第5話 もう1人の彼

走り出した車中、私は逃げ出すこともできずにいた。

不思議と危険人物だと言う認識はないが、やはりあの場から連れ去られた事が私はたまらなく嫌だった。


「あなた。どこの誰だか知りませんけど、これは誘拐よ。」と言うと、彼は脇目も振らず、ただ前一点を見たまま、

「俺は小林快こばやしかい。君の幼馴染みであり、同級生であり、彼氏だ。今まで、俺がどんな気持ちでいたかわかるか?それなのに、瞬は、何も言わずに結婚までしようとしたなんて。親友だと思っていたのに。」

彼は一気に喋ると、ハンドルを拳でダン!と叩いた。


「心配しなくても良い。ちゃんと両親のところへ送り届けてあげるから、それが君の本来居るべき場所だろ。ひとまず、両親を安心させてあげよう。」と途端に優しい表情と口調で私に苦笑いを見せた。


それを聞いて、私は助手席に深く座り直した。

一度に色んなことを言われて、混乱していたけれど、彼に言われる通り、記憶を取り戻すためにも、一度両親…だと言う人に会ってみようと思った。


*****


「着いたよ。」

と言われて、目を開けた。途中で寝てしまったようだ。

「ここだよ。」

と言われて、一軒の家の前に降り立った。

「間に合って良かったよ。まさか瞬に裏切られるとは思わなかったからな。」と悔しそうに言った。でも、私にとって、そんなことは重要ではなかった。


周りをキョロキョロ見渡してみても、何も感じないし、何も分からなかった。

インターホン越しに、彼が家の中の人と話していると、玄関のドアが勢いよく開き、両親と思われる男性と女性が涙を流しながら、出てきた。

「萌。萌。萌。本当に萌なのね。」と言って2人に抱きつかれた。

けれど、私には何の実感もない。

呆然とする私を察して、彼が

「お父さん、お母さん、とりあえず中に入りましょう。」と、みんなを家の中へ促した。


「とりあえず、萌の部屋へ行って、着替えたほうがいいわね。」と言われ、母親に部屋に案内された。

「着替えたら、下に降りておいで。」


萌さんの部屋?見回してみても、何も覚えていない。何の記憶もない。けれど、飾ってある写真立てを見つけて、手に取ってみると、確かに私と瓜二つ。髪はずいぶん長いけれど、やはり似てる。その横には、先ほどの彼。確かに仲良さそうに写ってる。

瞬は?瞬はいないの?と思って、他の写真立てを探すと、家族写真などの横に、少しあどけない幼い瞬と彼と私そっくりの萌さんが3人で写っていた。


瞬。どうして?迎えにきてくれないの?

寂しさに涙が溢れそうになった。


トントン。ドアをノックする音が聞こえた。

「着替えた?」と彼の声。

「あ。まだ…すぐ下ります。」


着替えて下りていくと、

「まだ信じられないわね。」と目に涙をいっぱい浮かべた母親が、お茶やケーキの用意をしてくれていた。


「さあ。何から話せばいいかな?」と彼に言われ、

「ちょっと待ってください。」と私は遮った。

「突然の事で、私も混乱しているんですが、私は海と言います。萌さんと似ている事も聞きました。

私は昔の記憶がありません。今は天涯孤独の身で、瞬だけが私の支えです。

快さんに、萌さんと間違えられて、連れてこられました。

快さんの言うように、もしかしたら万が一私の記憶が戻るならと思って来てみましたが、やはりそれはあり得ない事ですよね?

萌さんは亡くなったんですよね?」

と言うと、快さんがゆっくりと口を開いた。

「俺のせいなんだ。俺が海釣りに誘ったばかりに、急な天候の悪化で、萌は海に落ちてしまったんだ。それから、毎日毎日、探した。来る日も来る日も、捜索を続けたけど、萌が着けていたライフジャケットと靴の片方が見つかっただけで、萌は見つからなかった。そうして、死亡と認定はされたけど、遺体は未だに見つかっていないんだ。だから、俺たちは、どこかで生きているんじゃないかと言う望みを捨てきれなかったんだ。」

すぐに理解することが出来ず、どれくらいの沈黙が続いただろう。

「でも、私が萌さんだって証拠はありません。事実、私は何も覚えていないし。」

「その肩の傷は、間違いなく萌だよ。」

「それだけで、それだけでは…」と言いかけたけれど、何も言えなくなってしまった。


「海さん、とりあえず、急なことでみんな混乱しているのは確かだ。ともかく、しばらくうちに住んでみないか?もしかしたら、元の生活で記憶を取り戻すかもしれないし、しばらく私たちに万が一の望みをかけて、チャンスをくれると嬉しいんだが。」と父親に言われた。

穏やかな喋り口調に、私も肩の力が抜けた。


萌さんの部屋に1人戻ると、ハッと我に帰った。結婚式の最中に、強引に連れてこられたから、財布も何も持ってない。

瞬。瞬は今、どうしているの?

あれだけ、側で支えるって誓ってくれたのに、どうして?

今までの瞬との記憶が頭の中を渦巻いた。

そういえば、ドレスのフィッティングルームで、私の背中の傷を見て、瞬はとても動揺していた。

瞬は、私が萌さんだと思って結婚したの?そんな…。ううん。そんなはずない、傷は偶然よ。瞬は、今の私を愛してるって誓ってくれたんだから。


翌日、部屋に籠り切っている私を、快さんが気晴らしにドライブに行こうと、外へ誘ってくれた。

今日の快さんは、式場で見た荒々しさは全くなく、優しくエスコートをしてくれ、私の身の周りの必要なものを買い揃えてくれた。

「靴に、バックに、服だろ。あと何がいる?あー下着だな。」

と言われて、手を引かれたけれど、

「いやいや、それは自分で買いに行きます。それに、そんなに何もかも買ってもらうわけには…」と言うと、

「照れなくて良いよ。萌と俺との仲だろ?!大丈夫。そんな心配はしなくても良い。お父さんから、お小遣いたんまり預かってきたしな。」と、いたずらっぽく笑った。

「あはっ。」釣られて笑うと、

「あー、笑った笑った。久しぶりに萌の笑顔を見たよ。本当安心する。」と言われ、手を繋がれた。

その手を解いて、

「私はまだ萌さんと決まったわけでは…。それに、私は瞬と結婚したんです。他所の男の人と、手は繋げません。」と言うと、

「瞬のやつめ!」と彼の怒りを買ってしまった。私のせいで、瞬の立場が悪くなるのが嫌だった。

「私は今は海で、瞬の妻です。それだけは理解しておいてください。」と言うと、

バン!と壁に手をついて、私を追い詰めるように、

「じゃ、本当に萌だって分かった時には、俺の彼女だからな。」と、すごんだような口調で言われた。


快さんは、瞬とは全く違う。

彼は日に焼けた肌がスポーツマンらしくて、爽やかだけど、喜怒哀楽がハッキリしていて、気持ちをストレートにぶつけてくる。そのせいか、瞬より幼く感じる。

瞬は、冷静でいて、一見クールに見える。でも、穏やかで優しくて、愛情深くて、落ち着いていて、快さんとはどちらかと言うと正反対だ。


瞬、今どうしてるの?

私は急に心細くなってきた。

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