この章では俺と彼女はデートをしない

 デートの前日、繁華街を通って帰宅することになった。もちろん舞依の腕は俺の腕に絡みついている。街中は人通りが激しく、すれ違う人がみな俺たちを物珍しそうに見るが、こっちは慣れっこである。中学時代からこんなことをしているのだ。

 学校のにぎやかな帰り道から細い道を通って行って十五分、『歌舞伎街かぶきがい』という街の広場に着く。この街では、舞依が来ているようなパステルカラーのフリフリした服装を身に着けるのが流行っているらしく、マカロン色をした女の子がたくさんいる。多すぎて見分けがつかなくなってしまいそうだ。そんな中でも腕を組みながら街を闊歩する俺たちは目立つようで、女の子たちが品定めするようにジロジロみてくる。中には

「キャ! 舞依、彼氏!?」

 なんて言いながら俺たちの周りをぐるぐる駆足で回る女の子もいた。どうやら舞依の知り合いらしい。舞依は

「悟くんって言うんだよ。私の彼氏! かっこいいでしょ?」

 と自慢げに歩いて行く。地面にひれ伏す女の子もいる。舞依はこの界隈で顔を利かせているようだった。

 そうこうしているうちに、広場から離れた薄暗い雰囲気の路地裏にたどり着く。この周辺は、俺たちの街ではあまり見かけないような外国人が多くいる。学生にはちょっと怖い雰囲気の場所だ。

 俺たちがこんなところに来ているのは、偏に映画を見るためである。歌舞伎街のこの通りには、昔ながらのフィルムを見ることができる映画館があるのだ。最近では見れないなかなかレアな映画で、実は舞依がこういうのが好きなのだ。

 映画館の入口はごてごてした看板が置いてある。横には上映中の古い映画のポスターを飾る展示ガラスがある。俺たちが見るのは『A Space Odyssey』という映画だ。サルが火を使うようになるまでに実に四十分もかかる。のろのろとした映像が続き、それからいきなり場面が宇宙船内に切り替わる。そして宇宙飛行士が宇宙に旅立ったと思ったら、抽象的で訳の分からない映像がまたしても四十分続く。昔の人はなぜこのような退屈な作品を作ったのか。いったいこの映画は何なのか考えてみた。この映画全体を通したテーマは、おそらく人類の進化。そして抽象的なシーンは、宇宙飛行士の手に入れた全能感を表しているのだろうとは分かった。映画製作当時の将来像がこのようなものだったのだろう。その予想は少なからず当たっている。人類は宇宙と精神世界を旅し始めた。サルから人間へ、人間からその先へとステージをあがっていった。それは歴史となったのだ。しかし、理解はできても共感はできない。

 ふと隣の舞依の姿を見てみると、虚ろな眼をしてスクリーンを凝視していた。遠い世界に思いをはせているのか。遠くない世界を愛撫しているのか。分からなかった。

 映画館から出、路地裏の元来た道を歩いていると、大人びた女性がゆっくりと通り過ぎて行った。丸みを帯びた顔に、柔らかい雰囲気の女性。今時珍しい、紺色の着物を着ている。

 俺はその女性に目が奪われていた。ただ、勘違いしないでいただきたいのだが、俺はその女性を愛欲を孕んだ瞳で追いかけていたのではない。もっと思い出深く、慈悲を持った母親に対する信頼の情みたいな感情を抱いたのだ。わかっている。あれは全くの他人であり、自分とは何も関係のない人物なのである。どこにでもいるような普通の顔で、なにも珍しいものなどないのだ。

 昔から自分にはそういう気があった。つまり、ああいう雰囲気を備えた女性のことを目で追ってしまうのだ。なぜか? それは、俺の母親と雰囲気が似ているからであった。

 左腕に鋭い痛みと視線を感じた。舞依は不機嫌そうな、怒りと嫉妬が渦巻いたどす黒い瞳でこちらを睨みつけながら、左手で俺の左腕を掴み、右手で俺の手の甲をつねっている。

「……いま、あの女の人見てた。なんでそういうことするの? ああいう人が好きなの? 浮気だよね?」

「舞依、落ち着けよ。痛いから離してくれ。ちょっと気になっただけなんだ」

 見知らぬ女性を見ていただけで浮気はひどいだろう。

 舞依のつねる力が強まる。どこにこんな力があるんだというくらいに力強くつねられる。手の甲の肉がちぎれるのではないかと思ったほどだ。

「悟くん、この前のデートの時もああいう感じの女の人見て、目で追って、鼻の下伸ばしていたよね? 私が呼び掛けても返事なしで! どういうわけ!?」

 それは捏造である。俺は母親に抱くような感情に乗せられて鼻の下を伸ばすような性癖は持ち合わせていない。しかし、こういう場合は論理で矛盾を突くような真似ををしてはいけない。論理で物事を考えることはやめ、俺はひたすらに誤って舞依の機嫌を取るしかないのだ。

