第17話 現れる巨悪
――――返ってきたのは、とてもじゃないが受け入れがたい話だった。
いや、確かに軽い気持ちでバードリーは尋ねた。
ただの酒場で聞く話なんて、せいぜい有名人が街に来ただとか、どこかの店が潰れただとか、どうでもいい世間話が基本のはずなのだから。
「まあ、行ってみるといい。ちょっとここ最近は〈魔王〉様の放任主義が悪い方面に祟っていてな。俺も〈魔王〉様は自慢の国王だと思っているが、今回ばかしは考えを改めないと行けない気がしたほどだよ」
ただその言葉だけで、案内された先にあるモノが容易に想像できてしまう。
「なるほど、嫌な話もあったものなのだ」
「ブリューナクはまあアタ……〈返り血の魔女〉と同類だし、意外と関心のない相手への態度が適当なのは嫌なところでネックになってくるわね」
告げられた言葉を前に驚嘆するバードリーのことを察してか、下手に話題を続けさせないようにあえて軽く相槌を打つアノマーノとセレデリナ。
特にアノマーノは自分の配下の故郷に問題があっただけあって深刻に受け入れているが、あくまで彼の話として深入りはしない姿勢だ。
――そして
彼の言葉に対して……バードリーが机を大きく叩き苦悶する声音をあげた。
「なんで……あそこが……」
悲観せざるを得ない現状を察したバードリーの心中には大きな憤りが生まれている。
そんな彼の肩を、従者であるヴァーノが掴んだ。
「若、ここでは騒ぐなよ」
彼もまた、同じ故郷を持つヴァーノはバードリーと同様の憤りを覚えている中、あえて己の感情を飲み込んでいる。
俺だって辛い。だからってここで暴れるのは俺たちを導いてくれているアノマーノに失礼だ。
どこか本能より現実を優先した思考で、ヴァーノを受け流していた。
「では、情報提供ありがとうなのだ」
「会計はそこのチャラ男がしてくれるわ。お酒、美味しかったわよ」
このまま2人を放置していると一向に先へ進めないと判断したアノマーノとセレデリナは、会計を済ませるように催促し、退店していった。
「若、いい加減行こうぜ」
「……そうだな。今はアノマーノちゃんの親子喧嘩を優先するよ。じゃないと、年上として示しがつかないしね」
流石に状況を察したのか2人も会計後に退店し、〈第一ロンギヌス領〉と呼ばれる地区へと移動する。
***
「そういえば、バードリーの父上が治めていた頃の領地はどんな感じだったのだ?」
「ああ、そりゃ最高だったよ。領民はいつも笑ってたし、困ったことがあれば助け合うのも当然だった。領地を取り戻せば〈バードリー義賊団〉の連中にも同じように生きてもらいたいぐらいさ」
「あの頃は本当に良かったなぁ。〈
「ふーん。アタシは行ったことがない土地なのよね。何か聞いてるだけで楽しいわ」
移動中、アノマーノに振られたからかバードリーは元〈ノワールハンド領〉について話に花を咲かせる。
笑顔で、それはそれは楽しそうにしていた。
(本当に……本当に何が起きたんだよ……俺の故郷に……)
だがそれは作り笑いであった。
どうにも覚悟が決まらない。
***
王都から少し離れた森を抜けた先には、焼け焦げ崩れた建物が並ぶ、かつて街だったのであろう廃墟地があった。
ここは〈第一ロンギヌス領〉……いやバードリーの父が過去に治めていた領地、〈ノワールハンド領〉だ。
「何があったらこんなことになるんだよッ!!!!!」
バードリーはその事実を前に愕然としたまま膝が折れ、四つん這いのまま嘆く。ここ20年はアジトに戻っても王都付近まで出向くことはなく、特に〈マデウス国〉の領土から離れた土地での活動のみだったが為に、故郷の現状に目をかけることができなかった。
悔しさから何度も何度も腕をドンドンと地面へ叩きつける。
(俺は弱い。弱いからこうなったんだッ!)
