第2話.二度目ノ人生

私はいつから以前の記憶を「前世」と呼ぶようになったのだろう。とにかく以前の私は平成の世を自衛官として生き、そして死んだ。


見送るものは居なかった。

寂しかっただろうか、いやそうでもなかった。親兄弟、妻も先に旅立っている。つまり私が最後だったわけだ。順番が来たかとその程度の感覚であった。

細かいところは、もう記憶の霧の彼方だ。

今となっては、長い夢だったのかとも思える。


第二の生が始まり、微睡(まどろ)みの中から物心がついたのは、三歳、四歳の時だ。両親は既に無く、肉親は家を出た二人の姉と猟師(マタギ)の爺様だけであった。

驚く事に、私は「メイジ十八年」生まれだそうだ。奇妙な違和感は初めだけで、すぐに少年として二度目の人生を送る事に疑問を抱かなくなった。


そして十三歳の春。



……



「明日は山さ入らぞ」


準備をしておけ、という事だろう。

囲炉裏端で座った厳しい顔の爺様が、こちらを一瞥もせず言った。口数は少ないがその言葉には絶対的な強制力がある。

爺様は背も小さいし痩せてもいる。しかし、あのギョロリとした目に睨まれては、何も言い返せないのだ。


「じさま、わしも連れて行ってくれるのか?」

「おめも、もう十三だべ」


囲炉裏の灰の中から徳利を取り出し、燗した酒を飲みながら、そう言った。

爺様によると、山は十二と言う数字を嫌うそうだ。それで去年は何度言っても山に連れて行ってはくれなかったのだという。


「したらば山さ入らにゃまねべな」


こちらを見ずに続ける爺様の言葉に、私は黙って頷いた。


「吉五郎も来るからな。早ぐ寝れ」


吉五郎は爺様の弟だ。つまりは私の大叔父にあたる。無口で厳格な爺様と違い、口が達者で面倒見の良い男だ。


「五郎おじも来るか。楽しみだ」

「ふん」


鼻先で「ふん」と笑うのは爺様のクセだ。

見る人が見れば人を小馬鹿にしたような無礼な仕草だが、彼にはその感覚は無いらしい。およそ人間と話すよりクマと話す方が得意な性分なのだ。


「じゃあわしは寝ます」


そう言うと爺様は、もう一度「ふん」と鼻先で返事を返した。



……



爺様が鉄砲の点検をしている。

文明開化の光は、弓を小銃に変えてしまったが、未だ槍を携帯するのは変わらない。

背丈を優に超える槍を手渡された。


日は長くなってきたものの、まだ山は雪化粧をしている。私は小銃は持たないが、雪山に入る為の装備を身に付ける。

頭巾の上に傘。肩から毛皮を着込んだ姿は、傍目には重装備に思える。しかし、身につけてみるとそうでもなく、むしろ軽い。

伝統的な出で立ちであるが、これこそ先人の知恵であり、実用性を重視した服装であると感じる。


「おりゃーめんずらすな」


腕を回したり、すね当てを確認したりしているところに声がかけられた。

声の主は私や爺様より少し背の高い、がっしりした男だ。


「五郎おじ!お久しぶりです」

「はっはっは!じっこはどしちゃ?」

「健在だ」


大きな声で笑う吉五郎の前に、ぶっきらぼうな爺様がのそりと姿を現した。


二人が肩から担いでいる鉄砲は鎖閂式(ボルトアクション)散弾銃だ。ボルトを手動で操作して、弾薬の装填や排莢を行うタイプの鉄砲である。

すらりと長いシルエット。村田銃であろうかと考えたが、どうやら違うらしい。外観から察するに、恐らくはロシア製の小銃だろう。

上の姉も北部の町の露人と結婚したし、このあたりには大国ロシアの影響が少なからずあるようだ。

銃を見つめていると、吉五郎が言った。


「珍しいが?」

「じさまはあんまり見せてくれんからな」

「ふうん、そりゃあわらしには、わんかはやいべな。こいは鉄砲ど言うもんだ」

「そんなことは、わしでも知ってるよ!」

「はっはっはっはっ!」


どうやら、からかうのが目的だったようだ。

六四式(自衛隊で使用している小銃)が身体の一部だった時期はあるが、こんな骨董品みたいな鉄砲は前世でも手に取った事は無かった。

珍しいかと言えば珍しいし、興味もある。


「おい、もう行ぐど」


話を切るように爺様が入ってきた。吉五郎との再会の挨拶もそこそこに、先頭を切って歩き始める。

この時代の移動手段はもっぱら徒歩だ。里へ降りる時も、山へ入る時も。一日中歩いている事は珍しくない。

巷では馬車や鉄道なんぞも走っているようだが、生まれてこの方そんなものにはお目にかかった事はない。正確には二度目に生まれてからだが。

入山前に小さな祠の前で、三人並んで黙祷した。山で狩をする時には、必ずそうする。獲物が獲れるように、無事に帰れるように祈った。


山に入ってからは、握り飯を食う休憩を挟んで、午後まで歩いた。その間は一言も発する事はなかった。雪残る山中では無駄口を叩くどころか、爺様達についていくのがやっとなのだ。

私も山歩きは慣れており、年寄りなんぞには負けないつもりでいたのだが。人の手の入っていない山というのは、まるで勝手が違う。

春の日差しで溶けかけた堅雪は、ふと気を抜いた瞬間に足を滑らせる。


しばらくすると山小屋に着いた。

それはずっしりと重い雪に埋もれていた。陽当たりの良いように作られている入り口だけは、雪が融け、雪かきなどせずとも入れるようになっていた。この小屋を連綿と使って来たのであろう先人の知恵を感じる。


「おい、おめワッカとってけ」

「え?」


吉五郎が水おけを差し出して、あごで合図をする。成る程水を汲んでこいということか。


「あぁ、はい」


返事をして、水おけを受け取った。

『ワッカ』というのは『水』を意味する山言葉なのだろう。猟師は山に入ると山言葉を使う、普段使っている里言葉は穢れているという考えだ。

そして逆に里では山言葉を使うことはできないから、前もって習う事はできない。

山に入って体で覚えるしかないのだ。また禁を破った場合は、罰を受けるという。念願の初狩猟で、罰を受けるなんてごめんだ。手を凍えさせながら、沢で水を汲んで戻った。


「雪さほろうってがらはれよ」※1


桶に水を汲んで戻った私の姿を見た爺様がそう言って、いろりの火のそばの場所を空けてくれた。そそくさと座って手を温める。


山小屋は割としっかりした作りで、いろりもあれば焚き木もある。しかしそれでも入り口から吹き込む風が冷たく体温を奪うのだ。

火の前で手を擦り合わせながら考えた。やるからには大手柄を立てて、一人前に認められたい。叶う事ならこの槍で。

ふつふつと、かつてない心の昂りを感じる。

それを察したのか、吉五郎が目で笑いながら言った。


「慌でなぐてもえがべ」

「はい」


焦る気持ちが態度に出ていたのだろうか。吉五郎に諌められた。

肉体に引っ張られているのか、精神状態は全く少年のそれだ。少しばかりの気恥ずかしさで頭を冷やした私は、明日の事を思って夜を迎えたのだった。




……



「雪さほろうってがらはれよ」

=雪を払い落としてから入れよ

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