第11話 夏の海
そして季節は巡り、夏が来た。
今日は私の誕生日。快は張り切って高級レストランを予約してくれた。
ステキな夜景の見える高層ビルの最上階。
「萌。誕生日おめでとう。」
「ありがとう、快。」
私たちが乾杯をすると、高級なグラスがとても良い音で鳴った。
「いつにも増して綺麗だよ。」
このためにめかし込んできたのに、気づいてくれたんだ。でも、そんなセリフに慣れない私は真っ赤になって俯いた。
私が記憶を取り戻してからの快は、私には激甘になった。歯の浮くようなセリフを平気で口にするようになったり、こんなオシャレなデートを用意したり…快が変わったのか…大人として身につけたのか…。
「学生の頃のデートと言えば、手を繋いで近所をぐるぐる歩いたり、公園のベンチでたわいのないおしゃべりしたりしたね。懐かしい。」
「今じゃ、こんな大人のデートのエスコートも出来るようになった…だろ?」
「でも、なんだか慣れないね。」私が小声でそう言うと、2人で顔を見合わせて笑った。
「たしかに!」
今では、昔の懐かしい話も2人でできるようになった。美味しい料理にワインもすすんで、ほろ酔いになった頃、ピアノの音色と共に、室内が薄暗くなった。
すると、向こうからろうそくを灯したケーキが運ばれてきた。もちろんピアノはハッピーバースデーの曲を奏でていた。
「え?私?すごい。嬉しい。」
目の前に置かれたケーキは、ろうそくが眩しいくらいに火を放っていた。
「さあ、萌。吹き消してみて。」と快に促され、
「ふーーーーーっ。」と一息に吹き消した。
「おめでとう。」
パチパチパチパチと、レストラン内に拍手が鳴り響いた。
「ありがとう。」照れ臭くて、真っ赤になりながら、ケーキを覗き込んでみると、真ん中のいちごが光っていた。
「え?」とよく見てみると、まるでいちごがティアラをかぶっているみたいに、ダイヤの指輪が光り輝いていた。
それを快が手に取ると、私に差し出した。その流れから、私は躊躇いながら左手を出した。そして快は少しだけ震える手で、私の薬指にはめた。
「もういいよな?俺たち、結婚しよう。」
一連の流れの中、気持ちが追いつかずにいると、
「おめでとう。」「おめでとう。」と拍手が湧いた。
周りの雰囲気に呑まれ、了承した形になってしまった。でも、指輪を受け取ってしまったし。でも、少し考える時間が欲しかった。でも、今更何を…。自問自答していると、私の気持ちとは裏腹に、快は立ち上がり、
「ありがとうございます。おかげで、プロポーズ成功しましたー。」とガッツポーズで、喜びを表していた。
私にとって、人生2度目のプロポーズ。
椅子に座り直した快は、
「俺たち、遠回りしたけど、やっと一緒になれるんだな。萌、大好きだよ。」と両手を握りしめられた。
快は、満面の笑みでコーヒーを一気に飲み干すと、
「あー、緊張したー。一世一代のプロポーズだからな。」と言われて、胸がチクッと痛くなった。
そして、急に真面目な顔をして、
「萌。今日は家には送らない。」
「え?」
「今日は萌を帰さないよ。」と真剣な眼差しで見つめられた。
私の耳の中で、キーーーーンと音がした気がした。
2人は、無言でホテルの部屋に入った。
ドアを閉めた途端、私は快に抱きしめられた。すごい力。
「この日をどんなに待っていたか。」
そうして、俯く私の顔を掬い上げるように、キスをした。戸惑いながらも、何度も何度も…そして深くなっていくキス。
私は受け止めるのが精一杯だった。
ワンピースの背中のファスナーが音もなく下がっていく。そして、2人でベッドに倒れ込んだ。
「萌。」
優しく私を呼ぶ声。そして、近づいてくる顔。
「萌。」一瞬、瞬の声と被った。
