第3話 縮地

「今や余はお主のついでで違法な奴隷商人に売りつけるられるの身寄りのない女子供。“あの人”が見れば、きっと余のことをわらうであろう」



 アノマーノは己の過去をセレデリナに語った。

 

 話の途中、看守が2人に餓死せぬように水と食事を運んできてくれたおかげか胃袋も少し埋まり、話も弾んだようである。


 その中で彼女は、〈魔王〉の娘なだけあってか、アノマーノの名を知った時「ふーんどこか知ってそうな名前ね」とつぶやいていた。


 また食事内容はパンが2つにスープに焼いてしっかり味付けされた牛肉、中皿に盛られたサラダ、それにしっかりナイフとフォークが付いてとやけに豪華だったが、互いに深く考えることはなかった。

 そして、配膳した看守はやる気がなさげな態度で、部屋からはすぐ様に離れた。



「ケッ、ここの飯は少ないのよ。囚人をもっと丁重に扱ってほしいところね」



 セレデリナは一度の食事量が人並みより多くこれでは少し物足りないようであるが、アノマーノには充分な量だったようで、痩せてゲッソリしていた頬が膨らみを取り戻した。調子も良さそうだ。



「ていうか今すごく元気よね。もしかして最初無言だったのって、寝てただけ?」


「うむ。余は心が折れて言葉を失うほど脆くはないからな」


「中々強いわね、あんた」


「それはお主も同じである。逃げることの出来ない牢獄の中、将来的には処刑と決まっているのに諦めてはおらぬではないか」


「そっか。じゃあ諦めの悪さだけならアタシたちは似た者同士ってところね」


「うむ、きっとそうなのだ」



 そして、お互いの境遇を理解し合えたのか、揃ってスッキリした表情を見せている。

 アノマーノは鍛錬を積んだ兵士でもなければ〈魔王〉の娘でもなく、ただの女子供として扱われ尊厳を蹂躙された。それなのに、あの人に憧れる純粋で真っ直ぐな志が折れることはない。


 この圧倒的なメンタルの強さは頭を切り替える速度さえも促進させ、傍から見れば荒唐無稽なことを思いつく。



「そうだ、ここを占拠しようと思うのだ」



 放たれるは突拍子もない一言。



「……えっと、突然どうしたのアノマーノ?」



 だがアノマーノの瞳には先への活路でもなく、ただただセレデリナのまっすぐな表情が、目と目とを合わせ映っていた。

 であれば、そこに迷いなどない。



「今からここ牢屋を出て、ボスをぶっ倒してくるのだ。その後鍵を回収すれば、お主も安心して脱獄できるであろう?」


「……なるほどねぇ」



 セレデリナは世界最強を自称する女だ。ここへ来るまでに様々な猛者と戦ってきた。

 間違いない。彼女は、アノマーノ・マデウスは、進み続けることを諦めない自分と同類の人間だ。


 そう理解した——


 途端に、予想しえないことが起きた。



「って有言実行するの早!?」




 先程セレデリナが返事をした瞬間、アノマーノは牢獄の柵に両手を掛けると横に伸ばすようにグググッと腕に力を入れ、あっさりと自分が出られるサイズの穴を作ってしまったのだ。



「外からも鍵がなければ開けられないのであろう? なら、余が取ってくるのだ。クライアントが処刑するまでの搬送隔離が目的ならばお主が死ぬと奴らの目的は達成できん。人質として機能はしておらん以上は余は何にも縛られないで戦えるのだ」


「あー、はいはい。本当にやるのね」



 先ほど賊が囚人用に出した食事のおかげかアノマーノは戦うに十分な体力を取り戻していた。


 実は――〈魔王〉ブリューナク・マデウスの子たちは皆、生まれながらに超人なのである。


 例え筋肉の成長が乏しい8歳の幼女であろうと人並外れた身体能力を有する。言うならばゴリラの如き怪力を持ち、大岩を持ち上げることだって容易なのだ。

 胃も満たし心身ともに再起したアノマーノにとってはただの牢屋の柵程度、すんなりへし折れる。どうやらアノマーノを閉じ込めていた牢獄はセレデリナのモノと違い内部からの干渉で容易に破壊できる安物のようであった。


