第10話 魔女の誕生

 魔女。

 ボクは初めてエリに畏怖を感じた。

 だって、彼女の横には蜘蛛型魔獣が一匹、忠実な家来のようにつきしたがっているのだから。

 あのガスマスクマッチョから入手した能力で、彼女はこれを配下にしてしまった。

 アンデッドを支配する能力。それがあのコードネーム軍曹の持つ能力だった。

「この子はまだ簡単だったよ。支配するためのソケットが二つ、あいつとあいつの親分の分あいていたから、そこを侵食すればよかっただけ」

 そのソケットというのは、ボクのような義体の戦士ではなく、アイアンゴーレムのようなガーディアンに用意されている命令ソケットだろう。彼女の能力はマテリアル侵食だから、アンデッドのような生物系は支配できるが、ここのガーディアンのような機械系は支配できない。アンデッドでもソケット一つ制圧に二十分、襲撃にきている魔物なら四十分かかる。その間、彼女のマテリアルの糸とボクの腕力で抑え込んでいなければならなかった。

 それがまだ救いで、彼女はアンデッドの配下を理論上はどんどん増やすことができる。あのマッチョと同等の権限があるなら、百を超える魔物を率いることも可能となるだろう。もし、軍曹を何体か配下にできたら、軍団ができあがりかねない。

 だから、ボクは魔女と彼女を恐れた。いつか、この恐怖から彼女と対立するのではないかという嫌な予感がする。

 エリはただ、自分を守る力が欲しかっただけだ。

 それはわかっている。彼女は背が高いという理由だけで自分の都市から追放された身の上だ。その上、魔物を配下にしなくても十分に危険な能力を身に着けてしまった。それは前のボクを支配していたやつのせいだ。ボクに責任がないとは言い切れない。彼女を犠牲にして今ボクはここにいる。なりゆきとはいえ恩人ともいえる。

 だから、なるべくボクが助けて彼女にアンデッドの女王になどならないようにしないといけない。それはあまりにも寂しく、破滅的な行く末しか予感しないから。


 涼陰津のガーディアンは人型だ。頑丈でとがった頭骨をはじめ、全身の骨格は頑丈で力も強い。知能は子供程度。そして生存のためには都市が供給する専用輸液を腹にためる必要がある。消化器系のような生命にかかわる臓器はごくわずかで、排泄すら都市の設備あるいは移動用に都市の提供した装置と大量の水が必要になる。丈夫で死ににくいが、活動状態での維持には手間暇が必要でこんな時でもなければ出してくることはない。

 その小さいものを小鬼、大きいものは大鬼とよばれている。小鬼は矮賢族より少し小さいくらいで、大鬼は長身族より頭一つ大きい。

 その小鬼を二十ばかり大鬼を七ばかりつれて彼らは帰ってきた。彼らとは調査団のことだ。

 と、言っても全員はいない。団長のコーラー女史と若い矮賢族の研究員だけ。保安担当のキリスはおらず、正規軍人の肩掛けをした若い矮賢族の男性が随行している。小鬼、大鬼は彼が率いていた。名前をミタク・カンという。エリの兄であった。

 彼の心情を汲むと、後悔と無力感とそしてそれを雪ぎたいがための焦りで満たされていた。彼には学者の適性は備わらなかったし、末の妹もそうだ。だが、エリは違う。両親にもっとも似ているのは彼女で、ただ長身族に生まれついてしまったことだけが不幸だった。

 彼が妹をかわいがったのは不憫に思っただけではない。不肖の息子の自分にできないことを代わってほしかったこともある。

 だが、今回の災害では何もしてやれなかった。

 集落がいくつか全滅するような災害だ。優先される任務は無数にあった。ミタクも一隊を連れて遊撃し、アンデッド魔獣をいくつも倒して浄化してまわった。そしてようやく調査隊の予備確認に同行することになったのである。

 本来なら調査隊保安主任のキリスの仕事だったろう。だが、キリスは不運なことに戦死してしまった。それでミタクが名乗り出ることになった。

 道中は安全とはいいがかたかった。侵攻してきたアンデッドの大半は討ったとはいえ、討ち漏らしはいるものだ。数度の掃討を行って、やっと連絡の回復を試みることが許可され、彼らはここまでやってきた。残党の魔物と数回の戦いはあったが、多くても三頭でだいたいははぐれた一頭を小鬼、大鬼が囲んで殴り、浄化して処分するだけの一方的な戦いばかり。小鬼、大鬼を指揮するミタクの手にはタブレット端末があり、部隊の編制画面が表示されている。同じものは実はエリの視界にも映しこまれていたのだが、それはお互い知ることはなかった。