胸中では、ただただ自分に責任を押し付けていた。
「若……」
一方、同じくここで生まれ育ったヴァーノは、ただただバードリーを見守る。従者として、心に傷を負った彼を
「お、落ち着くのだバードリーよ」
「そうよ。別に元々居た領民は離れただけで死んだって話でもないじゃないの」
フォローを入れる2人であったが、バードリーは心に大きく穴を開けられてしまったようで落ち着きを取り戻せないでいる。
「ここは俺の生まれ故郷なんだぞッ! クソッ! クソッ!」
理不尽にもアノマーノの服の袖を掴み、身長差もあり宙へと持ち上げるバードリー。
この態度に少し苛立つ素振りをセレデリナは見せるが、アノマーノはただただ真顔で彼を見つめる。今は共感に徹するしかないのだろうと言葉も返せないようだ。
「おいおい。なんでこんなところに愚妹が来てるんだ?」
そこに、1人の男の声が皆の耳朶を打つ。
彼は建物の影からサッと現れ、アノマーノたちの前に立ちふさがった。
銀髪で紫の肌、顬から生える2本の角に耳には髑髏のピアス、着崩した短パン半袖シャツとチャラけた容貌。アノマーノの兄、ロンギヌス・マデウスだ。
「相変わらずあの頃から変わらずチビだな。100年ありゃ背が伸びると思っていたが。そりゃ俺の勘違いか」
100年ぶりに再開する血縁者がまさか姉ではなく兄のロンギヌスとは……。
アノマーノはどこか不安げな面持ちになる。
「ロン兄、何の用である?」
「何の用って、廃墟の見回りだよ。まだここは俺の土地だからな、盗賊共の根城にされたきゃねぇ」
そんな彼女に対して、ロンギヌスは腰の両ポケットに手を突っ込み、煽り立てるように顔を近づけた。
(一見するとチンピラにしか見ねぇが、細身に見えて手足の筋肉が引き締まってやがる。常に鍛錬している人間ってことじゃん。こりゃ武術も魔法ピカイチなんだろうな。何せ親父を倒したんだぜ……コイツは……)
目の前にいるのは復讐すべき宿敵ロンギヌス・マデウス。
今でこそ妹を煽っているだけだが、バードリーはその敵の強大さにどこか
「余はここを領地としてもらいに来たのだ。それで見に来たらこの有様で唖然としていたところである」
「……」
アノマーノへ接触するスレスレまで顔を近づけるロンギヌス。
しかしアノマーノは怯えない。それどころか、当の兄にこんな言葉まで投げかける。
「余は今の実力を試すために父へ決闘を申し出たい。そのための手伝いをしてくれぬか?」
なんと、彼に一助を願ったのだ。
目的のために個人の人格を勘定には入れない、“世界の覇者”という遠い夢を追いかける者だからこそ取れる威勢だ。
「ギャーハッハッハッハッ!!!!!」
そこから続くは甲高い声の高笑い。アノマーノのことを嘲笑しているのは誰の目を見ても明らかだ。
「100年振りに顔を出したかと思えばこの領地がほしいだって????? どうせお前の領地なんざなんざならず者のアジトがいいところだろう」
「いや、厳密には余の領地ではない」
「だからどうした!」
ロンギヌスは一切持って妹の夢を応援する意思を見受けられず、
(まさかこいつ……未だに俺がてめぇのことを嫌ってるって理解してないのか?)
どうにも不意の一言に興奮してしまったのか、ロンギヌスはふと落ち着き出す。
それからすぐにやれやれ……とした表情を見せた後、アノマーノに向けて目をぎょっとさせた。
ロンギヌスはアノマーノのことが嫌いだ。ただただ健気に努力してうまく成長して成り上がっていくその姿を見ていて嫌になっていた。自分はああはなれない。その現実をまじまじと見せつけられているような気分になるから。
例の呪いのおかげで背も伸びず魔法も使えなくなったことは本当に嬉しかったのだ。努力が報われなくなったアノマーノというのは、すベてにおいて都合の良い存在だ。だから、それでも足掻く彼女の態度は理解に苦しむ。
その感情を読み解こうとロンギヌスはアノマーノの顔を強く睨んだ。少し歯噛みしながら、ただただ彼女の顔を見つめ続ける。
(ああ、そうか、コイツ――バカなんだな)
その後呼吸を整えると、鬼の容貌とも言えるほどに顔を歪ませ喉から思いっきりこう叫ぶ!
