9
――布団の中には、知らない世界があった。
小島紗希。14歳。つまらない女子中学生だ。
もう、ほんとつまらない。なにもかもがつまらない。
特になにがつまらないって、遥香のことだ。
私、遥香、麗奈の3人組といったらもう、校内でも有数の仲良しグループだったんだけど。たぶん。
でも、ある日を境にそれはガラガラガラって崩れた。
「遥香、今日カラオケいく?」
「ごっめ〜ん! 彼氏と先約が、ね? そんなわけだから、お先に失礼〜」
「ちっ」
こんな調子なのだ。
そりゃ、つまらないってものでしょ。
「はぁ〜あ、早々に別れないかなぁ」
「紗希、言い過ぎ」
そんなわけで、3人組だったはずの私たちは、いつの間にやら2人きりになってたってわけ。
この日も遥香はいなくて、ふたりでカラオケに行く気にもなれなかったもんだから、ダラダラっと放課後を過ごしていた。
放課後、といっても今日はテストだったから午前中で終わり。
大量に時間を持て余した私と麗奈は、ひとまず紫外線から逃れるために我が家に逃げ込んだ。
今はといえば、エアコンをガンガンに効かせた部屋でふたり、怠惰を貪っている。
「暇だ……」
「なら、勉強したら?」
「……」
麗奈を睨みつける。
私の抗議の念をたっぷり込めた視線を、彼女はシレッとした顔でかわしてみせた。
「……なんでそんな夢も希望もないこと言うんですか、麗奈さん」
「むしろ、勉強って夢と希望のためにするものでしょ」
「そうかもだけどさぁ!」
勉強、勉強ね。
たしかに必要な事だと思うし、来年には受験生だし、やらなきゃだけど……そうなんだけど。
少なくとも今は、全くそんな気にはなれなかった。
原因なんて決まってる。
最近付き合いの悪い遥香――ではなくて、さらにその向こう。
そりゃ、私たちだって思春期ですし。
興味がないといえば嘘になるし。
でも、そんなにがっつくのも淑女としてはばかられるし。
そんなことを思いながら、内心ではやっぱり気になるし。
つまるところ、アレだ。
「彼氏って、どんな感じなのかな」
「聞く相手を間違ってる。私も出来たことないし」
「別に聞いたわけじゃないよーだ」
中学に入ってから1年半くらいかけてじっくりゆっくり育んできた私たちの友情より、いきなり告ってきたというポッと出野郎をとるなんて、遥香は薄情者だ。
それはともかく、私たちの友情をあっという間に後回しに出来てしまうほどに大切なもの、ということ。
そんなの、本当にあるんだろうか。
気になる。気になるけど、私は別に男好きってわけじゃないし。
遥香はちょっと俗っぽいところがあったけど、私にはないし。
だから、分からなくてもいいんだし。
「はぁ〜……」
「幸せが逃げるよ」
「逃げる前に舞い降りてくるのが先じゃない? 早く幸せ降ってこい」
「ま、紗希のその性格じゃ彼氏なんて出来ないか」
「なにおう!?」
とんでもないこと言いやがる。
もちろん私だって、自分のことをいい子だなんて思ってないよ?
でも成績だって悪くないし、顔だってまぁ……褒められることもあるし。
言うほど悪い物件じゃないと思うんだけど。
そんなに性格が大事かね?