 宿営地の惨状を見た彼らが最初に覚えたのは絶望だった。襲撃を受けたのは明白だったから。

 今回は現状確認までとなっている。小鬼、大鬼のために都市からもってきた輸液タンクと、排泄処理フィルタがの限界到達予測から、現地で費やす日数は二日と定められていた。

 エリが無事なら、なんとしてもせめて都市のすぐ外の安全な集落まで連れ帰るとミタクは決めていた。両親を安心させたかった。末の妹が、彼女はもう死んだと決めつけて両親を悲しませているのは耐えがたかった。

 大鬼の怪力で瓦礫を取り除け、小鬼に護衛させながら中に侵入した彼らは、ほぼ終わった修繕作業を続けている都市の保守用アイアンゴーレムと、修繕しきれていない深い破壊の痕跡を見つけてさらに絶望的になった。

 魔神の間にあった調査班の記録類は無惨なことになっていた。散らばり、踏みにじられ、魔獣の体液で汚れたと思われるものは破棄されて数を大きく減らしていた。

 思わずコーラー女史の絶望と嘆きの声が響き渡ったほどだ。

 重要なものは都度、涼陰津の学会に写しを送っていたが、現地にはまとまりきらなかった雑多な資料の蓄積があった。そこからまた何か出てくるかもしれない。その期待はこれで振り出しだ。

 予定された二日の滞在でこれを整理するのは難しい。女史は目についた資料の無事なのをいくつか拾い集めるにとどめるしかなかった。続きは調査隊の駐留が再開された後だ。

 そして、エリがいるはずの研究室のドアがあけられた。

 施錠されてない時点でミタクの覚えた嫌な予感は的中していた。中には誰もいない。死体も残っていないのはわずかな救いだ。

 ここには魔神の間のように暴力の吹き荒れた痕跡はない。むしろきちんと整頓されて引き払ったと思われるものだった。

「どこへいったんでしょう」

 この時点で、アラバスターの柩は扉を閉じてあったので、中がなくなってることには誰も気づかなかった。

「驚いたわ」

 コーラー女史はエリがまとめ、分類に従って積んでおいた資料をぱらぱらやって賞賛の声を禁じえなかった。

「あの子がこれまとめたの? 」

「どうしました? 」

「もっと早くからもっと好きにさせてもよかったかもってことね。あの子魔神語も覚えていたとは知らなかったし、語彙もこの期間にしては結構多く書き足してる」

「妹は暇だと何でもやりすぎるところがあります」

「それと、こっちは日々の記録ね。最初の三十日近くまで。日々の研究のメモ。魔物が現れた様子はない。この直後に何かあったようね」

 ミタクは黙り込んでしまった。不吉極まりない。廊下の様子から、宿営地の破壊ぶりから、大規模な襲撃を受けたことに間違いはない。エリは不意を突かれたのではないかと彼は心配だった。

「エリ・カンは無事よ」

 女史は安心させようとなるべく優しく言った。年齢の離れた弟に接するような接し方だ。

「記録はここで途絶えてるけど、こっちの資料の最後の書き込みは二十日位前の日付。何か理由があって、あの子はここを出ることにしたのよ」

「出て、どこへ行こうというのでしょう」

「わからないわ」

 女史はかぶりをふった。不意にのどをついた言葉がミタクを深く傷つけた。

「でも、涼陰津にはあの子の居場所はない。今回のことで思い知らされたわ」

「これだけの実績を積みながら、ですか」

「おそらく、あなたの思っている以上の実績よ。この短期間に大変な経験をしたようね」

 コーラー女史はきちんと整頓された資料を一瞥した。

「これは後事を託すためにきちんと整理しきったものよ」

「どこに行ったか知りませんが、あの学者バカがやっていけるとは思えません」

 なんとかならないんですか? とミタクは懇願する。が、コーラー女史は首をふるしかなかった。

「なるなら、あなたのお父様がなんとかなさってるわ。わたしたちにできるのは、これを残さず持ち帰ることだけね」

 彼女は若い研究員に全部梱包するよう指示した。

「特にここのは厳重に」

 コーラー女史が示したのは、侵食と魔神の町の敵についての記述だった。その重大性を認識していたエリによってより分けられ、散逸しないようすでに紐で厳重にしばられていた。どういうものかわかるように侵食と柩の麗人(つまりバイフェのことだ)の単語をメモしてある。

 エリは想像以上に危険なものに触れてしまったのかも知れない。そうなると、長身族として生まれてしまった以上に都市が受け入れるのに困難になるだろう。女史はくわしくはなかったが、都市核の安全についてきわめて危険な何かだという程度には知っていた。この内容は彼女も目にしないほうがいい。

 女史はひそかにため息をついた。エリが去ったのはそういう理由だ。そしてそれを嘆く彼女の善良な兄に伝えることはしないほうがいいだろう。

 その前に、たぶん上層部はここを徹底的に調査するだろう。

 彼女調査隊の再派遣は当分先になりそうだ。女史は憂鬱だった。

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