第6話 別れ

「ただ今帰りました。」

リビングにいる母親に声をかけると、テーブルの上に、私の今まで使っていた財布などの荷物が置かれているのが目に入った。

ティーカップをカチャカチャ片付ける母親に、

「これ、どうしたんですか?」

と尋ねる声が震えた。

「風見くんが届けてくれたの。」

震える手で触ってみると、椅子にはまだ暖かい温もりが残っていた。私は買い物袋を投げ出し、家を飛び出した。

「瞬。瞬。瞬ー。」

叫びながら、走った。そこらじゅう狂ったように走り回ったけれど、瞬の姿は全く見えなかった。

後ろから、快さんが追いかけてきた。

「闇雲に走ると迷子になるよ。」

と言って、泣きじゃくる私の肩を抱いて、家までの道を歩いて帰った。


家に帰るとキッチンに立つ母親に、

「どうして?待っててもらうように言ってくれなかったんですか?」と責めるように言うと、

「私が帰ってもらうよう頼んだんだ。」と後ろから父親の声がした。

「瞬くんからこの一年の話は聞いた。別にそれを責めるつもりはない。彼は萌は死んだと思っていたし、海さんを純粋に愛したこともわかった。けど、萌かもしれない。私たちの娘かもしれないと思うと、このまま君を手放すわけにはいかないんだ。記憶が戻るまで、いつになるかはわからないが、ともかくしばらくは親子水入らずで、過ごさせてくれって頼んで、引き取ってもらったんだよ。」

と話す父親に、私は返す言葉はなかった。


ぽっかり空いた心の穴を自分でもどうする事も出来ず、今は誰にも会いたくないと言い、私はただ部屋にこもって、数週間を過ごした。


何も考えられないし、何もしたくない。ただただ、瞬に置いていかれ、ひとりぼっちになった寂しさだけで、心がいっぱいで何も手につかない日々が続いた。


心配した両親が、何か目標でもあればと、高校の卒業認定試験を受けないかと持ちかけてきた。

そのために、週末、快さんが私に勉強を教えてくれることになった。

将来のためを考えると高校の卒業くらいはしておきたいと思い、その提案を了承した。


「さあ、今日からよろしくな。快先生って呼んでいいからな。」

と言われて、吹き出した。

「先生って感じじゃないよね?」と言うと、

「だよな?だよな?まさか、俺が萌に勉強を教えるなんてな?」と捲し立てて話すので、

「そんなに不思議なの?」と聞くと、

「そりゃ、そうさ。萌はいつも学年のトップを瞬と争ってたんだから。」と瞬の話が出てきて、私は顔を曇らせた。

「高校でも3人一緒だったけど、俺はサッカー一筋に頑張ってたからさ。てんで、勉強は出来なくて、いつも2人にテスト前に泣きついて、教えてもらってたんだよ。懐かしいな。そんな俺が萌に勉強をって、笑うよな?」

「わからない。覚えてないもの。私のこと萌って呼ばないで。」

「記憶を取り戻すまで、萌の名前を呼ぶよ。」真剣な顔で見つめられて、私は彼から目を逸らした。


そんな風に過ごすようになって、どれくらい経っただろうか、私もここでの生活に慣れ、穏やかに過ごす日々が増えてきた。


快とは、一緒に勉強したり、公園でサッカーをしたりしているうちに、自然と打ち解けてきた。


「じゃあ、今日は私が快から、ゴールを一本取ったら、なんでも言うこと聞いてね。」と言った。

「俺から、ゴールが取れると思うのか?甘いな。萌は。俺がどれだけ強いか、忘れたな?」と言われて、自然に笑えた。


ゴール前で、身構える快。狙いを定めてから、

「あっ!思い出した。」と私が声を上げた。

「え?何を?」すごい剣幕で快が反応した。構えを緩めたところへ思いっきりキック!

バシュー。と、ゴールにシュートイン。

「やったー。」と私はジャンプして喜んだ。

「ずりぃーなー。今のは。」と言いながら、快も笑った。

「で?何?どうしたいの?」と聞かれ、

「一度教会に帰りたい。シスター達やみんなと会いたい。ちゃんと話したい。急に消えて、きっとみんな不安がってるわ。」と言うと、快は、頭をクシャクシャッとタオルで拭きながら、

「仕方ないな。じゃあ、送っていくよ。」と言ってくれた。


両親には、一泊だけと許可をもらった。

久しぶりの教会。瞬はどうしてるだろう?


「送ってくれて、ありがとう。」

教会の門の前で車を降りると、私は振り向きもせずに、急いで教会の中へと入って行った。

期待で胸が高鳴るのを抑えきれず、シスターを見つけると、すぐに瞬の居場所を尋ねた。

すると結婚式以来、姿を見せていないと言う。

私は瞬が住んでいた部屋へ急いで訪ねていったが、そこはすでにもぬけの殻だった。

「嘘でしょ。」私はその場に座り込んでしまった。


とぼとぼとした足取りで教会に帰ると、シスターが心配そうに玄関に立っていた。

「どうして?」私はシスターに縋りついて大きな声で泣いた。

「やっと心の底から、幸せになれると思ったのに。」

シスターは泣き崩れる私を抱えて、ソファに座らせた。

「瞬くんから手紙を預かっているわ。」

そう言って、引き出しの奥から一通の封筒を差し出された。

急いで開くとそこには、

「海。ごめんね。一緒に今を生きていくんだって。君を絶対に守るんだって誓ったのに。

側にいられなくて、ごめん。

君が萌かもしれないって、本当は思っていたんだ。君と背中の傷を見た時に。

でも、僕が海と出会って、海を愛したのは嘘じゃない。萌だからじゃないんだ。でも、君の両親に萌を返してくれと言われて、何も言い返せなかった。君の両親から萌を奪うことは出来なかったから。

もし君の記憶が戻って、君が快を選んだとしても、それは仕方ない事だと思う。それが、本来の君の居場所だから。

でも、僕にはそれは耐え難い事で、今は

そのことに向き合う自信がない。だから、僕は君の前から消えることにした。

勝手な僕を許してくれ。瞬」

と書かれていた。

私は涙が止まらず、

「どうして?どうして?どうして?」ずっとそう言いながら、涙が枯れるまで泣き続けた。

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