11


「悠久の時を生きれたらいいね」


 いつだったか、ソフィにそんなことを言ったことがある。

 そしたら、几帳面に切り揃えた水面色の髪を揺らして、ちょっとだけ驚いた顔を見せたんだっけ。


「それは……難しいよ。王宮の魔術師がそんな研究をしてるって話は聞いたけど、望み薄だろうし。それに」


 そこで言葉を区切って、そのあとなんて言ったんだっけ。

 もう、覚えてないな。



「はぁ、疲れたぁ……」

「ミアはそうやって、すぐ弱音を吐く」


 形のいい眉を歪めながら、ソフィが呆れたように笑った。

 失礼な。別に弱虫じゃないですよーだ。

 だいたい、病人の私を酷使しすぎなのよ、ソフィは。

 ――なんていうと、じゃあソフィはどうなんだって話になるから、結局持ち合わせの根性量みたいなところに行き着くんだろうけど。

 私は汗を拭って、背丈ほどもある杖に体重を預けた。


「ほら、見てごらん」

「――――」


 どこまで私の内心を見透かしてるかは表に出さずに、ソフィがその細い腕を伸ばす。

 釣られてその先を辿ると、私の目に飛び込んできたのは、旅の疲れを一瞬でも忘れさせるものだった。


「綺麗だね、ミア」

「きれい……」


 三日もかけて登った山のてっぺんから見える景色は、とても綺麗で。

 真っ暗な闇の中、麓の街から届けられる素朴な灯りは、魔導具とか魔術師によるものだけど、同時に証でもあるんだ。

 ――私たちはここにいますよ、生きてますよって、そんな証。


「こんなに、生きてるんだ」

「そうさ。生きてるんだ、私たちも」


 ハッとして、顔を見合わせる。

 その瞳はキラキラしていて、そのキラキラがそのままこぼれ落ちた。

 私も、気持ちが溢れてしまった。


「もう少し」

「うん」

「もう少し、生きよう」

「でも、今回みたいな山道はもうパスかな」

「――。もう、ミアってば」



 私たちが旅を始めて、もう三年になる。

 私が村のお医者さんに「あと五年しか生きられない」って言われた一年半後にソフィがやってきたから、あと――。


「ミア、起きて」

「……起きてる」

「起きてよ、早く」

「起きてるってば!」


 ゆっさゆっさと揺さぶられるもんだから、たまらずソフィを跳ね除けるように飛び起きた。

 起きてたのに起こされるのが、一番むかつく。

 頭もカンペキに冴えた早朝、呆れたように笑うソフィが映る。


「ミア。病人には優しくしてくれると嬉しいよ?」

「……お互い様でしょ」


 ぐつぐつと、魔術で作った鍋で魔術で生み出した水を温めるソフィに、じとっとした視線を飛ばす。

 彼女は困ったように頬をかき、小さな歩幅で歩み寄って、私の頭に手を置いた。


「よしよし。ミアはいい子だね」

「な……! なんなの、それ! 子ども扱いしちゃって!」

「いや、病人には優しくした方がいいからね」


 それっきり、ソフィは視線を鍋に移した。

 まったく、人の気も知らないで。

 そうだよ、私だって、私だって――。


「……ソフィに、もっと優しくしたいのに」

「うん? 何か言った?」

「……なんでもない」


「そう?」なんて言って、彼女はまた視線を戻す。

 その首筋には、色白な彼女に似つかわしくない、漆黒の紋章が忌々しく刻み込まれている。

 私と、同じだ。


 ソフィも私と同じ、魔呪病に罹った少女。

 もう残された時間なんて、私と同じくらい少ないのに。

 なのに、なんで。

 なんで、こんなに人に優しくできるんだろう。

 なんで当たり前に、毎日を生きることができるんだろう。


 ――きっと、ソフィが強いからだ。

 私は、弱い。

 弱いから、だから、せめて――。


「……手伝う」

「別にゆっくりしてていいよ? 今日の出発は蛇の刻だからね」

「いいよ、毎日任せちゃってるのも悪いし」

「まぁ、私がミアを旅に誘ったからね。これくらいは、っと」


 ソフィは吹きこぼれそうになった鍋を上手いように傾けながら、魔術の火を弱める。

 事なきを得たところで、彼女は話を続けた。


「もう、私たちに残された時間は少ないから。行きたい場所、全部回ることは出来ないと思うけど……ま、多くは回りたいんだ」

「……ソフィは、なんで旅をしてるの?」

「ミアと同じだよ」

「――――」


 私と同じ。そうだろうか。

 そうだったとしたら、かなり恥ずかしいことを思っていることになる。


「私は、ソフィがいるから旅をしてるんだよ」

「私も同じさ。それだけじゃないけどね」

