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 華の高校生活なんてのは幻想で、結局のところ私みたいなモブに待ち受けているのは地味かつ無難な三年間なのです。

 

 いや、まだ一年生なわけだし、そうと決まったわけじゃありません。

 ほら、もしかしたらこれからの二年半で、乙女心ギュンギュンのロマンチックなアバンチュールが舞い込んでくれる可能性だって、まぁないわけではないし。

 ――なんて希望的観測に縋れるほど、私は自分を信じてないんですけどね。


 こう言ってしまったら卑屈かもだけど、私みたいな地味な女に地味な日常しか待っていないってのは、ある種自然なことだと思う今日この頃です。


 ほら、いるじゃないですか。

 存在感とか、オーラとか、空気とか、喋り方とか、声とか、とにかく諸々の要素から『自信』みたいなものを滲ませている人。

 堂々としていて、華があって、いつだってみんなの中心にいるような人。

 うちのクラスにも、そういう人がいるんです。


 五月女紬ちゃん。

 もうね、名前からして勝てる気がしないです。

 美人さんにしか許されない名前ですもん。

 もちろん、本人も名前負けするような質じゃなくて。

 もしかしたらそれ以上――名前すら置き去りにしてしまうくらい、可憐で綺麗な人なんです。


 背中まで落とした黒髪はびっくりするほどサラサラで、ちょっとだけキツめの印象を与えるようなツンとした目つきとは裏腹にめちゃくちゃ優しくて、当たり前のように誰からも好かれているその子は、まるで教室に挿された一輪の百合のようで。

 まぁ、早い話が、勝てねぇ。ってことです。


 とはいっても、最初から勝つ気なんてありません。

 負け惜しみとかじゃないですよ。

 だって、彼女の性格を知ってしまったら、争うことすら不躾に思えてならない、ってわけです。


「綺麗な髪。食べちゃいたいくらい」


 冗談を言いながらもお淑やかに口元を緩める姿には、イヤミっぽさとかがなくて。

 不思議ですよね。誰だって彼女には勝てないって思うはずなのに、素直に褒められただけで顔が赤くなっちゃうんだもん。


「さっきの体育、かっこよかったよ」


 なにがすごいって、男子にだってこの調子なんですよ?

 ムリムリ、私にはムリ。

 恥ずかしくてとても言えたもんじゃないし、そもそも私がこんなこと言ったら「下心あるのか?」って思われて終わり。

 これはね、彼女――五月女紬という女の子だから成り立って、許されてるんですよ。


「あ、五月女さん……」

「…………」


 さて、私には悩みがあります。

 頭脳明晰、容姿端麗、人当たりもよく、誰に対しても慈母みたいな心で包んでくれるでお馴染みの五月女紬ちゃんですが、唯一、本当に唯一私だけには、類を見ない反応をするんです。


「……ごめんなさい。通るから」

「あ、うん……」


 どういうことって、こういうことです。

 そりゃ、ドアの前でぼーっと突っ立ってた私も悪いと思いますよ?

