第28話 神化

 ――そんな夢物語はこの世に存在しない。



「お義母さん、まさか勝ったつもりでいるの?」


 

 下半身を失ったセレデリナは平然とした顔でシェリーメアを煽った。

 特に痛みに苦しんでいる様子はない。普通ならば意識を失うほどの激痛が全身に駆け巡っているはずだ。

 だが、彼女は強さを求め世界を駆け巡る〈返り血の魔女〉。



「〈セカンド・ヒール〉。さ、再戦しましょ」


「なんだとっ!?」



 下手に距離を離し背を向けたこともあって、シェリーメアはセレデリナに回復の隙を与えてしまっていた。



「悪くない手よ。まあアノマーノならここから追加で両腕も切断して首も刎ねてきてたわね。てゆーかそれが敗因。アンタ、〈返り血の魔女〉を舐めすぎね」



 右腕を腹部に当て回復魔法を唱えると、瞬時に彼女の下半身は再生し、五体満足となった赤髪の魔女は両足で地の上に立つ。



「それにわかったわ、お義母さんの倒し方」



 しかもセレデリナは更にシェリーメアを煽り立てた。


 どこにそんな勝機を見いだせるのだ!?


 信じられない怪物の力に激昂したのか、感情的に動きナイフを突き立てまた接敵、次の横一閃を入れる。



「一度見た技は効かないわよ。残念だったわね」



 彼女が攻めると読んでか、実際に接敵される1秒前に右横へステップを刻みセレデリナはシェリーメアの一閃を躱した。

 もちろんその程度でシェリーメアの攻勢は終わることはない。



「……っ!」



 すかさずナイフを投擲。

 それは歪みのない真っ直ぐな軌道で、ステップを終えた直後のセレデリナの首筋に突き刺さる。

 


「今度こそトドメだ!」



 刺さったナイフを押し付け、首を刎ねようと試みるシェリーメア。

 流石に首を失えばこの怪物も死ぬはずだ。

 必死の相貌で勝負を終わらせに行く。


 しかし――



「はい捕まえた♡」



 剣や斧あたりでやられれば即死だった。相手がナイフでよかった。

 そんな楽観的なことを考えながら、セレデリナはシェリーメアの右腕を強く握りしめていた。


 当然、首筋に刃が突き刺さる程度の痛みにも慣れがある。呼吸が苦しい? 身体機能の損傷で死線が見える? 死んでないのなら無痛も同然だ。



「まずいっ」



 このままでは反撃される。守りが間に合わない。

 シェリーメアはセレデリナの腹部を蹴りつけ、無理矢理腕を引き剥がして後退する。






「〈セカンド・ヒール〉。じゃあ、アタシのターンね。お義母さん♡」



 首に右手を当てながら回復魔法を唱え、またも無傷な状態に戻るセレデリナ。


 ……そう、この2人の勝負の中には圧倒的な差がある。

 経験値だ。

 シェリーメアは下手をすれば今日初めて戦闘行為を行っている可能性すらあるが、セレデリナはこれまで生きてきた1444年の時間全てを闘いに費やしている。

 最初こそ先手を許したが、アノマーノのように即死を狙えなかったのが運の尽き。

 もうこちらの勝ちは決まったも同然だ。


 そうだ。こいつはアタシの上位互換なんかじゃない。

 他人に求められたことしかしないんだ。自分から行動をせず、それ故に鍛えることもなければ誰かと戦うこともない。

 つまり、最初から100の力を持っているが、一方でそれを101にするという発想も行動力がなく、ただ言われたがままに行動する機械だ。

 それなら私に勝ち目がある。


 勝利を確信したセレデリナは、笑みを浮かべ、新たな一手に出た。






***



「〈神化〉」



 一言呟くと、セレデリナの目が金色に輝く。



「お義母さんは見たモノに対して即座に対応する能力はあるけど、逆に相手の奥の手を読めるだけの洞察力も経験も足りていないわ。だから、アタシの勝ちよ」


「何を言っている。その程度!」



 攻めさせるものか。


 何を仕出かすかは読めないが、今度こそトドメを刺せば良い。

 シェリーメアは再び首筋を狙い接敵し、横一閃を試みる。



「あらあら、残念ね」



 だが次は、刃ごと右手で掴まれてしまった。

 手から血を流しながらも、余裕げたっぷりな笑顔を見せるセレデリナ。

 そのまま間髪入れず、手に力を込めるとナイフの刃をクルミのように砕く!