「じゃ、ほかの答えを教えてよ」

「いつかね、いつか」

「けち」

「けちじゃないよ」


 結局、こうやってはぐらかされる。

 いつもそうだ。

 けちってわけじゃ、ないだろうけど。



 そして私たちは、たくさん旅をした。

 最後の半年は特に、息付く暇もないくらいにあちこちを飛び回った。

 それはもう楽しくて、辛いこともあって、すっごく疲れて、でも必ず二人で寝た。


 そして――、


「いいお湯だったね」

「うん、気持ちよかった。次はどこにいくの?」

「えっと、次はね――あ」


 どんどん分厚くなっていく手製の手帳を開いたソフィが、一番新しいページを開いてから、ふっと表情をゆるめて、目を閉じた。


「――次は、ないみたいだね。私たちの旅はここで終わり」

「――ぇ」

「お疲れさま、ミア。付き合ってくれてありがとう」


 ――そして旅は、唐突に終わりを迎えた。

 始まる時はすっごく渋ったし、始まってからも文句ばっかり言ってたし、そりゃ楽しいことばかりじゃなかった。

 でも、私はこの旅が好きだった。


 こんな急に、終わってほしくなかった。

 でも。


「――。うん、楽しかったよ。私のほうこそ、ありがとう」

「それはよかった。誘った甲斐があったよ」


 どれだけ続けたくても、終わってほしくなくても、私たちにはもう時間が残されてないってことくらい、自分のことだからわかる。

 だから、終わるんだ。ここで。

 ソフィだってきっともっと行きたい場所があったけど、それができないから、しょうがなく終わるんだ。

 だから、私が水を差すことなんてできない。


 でも、この後にソフィが伝えたい言葉は、私にもわかった。

 だから私も、それに目で答えた。


「――じゃあ、行こうか」

「――うん」



「やっぱり、ここだよね」

「そりゃね。前回は見られなかったから」


 どこまでも続く丘、その真ん中――かどうかはわからないけど、果てが見えない場所。

 私たちは、そこに立ち尽くしていた。


 ここは、えっと、たしか二年くらい前。

 偶然立ち寄った民宿で、おじいさんから聞いた絶好の星空スポットだ。

 なんでも世界で一番星空が綺麗な丘らしいんだけど、誰が言ったんだろう、そんなこと。もしかしたらおじいさんだけかもしれない。


 とにかく、二年前の私たちはすっごく楽しみにしながらこの丘にやってきた。

 結果――、


「もう、見事に曇りだったもんね」

「ね。あの時のガッカリ具合といったら、旅の唯一の心残りになるくらいだよ」


 だから、私が最期に選ぶ場所がここになるのは、必然だった。

 また来よう。次は曇ってなければいいね。

 そんな期待と不安を織り交ぜながら、ついに再びこの場所にやってきたのだ。


「で、どう?」

「う〜ん。思ったより、って感じ」

「だよね。私もそう思ってた」


 たしかに綺麗な星空だ。

 でもまぁ、世界中を旅した私たちは、もっと綺麗な星空を知っちゃってる。

 膨らみまくった期待を満たすくらいの景色では……残念ながらなかった。


「ぷっ」

「え?」

「いや、私たちが最期まで求めた景色って、これ? って思うと、なんかバカバカしくなっちゃって」

「はは、かもね。あ、流れ星」


 本気でバカバカしいと思ってるわけじゃないけど、実感する。

 ――私たち、本当に旅をしてたんだなぁ、って。

 色んな景色を見て、美味しいものを食べて。

 お医者さんの言葉に絶望してたあの日の私に、こう言ってやりたい。


「――楽しいことあるね、生きてれば」

「そうだよ。私の言った通りでしょ?」

「そんなこと言ってたっけ?」

「言ったよ。ミアを旅に誘ったとき」


 そうだっけ。

 そうかもしれない。

 まぁ、これで心残りも――いや、あるな。ひとつだけ。


「結局、なんでソフィは旅をしてたの?」

「あぁ、あれね。自暴自棄だったんだ、あの頃。だから、次に立ち寄ったところで死のうって、そう決めてたんだよ」

「え?」


 初耳だ。そりゃそうだろうけど。

 あぁ、でも、そういうことか。

 だからあの時、ソフィはあんな顔をしてたんだ。


「でもさ、私――」

「待って。たぶんそれ、私も同じ」

「――ふふ。ね、手繋いでいい?」

「――ん。どうぞ」


 ゆっくりと目を閉じながら、全身に仄かな風を浴びる。

 最期の感触は、生の温もりだった。

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