第141話.決着

雪兎が吠える度に、ルシヤの騎兵が馬を失う。馬も生き物だ。それを訓練して、戦場で走らせるのは長い時間と労力が必要なのである。

身体のどこかに当たれば良い。ともかく脚を失えば、どれだけ精鋭の騎兵隊であろうがただの歩兵と変わりはしない!


九十秒の間に三度目の斉射。

その三度目の正直で、ソコロフ将軍とルフィナが落馬した!彼らの馬に、それぞれ命中したのだ。だが、他の連中による突撃は止まらない!


『『ウラーーーーッ!!』』

「突撃くるぞッ!着剣用意、着剣!!」

「「着剣!!」」


将軍が転ばされても、誰一人振り返る事もなく突っ込んでくる。良く訓練されている部隊だ。

長大な雪兎にも、着剣装置が付いており銃剣を装着する事ができる。狙撃銃には必要ない機能かと思ったが、まさか役に立つことがあるとはな。

総員着剣を済ませて、槍を構える。固まって、剣付き小銃を突き出しての槍衾である。


しかし。

私だけが手元の雪兎に銃剣を装着しようとしても、どうにも上手くはまらない。手元が暗くて見えないのだ。苦戦しながら装着すると、すでに眼前に敵が接近していた。


「うおおおおおおっ!」


決死の覚悟で、銃剣を突き出す。

しかし、騎馬の重量と速度が乗ったサーベルの一撃で、雪兎ごと私は跳ね飛ばされた。威勢良く二、三度回転しながら地面を転がる。


「ぐっ……かはっ!」


背中をしたたかに打ち付けて、ようやく停止する。肺の中の空気が絞り出されて、呼吸が数秒間停止した。

身体は痛むし息も苦しいが、立ち上がらないと死ぬだけだ。必死に体勢を立て直して、手探りで近くにある雪兎を探し当てて拾い上げる。


「まだだ……!」


誰にでもなく一人で呟いて、立ち上がる。手元の雪兎を持ち上げようと力を込めると、違和感。

銃剣が折れて、銃身も曲がってしまっている。これでは発砲はおろか、銃剣による白兵武器としての用途も果たせないだろう。騎馬武者の突貫をまともに受けてしまったのだ、私の身代わりになったのであろう。


「ありがとう。雪兎」


ぼそりと呟いて、愛銃から手を離す。

痛む首を回して辺りを見回すと、狙撃隊の半数以上が地面を転がっている。騎馬兵の突撃を真っ向から受け止めたのだ、そうなるのが当然か。

走り抜けた敵騎馬隊が、大きく回って方向転換してくるのが見えた。追撃を加えてとどめを刺そうというのだろう。

その姿を見て、隊員に動揺が広がった。もはやこの場にとどまることすら出来ずに、今にも背を見せて逃げようとしている。


「逃げるなッ!再び来るぞ、迎え打て!!」


逃げるのは愚策だ、バラバラに逃げたところで馬の足から逃げ切れるわけもない。追いつかれて背中を斬り裂かれるのが関の山だ。

しかし巨大な騎兵に向かってこられるというのは、相当な恐怖である。逃げるなと言ったところで……。

丸腰であることを思い出し、何か武器になるものはないか付近を探す。足先に何か硬いものが当たった。


「これは……!」

『『ウラーーーーーッ!!』』


再び吶喊が上がった。また来る、ルシヤが、我々を殺しにやって来る。足元の物を拾い上げ、振りかざした!


それは、旗であった。

白い布地に、真っ赤な太陽が燃えている。

我々の、国の旗。

砂埃が晴れた時、大地にもう一つの太陽が現れた。


『殺せッ!鷹(タカ)を殺せば我らの勝利だ!』


落馬していたルフィナ・ソコロワがそう叫んで立ち上がった。小銃を構えて私に向かって引き金を引く。そしてそれに呼応していく人ものルシヤ兵が小銃を放った。


視力が落ちているようで、視界が暗い。

暗闇の中、敵の射線がくっきりと蜘蛛の糸のように浮かび上がる。目が見えなくともそれだけは、識覚によってはっきりと見える。

一つ一つ丁寧に、御旗に当たらぬように静かに避けていく。

ドドッと音が重なって、銃弾が私の傍を逸れて背後に着弾していった。その一発たりとも、飛び石の一つたりとも御旗も私の身体をも傷つける事は叶わない。


御旗を握り直すと、それは風を受け大きな音を立てて翻った。日輪の陽を反射して、ひときわ大きく輝いた。

私は、ありったけの大きな声で叫んだ。


「見よ、彼奴等の凶弾は我が皇国には届かない!」


パパパッと正面が光り、再び穂高に火線が集中する。が、やはり一発の弾丸もその身体に命中する事はない。

大きな旗を振りかざして、仁王立ちする男にルシヤの数十発という弾丸が、ただの一つも当たらない。

敵も味方も、その姿をただ見て呆気にとられている。


「御旗の元の我々に天の加護あらん、見よ朝敵に栄えた例(ためし)あらざるぞ!」

「何を、まやかしだ!帝国に逆らう者は踏み潰せ!逃げ場の無いように撃ち込むのだ!」


私の声にルフィナの声が重なった。

彼奴の号令と共に再び斉射。しかしそれも、全て空を切る。


『信じられない。あれだけの弾丸がタカには全て見えていると。予知(み)えていると……』

『なんだあの日本人は!我々の知らない何かがあるというのか!?』


ルフィナとその周囲の兵らに混乱が広がった。同時に明而陸軍の将兵に、我々の旗が、日の丸が未だに倒れずに立っているという現実が希望を与える。


「皆見ろ敵の銃弾は穂高中尉を撃ち抜けずにいるぞ!」

「義は俺たちにあるッ!天は我々を見放してはいなかった!」


地面に倒れこんでいるものが、最後の力を振り絞って立ち上がる。


『ばかな。ありえない!』

「今こそ決戦の時!いざ進め!弾果てても劔(つるぎ)を持って敵を討て……突撃ッ!!」


私は言い放ったと同時に、右足を前に出した。御旗を振りかざして前進する。一瞬の間をおいて、味方から吶喊(とっかん)が起こった。

己が命大事さに一歩を踏み出せない者は、一人もいない。向かってくる騎馬隊に真っ向から、歩兵が突撃で立ち向かう!