「性格だけじゃなくても、紗希は……」
「……言いたいことがあるなら言ってみなさいよ」
「思春期男子の性欲を擽るには、あまりにも上半身に脂肪がなさすぎる」
「はーい! 言っちゃいけないこと言いました! 覚悟してくださぁ〜い!」
「だって、紗希が言えって、ぷっ、やめ、やめて!」
とんでもないこと言いやがる。2ndシーズン。
ついに堪忍袋の緒が切れた私は、そのガラ空きの脇腹を擦り上げてやった。
脇腹が麗奈の弱点というのは私たちの中では周知の事実なのに、彼女はあまりにも無防備なのだ。
ふたくすぐりくらい食らわしてやったら、麗奈は立ち上がって六畳の部屋を逃げ回り始めた。
「ごめ、ごめん! 謝るからぁっ!」
「ダメです。観念するといい」
「そんなんだから彼氏出来な……あっ、あはは! やめて!」
「また言った! また言ったぞこいつ! 懲りない奴め!」
追いついてはくすぐり、また追いついてはくすぐる。
決めた。今回は、麗奈に致死量のダメージを与えるまで止めないことにする。
「はぁ、はぁ……」
「疲れてるなら、やめてってば……!」
「はぁ、お断り、申し上げる……!」
なんて、別に私も本気で怒ってるわけじゃない。
ちょっとじゃれついてるのと、あとまぁ、ストレス解消だ。
麗奈はクールだけど、案外ポンコツなのだ。
何度も私を怒らせて、その度に毎回くすぐられてるのだから。
「でも、やっぱり私、彼氏はいらない、かも……はぁ」
「ど、どうして?」
ふたりして息を切らしながら、依然としてくすぐりの処罰を終えることなく、会話する。
「だって、彼氏作ったら、麗奈と遊べなくなるじゃん」
「――。じゃあ、私と付き合う?」
「あぁ、それはお得かもね。だって、今まで通り――」
「――――」
「きゃっ――ちょっと、急に止まら、ない、でよ……」
麗奈を追いかけ回していた私は、急に足を止めた彼女に思い切り激突する。
さすが陸上部といったところか、体幹が鬼だ。
私の方が弾き飛ばされて、ベッドに着地する。
あとまぁ、主に上半身の当たりの脂肪による体重差とでも言っておこうか。
「……紗希」
「な、なに?」
「あんまり、冗談でもそんなこと言わない方がいいよ」
「そんなこと、って……先に言ったのは麗奈のほうじゃ……」
言いかけて、言葉が止まった。
私を見下ろす麗奈の目が、なんというかこう、マジなのだ。
それから、走り回ってかいた汗が顎を伝って、妙に艶っぽい。
私から言わせてみれば――そう、アレだ。女の顔してる、こいつ。
それに気付いた時、私は――やっぱりな、と思った。
なんとなく、節々はそんな気はしてたのだ。
少なくとも、麗奈が彼氏を作っている姿が全く想像できなかったし。
この時の私はたぶん、暑さにやられてたのだと思う。
だから、あんなことを口走ってしまったのだ。
「……べ、別に麗奈なら、いいよ?」
「――――」
その瞬間だった。
私の視界が暗転し、荒い呼吸が頭いっぱいに響いたのは。
ほんとに一瞬のことだったから、咄嗟に何が起きたのかわからなかった。
ほんの1秒くらい頭を回転させて、麗奈が掛け布団を持って私を覆ったのだと気づく。
狭くて暗い空間だ。
まったくもって、2人が入れるスペースじゃない。
だけど麗奈は無理やり入り込んできた――というより、無理やりそのスペースを作り出したんだから、マジだ。大マジだ。
感情を剥き出しにした麗奈に、私は驚きのあまり目を丸くして縮こまっていた。
それはもう、乙女みたいに。
「――――」
「――――」
会話はない。
ただ、肩を弾ませる麗奈の吐息を感じ、ポタリと落ちる彼女の汗が私の服に染みを作った。
あぁ、私はこのまま、麗奈のものになるのだろうか。
私が許可をしたことになるんだろうな。実際そうだし。
獣みたいな麗奈はちょっと怖いけど、でも麗奈ならいいかな、なんて思わなくもない。
まだ顔も名前も知らない、そもそも出来るかも分からない、そんな未来の彼氏より、今目の前にいる麗奈のほうが――。
「れ、麗――」
「紗希――」
『流さずキレイに! 新発売!』
「あ……」
視界が晴れる。
つけっぱなしにしてたテレビの、ぶつりと流れを切るようなCMが、私たちの滾った感情を急速に冷ましていった。
同時に、麗奈が布団を払って立ち上がった。
「ご、ごめん、紗希……」
「あ、え……うん……」
心臓がうるさいことにも、この時やっと気づいた。
あついせいだ。気温も、身体も。
なんであついのか、それは考えないことにする。
とにかく、私たちは冷静になったのだ。
「も、もう……あんまり無理やりされるとびっくりするでしょ」
「うん、ほんとにごめん……」
珍しく、やたらしおらしい麗奈の表情を見る。
やっちまった、って顔だ。
それから、絶望もしているかもしれない。
色々と複雑な感情が入り乱れているのは間違いないな。
そりゃそうだろう。
親友の女の子をいきなり押し倒し、あわよくばあんなことやこんなことをするつもりだったのだろうから。
一時の気の迷いとはいえ――むしろだからこそ冷静になった今、とんでもない後悔と自責の念に苛まれていることだろう。
私も、自分の言葉が今となっては信じられないし。
お互い、おかしかったのだ。
これは事故だ。私が麗奈にぶつかったところから始まった、玉突き事故の延長なのだ。
だから、だけど――この時の私は、
「……まぁ、無理やりじゃなくて、ちゃんと段階を踏めば、許してあげる」
「――――」
「それから、告白は麗奈のほうからすること。ちゃんと大事にすること。勉強しろって言わないこと」
「――。勉強は、した方がいいと思う」
――きっと、麗奈のことを言えないくらい、赤い顔をしていたと思う。
あと、多分これからはつまらなくない毎日になる。
そんな予感がした。
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