ハッとして、私は起き上がると、
「ごめん。今日は…今日は帰らせて。ごめんなさい。」と言って部屋を飛び出した。
一気にホテルの外へ出た私は一度立ち止まり、振り返って見たが、快の姿はなかった。
私はそのまま一人、トボトボとどこへ行くあてもなく歩いて電車に乗り、そのまま流れに身を任せた。
「お客さん、終点ですよ。」
急に肩を揺さぶられ、目を覚ました。
さっき飲んだお酒が効いたのか、いつのまにか寝入ってしまった。そして、駅へ降り立つと、海の匂いがした。
「海?」駅から南へ少し下っていくと、ますます海の匂いが濃くなってきた。
足早に浜辺へ下りていくと、
真夏の夜を楽しむ若者たちが、浜辺で騒いでいた。
「ピューーーーーパン。」どうやら、花火まで始めたようだ。
「キレイ。」と少し眩しそうに片手をかざして花火を見上げる。
その目線を下ろすと、波打ち際を犬がこちらに駆けてきた。
「ワン!」私のところへ走ってきた犬は、赤い首輪をつけていた。
「ハチ?」少し年老いてはいるが、ハチによく似ている。
すると、遅れて女性が走ってきた。
黒髪の長くて綺麗な人。タンクトップと短パンという簡単な服装だけど、長い手足がスラッと伸びていて、まるでモデルさんみたい。
私の前で膝に手をつき、ハアハアと息を切らせ、その長い黒髪を手でかき上げながら、顔を上げると、
「ごめんなさい。一瞬手を離した隙に、走り出してしまって、いつもはおとなしい子なんだけど。大丈夫でした?」と見つめられ、私は同じ女性なのに、その美しさにドキッとした。
「あー。全然大丈夫です。」と言って両手を振った。
「近くの人?」
「いえ、電車で乗り過ごしてしまって、そしたら海の匂いに釣られちゃって」
「あははは。そうなの?一人で夜に海を散歩って珍しいから、近所の人かと思った。海が好きなのね。」
「ええ。」と答えた。本当は海で溺れて遭難して、怖いはずなのに、海には瞬との素敵な思い出ばかりで、怖いなんて思ったことはなかった。
そんな事を考えて俯いていると、
「夏は一人でいると危ないわ。ナンパに気をつけてね。それじゃあ。」と言ってその女の人は犬を連れて走って行こうとした。
「ほら、ハチ行くよ。」
「え?ハチ?」やっぱりハチなの?
慌てて引き留めようとしたが、その人は走り去ってしまった。
ハチ?ハチがいるって事は、ここに瞬も?でも、今のすごく綺麗な人は、誰?彼女なの?瞬。
こんな事で心が揺れるようじゃダメだ。私まだあなたの事が忘れられない。
瞬、どこにいるの?
夜遅くなって、家に帰ると、家の前に快が立っていた。
「快。」
バツが悪そうに、快は笑った。
「ちょっと歩こうか。」
私に断れるはずがない。
「うん。」と言って、快と並んで歩いた。
前を見たまま快が言った。
「まだ、瞬の事忘れられない?いや、忘れるなんて無理か、俺だって…。」
そういうと、私の方に向いて、肩に手を置いて、顔を近づけた。
「うん。忘れる事なんてないよな。それでいいから…それでいいから、昔のように俺を好きだと言ってくれ。」
そういえば、記憶を戻して以来、私から快に気持ちを直接伝える事はなかった。
「快…快の事は好きよ…大好きよ。でも…」と言いかけて、快にギュッと抱きしめられた。
「今は、今はそれでいいから。今は、そのままでいてくれ。俺の萌でいてくれ。」と切ない声で振り絞るように言う快を、私は抱きしめ返した。
快…苦しめて、ごめん。そう思うと涙が溢れた。
快のためにも、前を向かなきゃ。そう思いながらも、あの海での彼女が消えない。脳裏に焼き付いて、離れない。
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