「それにてめぇ、父上に喧嘩を売るだぁ? 冗談もいい加減にしろよ!」
ロンギヌスは怒鳴った。
怒り顕にした。
ロンギヌスからしてみれば、死んだかとすら思っていた実力なき愚妹がある日突然現れ、いきなり世界最強の一角である父を倒すと宣ったのだ。感化できるはずもない。
なにせ彼にとって父は偉大であり憧れだ。彼のようになりたいと想い続け、努力を怠らず己を鍛えることだけは常に続けてきた。
だが何をやっても父を越えられない、だからこそ尊敬できる。そんな父に対して驕る愚妹の言動を看過することはできなかった。
「知ってるか? 俺は個人でぶんどって、何個も領地を持っている。ま、ここに関しては試して始めた産業がうまくいかなくなってよぉ、損切りとして領民を追っ払って建物全部ぶっ壊したわけだが」
だから、叫んでやった。
俺こそがこの街を陥れた張本人であり、それでも余裕を持つ支配者でもあるのだと強く主張してやったのだ。
身分や功績の差は何よりも目に見える、一喝するには充分な言葉だと考えた。
「お前が領地ひとつ求めてる間によぉ、俺は既に国を起こせるぐらいには領地を持ってんだぜェッ! そりゃこの土地はもう誰にくれてやってもいいさ。だがな、そんなスロースタートのお前が父上が倒せるとでも思ってんのかァ!?」
アノマーノから少し距離を離しつつも、両手を広げてロンギヌスはまだまだ強く煽り立てる。
できないことをできると言ってのける妹のことが嫌いだ。
ただひたすらに腹が立つ。
自分の器に合う行動をしろ。
心胆からあらゆる怒声が出てきそうで仕方がない。
「「「……!?」」」
だがそんな事実の暴露は、横で聞いていたバードリーとヴァーノにとって聞き捨てならない話だった。
彼らは自分の生まれ育った土地を、家族といた場所を、仕えていた家のあった領地を奪った男に、損切りされたのだ。
前にいた領民達は残っていてくれているだろうと願い、ここを取り返すことをひとつの目標としていた。そんな彼らにとって、廃墟にされた理由がそれだけというのは、もはやロンギヌスへ向ける矛先を殺意のみにしてしまいかねない衝動を生んでいく。
「ハァ……ハァ……」
「よく抑えたな、若……」
いや、それでも、手を強く握り締め、バードリーは今行われている会話があくまで兄弟喧嘩であり自分は部外者なのだと無理矢理にでも己を納得させ、前へ出て怒りを吐露したい感情を抑える。これは同じ故郷をもつヴァーノも同様だ。
それに、自分たちが信じるべきアノマーノはこんなクソ野郎に言い負かされるような弱者じゃない。
「安心せい。余の道に、信念に、歪みなどない。父上だって倒す未来が見えておるわ」
自信に満ちた曇りなき瞳でロンギヌスを見つめ言い返すアノマーノ。
その態度を前に少し心の行き場を失ったロンギヌスは、ひとつふっかける。
「だったら俺をここで倒してみろ。それなら実力を認めてやるよ」
それは喧嘩の申し込みだった。
ロンギヌス自身アノマーノの復活には納得がいっていないため、白黒ハッキリつけようと目論んだ。
(クソッ、ここで戦いたい。だけど……)
この時、バードリーはここで前へ出てロンギヌスに勝負を挑もうかと考えた。
隣には相棒のヴァーノもいる。2人ならアイツに勝てる。その自信だってある。
でも、今はその時じゃない。
アノマーノを見ていると確信できた。
今は彼女に全てを任せよう。そう考え、バードリーは無言を徹した。
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