第32話.露営
雪洞は雪の斜面に掘った横穴の事で、人間が中で露営できるように作られる。
それを円匙(えんぴ)を使って四、五人が入れる大きさで、都合十個余り作成する計画を立てた。班分けは丁度先日まで宿泊していたグループが良いだろう。
雪洞の掘り方については勉強会で共有しているため、学生の動きは早かった。
「交代で円匙(えんぴ)を動かせ!仕事のない者は身体を冷やさぬよう、足踏みと手の摩擦を怠るな」
風の音にかき消されぬように大きな声で指示をする。ちなみに私自身は雪洞作りに参加せず、口を出すだけである。吉野が何だかんだと文句を言っているが、耳を貸さないようにしている。
例えば山火事を消す時、小隊長自身が消火活動に専念するとどうだろう。目の前の火を消すのに必死になって、部隊全体が炎に巻かれても気がつかないのだ。指揮を取る者は、一歩引いて全体を見渡せなければならないのである。
「よおし、掛け声始め!」
「「えいさっ!」」
「「ほいさっ!」」
大きな声を出しながら、斜面の雪を固めて掘り出していく。
「「えいさっ!」」
「「ほいさっ!」」
「良し、作業交代。掘り出し係を入れ替えろ、声を出せよ!」
適時、作業をする人間を入れ替えさせる。疲労を分散する意味もあるが、突っ立っている方が寒いのだ。動いていない者を作らない事が、凍傷予防にもなる。
「随分手際が良いな。これも猟師(マタギ)の知恵か」
「そうです」
高尾教諭が身体を縦に揺らしながら作業を眺めている。適当に返事をしたが、これは嘘だ。雪洞作りに関する知識は、前世の記憶によるものが大きい。
「身体をなるべく濡らすなよ」
雪の中に入って作業をするので、雪まみれになるのは仕方がない。しかし服の中まで濡れないように、と意識するだけでも少しは違うだろう。
吹き荒ぶ風雪に晒されながらの小一時間の作業。寒さで体力を奪われながらも、全員収容できる雪洞が出来上がった。一つ一つ入って出来上がりを確認していく。
「おい、溝がないぞ。溝を掘っておけ!」
冷たい空気は下に溜まる性質があるので、雪洞内に溝をこしらえるのだ。冷たい空気はそこに溜まるので、居住スペースの気温が上がると言う理屈である。
「穂高!ちょっと来てくれ。こいつ目が見えなくなったって言うんだ」
声が上がった方を見ると、まぶたを抑えてしゃがみこんでいる男がいた。
「ああ目が、痛くて開けられねえ。見えないんだ!目が開けられねえ」
「ちょっと見せてみろ」
強引にまぶたを抑える手を退けて、目を開けさせる。充血はしているが、正直なんともわからない。私は眼医者ではないからな。
「ああ痛え!見えねえんだよ、どうなってるんだ。なぁ俺は目が見えなくなっちまうのかな」
「これは大したことはない。ほら、雪洞(なか)に入ってしばらく目を閉じていろ。一時的なものだ、また見えるようになる」
適当に元気付けて肩を叩く。押し込むように雪洞の中に避難させた。なんだかんだと騒いでいるが命に別状はなさそうだ。すると息つく暇もなく、すぐに隣から呼ぶ声がする。
「おい穂高、こいつの様子がおかしいんだ」
「……大丈夫です、大丈夫。大丈夫」
下を向いたまま「大丈夫」と繰り返しているのは、霧島だった。応答はするが反応が鈍い、明らかに様子がおかしい。
「おい、しっかりしろ。こっちを見てみろ」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫」
「良いから。ほら、わしの目を見ろ」
顔を上げさせて目を見るが、どうにも目線が合わない。低体温症で曖昧(あいまい)になっている可能性がある。次に手足を見るも、震えがない。これは良くない、すみやかに加温しなければ。
「いかんな、早く雪洞の中へ入れて。おい手を貸してくれ。一枚上着を貸してやって、とにかく包んで。湯を沸かして飲ませてやろう」
雪洞内に押し込んで、背嚢を敷いた上に足を畳んで座らせる。ぐるりと上着をかけて身体を包み込んだ。
「大丈夫、大丈夫だ。俺は大丈夫」
「ああ、そうだな。大丈夫だよ」
そう声をかけながら、手が空いている者に湯を用意させる。雪洞の中は無風であるため、体感ではかなり暖かく感じられる。
「熱さを感じ難くなっているから、火傷に注意しろ。少し温(ぬる)めてから飲ませるんだ」
手を温めながら、ゆっくりと湯を飲ませる。
そうしてしばらく様子を見ると、手足を震わせて応答もはっきりしてきた。一先ずは大丈夫だろう
霧島の具合が落ち着いた頃に雪洞を出た。
そのときには、すでに辺りは深い黒に塗りつぶされて、星の明かりすら見えなくなっていた。
……
※円匙(えんぴ)=シャベル・スコップの事。
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