第4話 襲撃

 まずい、とエリは思った。

 門柱の監視デバイスから外の様子を見ようとして、それが破壊されていることに気付いたからだ。

 うっかりしていた。

 しばらく魔物が近づいてくる様子もなかったので、チェックを怠っていたのだ。最後に見たのはおそらく一昨日、二日の間に何者かがあれに気付いて破壊を行ったのだ。

 魔神との謁見室は隠れるところはない。隅っこに研究者たちの書架や机はあるが小さい部屋一つないし、ここで働いていた彼らの生活は外の宿営地にあった。

 命にかかわる焦りを感じて彼女は研究室に急いだ。

 ものの倒れる音がまた続く。何者かが侵入しようとしていることを確信して、エリは足を速めた。

 かりかりと固い床をひっかくような音が聞こえた。ちらっと振り向くと、見覚えのある赤い猿のような魔物が廊下に飛び出し、彼女をおいかけてくる。おもしろいのかどうかわからないが、途中にある壁掛け式の照明を壊しながら追いかけてくるのは遊んでいるとしか思えない。エリは恐怖した。この魔物がいつでも彼女に追いついて引き裂くことができると悟ったからだ。

 こいつが追いかけっこを楽しんでいる間に研究室にはいれるか? エリは絶望的な気持ちになった。ドアを開けている間につかまる。たとえ待っててくれても締め出すなんて無理だ。あけてはいって閉める間、じっと待ってくれるわけがない。

 死ぬ、エリは恐怖した。

「いやだ」

 そんな言葉がこぼれた時、背中をどんと激しい衝撃が見舞った。痛みはまだないが、熱い。ほどなく激痛がやってくると彼女は理解した。

 研究室まであと少し。

 こうなったら、戦ってやる。捨て鉢になった彼女は後を見た。

 魔獣の悲鳴が聞こえた。

 犬型のアイアンゴーレムが、猿の魔物の首にかみつくのを見てエリは目を丸くした。都市の警備用のやつだと思うが、なぜ出てきたのか。

 遊び半分で灯具を壊してきたせいである。だが、このときのエリにはそれに気づく余裕はなかった。

 とにかく、これはチャンスだ。

 彼女はじんじんと痛みを感じ始めたのを我慢してドアにとりつき、中から閉めた。とたんに耐えがたい激痛に悲鳴をあげることになる。

 気絶できれば楽だったのだろう。そのまま失血死したはずだから。

 彼女の中のマテリアルが、傷を補修しようとしているのをエリは感じていた。このまま死んでも補修が続き、魂が抜けたまま欲求や死んでも残る強い執念のままに行動するアンデッドになる。嫌なら、死なないように自分の魔力を使って心臓を動かし、意識を保ち続けるしかない。そしてさすがに死にたいはずはなかった。

 しかし、自分で自分の傷を診断したエリは絶望の声をあげるしかなかった。

 思ったより深い。心臓が止まりかけている。破損した臓器をマテリアルで構築して回復するまでもたさないといけない。そしてマテリアルが足りない。

 だが、研究室には彼女のマテリアルが体の外にいくつもあった。「彼女」に取り付けたセンサーだ。

「あれも、回収しないと」

 足りない。それでももしかしたら足りない。だとしてもやるしかなかった。

 エリは細くマテリアルを伸ばしてセンサーと自分を接続した。この接続を経由してマテリアルを回収するのだ。取り込みながら、破損部分の仮補修を行うのを、激痛に耐えながらやりとげなければならない。何度も意識が飛びそうになっては自分を叱咤する。いっそこのまま死んでアンデッドになってしまってもいいかもしれない。そんな迷いがなかったわけはなかった。

 半分くらい回収が終わったあたりだろうか、スピーカーから自分の声がした。

「聞こえるか」

 音声は彼女の声を模したものだったが、言葉遣いは男性のもののようだ。

「誰? 」

「誰でもない。誰でもよい。壊れかけた人よ。提案がある」

「提案? 」

「あなたに提供できるマテリアルがある。ただし、純粋なものではないが受け入れる気はあるか」

 純粋でないということは、何か別の生き物のものということだ。それを取り込むための手順は二種類。一つは浄化という儀式を行ってマテリアルを解放したものを取りこむ。これはすぐにマテリアルが拡散するのであまりたくさんはとれない。もう一つは食うこと。体内で強制的に同化させる方法で、取り込める量は比較的多い。浄化は魔力を使うが、消化は体力を使う。浄化は相手が死んでいないと効果がない。喰うほうは食いちぎった一部分でも取り込むことは可能。エリは初歩的な浄化は知っていたが、それさえ行う余裕はない。提供の方法はわからないが、今できるとすれば体力を信じての消化しかないだろう。

 要するに、一か八かだ。

(いきなり賭けに出るるより、一つだけ試してみてもいいだろう)

 エリは魔神の言葉を思い出し、質問を形成してみた。もしかしたら、魔神は直にあわなくても聞き耳を立てているかもしれない。

「魔神、私は死ぬの? 」

「九十五パーセント死ぬ。マテリアルが足りない」

 スピーカーから彼女の声で返事が返ってきた。魔神語だが、彼女の理解できる範囲の言葉だった。

「希望の持てる回答ありがとう」

 魔神は嘘は言わない。エリは唇をかんだ。激痛が急に耐えがたくなってきた。

「じゃあ、答えは『はい』よ」

 答えるのと、意識がすとんと落ちるのは同時だった。


「なんということだ」

 誰かの声が聞こえた。しわがれた老人の声のように聞こえた。

「誰? 」

 エリは夢うつつにその声の主の姿をとらえようとする。

「なんということだ。あやつら、ワシを拒否してあろうことか放り出しよった」

「誰? 」

「ワシだ……だ」

 名前の部分が聞き取れない。

 エリは察した。純粋でない、つまりこの「ワシ」と自称する誰かのマテリアルが流し込まれたのだと。誰のもので、どこからかわからないが、少なくとも人間のそれを取り込むのは初めてだった。普通、人間は食べないものだ。

 体力は使うが、ほっておけば本体につながってないそれは消化され、彼女のものとして取り込まれる。そうしないと生き延びるのに必要なマテリアルが確保できない。

 取り込みは、意識しなくても働くはずだった。

「ワシは、持ち帰らなければならぬ」

 本体と切り離され、主体性もないマテリアルが抵抗してくる。痛みのようなものを感じてエリはおののいた。

(こいつ、わたしを食べようとしてる)

 消化される痛みではなく、侵入してくる刺すような痛み。

(やだ、入ってくるな)

 エリはかっと目を見開いた。消化のために体力を温存している場合ではない。死ぬかも知れないが、抵抗しなければ。

 彼女は生命維持に必要な以外の魔力をかき集め、侵入するマテリアルを浄化しようとした。ばちばちと激しく触れ合う感覚がある。

 エリはマテリアル操作にはかなりたけていた。日ごろ修練をかかさなかったおかげでもある。だから、しのぎあいに集中しているだけでなく、相手がどのような干渉をしてきてるかを理解して効率よく戦おうとした。

(これは遅延性の消化の一種だ)

 奥まで侵入して相手を麻痺させ、ゆっくり自分に同化していく侵食とよんでよい食い込みかただ。

(こういうのは初めてだ。おもしろい)

 生死の分かれ目だというのに、彼女は「ワシ」との攻防を楽しみ始めた。いろいろ試す余裕さえ持ち始め、気がつくと痛みはもう感じていなかった。

 相手のやり方を学び。ただ模倣するだけでなく楽しんであれこれやってみたエリはいつのまにか「ワシ」のマテリアルを逆に侵食しはじめていた。


 

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