第139話.決戦ノ時

明而四十一年、六月十日早朝。

講和会議を明後日に控えたその日は、よく晴れた日であった。風は気持ちよく冷えて、日光は万物に平等に一日の始まりを告げている。


戦場に漂う瘴気とも言えるよどんだ空気が、風によって霧散して、何事もなかったかのように薄まっていく。

しかし、その風に乗れないモノは戦場に取り残されて、ここが地獄であると言う事を再認識させた。

双方の榴弾により地面にはいくつもの穴が開いて、底には泥が沈殿する。おびただしい数の死体が散乱し、鉄条網には誰のものともしれぬ腕が絡まったままになっていた。

放置されたそれらは、獣さえ寄れぬ血でできたぬかるみに沈み、黒塗りの翼を持つ鳥達だけが腐肉に顔を埋めている。


そんな地獄の谷を挟んで、日露(ニチル)両国では蒼白な顔をした兵隊達が今日も一日の始まりに怯えていた。


何事もない、筈がない。

講和会議を明後日に控えた今日、もはや後はない。戦争の勝敗を決める決戦が、今すぐにでも行われるに違いないのだ。

塹壕に潜む兵には講和会議の日程など知らされてはいないのだが、それでもなお皆の心中には、何かが起こる予感と言うのが広がっていた。


一旦ことが起これば、戦うしかない。

もはや手に持つ小銃に銃弾(タマ)がなくとも、腕がちぎれるまで銃剣で刺突して。そうやって戦うしか生き残る道はないのだ。


そうして空虚な睨み合いを続けている時、大きな破裂音が静寂を切り裂いた。そして同時に塹壕へ榴弾が降り注ぐ。何度ともなく掘り起こされた土が、再び空中に舞う。


決戦の火蓋は切られた。

ルシヤは残されたすべての大砲で、脆弱と見た一箇所に集中して砲撃を開始した。残された大砲の弾を使い切って、苛烈極まる砲弾の雨で、地面を抉り返す。


その榴弾による砲撃が終わりを迎えたと同時に突撃が始まった。ルシヤ軍の生き残りの混成部隊である。いわゆるエリートとして士官の道に入ったばかりの者もいる。

使い捨ての人夫などは、とうに全滅している。これは死なせたくない、と後方に下げていた者まで駆り出しての最終攻撃だ。



『『ウラーーッ!!』』



今一度、彼らの吶喊が北の地に響き渡った!

それらは黒い一つの生き物のように、大地を舐めるように這う。


「死神の運動会だな」

「来たぞ!死に場所が来た!」

「皇国の為に、いや。命がけでこの地を拓いた父母の為に戦うぞ!」


「「うおおおおおっー!!」」


口々に最後の言葉を放った後、割れんばかりの大きな吶喊の声が上がった!もう彼らに怯えたような顔はない、群がるルシヤの兵隊に対して前のめりに迎え撃つ!


両軍とも連日連夜の戦闘により、弾薬は既に無い。殆どの者が、銃剣や軍刀頼りに白兵戦を仕掛けている。それでも武器と言うだけ良い方で、円匙(エンピ)や鶴嘴(ツルハシ)で打突する者もいた。



……



戦国時代もかくやと思われた彼らの闘いぶりをソコロフ少将は眼前に見下ろしていた。胸部を装甲で覆った鎧を着込み、小銃を携えたまま馬の背に乗っている。

そして、その将軍と轡(くつわ)を並べて整然と揃った騎兵たち。将軍の隣にはルフィナ・ソコロワもいる。


「始まったな。ルフィナ少佐、貴様の能力には期待しているぞ。我らが突破口を開く事で毒ガス隊を侵攻させるのだ」

「はい、お任せ下さい。閣下と共に戦場を駆ける事ができるとは。光栄です」


彼女は乗馬しているが、武器は護身用のピストルしか持っていない。怪我はまだ癒えておらず本来はまだ戦える状態にはないのだ。


「無理をさせたな」

「いえ、やれます」


将軍が直接率いる騎兵団。これこそが、ルシヤの、ソコロフ将軍の切り札であった。彼らの操る馬は、日本軍の保持するのそれとは馬格がまるで違う。そこから生み出される突撃力は、圧倒的な破壊力を生み出すのだ。

