8
「――これは、とんでもないことじゃ……!」
聖歴205年、埃の積もった石造りの部屋で、老婆――占命術士は狼狽した。
水晶に映し出された景色、それは彼女にとって、確定した未来だったのだから。
――大災。
世界を丸ごと包むほどの大災が、遠い未来、この地に降りかかる。
占命術士は、大慌てで魔杖を抱え、長らく閉じこもっていた部屋を飛び出した。
まずは警護にあたる衛兵に、次にこの駐屯地を指揮する司令官に、最後に魔道軍長官に、事実としてそれを告げる。
多くの兵は、所詮は占術だと一蹴した。
あまつさえ、こんな曖昧で信憑性にもかける占いに未来を委ねるなんて正気の沙汰ではないと、上層部を非難する口実に使った。
それでも、彼女が導き出した未来を重んじた者がいる。
魔道軍長官と、その上官にあたる七英傑だ。
その情報が伝わるや否や、彼ら七人の指導者は速やかに円卓を囲う。
当の占命術士もその場に招かれ、八人で会合は開かれる。
「して、占命術士殿よ。何を見た」
「――世界の終わりじゃ。今から1800年後、世界を覆い尽くす闇を見た」
「ふむ……遠い未来のことであるな」
「だが、対策を講じぬわけにもいくまい」
知恵を寄せ合い、議論を交わし、いつか来るその未来を変えるため、彼らは何日もかけて言葉を重ねた。
しかし、所詮人間の寿命は短い。
ほんの五十年ほどの人生、その全てをかけたところで、到底1800年には届かない。
もはやこの未来、避けることは出来ないのか。
誰もがそう考え、瞳に諦念の色が浮かんだ頃、ひとつの報が舞い込んだ。
「――ついに、お見えになりました」
頭を垂れて報告する兵の姿に、その場の誰もが固唾を飲む。
これは、天命だ。
天は、まだ人間を見放さなかったのだ。
「ついに、ついにか……!」
「ああ、これで均衡は保たれる」
普段は寸分も眉の形を崩さない彼らが、この時ばかりは似つかわしくない笑みを浮かべた。
そして次の瞬間には立ち上がり、円卓の隅に跪く兵のもとへ向かう。
「案内するがよい。謁見の時だ」
「――は」
彼らは塔から飛び出し、城へ身を運ぶ。
国王ですら頭を垂れる英傑、その錚々たる七人が、円卓以外の場で一堂に会するなど、前古未曾有であった。
――だが、今この時においては、間違いなくその価値がある瞬間だ。
彼らが通されたのは、王城の隠し扉を抜けてしばらく歩いた先、その地下に広がる空豁たる部屋。
その中心に、ひとりの赤子を抱く女がいた。
女は彼らに気付くと、腕の中のものを大事に抱えながら、艶やかな髪を揺らして振り向く。
「――これは英傑さま。このような場所にまで、ようこそおいでいただきました」
「よい。して、その子か」
「その通りでございます。この子が――『聖女』ですわ。首筋の黒子もこちらに」
「おお……」
その姿を目にした彼らは、銘々に息を抜いた。
まだ人のかたちを成したばかりの緑児であったが、伝承の姿と寸分の狂いもないことは明白だったからだ。
この地では珍しい黒髪に、首筋に刻まれた星型の黒子。
これらの特徴を持つ童女など、聖女であるほかありえない。
彼女であれば、如何なる大災であっても切り裂き、世に希望を降らしてくれる。
それは、疑いようのない事実だった。
世界は、救われたのだ。
「だが……」
――ひとつだけ、難点となる事実があった。
単純な話だ。英傑たる彼らがそうであるように、たとえ聖女であるこの赤子であっても、1800年後の未来までは生きられない。
世界を救うには、少しばかり産まれるのが早すぎたのだ。
「――いや。このままこの子の生が終わることなど、史実に則ってありえぬ。なにか策があるはずだ」
彼らにとって――否、きっとこの世の全ての者にとって、聖女の存在は希望だ。
諦めることなど、出来るはずもなかった。
それから彼らは、手段を探った。
ありとあらゆる魔道士を集め、情報を集め、可能性を集めた。
そしてついに、ひとつの決断を下した。
「――転生法だ。転生法しかない」
「だが、あまりに危険すぎる。まだ確立されていない魔術だ」
「そうであるな。万一にでも、失敗したらどうする」
「それに転生した聖女が、自らを聖女と気付かなかったらどうする。その時こそ世界は終わりだ」
「逆だ。聖女が聖女であるゆえ、失敗などしない」
「――。その通り、という他あるまい」
――転生法。
この場合の転生とは、文字通りの意味ではない。
むしろ――再現法、と表した方が近い。
現存する肉体を殺し、全く同じ肉体でもう一度産まれ直させる。それが、彼らの出した答えであった。
危険な魔術だ。成功例など、片手で数える程しかない。
だが、それでもやるしかなかった。
それに、彼女が世界に愛された聖女であればこそ、その限られた成功例に名を連ねることは疑いようがない。
「世を救ってくれ。力なき我らのために」
「――頼んだぞ、聖女よ」
そして聖女は、その命を落とした。
1800年後、世界を救うために。
■
「――なんて御伽噺が、この場所にはあるんですよ。まぁ、眉唾ですけどねぇ」
「へぇ……」
熱いコーヒーを啜りながら、女は頷いた。
趣味の一人旅、その道中で立ち寄った喫茶店で、艶やかな黒髪を下げた女性店員が口に手を当てて笑う。
「なんか、不思議な話ですね。まるで日本の話じゃないみたい」
「そうですよね。魔術、とか。漫画の世界みたい」
黒髪が珍しいというのも、現代日本の常識からは外れる。
多様性が重んじられる現代、確かに青とかピンクの髪の人は多いけど、昔の話ならむしろ黒髪の人の方が多いはずなのに。
まぁ、所詮は御伽噺だ。ちょっとくらいドラマチックでキャッチーな方が、人の興味は引くだろう。
ひょっとすると、最近になって手が加えられた話なのかもしれないな、なんて、そう思った。
女は残りのサンドイッチを口に放り込み、コーヒーを流し込むと、席を立った。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「ありがとうございます。ぜひ、またいらしてくださいね」
その言葉に、女は頬を緩めて答えた。
遠い地だ。なかなか気軽には来られないけど、お店の雰囲気もいいし、店員さんの愛想もいい。
御伽噺も結構面白かったし、そうだな。機会があれば、また来よう。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ。あ、そうそう」
律儀にも旅の無事を祈ってくれて、女が背を向けたところで、その声に引き止められる。
忘れ物でもしたかな、と振り向くと、店員が顎に手を当てて言った。
「明日、みたいですよ。ちょうど、1800年後って」
「そうなんですか。世界、終わらないといいですね」
「そうですねぇ」
聞き届けたところで、女は今度こそ歩き出し、店を出る。
カンカンに照った日を浴びながら、ひとりで呟く。
「――暑いなぁ。もう12月なのに、なんで30℃もあるんだろ。最近、ほんとおかしいよ」
汗が垂れる。
首筋の黒子が、冷たく熱を持った気がした。
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