第3話.狩猟ノ解禁

ふわりと、飯の炊ける匂いがして目が覚めた。体を起こすと、すでに爺様と吉五郎が起きて飯を炊いていた。

慌てて起き上がって挨拶をする。


「おはようございます」

「ああ」


家ではいつも飯炊きは私の仕事である。

「手伝います」と言うが、吉五郎に手で制された。今日は大変だから力を蓄えておけと言うことだ。大人しく座り直したものの、動かないと逆に手持ち無沙汰で困る。

質素な朝食を終えると、素早く身支度をして出発する事となった。


今日は天気に恵まれて、風も無い。歩きやすくて非常に助かるのだが、先頭の爺様は決して急がずに一定のペースで歩き続ける。

これには感心した。

骨まで凍える雪山と言えども、強度の強い運動をすれば汗をかく。そして汗をかけば体温が急激に下がり、それが命取りになる事を経験から知っているのだろう。

科学的な裏付けなどなくとも、経験が積み重なって知識となるのだ。


「人の知恵というのはすごいな……」


口の中でもそっと言ったのが耳に入ったのだろうか、吉五郎が振り向いた。


「なした?」

「いや、大丈夫です。ありがとうございます」


そう言って息を整える。

ふとこちらに視線だけをよこした爺様が、無言で前を向き直す。初仕事である私を気にしてくれているらしい。口下手ではあるが、あれでいて家族の情は強い。

いよいよ足場は悪くなり、余計なことを考えている場合ではなくなった。


ある時、前を歩く二人の空気が変わったのが感じられた。


「じさま……?」

「シッ」


声を出そうとしたところを止められた。二人の顔つきが変わる。一点を睨むその瞳は、まさに狩人の目だ。その視線を追うとシカが居た、大きなツノを持ったエゾシカだ。

直線距離で三百メートル程だろうか、乱立する立ち木の向こう側、真っ白な斜面にそれは居た。

前世に比べて、随分目が良くなった。あんなに小さくみえる獲物だが、私の目には一挙手一投足まで鮮明に映し出されている。眼鏡が欠かせなかった前世とは違い、まるで鷹の目だ。


「……しんいち、ええが」


もそっと近くまで寄った爺様が、私に耳打ちをする。少し下って行けば沢に出る。沢沿いに下(しも)から追いたてろ。上(かみ)で撃つ。と言う事だった。

現代で使われているライフルならば、この距離からでも命中させる事はできるだろう。

しかし、この時代の散弾銃ではそうはいかない。目と鼻の先にまで距離を詰める必要がある。※1

警戒心の強いエゾシカに、真っ直ぐ向かって行っては逃げられるだけだろう。射程距離に捉えるために、協力して追い立てて囲い込み射撃する機会を得ようと言うのだ。


了解の返事をする。

吉五郎の姿は既に消えていた。爺様も伝えるべきを伝えた後は、すぐに斜面を登り始める。ここからは単独行動だ、各々に持ち場があり、そう私にも役割がある。

重い槍がもっと重く感じられ、槍を握る手に思わず力が入った。


雪の白と土色でまばらに彩られた地面を踏みしめ、ゆっくりとエゾシカの下手(しもて)についた。およそ二百メートル。

身体は私に対して直角に、顔だけをこちらに向け上下に動かしてこちらを伺っている。鹿の警戒姿勢だ。

しかし逃げださないところを見ると、この距離ではどうこうできるはずが無いとタカをくくっているのだろう。腹の立つ事だが、全く事実である。

ここからが私の初仕事だ。あれを上手く誘導して、爺様達の射程距離に誘き出す。


「おおおーっ、うおおーっ!!」


おもむろに大きな声をあげ、近くの木を叩く。静かな森にけたたましい音が響いた。

そのまま沢沿いに登りながら、獲物に近づいて行く。


「ならああーっ!!」


大げさに身体を動かして注意をひく。ぴくりと尻尾が反応した。こちらの動向を気にしているようだ。


「ほーいーっ!!」


ある程度の距離を詰めた時、閾値(いきち)を超えたのか。突如その身体が反転。強靭な後ろ脚で土を蹴って、エゾシカが駆けた!

下手(しもて)から迫る私の目の前を、横切る形で左手の方角に。つまりは爺様達が潜んでいる方向へ走った!


「よし、いったぞおーーっ!!」


なおも追いかけながら大声で合図を送る。

シカは急斜面の山中を逃げる時、駆け登ったり駆け下りたりはしない。等高線に沿って、つまり同じ程度の標高を維持しつつ逃げる習性がある。

おおよそ予測通りに動いてくれた、あとは上手く鉄砲の前に出てくれれば。


ドォン!


その瞬間、発砲音。

雪の白に混じって、炎と白煙が立ち上がった。後れて爺様と吉五郎の怒声が響く。


「やったかーっ!?」

「いや、やってね。そっちゃいっだ!!」

「せば!ただくぞー!!」


ドォン!!


二度目の銃声。

少し後に再び叫ぶような声。


「ただいたか!?」

「いや半矢だ!どこさいっだ!?」


そんな声が谷の上から聴こえてくる。逃げられたのか?ひとまず二人と合流しなければ。そう考えて、息を整えようとした時。


ガサガサガサガサーっ!


何者かが、稲妻のような勢いで転げ落ちるように斜面を下ってきた。

あのエゾシカだ、口元から胸の辺りまでべったりと赤く塗られている。突然目の前に現れたそれと目があった、血走った目がこちらを睨みつける。大きな角をこちらに向けて、ゆらりゆらりとゆれていた。


「しんいちーっ!そっちゃ行っだぞ!!」


見れば分かる。

吉五郎からの今更の情報を聞き流し、槍を持つ手を開いて閉じた。手のひらに汗をかいている。

槍の切っ先が小刻みに揺れた、私に上手くやれるだろうか。





……


※1

この時代の鉄砲は黒色火薬を使用する事が多く、彼らは真鍮薬莢に手作りの鉛弾を自分の手で詰めて実包を作った。現代の銃器とは射程距離も精度も大きく劣る。火縄銃もまだ使われている時期である。

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