第9話 死闘
敵のデータ、戦闘パターンは最初の義体の準備中、シミュレーターの仮想空間でありったけ見たけど、こんなやつはいなかった。
一瞬、人間かと思ったけど、こんな人間はいない。
一言で言えば旧式のガスマスクをかぶった身長二メートル超えの裸のマッチョ。
巨体はともかく、人間と考えるには不自然なところだらけだった。ガスマスクの目の位置がやたら下のほうであったし、全身に血管を浮き立たせたぱんぱんに膨らんだ筋肉は体脂肪なんかなさそうな感じだったし、なんといってもむき出しの股間には人間ならあるはずのものが男女どちらのパターンもない。正直、グロテスクな生きものだ。
そいつに体当たりをくらってエリがふっとんでいく。マテリアル銃を構えたときには、そいつは驚くべき加速でエリにおいつき、その体をつかんで盾にしていた。
にらみ合いになった。ガスマスクマッチョには明らかに知能があるらしく、エリを盾にしていないと撃たれるとわかって決して放そうとしない。バイフェもエリを守るためには撃つぞという状況を覆せない。
打開をはかるためバイフェが知ってる限りの言葉で話しかけても、どうやら聞こえていないように見える。ただ、時々じりじり動くだけで彼らはにらみ合いを続けた。
情勢の変化はバイフェの背後に訪れた。
何かがゆっくりやってくる気配。それも一つ二つではない。慎重に、物を壊さないようにやってくる。そうやって、アイアンゴーレムとの戦いを引き起こさないでやってくる理由を、彼女は一つしか思いつかなかった。
このにらみ合いに介入するためだ。
(やられた)
まだまだ遠いが、やってくるまでの数分の間になんとか打開する手段がない。
無謀な賭けに出るか。バイフェは汗をかかないが、冷や汗のながれる思いをした。
だが、変化は違うところにも表れた。
ガスマスクマッチョの体が不意にのけぞった。エリを拘束していた腕が離れる。
その後のエリの動きは戦士であるバイフェの目にもほれぼれするようなものだった。
ふわっと足が地面を離れると後ろ足にマッチョを蹴り、くるりと空中で向きを変えるとふりかぶったかなてこを驚くべきヘッドスピードでそのガスマスクに打ち込んだのだ。
鈍い音がしてマスク部分が割れた。ぼこっと紫色の体液を散らし、その軟体動物のような頭部がへしゃげて飛び散った。その傷口に銀色のマテリアルの糸が飛んでからみつき、食い込む。ガスマスクマッチョはくぐもった唸り声をあげた。それが断末魔だった。ガスマスクマッチョは全身を引きつらせ、痙攣しつづけた。
バイフェの発射したマテリアル銃の弾丸、ベアリングが鈍い音を立てて立て続けに三発、その腹部に食い込む。一発は貫通して背後の壁にあたって大きな音をたてた。
人の形をしていたけど、やっぱりあれは魔獣だった。
ボクがなんであいつの急所を知ることができたかといえば、寡黙で不愉快な同居人のおかげだ。
視界に勝手に割り込むのは勘弁してほしい。びっくりして気が散るから。
いきなり重ねてきた表示にはあの不気味なやつのコードネームと、急所がスポットされていた。ボクがやったのはその急所をマテリアル銃で撃っただけ。以前のような自動銃じゃないので、より正確に狙う必要がある。練習の甲斐があったよ。
コードネームは軍曹。つまり下士官ユニットだ。知能があるのだから、もしかしたら中身はボクと似たり寄ったりで、あれは一種の義体で中身はボクと同じような人だったかも知れない。そうだとしたらぞっとしない話だ。
エリがすばやく糸を繰り出して軍曹を覆ってマテリアルを奪いにかかった。ちょっと顔をしかめている。
彼女から聞いたのだけど、この時に相手の能力、主にマテリアル操作だけど、それを学習することができるそうだ。マテリアルを奪う侵食と、固そうな金属のガスマスクを割るほどの勢いを出した加速と、そして体当たりの時にとっさにかけて衝撃を緩和した軽量化、そして糸繰り。この四つが前の侵食されたボク、サイ、猿、蜘蛛から奪ったもので、同じものを重ねても特に上達するわけじゃないといっていた。
この人型の魔獣から彼女は何を奪ったのかな?
