11
「悠久の時を生きれたらいいね」
いつだったか、ソフィにそんなことを言ったことがある。
そしたら、几帳面に切り揃えた水面色の髪を揺らして、ちょっとだけ驚いた顔を見せたんだっけ。
「それは……難しいよ。王宮の魔術師がそんな研究をしてるって話は聞いたけど、望み薄だろうし。それに」
そこで言葉を区切って、そのあとなんて言ったんだっけ。
もう、覚えてないな。
◇
「はぁ、疲れたぁ……」
「ミアはそうやって、すぐ弱音を吐く」
形のいい眉を歪めながら、ソフィが呆れたように笑った。
失礼な。別に弱虫じゃないですよーだ。
だいたい、病人の私を酷使しすぎなのよ、ソフィは。
――なんていうと、じゃあソフィはどうなんだって話になるから、結局持ち合わせの根性量みたいなところに行き着くんだろうけど。
私は汗を拭って、背丈ほどもある杖に体重を預けた。
「ほら、見てごらん」
「――――」
どこまで私の内心を見透かしてるかは表に出さずに、ソフィがその細い腕を伸ばす。
釣られてその先を辿ると、私の目に飛び込んできたのは、旅の疲れを一瞬でも忘れさせるものだった。
「綺麗だね、ミア」
「きれい……」
三日もかけて登った山のてっぺんから見える景色は、とても綺麗で。
真っ暗な闇の中、麓の街から届けられる素朴な灯りは、魔導具とか魔術師によるものだけど、同時に証でもあるんだ。
――私たちはここにいますよ、生きてますよって、そんな証。
「こんなに、生きてるんだ」
「そうさ。生きてるんだ、私たちも」
ハッとして、顔を見合わせる。
その瞳はキラキラしていて、そのキラキラがそのままこぼれ落ちた。
私も、気持ちが溢れてしまった。
「もう少し」
「うん」
「もう少し、生きよう」
「でも、今回みたいな山道はもうパスかな」
「――。もう、ミアってば」
◇
私たちが旅を始めて、もう三年になる。
私が村のお医者さんに「あと五年しか生きられない」って言われた一年半後にソフィがやってきたから、あと――。
「ミア、起きて」
「……起きてる」
「起きてよ、早く」
「起きてるってば!」
ゆっさゆっさと揺さぶられるもんだから、たまらずソフィを跳ね除けるように飛び起きた。
起きてたのに起こされるのが、一番むかつく。
頭もカンペキに冴えた早朝、呆れたように笑うソフィが映る。
「ミア。病人には優しくしてくれると嬉しいよ?」
「……お互い様でしょ」
ぐつぐつと、魔術で作った鍋で魔術で生み出した水を温めるソフィに、じとっとした視線を飛ばす。
彼女は困ったように頬をかき、小さな歩幅で歩み寄って、私の頭に手を置いた。
「よしよし。ミアはいい子だね」
「な……! なんなの、それ! 子ども扱いしちゃって!」
「いや、病人には優しくした方がいいからね」
それっきり、ソフィは視線を鍋に移した。
まったく、人の気も知らないで。
そうだよ、私だって、私だって――。
「……ソフィに、もっと優しくしたいのに」
「うん? 何か言った?」
「……なんでもない」
「そう?」なんて言って、彼女はまた視線を戻す。
その首筋には、色白な彼女に似つかわしくない、漆黒の紋章が忌々しく刻み込まれている。
私と、同じだ。
ソフィも私と同じ、魔呪病に罹った少女。
もう残された時間なんて、私と同じくらい少ないのに。
なのに、なんで。
なんで、こんなに人に優しくできるんだろう。
なんで当たり前に、毎日を生きることができるんだろう。
――きっと、ソフィが強いからだ。
私は、弱い。
弱いから、だから、せめて――。
「……手伝う」
「別にゆっくりしてていいよ? 今日の出発は蛇の刻だからね」
「いいよ、毎日任せちゃってるのも悪いし」
「まぁ、私がミアを旅に誘ったからね。これくらいは、っと」
ソフィは吹きこぼれそうになった鍋を上手いように傾けながら、魔術の火を弱める。
事なきを得たところで、彼女は話を続けた。
「もう、私たちに残された時間は少ないから。行きたい場所、全部回ることは出来ないと思うけど……ま、多くは回りたいんだ」
「……ソフィは、なんで旅をしてるの?」
「ミアと同じだよ」
「――――」
私と同じ。そうだろうか。
そうだったとしたら、かなり恥ずかしいことを思っていることになる。
「私は、ソフィがいるから旅をしてるんだよ」
「私も同じさ。それだけじゃないけどね」
