『言葉を聴かせて』
「人の記憶は、『声』から忘れていくって聞いたことあるけどさ」
空も赤らんだ放課後の教室で、京華がしなやかな指をピンと立てた。
これがいつかの放課後の繰り返しであることをいち早く察知した私は、京華の思考に回り込んで声を投げる。
「あれって嘘なんじゃないかと思う、でしょ。前聞いたわよ、それ」
「言ったね! たしかに言った記憶があるよ! これがデジャブってやつなのかな?」
「どっちかっていうと、京華がボケ始めたんだと思うわ」
「手厳しいなぁ!」
苦笑いを浮かべる京華は、やれやれと肩を落としてから、ゆっくりと空いてる席に腰をかけた。
数秒か、数十秒か――数分まではなかったと思うけど、とにかくそんな瞬間の沈黙を教室中にふわふわと漂わせて、それでもやっぱり京華は喋り始める。
「あれさ、本当かもしれないと思ったんだよ」
「――は!? 京華が前言撤回を……!? 明日は雪ね……」
「二月だからね! 心配せずとも雪予報さ! ――それはともかく」
つやつやの黒髪をふわりと揺らし、十分に溜めを作ってから、いつもみたいな大袈裟な手振りで、京華は続ける。
「だってさ、顔とか名前、人となりは分かるのに、声と言われてもピンとこないような、そんな間柄の人っているでしょう?」
「まぁ……いるわね」
「だからさ。人が強く覚えようとしていない限り、声から忘れていくのは自然なんじゃないかなと、そう思ったわけさ」
うーむ。前回と全然違うこと言ってる。
でもいいや。京華ってのは別に、完璧な理論武装で殴り込むのが趣味の戦闘ジャンキータイプじゃない。
単に放課後を持て余してるだけだから、時間さえ潰れれば内容はさして問題じゃないのだ。
そう納得づけて、私はひんやりと冷たい机に頬杖をついた。
「でも、人の記憶がどこから失くなるかとか、そういうのってあんまり興味ないわね」
「へぇ、なんで?」
「失くしたくない人なら、必死に忘れないように頑張るからよ」
「――。頑張る、か。姫芽らしいね」
らしいと言われても、だってそうでしょ。
例えば私はいつか、京華のことを忘れるのだろうか。
いや、絶対に忘れない。
京華のキャラが強烈すぎて、共に過ごした毎日が鮮烈に脳みそに焼き付くから……ってのもあるけど、それだけじゃなくて。
――その毎日を、私自身が大切にしてきたから、絶対に忘れない。
いつか京華と離れ離れになって、十年くらい会えなかったとしても、ひとつも色褪せることなく、私はこの日々を鮮明に思い出せるだろう。
「……忘れてあげないもの」
「私と会えなくなっても、って考えてた?」
「……エスパー?」
「姫芽がわかりやすいだけさ」
じっと京華を見つめる。
口、鼻、目、喋り方、身振り手振り、身長、温かさ、匂い――声。
私はきっと、生涯取りこぼすことはないだろう。
「――もし」
「……なに?」
「もし、さ。私が姫芽から離れていったら、どうする?」
「理由を聞くわ」
「理由も言わずに、いきなりさ。姫芽が気づいた頃には、私はもう手の届かないところにいる。話もできないし、声も届かない」
「それは……」
じっとりと、肌を刺す視線を感じる。
京華にしては珍しい、求めてる答えのある視線だ。
さしずめ、うん、こう答えてほしいんだろうなってのはあるけど――、
「それが京華の意思じゃなかったとしたら、全力で探して、追いかけて、見つけて、無理やりにでも私の声を聞かせるわ」
「――。ちょっと照れるね。じゃあ、私自身の意思で姫芽から離れたとしたら?」
「そんなことがあるの?」
「もしもの話さ。もしそういうことがあったら、姫芽はどうする?」
「……。もし、京華自身が私と離れたがってて、声も聞きたくなくて、確固たる意思で離れようとするんだったら――」
――京華は馬鹿だ。
頭はいいけど、馬鹿だ。
そんなの、答えは最初からひとつに決まっているというのに。
もし京華がいなくなって、私が拒絶されて、会いたくない、顔も見たくないって思われてたとしたら、その時は私は――、
「――全力で探して、追いかけて、見つけて、無理やりにでも私の声を聞かせるわ」
「――っ、私は嫌なのに?」
「京華がどうこうじゃないわ。私が納得できるかよ」
「それはちょっと……傲慢じゃない?」
そうなのかもしれない。
そうなった時の私はきっと自己中で、迷惑なやつだ。
それでもいい。納得のいかないまま、何よりも大切なものを手放してしまうよりは、ずっと。
「それが嫌なら、最初から話をすることね」
「まぁ……うん、姫芽! って感じだね!」
「馬鹿にしてる?」
「全然!」
これは直感でわかることなんだけど、きっと私は、京華とずっとはいられない。
いつか離れる時がきて、退屈な毎日がやってきて、私は狂おしいほどこの日常を回想しては切なくなるだろう。
だからせめて、その思い出を振り返って痛くないものにするために、最後まで京華の言葉を聞きたいのだ。
言の葉には、魂が宿る。
なんて考え、私の柄じゃないけど、そうあってほしいとは思うから。
重ねた言葉のひとつひとつが、輝かしい明日への糧になること、それを信じたいと思うから。
だから私は、優しく微笑む京華に向かって言葉を投げた。
「人の記憶は、『声』から忘れていくって京華から聞いたけど」
「――。うん」
「――あれは嘘よ。私はぜったい、京華のことを忘れない。顔も、声も、言葉も、笑顔も、爪の滑らかさから毛先のくすぐったさに至るまで、何ひとつ取りこぼしてあげない。だから、嘘よ」
「――――」
――いつか離れる時がきても。
――私は、忘れない。
――なんなら、追いかけて捕まえて喋りかけてやるんだから。
だから――。
「私の言葉を聴いて、京華」
「うん、待ってるよ、姫芽」
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