険しいあんまり愉快なものではなさそうだけど。
この時は彼女は奪ったマテリアルをボクにくれようとはしなかった。
いつもは「あーんして」なんてちょっと気恥ずかしくなるようなことをいってくるんだけどさ。
たぶん、倒したこいつが呼んだんであろう他の魔獣たちの様子がこれで変わった。
確信をもってじりじりボクの背後にせまっていたはずなのに、急にうろうろしはじめた。でていったのもいる。どうやって意思疎通してたのか、ちょっと気になる。やっぱりマテリアルマジックなるものなのかな。
うまくいった。
エリは内心の冷や汗が冷えていくような寒々とした気持ちで切り抜けた危機をふりかえった。
不意打ちを受けた時にはもうだめかと彼女は思っていた。
蜘蛛の持つ牙、猿の怪力、サイの突進、どれでも生身のエリには致命的なものだし、この不気味な人間のようなものもそのような致命的な攻撃手段があることに間違いはなかった。
不意打ちをかけたのが蜘蛛、猿、サイのどれかだったら彼女は致命的な一撃をもらって事実上の死に瀕していただろう。だが、襲撃者には状況を判断する知能があり、そして戦闘用義体を持ったバイフェがそこにいた。
殺さず、盾に使う。その判断がエリを救った。
そこから先はぶっつけ本番の連続だった。
エリがやったのは侵食の応用だった。
マテリアル奪取は生きてる相手には通用しない。それは手ごたえでわかっていた。それなら侵食は役に立たないのか。
「ワシ」と自称する者にくらった侵食がヒントになった。
相手のマテリアルを侵食し、治癒ではなく破損に向かわせるよう仕込んだ彼女のマテリアルを送り込む。その術式を彼女は組み立ててあった。送り込むのにどれくらいかかるのか、効果がどのくらい出るのか、まだ一度も試していない手段だった。
しかし、いつでも彼女をひねり殺せる相手の手のうちにあって、選択の余地などなかった。
やってみた結果、接触状態から送り込みはじめるまで二十秒ほど、そして送り込めれば十秒ほどで効果がでることがわかった。もっとも、それまでやはり試行錯誤は少し入ったのでバイフェがにらみ合いを維持してくれてエリは結果論とはいえ本当に感謝していた。
ガスマスクマッチョは自身の肉体にかなりの自信があったのだろう。無視しがたい激痛に腕の力が緩むまで、異常に気付かなかった。
気づかなかったのにはもう一つ理由がある。
だいぶ弱弱しいが、エリは彼から侵食の力を感じていた。「ワシ」の同類のようだが、だいぶ格は落ちるらしいと察した彼女は同じくらいの力で押し返しを図った。これにはガスマスクマッチョも驚き、すこし身じろぎした。どう思ったのかエリにはわからないが、バイフェとにらみ合いながら試すように侵食を試み、押し返すがくりかえされた。エリは彼の侵食を圧倒する確信を得たが、蘇生中の死体のようにマテリアルを奪うようなことまではできないとも感じていた。膠着である。
その膠着を激痛が破った。
猿から手に入れていた身軽さでエリは相手を蹴り飛ばし、離れることに成功した。マッチョに送り込んだ自分のマテリアルとはまだつながったままだが、感づいたマッチョのマテリアルによってそれが消化されていくのも感じ取れた。ぶっつけ本番にしてはうまくいったが、武器とするには頼りない。
手にしたかなてこにはエリのマテリアルを糸状にからめてある。これに魔力を通してサイの加速能力で回転するヘッドスピードをさらに乗せてマッチョのマスクを砕いた。それで仕留められたのならよかったのだが、マッチョは一番堅いところで打撃を受け止めるくらいの反応を示した。
しとめきれていない。次の瞬間にはあの剛腕でまちがいなく致命傷を受けると彼女はぞくりと死を予感した。
だから、バイフェが射撃でしとめてくれた時にはしばらく自分の生存が信じられなかったくらいだ。
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