホの画面に電源が入り、明るくなると同時にメールの通知バナーが表示された。


。”


――それは、突然当たり前のように私たち二人の関係に介入して来たのであった。


楽しい思い出を作るはずの夏休みは、ただ一言の不穏な言葉を残して幕を閉じた。――

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