「は?」


「アタシの本気、たっぷり見せてあ、げ、る♡」



 そうしてセレデリナは敵を嘲笑いながら、一言魔法の名をつぶやく。



「〈セカンド・サンダーエンチャント〉」



 これは魔法の特性を武器に付与する魔法だ。

 火なら火を、雷なら雷を武器に纏わせ魔技一体の武術で攻め立てるための術。

 しかし、セレデリナが付与させたのは何かの武器ではない。

 させた。


 今ここで〈神化〉について説明しよう。

 本来ファーストからセカンド、セカンドからサードと魔法のランクが上がると魔法の規模そのものが広がる。炎や氷はより広く、雷の連弾ならその数が増え、回復なら同時に治癒できる部位が拡張する等、これはあらゆる魔法において共通事項だ。

 〈神化〉はこの法則に対して、ランクをそのままに唱える魔法のを引き上げることができる。炎ならより高温に、水なら雷すら弾く純水に……という形で。


 つまり、魔法の精度が上がったことによりコントロールが効き、有機物である自身の肉体に攻撃性のある魔法が混じっても怪我をしないように調整することで自身への魔法付与を成立させたのだ。厳密には定義から外れるが、ある意味セレデリナ専用の固有魔法ユニークマジックとすら言えるだろう。


 これこそが〈神霊種ゴッドチルドレン〉の特異能力。

 セレデリナは何をやってもそつなくこなし、中の上の域まで技を習得できるが魔法はセカンド級までしか使えない。だが、むしろサード級の域に到達できないことが足枷になったこともまた、一切存在しない。



「お義母さん、一撃で倒させてもらうわ。お覚悟を」



 眼を光らせたまま、シェリーメアにKO宣言を決め込んだセレデリナ。

 彼女のその言葉には確かな説得力があった。


 勝てる相手。


 相手が自分の上位互換だからといって臆する必要はない。

 ただそう判断しただけである。




「なら、こう対応するまでだ」



 シェリーメアは今この瞬間、心の奥底で敗北を認めた。


 


 勝負にプライドを持ち込むことはなく、全力疾走で逃げる。今可能な最適解をただ冷淡に選んだ。



「ふふっ。なんとなくその手を取ると思ったわ」



 そんなシェリーメアの逃亡を観測しながらも、セレデリナは新たに魔法を唱える。

 アノマーノの母を倒すために。



「さぁ、逃げなさい。絶対に追いついてぶっ潰してやる」



 ボヤくセレデリナを尻目に、シェリーメアは必死になって逃げていった。

 途中、〈魔王城〉の窓ガラスを突き破り城外へと移動するなど、常軌を逸した行動も見せる。これは鍛えのなっていない筋肉のリミッターを解除するように脳の指示を狂わせることで成し得た、音速マッハの速度で疾走る技である。

 そうして、ついには〈マデウス国〉王都の外にまで移動した。



「私だけの武術……神霊技ゴッドアーツの三番、雷神らいじん!」



 いや、その程度な逃亡で〈返り血の魔女〉から逃げられるわけがない。

 10kmは敵から距離を離していたシェリーメアだったが――――









 少し振り向いた時、背後にはセレデリナがいた。


 彼女が手に持つのは――東国に伝わる暗器のひとつ、クナイだ。



「まるで幽霊だな」



 シェリーメアは追い込むように加速して追いかけられながらも30mは距離を離したが、


 たった一度の投擲。



「覚えておきなさい。これが〈返り血の魔女〉の実力よ」



 本来数を持って投擲することを想定されたクナイをたった一本シェリーメアに投げつけると、彼女に回避をする隙すら与えず、ソレは脊髄部に突き刺さるッ!

 更にクナイにはワイヤーが巻き付けられており、我が身に雷を付与しているセレデリナに流れる電流が全て通電している。よって、シェリーメアの全身の筋肉へと電流が流し込まれていくッ!



「ぐあああああぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!」



 電流による痺れは激しく、あらゆる部位の筋肉が痙攣させることで地面へと崩れてゆき、シェリーメアは地に打ち上げられた魚のようにビタンビタンと跳ね続ける。

 殺さぬようにとその場で微量に調整していたようだが、セレデリナが魔法を解除すると、彼女はその場でぐったりと気絶した。





「こういう暗器も使えるに越したことはないわね。なんでもできるのがアタシの取り柄だもの」



 町外れの草原で、セレデリナは孤独にそう呟く。


 彼女が行ったのはある意味シェリーメアの加速と同じ理屈であった。

 全身に纏った雷によって脚力に電磁力による補助を与え、全筋肉が一時的にあらゆる人間としてのリミッターを無視して動くようになる。そうすると光に等しい速度となり、後は追いついた瞬間にその状態でワイヤーが巻き付いたクナイと投擲しただけだ。

 

 しかもこれには〈神化〉によって本来よりも精度が上がり、今回こそ調整していたが、全力ならば72万ボルトと超電圧の破壊力まで秘めている。


 〈返り血の魔女〉恐るべし。


 こんな女に何一つ枷を付けられず、自由に放浪してしまっている世界の何が平和なのか。



「よし、死んでないわね」



 そして、倒れたシェリーメアに、セレデリナは自身の言葉を言い残していく。



「あのねお義母さん。勝ったから本人に合意を貰い次第娘さんを頂くわ。大丈夫、別に恋愛初心者じゃないから、娘に見合わないことなんてしないって」



 相変わらず、勝負が終わってすぐに惚れた女の両親へ挨拶を再開するあたり、〈この地でもっとも自由な女〉の2つ名に偽りなしの言動だ。また、セレデリナにはもうひとつ伝えたいことがあるよう。



