第9話

 朝。起きたら。

 彼はもう、いなかった。

 わたしだけが、ベッドにひとり。


「はぁ」


 立ち上がろうとして。

 左手に、違和感があった。


 指環。


 薬指に。


 立ち上がった。

 外の天気。


「晴れてる」


 玄関に、走った。


 彼。


 玄関先で。

 倒れてる。


「ねぇ」


 うつ伏せだったから、あおむけにする。大丈夫。顔は、けがしてない。身体は。大丈夫。筋肉質。細マッチョ。


「あはは。かっこわるいなぁ俺」


「立てる?」


「立てない」


 彼の身体を運ぶのは、無理。

 どうしようか。

 どうしよう。




「よいしょ」


 せぇの。


 1、


 2、


 3。


「よいしょっ」


「ああ。なんかやわらかい」


「べっどだよ」


 彼を動かせないので、ベッドを玄関までひきずってきた。何もない部屋でよかったと、はじめて思った。


「日が暮れるまで、休んでいきなよ」


「でも、変わらないんだ」


 彼が、ベッドの中でうつ伏せに戻る。


「どうせ、街は光だらけだし」


 じゃあ。


 ここにいたら。


 ここにいて。


「ちょっと休んだら。行くよ。ありがとう」


 言い出せなかった。ここにいてほしい。その、一言が。


「指環」


 かろうじて、出てきたのが。

 これだけ。


「ああ。指環。感謝の印に。それを左手の薬指にはめておけば」


 彼が、ちょっと休憩。


「左手の薬指にはめておけば、その、そういうことも。ないんじゃないかと、思って」


 彼の。


 言葉を選んでの、せいいっぱいの、やさしさだった。


 わたしを連れていくわけではない、らしい。


「そっか」


 わたしは。

 一緒に行けないか。

 そっかそっか。


「ゆっくり、休んでいきなね」


 自分のことを話してるときは、出なかった涙が。

 たくさん、出てきた。

 休んでる彼に気付かれないように。なるべく静かに、泣いた。


「指環」


 彼が、うつ伏せのまま、喋る。


「目が、人を追いかけすぎて、頭がいたくなったとき。いつも、指環を見てたんだ。指環なら、どこにも行かないし、動いたりもしない。気休めだけど、効果はあった」


 指環。今はわたしの、左手の薬指にある。


「効果があると、良いなぁ」


 それだけ、言い残して。

 彼は、静かになった。寝たらしい。


 わたしは、さっきの2倍、静かに泣かないといけなくなっちゃった。


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