「突撃、突撃!!」

「進めーッ!進めーッ!!」

「我々には大神の加護があるぞ!行け!」


オオオオオォォ!


狙撃隊の声に呼応するように、四方から明而陸軍の兵が鬨の声を上げて加勢に現れた。


「間に合ったか。しかし刀と騎兵と槍と。近代的な戦争が聞いて呆れる。まるで戦国時代に戻ったかのようだな」


阿蘇大将率いる部隊が、先行した狙撃隊の援護にやってきたのだ。

様々な吶喊が、大きな一つの音の波となって、全体に伝播した。その言葉に意味がなくとも、頭に伝わらなくとも、それを聞いた明而陸軍の兵隊は全て小銃を構えて走り出した。

無数の銃声砲火の中、一歩も後退する事なくひたすらに前に足を進める。

御旗をなびかせ、一歩を大きく私は進む。

しかしそれ以上に、味方の兵らの集団は一匹の大きな蛇のようにうねり、敵陣のど真ん中に駆け込んでいった。大きな乱戦が起こった。


決死の覚悟の兵隊が、正面から騎兵に突っ込む。一人斬られて、二人踏み潰されても、三人目四人目が飛びかかって武者を騎馬から引き摺り下ろす。あまりの気迫に足を止めた馬に、囲んで銃剣を突き立てる!

乱戦になった時点で、騎兵の長所は奪われているのだ。


『馬鹿な……』


精鋭である将軍直属の騎兵隊が壊滅しつつあるのを眺めて、ソコロフ将軍はそう呟いた。


『こんな、認めん!認めんぞ!!』


サーベルを握りしめたまま、ソコロフ将軍も乱戦の中に走り出した。


『お父様!』

『ルフィナよ、止めてくれるな!』

『私も行きます!』


予想外の言葉に、一瞬の沈黙。そして。


『ふはははッ!良いだろう遅れるなよ!』


振り返りもせず将軍はそう叫んで駆け出した。無言でルフィナも追従する。

進路を邪魔する日本兵をなぎ倒して、将軍は一直線に穂高に進み寄った。もはや戦略も、戦術も何もない。あるのは日本の鷹(タカ)を殺すという、黒い意思のみだ。


『日本の鷹が、貴様が邪魔だ!』

「ルフィナ!そして貴様が!」


穂高は右目からの出血が赤黒く固まり、足元も見えない暗闇の中、なぜか彼奴等の気配だけはわかった。

見上げるような大男。豪腕のソコロフ将軍のサーベルを紙一重で回避する。

両手で保持した御旗を地面に突き立てて大地に立てる。両手をフリーにして、身構えた。


『貴様さえいなければ!』

「勝手な理屈を!」


袈裟斬りに斬りかかってくるのを身を捻って躱し、伸びた腕を取って懐に入った。そのまま腕をひねって引き倒す。巨人の身体が、宙に舞って地面に落ちた。


ドンッ!

衝撃でサーベルを取り落とした将軍を押さえつける。が、常軌を逸する筋力で跳ね除けられた。二人の男が素手で対峙する。


『グォォォッ!!』

「うおおおおっ!」


眼帯をしている左側面から、こめかみを鉄拳で一撃され、頭が揺さぶられる。倒れそうになるのを踏みとどまって、距離を詰めようと迫る将軍の横腹を殴りつけた。


『ぐぅッ』


ふらつく頭をなんとか真っ直ぐに持ち直して、次の攻撃に備える。


『こんな、こんな小さな猿にこの俺が……!』

「猿だとか鷹だとか、うるさいな。頭の中で動物園を経営しているのか」

『貴様ァッ!!』


軽口に激昂する将軍が、真っ直ぐ突っ込んできた。組み合って押し込んでくる力を利用して、身体を倒して正面から首を絞める。


『グゥアアアアアアア……!!!』


真っ赤な顔をして将軍が吼える。

恐ろしい怪力で、そのまま起き上がって来ようとするので、背後に回ってさらに締め上げる。裸絞めの体制で数秒、立ち上がろうとしたところ脱力して崩れ落ちた。完全に気を失ったらしい。


『鷹(タカ)ッ!』


蜘蛛の糸のようなものが、きらりと光る。苦もなくそれを避けると、その先にはピストルを構えたルフィナがいた。


「もうやめろ。それでは無理だ」

『……っく。ぐぅ』


ルフィナはピストルを地面に捨てると、ナイフを取り出して身体ごと体当たりしてきた。

そのナイフを持った手を捻り上げて取り上げた後、顔に蹴りを入れた。ルフィナは大きく仰け反って、地面に倒れる。


『……』


彼女が動かなくなった事を確かめると、構えを解いた。以前あれで酷い目にあったからな。二度も同じ手を喰らうわけにはいかないだろう。

敵の将軍と副官を倒した時、この戦闘も日本軍の勝利で終わろうとしていた。

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