 でもさ、目すら合わせようとしてくれないのは悲しいじゃん。

 あの五月女紬ちゃんですよ? 彼女と不仲なんて噂がある人、少なくとも私は見たことない。

 友達だって、たぶんいっぱいいます。

 ひょっとすると、この学校で一番多いんじゃないかってくらい、人気者なんですから。


 なのに、私にだけは冷たくて。

 いや、冷たい……っていうほど絡みはないけど、どこかおかしいのは気のせいじゃないと思います。

 だって、今のが私じゃなかったら、彼女は「ごめんなさい。通らせてくれる?」なんて目を見て笑顔で言うはずなんです。

 私の勝手なイメージだけど、間違ってないはずです。

 なんたって、私はずっと彼女のことを見てきたんですからね。

 私もこうなりたいなって、きっと無理だけど、ひとつの大きな目標として。


「……嫌われてる、のかな」


 何をした覚えもないけれど、そうとしか結論付けられない自分を、すっごく殴りたい気分でした。



「五月女さん、ちょっと今いい? めちゃ切実なお願いがあるんだけど!」

「えー、しょうがないなあ。どうしたの?」


 見てくださいよ、この光景を。

 隣のクラスの、えっと、隣の、あー……名前はちょっと覚えてないけど、チャラチャラした男子生徒。

 そんな彼が、大して仲良くもないくせに、五月女紬ちゃんを頼ってこのクラスまでやってきました。


 私だったら追い返してます。

 そもそも誰だお前、と。


 しかし、五月女紬ちゃんは違います。

 どんなお願いでも受け止め、律儀に話を聞いてあげるのです。

 それが無理なお願いだったり、相手のためにならないと思ったら優しく断ることもあります。

 もう、神です。女神です。

 天は人に二物を与えないとかいうけど、彼女の場合は話が違います。

 彼女が天なのです。


「マジ助かる! ほんとありがと!」

「ううん。全然気にしないで」


 おっと、話がついたようですね。

 ふざけんなと言ってやりたい気分です。

 同じクラスで同性の私は彼女とマトモに喋れないのに、何処の馬の骨かもわからんチャラ男がなに一丁前に施しを受けているんですか。

 まぁ、そういう五月女紬ちゃんだから人生の目標になっているので、今回ばかりは許してやりますが。


「ごめんなさい。そこ、通るから」

「あっ、その、ごめんなさ……」


 ……私は一体どうして、毎度毎度ドアの前を陣取るのでしょうか。

 ふざけんなと言ってやりたい気分です。

 大人しく席に座っていれば、こうして心がキューっとなることもなかったのに。

 辛いです。どうすれば彼女と仲良くなれるのでしょうか。



 見てしまいました。見てしまいました。

 彼女が、五月女紬ちゃんが、ひっそりと校舎裏に足を運ぶのを。

 困りましたね。もしかしたら、身の程を弁えない男子生徒が、彼女の優しさを勘違いして盛り上がってしまったのかもしれません。


 私は決意しました。

 守らねば、と。


 だから、こうしてこっそり彼女の後をつけているのは、仕方ないことだと言っていいでしょう。

 嘘です。我ながらキモいことしてるな、って自覚はあります。誰か殴ってください。


「――――」


 彼女が辺りをキョロキョロと見渡し始めました。

 ぬけぬけと現れる男を探しているのでしょうか。

 彼女よりも先に私がそいつを見つけ出して、早めにぶちのめしておくべきでしょうか。

 うん、やめておきましょう。停学とか勘弁ですし。


 でもせめて――せめて、彼女と付き合うに足る人物かどうかくらい、見定めさせてもらってもいいですよね?


 あ、五月女紬ちゃんが動きました。

 しゃがみこんで、誰にも見られないように背を向けて。

 なんでしょうか。嫌な予感がしますね。

 もうちょっと、もうちょっとだけ身を乗り出せば――、


「――猫?」


 届きました。猫の声です。

 そんでやらかしました。私の声です。

 五月女紬ちゃんがすんごい勢いで振り向いて、一瞬で目が合いました。

 あ、初めてかもしれません。目が合うの。

 嬉しいです。でも怖いです。だってほら、彼女の表情が――、


「――。春野、さん……!?」

「あ、あの、えっと、こんにちは……」


 びっくりしました。

 綺麗すぎます。というか、可愛すぎます。

 いつものクールで落ち着いた印象が嘘みたいに、目を丸くして顔を真っ赤に染めているんです。

 そんな表情を見たのは世界で私だけかもしれません。

 生きててよかったです。でもピンチです。

 勝手に後ろをつけたことがバレそうで、人生最大のピンチです。


「なん……いつ……ちょっと、うそ」

「ね、猫、好きなん、ですか?」

「そ、そうな……え、うん、その……」


 なんか五月女紬ちゃんが私みたいになってます。新鮮です。

 どんどん顔の温度は高くなっていって、口はだらしなく半開きになってます。

 貴重すぎます。写真撮ったら怒られるかな。


「――た」

「……え?」

「明日の放課後、教室に残ってて!」


 耳を劈く声量です。これもまた初めての経験ですね。

 いつもの上品さをどこかに置いて、今あるのは必死さだけに見えます。

 いったい何がそうさせるのでしょうか。

 ていうか、私、呼び出されました?

