12


「ほれ、見るがいい」


 ふわりふわりと心地よく揺られながら、全身にたっぷりお日様を浴びていると、滑らかな浄水のような声が割り込んでくる。


「なんですか、もう……昼寝中なんですけど」


 口をついて出た文句、その十倍は心の奥に封じ込めて、私は嫌々ながらに視線を流した。

 目が合ったのは、相変わらず徳の高そうな衣に身を包んだ女性だ。

 生き続ける時の流れを鑑みるならババアと言った方が正しいかもしれないが、そう言わせないのはひとえに持ち前の美貌から。

 人間で換算するなら二十代とか下手したら十代くらいのピチピチお肌を何千年もキープできているのは、やっぱり上位の存在だからに他ならない。


 まぁ、早い話が神様なのだ、この人……この神は。

 そんなありがたい存在である彼女が私を呼び付ける時は、決まって下界を見下ろしている。

 そんでもって、大概ろくなことじゃない。

 今回も例に漏れず、きっとどーでもいいこととかしょーもないことを聞かされるのだろう。

 やれ敬虔な信徒がとか、ワシの人望の賜物がとか。

 億劫になりながら、とはいえ無視をするのも可哀想なので、私は目線だけでそれに応えた。


「お主……もうちょっとワシを尊んでもいいんじゃないか?」

「神なんていないんですよ」

「いるじゃろが、お主の目の前に!」

「いたらあんなしょーもない事故で死んでないって。あ、死んでないですよ」

「大胆不敵な物言い、ワシが直々に天罰下したろうかな……」


 そりゃ、私も生前は神に頼ってた。

 大事な試験の前日にはお参りしてたし、父が危篤の時には手を合わせたこともある。

 ぜーんぶダメ。意味ナシ。神なんていない。


 ……ま、いたんだけど。

 それにしたってこの人は、アレだ。

 ダメな神だ、いない方がいいまである。


「見よ」

「なんです」

「今日は下界では『オショウガツ』とか『ガンタン』とかいう催しがある日でな。神社にはアホな参拝者で溢れておるわ」

「神がさぁ、参拝者をアホ呼ばわりしていいんですかぁ?」


 無性に腹立たしいから、相応の目付きをプレゼントする。

 この神の扱いもなれてきたもんで、私の冷ややかな対応も必然的だと思う。

 

 初めて私が死んだ時(そりゃそうだ)、目の前に現れたコイツには心臓を高鳴らせたもんだ。

 まさか生前の行いがよかったからお慈悲を!? とか、調子に乗ってしまった覚えもある。

 開口一番、コイツが言った言葉を私は生涯忘れることはないだろう。もう死んでるけど。


「しかしな、奴ら、今日この日だけは頭を空っぽにして賽銭を投げてくれるんじゃよ。お、ほら見てみい。間違えて500円玉を投げてしもうた奴がおるわ。はは、悲惨じゃのう」

「……見せてやりたいな、下界の皆に。この悪神の悪辣な笑みを」

「黙れ、口が過ぎると消してしまうぞ」

「消せるなら消してくださいよ! もう救いのない世界を見るのはうんざりだ!」

「それができないから困ってるんじゃろが! 最初にお主に言った言葉を忘れたか!? ワシの邪魔をするでないわ! お主の存在が邪魔なんじゃ、素直に死んで生まれ変わらんか!」

