3
人を呪いたい。
私は、人を呪い殺したい。
呪って、呪って、呪って、呪い潰した先に、幸せな人間の死が見たい。
もがいて、苦しんで、あがいて、だけど及ばず無様に命から見放されるような、そんな瞬間が見たい。
絶望に塗りつぶされ、乞うような、憎むような、省みるような、悔いるような、そんな顔が見たい。
「なるほど。ではこちらへ」
白装束を纏った老躯が、不躾にそう告げる。
滑稽だ。表層だけを見て、全てを知ったつもりになった馬鹿が、お似合いの間抜けな顔を晒している。
――私は、人を殺したい。
――殺すなら、呪いがいい。
なによりも、私は幸せな人間が苦しんで死ぬ姿を見たいのだ。
――手足をもがれ、頭を潰され、腸が飛び出し、心の臓が弾けるような、絶対的な苦鬱に歪む顔が見たいのだ。
やがて私は、四角い箱に閉じ込められた。
白くて、機械的で、窮屈で、人を殺すための箱だ。
頭に花を咲かせた童が、一心にこちらを見つめている。
馬鹿だ。馬鹿が移る。見るな。劣等種に見せる躰はない。
「ねえ、あなたは……えっと、なに?」
身の程を知らぬ凡愚が、恐れも知らずに口を開く。
「なに、とはなんだ。貴様、口の利き方には気をつけよ」
「えっ? あ、うん……それで、あなたはなんなの?」
腸に募る、どす黒いものを感じる。
そして、察する。
――あぁ、これが憎しみか。
ならば、このとぼけた顔をした女を、今こそこの手で呪い殺してやる時、ということだろう。
だが――、
「――一度だ」
「え?」
「一度だけ、機会を与えよう。踊ってみせよ」
この慈悲に、二度はない。
血を見るか、膝を折るか。
どちらを選択しようとも、さして興味はない。
「踊っ……? ごめんなさい、私、立てないの。できることなら、私もあなたみたいに二本の足で立ちたいんだけど」
「――ふむ。既に見放されていたか。ならば、私が手を下すまでもない、そう天命が下ったというわけだな。いいだろう、此度は免じてやる。ただし、二度目があるとは思わぬことだ」
自らが釘を刺したことに、なによりも私は吃驚した。
――知らぬ間に、そこまで染まっていたか。
柔く、甘く、弱くなったものだ。
こいつは、運がいいらしい。
「ならば、消えよ。その薄汚れた姿を視界に留めておくことは、私の矜持が許さん」
「いや、だから、歩けないから消えられない……あなた、怪我してるの?」
「――――」
その女は私の肢体を慮外に観察し、言葉を紡いだ。
本当に、腹が立つ女だ。
そしてなにより腹が立つのは――、
「……これは、呪詛を抑えているだけにすぎん。貴様のような脆弱な人間と同じ尺度で語るな。もっとも、力が戻れば語る間もなく絶え入ることになるだろうがな」
「あ、そう? 怪我じゃないなら安心した。でもじゅそ? って?」
「呪い、と言い換えてもいい。私の矜持であり、務であり――趣味のようなものだな」
――なにより腹が立つのは、当たり前に対話に応じてしまう、自分自身にだ。
いつからこうなったか、ともかく私は染まりすぎてしまったらしい。
辺りを見渡す。
白い場所だ。ここには、ふたつの命しかない。
私の他には、簡単に殺せる人間がひとつ。それだけだ。
なのに――、
「ふふ、面白い子。私ね、もうすぐ死ぬんだって。友達もいないし、学校にも行けないし、なーんか全部どうでもよくなっちゃった。……でも、最後にあなたと話せてよかった」
「ふん。元より、私が手を下すまでもないではないか。して、子とはなんだ。貴様の尺度で測るなと申し付けだであろう」
「だって、あなた私より歳下でしょう? そう見えるけど……違った? あ、私は16歳で、もうちょっとで17歳になるの」
話の通じぬ痴鈍、その眼を覗くと、やけに澄んだ瞳をしている。
どこまでもふざけた女だ。
そもそも、私と人間の間には地獄よりも深い隔たりがあるというのに。
「……まぁよい。どうせ死にゆく命だ。私は生を捨てたものには寛容だからな。それに、劣等種の人間と私とでは、見えてる景色が根本から違うことは拠所ないとも言えよう。それを許容するかどうかは、私次第ではあるがな」
「……? あ、でも私、前にあなたみたいな人を見かけたことがあるわ。えっと、なんて呼ばれてたかな……」
「――っ、なんだと!? 堕呪子がこの世界に、この周辺にいるというのか!?」
「え? う、うん。そうなのかな?」
なんということか。
私に感知できぬほどの存在、それはまさか――。
最悪の予感に手が震える。
武者震いに近いものか、あるいは恐怖も孕んでいたのかもしれない。
だが、悪くない。
なにより、情報には価値がある。
ひいては、こいつにも利用価値があるということ。
「――貴様、ここを出よ。私の眷属となれ。是非は問わぬぞ。役に立ってもらう」
「よくわかんないけど、病室から出ろって言うなら、それは無理だよ」
「――っ! なぜだ! いや、貴様に拒否権は――」
「だって、言ったでしょ? そろそろ死ぬんだもん、私」
「――――」
――なんと脆い。人間とは、こうも脆いか。
なんのために生きているのか分からぬほど、人は脆い。
しかし、それでは困るのだ。
人は呪うために存在するが、こいつには生きててもらわねば困るのだ。
私のためにその命を燃やして貰わねば、こいつはなんのために死ぬというのか。
――天命か。天命がそうさせるのか。
いかに私でも、天の命に抗うことは出来ない。
だが――。
「――案ずるな。私には呪いの力がある。貴様ひとりの運命を変えるくらい、容易いものだ」
「無理だよ。死ぬって言われたら死ぬんだもん。最初は皆と一緒の部屋だったのに、皆いなくなっちゃって、私も広い部屋に移されて。死んじゃうよ、だって私人間だもん」
感情に任せた論に、価値はない。
人間には効いても、私に対してはなんの意味も持たない。
そんな顔をしても、そこに意味は無い。
泣きそうでも、苦しそうでも、辛そうでも。
だから、だけど――。
「――。……死なぬ。死なぬぞ。貴様は死なぬ。既に呪いはかけた。貴様が死ぬのは100年後だ」
「……そんなこと」
「あるぞ。私を誰と心得る。忌み深淵から蘇りし、堕呪子の生き残りだ。貴様の尺度で語るでない」
「――私、死なないの?」
「――いや、死ぬ。だが、それは100年後の話だ」
気づけば私は、その手を取っていた。
握りしめて、暖かくて、馬鹿らしくて、なんだ、これは。
こんな気持ちは、私が、人間に、なんで。
「ありがとう。手術ね、受けないつもりだったんだけど、頑張ってみる。あなたのために」
「うむ、うむ。私のために生きよ」
「……うん。私、生きたい」
気づけば、女の頬を一筋の光が伝う。
忌々しいはずのそれは、私の心を温めた。
「――あ、そうだ。思い出した。あなたみたいな人が、どう呼ばれていたか」
「――なんだ?」
人間界では、『堕呪子』の呼び名は広まってないはずだ。
ならば、一体――。
「――厨二病、だったかな」
私の腕に絡みつく包帯をつまみながら、女はそう呟いた。
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