「じゃ、ほかの答えを教えてよ」
「いつかね、いつか」
「けち」
「けちじゃないよ」
結局、こうやってはぐらかされる。
いつもそうだ。
けちってわけじゃ、ないだろうけど。
◇
そして私たちは、たくさん旅をした。
最後の半年は特に、息付く暇もないくらいにあちこちを飛び回った。
それはもう楽しくて、辛いこともあって、すっごく疲れて、でも必ず二人で寝た。
そして――、
「いいお湯だったね」
「うん、気持ちよかった。次はどこにいくの?」
「えっと、次はね――あ」
どんどん分厚くなっていく手製の手帳を開いたソフィが、一番新しいページを開いてから、ふっと表情をゆるめて、目を閉じた。
「――次は、ないみたいだね。私たちの旅はここで終わり」
「――ぇ」
「お疲れさま、ミア。付き合ってくれてありがとう」
――そして旅は、唐突に終わりを迎えた。
始まる時はすっごく渋ったし、始まってからも文句ばっかり言ってたし、そりゃ楽しいことばかりじゃなかった。
でも、私はこの旅が好きだった。
こんな急に、終わってほしくなかった。
でも。
「――。うん、楽しかったよ。私のほうこそ、ありがとう」
「それはよかった。誘った甲斐があったよ」
どれだけ続けたくても、終わってほしくなくても、私たちにはもう時間が残されてないってことくらい、自分のことだからわかる。
だから、終わるんだ。ここで。
ソフィだってきっともっと行きたい場所があったけど、それができないから、しょうがなく終わるんだ。
だから、私が水を差すことなんてできない。
でも、この後にソフィが伝えたい言葉は、私にもわかった。
だから私も、それに目で答えた。
「――じゃあ、行こうか」
「――うん」
◇
「やっぱり、ここだよね」
「そりゃね。前回は見られなかったから」
どこまでも続く丘、その真ん中――かどうかはわからないけど、果てが見えない場所。
私たちは、そこに立ち尽くしていた。
ここは、えっと、たしか二年くらい前。
偶然立ち寄った民宿で、おじいさんから聞いた絶好の星空スポットだ。
なんでも世界で一番星空が綺麗な丘らしいんだけど、誰が言ったんだろう、そんなこと。もしかしたらおじいさんだけかもしれない。
とにかく、二年前の私たちはすっごく楽しみにしながらこの丘にやってきた。
結果――、
「もう、見事に曇りだったもんね」
「ね。あの時のガッカリ具合といったら、旅の唯一の心残りになるくらいだよ」
だから、私が最期に選ぶ場所がここになるのは、必然だった。
また来よう。次は曇ってなければいいね。
そんな期待と不安を織り交ぜながら、ついに再びこの場所にやってきたのだ。
「で、どう?」
「う〜ん。思ったより、って感じ」
「だよね。私もそう思ってた」
たしかに綺麗な星空だ。
でもまぁ、世界中を旅した私たちは、もっと綺麗な星空を知っちゃってる。
膨らみまくった期待を満たすくらいの景色では……残念ながらなかった。
「ぷっ」
「え?」
「いや、私たちが最期まで求めた景色って、これ? って思うと、なんかバカバカしくなっちゃって」
「はは、かもね。あ、流れ星」
本気でバカバカしいと思ってるわけじゃないけど、実感する。
――私たち、本当に旅をしてたんだなぁ、って。
色んな景色を見て、美味しいものを食べて。
お医者さんの言葉に絶望してたあの日の私に、こう言ってやりたい。
「――楽しいことあるね、生きてれば」
「そうだよ。私の言った通りでしょ?」
「そんなこと言ってたっけ?」
「言ったよ。ミアを旅に誘ったとき」
そうだっけ。
そうかもしれない。
まぁ、これで心残りも――いや、あるな。ひとつだけ。
「結局、なんでソフィは旅をしてたの?」
「あぁ、あれね。自暴自棄だったんだ、あの頃。だから、次に立ち寄ったところで死のうって、そう決めてたんだよ」
「え?」
初耳だ。そりゃそうだろうけど。
あぁ、でも、そういうことか。
だからあの時、ソフィはあんな顔をしてたんだ。
「でもさ、私――」
「待って。たぶんそれ、私も同じ」
「――ふふ。ね、手繋いでいい?」
「――ん。どうぞ」
ゆっくりと目を閉じながら、全身に仄かな風を浴びる。
最期の感触は、生の温もりだった。
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