将軍は振り返り、サーベルを抜いて見せ騎兵に号令をかけた。


「彼奴等日本軍にはもはや機関銃も、満足な陣地も無い!我らがルシヤの騎兵が駆けるのに何の障害があろうか!では行くぞ!祖国の栄光の為に!」

「「ウラーーーッ!!」」


疲弊した陣地へ向けて、騎兵隊は駆け出した。


「東側面より、ルシヤの騎兵隊!きます!」

「騎兵隊!?」

「銃剣(やり)を並べろ!なるべく密集して突き立てるのだ!」


突然の出来事に混乱した日本軍の兵隊は、口々に驚きの声を上げた。

騎兵隊は矢尻のような陣形で、大きく側面に回り込み日本軍の陣地の一部へ突っ込んだ。体躯の優れたよく訓練された馬と兵は、人馬一体となり堀を飛び越え、奥へ奥へと侵攻する。

ルフィナの識覚により危険を事前に察知し、機動力を持って回りこむ事で、騎兵隊は縦横無尽の機動を可能にしていた。


脆弱な地点を狙った突撃であり、連戦の消耗により重火器の上手く機能しない日本軍の歩兵は、枯れ木を蹴るように蹴散らされた。

頭を出した者は首をはねられ、うずくまった者は蹴り殺される。予期しなかった騎兵の大群が、予期しなかった方向から突然現れたことで明而陸軍は大きく体勢を崩した。

そして、さんざっぱら打撃を与えては、日本軍が体勢を立て直す前に去っていく。一撃と離脱。まさに嵐、黒い嵐であった。


「騎馬を止めよ!敵将はそこだ、足を止めよ!!」


日本の若い士官が叫ぶ。一個の小隊が塹壕から這い出して、決死の覚悟で銃剣(やり)を突き出した。


「はぁっー!!」


しかし眼前。ソコロフ将軍が羆の咆哮のような声を喉の奥から吐き出しながら、サーベルを振り払った。特注の長大なサーベルで、小枝でも振るうかのように軽々と。

豪腕の一撃で小隊長の両手首が飛んだ。


「おのれ……ぐぉっ!?」


騎馬は一瞬も立ち止まる事なく、通過する。手首から先を失った若い士官は、ニの馬、三の馬に蹴られ、跳ね飛ばされた。原型がないほど顔を踏まれて泥に埋まる。


「ふははははっ!見ろッ!我らの強大さに奴らは何もできずにいる」


サーベルを鞘に納めて、両の手で手綱を操りながらソコロフ将軍は叫んだ。口々に「まさしく!」と兵らが賛同の声を上げる。


「閣下!軌道を修正、十時の方向へ!」


識覚によって何かを察知したルフィナが言った。同時にソコロフ将軍はすぐに馬の首をそちらへ向ける。


「はぁッ!」


先頭の将軍とルフィナが舵をとる方向へ、全体が緩やかにそれに追従した。前の騎馬の跳ねた小石が、馬の首が触れようかという近距離で上手く接触を避けて機動する。

彼ら将軍直轄騎兵隊の一人一人の練度と、舵を担うルフィナの識覚によって、騎馬隊は危機を事前に察知して回避して見せていた。


騎兵隊は無敵に見えるが、突貫力と引き換えに弱点も多い。

しかし、生命の危険となるものを未来予知レベルで回避する事ができる識覚が、その弱点を覆い隠し攻撃力のみを高めているのだ。

ルシヤの騎馬部隊は縦横無尽に戦線を駆けて、その防衛網を突き抜けていった。

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