「本当にごめんって。俺は舞依が一番好きだよ。だから手をつねるのをやめてくれ」

 だんだんと、舞依の心象に比例して曇天は笠を増していく。

「本当に? じゃあ、例えば爆弾魔が私を殺そうとしたら、命を懸けて守ってくれる?」

 命を懸けて? どうだろうか……。俺にそんな勇気はあるか? 所詮他人は他人だ。

 そもそも身に危険が迫るときなんて、この治安のいい国でそうそう起こるだろうか? 確率はかなり低い。考える必要なんて……。いや、これはストーリーの中である。人とは誰かの人生ストーリーの登場人物だ。何が起きてもおかしくはない。爆弾魔に襲われることだって……。いや、何を言っているのか。先ほど論理的に考えるのはやめた方がいいと言ったばかりである。しかし、自分に嘘はつけないのが俺という人間だ。

「聞いてるのッ!?」

 舞依の激昂が飛んでくる。こういう時の舞依は恐ろしい。曇天からは豪雨が降り注ぎ、雷鳴が轟き、段の声の高さからは考えられないような素の声で罵倒が飛んでくる!

「浮気者! 色狂い! 薄汚いその顔見せないで! バカ! バカバカバカ!! 帰る!」

 と言ったきり飛ぶように舞依は去っていった。

 一人取り残されてしまった。雨が降り始めてから通りを歩く人はいなくなった。来るときにいた外国人も避難したようだ。まさに災害だ。全く、女性の扱いは難しいものがある。俺は今の会話の反省点を列挙しながら帰路に着く。

 俺が母親のような雰囲気を持つ女性に目を惹かれるのは、俺に母親がいないことが原因だ。母親は二年前に死んだ。小学校時代に不登校だった俺を必死に励まして、なんとか中学校では不登校にならないように必死にサポートしてくれた。その母親は、事故で死んでしまった。それ以来、自分でも気づかぬうちに母親に似た人を目で追うようになっている。

 雨の中、路地裏を歩き続ける。やっと最初の広場に着いた。雨で人通りは少なくなくなっている。さっきまであんなにいたマカロンの女の子たちも姿を隠し、たまたま傘を持っていた人以外はいなくなった。

 しかし、その中でひときわ目出す例外が一人だけいた。傘もささずにこちらに歩いてくる背の高いスキンヘッドの黒人だ。スーツを着て体格がよく、まるで偉い人の護衛をするSPのようだと言えばわかりやすい。その人物の脇を通ろうとすると、黒人は立ち止まり、サングラスの奥から、品定めをするかのようにこちらをじっと見つめている。

「…………」

「な、なにか」

「”Yes, and how many times must a man look up.”,”Before he can see the sky?”今の君にピッタリだな。ボーイ」

 意味深な言葉を言い残して、黒人は去っていった。


 デート当日、天気は嵐から曇りに回復していた。しかし昨日は結局、舞依からの連絡はなかった。舞依は付き合い始めた当初からひどく落ち込みやすいという気があった。昨日はヒステリーを起こしてしまったが、あのレベルのヒステリーは二ヵ月に一度あるかどうかというくらいだ。果たして今日待ち合わせ場所である『多摩』駅に来るのかどうか、それは分からないけど、一応待ち合わせ場所に五分前に到着した。しかし舞依の姿はなかった。

『多摩』にある『ザイオンピューロランド』は、ザイオングループが運営する屋内型テーマパークで、女の子がよく好む『モイメロ』や『クノミちゃん』などの通称『ザイオンキャラクター』と触れ合えるというのを売りにしている。