 そうして脱獄を終えたアノマーノは振り返り、再びセレデリナと目を合わせる。

 今迷いなく放たれるは、セレデリナの人生を一変させてしまうような一言だ。




「では約束しよう。余はここを占拠する。そしてここにいるゴロツキたちを配下にして、どういう形であれセレデリナにとっての『居場所』を作るのだ。安心して住める土地と言えばわかりやすいであろう」




 この突拍子のない言葉に、セレデリナは大きく同様した。



(私が安心して住める居場所を作る!? 何言ってるのこの娘!? で、でも、本気よね。あの〈魔王〉の娘なんだし、それぐらいやれそう……)



 彼女は強く、人から手を差し伸べされた経験は少ない。それにいたとしても、ハッキリと居場所を与えようだなんて言い切る者は初めてだ。



「でもアタシ、人に助けられるってすごく癪なのよね。そもそも今この状況が囚われのお姫様みたいで嫌っていうか」



 ただ、素直には受け取らない。セレデリナにだってプライドはある。この世界の誰よりも強い人間故のプライドが。

 これに、アノマーノは笑いながら返事する。



「ハハハ、なら、セレデリナは余を恨めば良い。一生、な。その責任は取る。どういう形であろうとな」



 あぁ、こいつはそういう奴なのね。


 さらけ出されたアノマーノの人間性を前に、セレデリナはすべてを諦めた。











***


 アノマーノはセレデリナと出会い、『彼女の背中を追いたい』と想った。


 そのためにならなんだってやってみせよう。誰よりもカッコイイお姉さんだと思えた、“あの人”のような“世界の覇者”になりたいのならば、世界最強を自称するセレデリナを師匠として研鑽し続けることこそが最大の近道であろう。







***






「フルハウス! どうだ、これで次の酒代はお前のおごりだぜ」


「何言ってんだ。俺はロイヤルストレートフラッシュだぞ?」


「ゲー! こいつ、今日の運をここで使い果たしたんじゃねぇか!?」



 アノマーノが隔離部屋から繋がる次の部屋に入ると、そこには四角い木製のテーブルを囲む緑肌でスキンヘッドな小鬼種ゴブリンの2人の看守がいた。

 そもそも囚人の監視を放棄し離れた部屋でポーカーに興じているとなると、仕事をする気があるのか心配だ。



「当身!」



 そして、アノマーノは気配を消しながらそっと背後から迫り、ロイヤルストレートフラッシュを出した看守の首元に手刀を叩き込む。結果、彼は全身に痛みが響きその衝撃でぐったりと倒れた。



「……!?」



 フルハウスの看守は急な出来事に困惑する。そもそも、アノマーノは幼女故に134cmと低身長。

 170cmはあるロイヤルストレートフラッシュの背にその姿が隠れており、彼女の姿を視認することができていないのだから。



「ぐぬぬ、余の鍵しか持っておらぬか。セレデリナの分はここのボスが握っているのだと考えるべきであるな」


「な、何者だ!?」



 アノマーノはでフルハウスの足元へと移動した。その時ようやく敵が自分たちのサボタージュにより脱獄を許した幼女だと気付くのだが、もはや手遅れだ。


 放たれるはみぞおちを狙った右拳によるボディーブロー。


 その一撃で相方共々その場に倒れた。


 この動きを可能としたのは、大きな跳躍力と鋭い瞬発力を兼ね備え、たった一歩の移動だけで相手の懐に飛び込む〈縮地しゅくち〉という歩法を使用したからである。

 かつてヒーガチュウと呼ばれた国が発祥で、本来は横軸の移動にしか使えないが、アノマーノは人生の中で体得したあらゆる武術を応用し、縦軸の移動にまで利用できる。



「やはり調練ちょうれんのなっていない者共の集まりのようであるな……。おっと、こんなところに斧が、ツイておるのだ」



 続けてアノマーノは気を失った2人の看守のうち、ロイヤルストレートフラッシュが持つ木こり斧ハンドアックスを回収し、その辺の壁に掛けてあったロープを取り背中に武器を括り、運搬用のかけ紐に改造した。



「よりにもよって余の人生を狂わせた斧から新たな物語が始まるとは皮肉なものなのだ」



 武器を確保したところで、看守部屋から繋がる次の通路へと進んでいった。

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