「後、アタシに本気を出させたことは本当に凄いわ。マジでやったのは鮭王とアンタの夫だけ。誇りなさい」



 常に強者との闘いに飢えるセレデリナにとって、これは心の底からの賞賛だ。

 シェリーメア・マデウス——まさか自身の知りうる人間の1人がここまで爪を隠していたとは、世界の広さを知るばかりである。



「って、寝てるアンタに言ってもしょうがないわよね」



 ここで少し正気に戻る。

 どうやらシェリーメアとの闘いが楽しすぎて、興奮し過ぎていたようだ。

 思った以上に意味のない独り言をしていた。どこか小っ恥ずかしい。



「ハハハ、起きておるぞ」



 ……と思いきや、何故かシェリーメアは目を覚ましていた。

 少なくとも一時間は失神したまま動けないように調整したというのに。



「なんで起きてんのよ!?」


「あの早さの刺突を避けるのは厳しかったが、受け身なら取れた。血液と筋肉の動きを一時的に止めて衝撃を緩和しつつ、電流が流れると同時に双方を再起動させることで復活したのだ。すごいだろう」



 地に這いつくばったまま、どこかアノマーノにも似たような態度で自慢まで始めるシェリーメアに、小さく微笑むセレデリナ。

 おそらく、意識が飛ばなかっただけで全身は麻痺したまま動けないのだろう。なら、倒したも同然だと判断し嘆息した。



「しかしまあ、ブリューナクがお前をライバル視していたことにも納得がいった。いい勝負をありがとう」


「そういうアンタこそ、最高に燃える勝負が出来たわ。ありがとね」



***



 シェリーメアは生まれながらにであるが故に、周囲の人間に恐れられ、何もさせないことでその力を発揮させないまま居ない者も同然に扱われてきた。ある意味、怪物を擬似的に封印しようというやり口だ。


 だが、そこで手を差し伸べ、怪物ではなく人間として扱ってくれたのがブリューナクなのだ。


 彼はシェリーメアを庇護し、自身の魔王城へ招き入れた上で「好きにしろ」とだけ告げた。

 ここで、シェリーメアはブリューナクに恋をする。今まで自由を与えた人間に会ったこともなかった。その衝撃は今でも忘れられないものなのだ。


 だが、その上でシェリーメアは何もしなかった。特にしたいことがあるわけじゃない。自由を、居場所を得た上で何もしない。本当に求めていたのはそんな環境だった。

 ブリューナクは〈人王〉バーシャーケー・ルーラーや〈返り血の魔女〉セレデリナに並ぶライバルを求めて彼女を庇護したのだが、それもいつの間にかどうでも良くなっていた。誰よりも強くなるかもしれない、この事実だけで満足したのだから。


 この2人の関係が壊れることは決してないだろう。特にシェリーメアがブリューナクから離れる未来は存在しない。


 だからこそ、ブリューナクの道を阻む者を倒せなかった事実をシェリーメアは悔やんだ。

 今まで戦いを避けてきた中で、今回だけは守らなければならないと思った。故に行動に移した。だが勝てなかった。ただただ無念である。



***


 魔王城へと移動してる最中、一言、セレデリナは彼女に意外なアドバイスを送ってきた。



「ねぇ、提案なんだけどちょっと魔法の勉強をしてみない?」



 今までの価値観を一転させる、大きな一言だ。



「もっと強くなったアンタと戦ってみたいし、ブリューナクもアンタと結婚したことを今よりも喜ばしいと思ってくれるかもしれないわ」



 今より強くなってみればいい。


 考えたこともなかったが、今日初めて人と戦って、〈返り血の魔女〉相手にここまでいい勝負ができた。悪くないアイデアかもしれない。

 シェリーメアはセレデリナの言葉に、どこか満足げな笑みを浮かべた。



「ま、好きにすればいいけどね」


「ハハッ、相変わらず〈返り血の魔女〉というのは自由極まりない女なのだな」



 そして、戦いの中でセレデリナとの間に確かな絆が生まれたことを意識した。

 ふと、全てが終わったことに安心感を覚えていくが、そんな中でセレデリナがこう宣言する。


 

「じゃ、アノマーノのところへ行きましょう。あんただって夫と娘の親子喧嘩の行く末を見ておきたいでしょ?」



 その言葉はどこか興味をそそるモノだった。

 今セレデリナと戦ったことで、あの日、戦いの二文字と何の縁もなかったが故に見限った娘ともう一度向き合いたいと思えたから。



「では頼もう。運んでくれるか?」


 

 だから、今は足が動かないなりにわがままを言ってしまった。

 何だか恥ずかしいな。

 羞恥心を覚えた記憶はあまりなく、これまた新鮮だ。



「もちろんよ、お義母さん」



 懇願した要望に快諾してくれたセレデリナを前にどこか心が綻んだのか、シェリーメアはポツリとこうつぶやく。



「……アノマーノも物騒な女に惚れられてしまったものだな」

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