 ザイオンとは古代エルサレムの東の丘の呼び名の事らしく、そのエルサレムというのは旧約聖書にも登場する、ある種特別な意味合いを持つ都市の名である。もともとザイオンはエブス人の要塞を表す言葉で、あの有名なダビデ王に占領され、その息子であるソロモン王によって北の山に神殿を建設されたのち、段々とザイオンが表す領域は広がり、やがてエルサレム全域を表す言葉へと変化した。故に、『ザイオンの娘』という言葉がエルサレムの住民を指すようになったのだという。そのようにして人々の信仰が強まっていった結果、現在では様々な宗教の聖地とされている。

 ザイオングループは、そんな神聖な土地からの発想で、次々にキャラクターを生み出し、人気を博していった。キャラクターのことを『ザイオンキャラクター』と呼ぶのも『ザイオンの娘』に由来する。

 そして、こういうキャラクターは非常に強い個性を持っていたりする。たとえば『モイメロ』はちょっとおっとりした、天然キャラで、恨みつらみなどからはもっとも離れたキャラクターとして描写されることが多い。かわいらしい見た目と相まって、若い女の子の間で人気なのである。

 モイメロと対をなす『クノミちゃん』は、強気に見えるが、その実意外と恋に熱い女の子のキャラクターだ。毎回、恋に奮闘するもモイメロに良く振り回され、損をするキャラとして描かれる。それでもめげずに諦めない強い自分を持っているという点で、こちらも若い女の子に人気のキャラである。

 舞依も例にもれずザイオンキャラクターが好きなようだ。スマホにクノミちゃんのキーホルダー、壁紙はモイメロとクノミ、その他いろいろにザイオンキャラが描かれたグッズを揃えている。

 さて、駅前を若い女の子たちが通り過ぎていく中で、一人待ち続けること十五分、未だに舞依の姿は見えない。やはりまだ怒っているのだろう。ひとりでピューロランドに入るのも気恥ずかしいものがあるが、仲直りのお土産でも買ってやろうと、ひとりで行くことにした。

 入口を抜けるとメルヘンな世界だった。3階が出入り口となっていて、各階に通じるエスカレーターが正面に見える。その脇には階段があり、こちらは濃いピンク色でかわいらしくデザインされた階段が設置されている。大勢の若い客はまずショップに行って、気分を盛り上げるためのグッズを買うらしい。俺も例にならってショップへ入る。ザイオンキャラクターを模したカチューシャを買っておけば大きな間違いはないはずだ。モイメロとクノミのものをひとつずつ手に取る。片方は舞依にあげるものだ。しかし、キャラクターグッズとあって少々値は張った。高校生にしては痛い出費だ。そのほかにもなにか買うかで迷ったが、ここはやはりクノミのミニマスコットキーホルダーだろう。手に取って会計を済ませ、内ポケットに入れた。よし、これで任務終了である。

 そう思うと同時に俺の腹が鳴った。今日は朝食を抜いてきているのだ。普段父親は料理をしない。母親が死んでから、家でテーブルを囲むことはほとんどなくなった。朝食を抜くこともしばしば。本当はよくないことだとはわかっているけど、ついサボってしまう。そんなわけで、昼前だけど腹を満たすためにレストランへ向かうことにした。レストランは四階である。

 四階に向かうためのエスカレーターへ向かっている途中、地響きのようなものがした。地震だろうか。他の客も、地震が起きた時のような、周りを見回す仕草をする。三階だからそれなりに揺れるのかもしれないとその時は思った。

 しかし、地響きは一度だけでは済まない。それに加え、同時になにか激しい音がする。巨人の足音のような……。しかもそれは段々と激しさを増し、明確にこちらに近づいてきていることが感じ取れた。

 そのとき、吹き抜けから黒い煙がもうもうを立ち込めてきた。人々のざわめきが大きくなる。子供は泣き出し、大人は子の手を取って走る。

 火事かもしれない。しかし、それではいまだに続いている地響きの説明がつかない。エスカレーターに向かいながら考える。焦げ臭い。視界が悪くなってきた。もう一度、今度は飛び切り大きい地響きと爆発音。爆発。そうだ。これは火事ではなく爆発だ!

 そう思い至るのと同時に、逃げ惑う人の流れに逆らって黒煙の中から姿を現したのが一人。鼻歌を歌いながら、こちらに対峙する。

「”Blowin'The Blast”,『爆風に吹かれて』いこうぜ。またあったなボーイ!」

 あの広場にいた黒人が、両手に硝煙を立ち上らせて死神のように歩いてくる。

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