 怖いですね。殴られるんでしょうか。

 まぁ、彼女のことです。そうはならないでしょう。


「……は、はひ」


 私の上擦った返答を聞いて、彼女は口を結んだまま走っていきました。



 放課後です。今日の授業は人生で一番長かったです。

 一晩明けて、冷静に考えてみると、中々に怖いものです。

 そもそも、私は彼女に嫌われているのです。

 確実ではないですが、可能性は高いでしょう。

 そんな彼女とふたりっきり。

 あの五月女紬ちゃんとふたりきりという事実だけなら嬉しいはずですが、なんとなく私の心がボロボロになる予感しかしません。


 一旦トイレで時間を潰してから、私は恐る恐るドアを開けます。

 ――そしてその光景に、一瞬で心を奪われてしまいました。


「――。春野さん。きてくれたんだ」

「そ、そりゃあ、もちろん……」


 絵です。絵画です。

 髪を耳にかけながら振り向くその姿は、そのまま美術館に飾っても遜色ないです。遜色ないってか、優勝です。

 

 つい、その表情を窺ってしまいます。

 うん、普通ですね。いつも通りです。

 いつも通りの――私以外のみんなに向ける表情。かな?

 ううん、よく見たらちょっと違いますね。

 昨日ほどではないですが、ほんのりと頬が紅潮してます。なんでだろう。


「その、ね。春野さん」

「は、はひ」

「見た、よね。昨日」

「……は、はひ」

「恥ずかしいな。えっとね、春野さん」


 昨日、というのは猫を愛でる五月女紬ちゃんのことでしょう。見ましたとも。

 身構えました。

 何を言われても耐えられるように、身構えました。


 ――なのに、それをこうも簡単に貫通してくるなんて、つくづく彼女は彼女だなと思いました。



 

「――春野さん。好きです。付き合ってください!」




「は、はひ……は!?」


 何を言っているのでしょうか。

 付き合う……付き合う?

 それって、いわゆる恋仲的な、色恋的な、そういう意味……ではないですよね。嫌われてるはずですし。

 ちょ、ちょっと脳みそがわけわかんないです。死にます。死んできます。


「ど、どうやって死ねば……?」

「その、ずっと、好きでした。付き合って、くれませんか? 女の子じゃ、ダメですか?」


 表情を見ました。真っ赤です。沸騰しそうです。

 え、ガチですか? ドッキリ? 死にますか?

 いやいやいや、そんな馬鹿な話あります?


 女の子じゃ、ダメかって。

 ダメなわけないでしょ。ないけど。


「な、なんで私……?」

「一目惚れ、です」


 照れてますね。ガチっぽいです。

 だんだん現実味を帯びてきました。

 死んじゃいます。

 私、そもそも友達になりたかっただけですし。

 まさかこんな展開が待ってるなんて、思わないじゃないですか。

 

 でもでもでも、でもでもでも。


「――。――――。あの、えっと、私でよければ……」

「――! ほんと!? えへへ、春野さぁん!」

「わわわっ……」


 飛び込んできました。柔らかくて暖かいです。

 夢みたいです。夢かもしれません。

 でもひとつだけ、ひとつだけ本当のことを言います。

 あまりにも無謀すぎて、脳裏に掠めることすらはばかられることです。

 実は、実は――、



「わ、私も一目惚れ、です……」


 

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