「死んでるんだよ、もう! とっくに!」


 息を切らせながら、飛び散る唾も気にせずに叫んだ。

 なんで死んでまで疲れなきゃいけないんだよ、私は。


「……はぁ。お主な、ワシの凄さをもっと知れ。下界に宗教という概念を生み出したのはワシなんじゃぞ」

「お前を見てると余計なことしやがってっていう言葉しか出てこない」

「これだから人間は……」


 心底理解できない、そんな表情で神様は肩をすくめた。

 マジで殴ってやりたい。でもこの場所ではコイツに危害を加えることはできないから、態度で不服を表明するしかないのだが。


「ていうか、この場所じゃお金を使う場所もないし……そもそもあの賽銭は神社に入るものでしょうが。あなたには関係ないんじゃないの?」

「お? その辺の話はしておらんかったか。あれはな、フランチャイズみたいなもんじゃ」

「は?」


 なんか意味わかんないこと言い始めた。

 悔しいけど妙に好奇心をくすぐられて、気づけば私は身を乗り出していた。


「だからな、世界中の神社やらモスクやら教会に『神』という看板を使わせてやる代わりに、毎月マージンを頂いてるっちゅうわけじゃな」

「おいおいおい……やばいってこいつ」

「お布施は神に届かなければ意味ないじゃろうが!」


 たしかに『あなたの気持ちは神に届いてますよ!』と言えば救いの言葉にも見えるが。

 いや、ダメだろ。なにやってんだこいつ。


「そんな目で見るでないわ。ワシにも生活があるんじゃから、生きるためには金が必要じゃろ」

「そんな副業に手を出すサラリーマンみたいなこと言う神様嫌だよ……」

「サラリーマンというか、経営者に近いな。ワシの場合は」

「どうでもいい……」

「ビッグビジネスじゃろが!」


 産業革命が成した資本主義の流れは天界まで届いていたらしい。

 やだよ。世知辛いよ。なんなんだよもう。


「神は死んだ」

「ワシ生きとるぞ」

「じゃあお前も死ねよ! 巻き上げるだけ巻き上げやがって! 拝んだ先の中身がこれとか、詐欺でしかないだろ!」

「おまっ……くち、口の利き方が遠慮なさすぎるじゃろ! 救われとる奴もおるんじゃぞ!」


 ――あぁ、うん、そうか、たしかにな。

 中身はともかく、信じることそのものが救いになってる人もいる。

 知らなければどうということはないのだ。知らぬが仏って言葉もあるし。

 神の実態を知った今、仏の方もいまいち信用できないけど!


 だから、うん、まぁ、コイツも存在意義はあるのか。

 別に人間のことを敵視しているわけではないみたいだし。

 ビジネス、そう、ビジネスだ。

 コイツはサービスの対価を貰ってるだけ。そう考えよう。


「意味はあるのかもな……神様ってやけに人間臭いから、人の気持ちにも寄り添えそうだし」

「そうじゃ。そうじゃろ? わかってくれたか」

「本音は?」

「全員養分だと思っとる」

「死ね!!!」

「おっ、お主! 嵌めおったな!」


 やっぱダメだ。存在が悪だ。

 コイツのためにたくさんの人々が血を流したというのか。

 なんて救いのない話だ。墓場まで持っていこう。もう私の肉体は墓の中だけど!


「あのな、お主な。あんまり言いたかないけど、経営者のスタンスなんてこんなもんじゃぞ。下の者を金を生み出す機械くらいにしか思ってないわ」

「神様のくせに横文字使ってんじゃねーよ!」

「怒り方が理不尽すぎるじゃろが!」


 私は目を閉じた。

 なぜって、コイツはこんなにも悪辣な存在なのに、美貌だけはきっと世界一だから、気を緩めると許してしまいそうになるからだ。

 今抱いた気持ちを忘れないように、私は瞳の奥に深く閉じ込めることにする。


 お日様がポカポカだ。気持ちよくて意識が沈みそう。

 そうだ、私はこうしてお昼寝をしていたんだ。

 変な邪魔が入ったが、当初の目的を果たすとしよう。


「あ……なんか成仏できそう」

「これ、まだワシの話が終わっとらんぞ、勝手に成仏するでない」

「入ってきちゃったかぁ……変な邪魔」

「このワシに向かって『変』なんて言葉を使えるのは世界中探してもお主くらいのものじゃぞ?」

「じゃあ世界中の人にあなたの姿を見せてきてくださいよ。たぶんその数が60億倍くらいに増えますよ」


 もう話を聞く気はない。

 これ以上知ってしまったら、生前の自分にさえ絶望してしまいそうだから。

 あの時買ったおみくじとかあの日投げたお賽銭とか、全部コイツの懐に入ってるって気づいてしまいそうだから。


 私は、もう一度目を閉じた。



 意識が段々曖昧になっていって、見えている景色が遠ざかる。


 

 そのまま沈んで、沈んで、どこまでも沈んで――、




「寝るでないわ! 話が途中なんじゃ!」

「――黙れよ! 寝るって言ってるだろ! 死んだあとくらい怠惰を貪らせてくれよ!」

「ワシの経営術を知りたくないんか!? 敏腕じゃぞ、敏腕経営者じゃぞ! 世界中探してもこんな成功者はおらんぞ!」

「じゃあせめて生きてるうちに教えにきてくれよ!」


 結局、眠らせてはくれない。

 とりあえず、もし来世があるなら、神を信じるのはやめよう。

 もう肉体はないから、魂にそう固く刻み込んだ私だった。

 

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