第3話 一人暮らし
マテリアルで監視ギミックを作成して門柱のてっぺんにつけるのは結構大変だったが、やってよかったとエリは思った。
高い位置から周辺のまばらな林がよく見通せる。視界の片隅を占有しているので、目をつぶっても小さく見えるし、あとは見えたものを見逃さないことだった。
視界はそちら主体に切り替えることができるので周辺に注意しておけばじっくり凝視もできる。
立ち去ってほしいという彼女の願いはむなしかった。赤毛の猿のような魔物と、重々しく固そうな頭をふる大型の牛のような魔物がじっと廃都市のドーム状の地上部を見ている。彼らの習性はわからないが、どうやら他の都市をさけようとは考えないようだ。それどころか侵入場所をさがしてうろうろしている。
牛のような魔物が扉に体当たりしたが、幸いにも扉は耐えた。牛型魔物は角が折れ、痛そうにうなった。
二匹はあきらめて引き揚げていったが、その前に目線をかわしてなにか意思疎通したようなのでとてもいやな感じをエリは覚えた。
彼らが侵入してきた場合、都市に危害を加えない限り防衛機構は動かない。
それは彼女も十日目くらいに確認を終えていた。
確認相手は魔神で、彼女は前から少し覚えていた魔神の言葉を必死に学習し、可能な質問をぶつけることを「彼女」の観測と生活のための活動に加えて実施していた。
魔神は質問の仕方が悪いとちゃんとは答えてくれない。エリがもっともほしかった情報は「彼女」に関するものだった。
それについては、たった一つの質問の答えだけ魔神から得られている。
「修復は完了している。再起動には
何者か、なぜあれだけ別室でああなってるかは不明単語が多すぎて意味のわからない答えしか得られていない。
他の質問は結構答えを得ていた。
といっても質問したのは彼女ではなく、以前の研究員たちで、質問と答えの書き取りが残っていたのだ。
例えば冷蔵設備の存在。魔神担当研究員だけの秘密だったらしく、開けてみると中には食肉加工品や、凍らせた焼くだけの料理などがこっそりしまわれてある。エリは遠慮せずいただいてしまった。
「んなもん自業自得でしょう」
来客用の客室もあったらしいが、これは以前に略奪者がひどいことをやったらしく家具が完全になくなっていた。都市の清掃用のアイアンゴーレムが残骸になった家具や、おそらく死体、血痕まで全部片づけてしまったので研究室より殺風景になっている。使い方のわからないトイレなどがついているがそこにひっこもうとはエリは思わなかった。今では研究室のほうが居心地がいい。
宿舎からマットと布団を持ち込んだし、もしやと同じような場所を確かめると水の出る洗面所とトイレもあった。魔物たちに押し込まれたらここに立てこもれば持ち込んだ食糧の続く間は立てこもれる。
この廃都市がどういうところかもはっきりしていた。いくつかの質問の回答から研究員の誰かが結論を出していた。ここは、古い世界の知識の保管庫らしい。行き過ぎたものを与えないよう、魔神が質問に答える形で来訪者の水準に応じた知識をくれるとあった。
「誰が、なんのため? 」
その質問もされていたが、誰がについては意味の把握できない単語、なんのためは再建のためとこれもあいまいな回答になっている。
「再建ってことは一度は荒れ果てたのかな」
彼女は同じような考察を見つけた。
「
神云々については彼女は賛成しなかったが、わからないことなので保留とした。
「蒔かれた都市核は落下の速度をいかして地中深く潜り、地中の熱と素材をつかって成長する。やがて地上に姿を現すほど大きくなったころに矮賢族が現れたらしい。都市住人たる我々にそこまでの記録がないのはそのためだ。魔神に質問するように都市核に質問を発すれば、そのころのことを知ることができるかもしれない」
この記述はエリの叔父の字で書かれていた。
「あの人、この問いの答えをもらえたのかな」
第二の父親のような人だった。エリの外見ではなく、知性を愛してくれた。ことここに至って自分のことで胸を痛めてはいないだろうか、と彼女は叔父からの手紙の内容を思い出してくすりと笑う。手紙の冒頭にはいつも「優秀なるわが姪よ。今回もなかなか興味深い考察と傍証をありがとう」とあった。人材として評価する、というのがあの賢者のスタンスだとエリは知っていた。もちろん本音は別にある。
いつでも魔神に質問しにいけるようなったので、エリの研究は突破口のようなものが見えてきた。今までは、質問内容を提出し、許可をもらう必要があったのと、このように自由に残されたノートを見ることもできなかったので頻度も精度も低い質問しかできなかった。
魔神の言葉も語彙が増えてきて、彼女はそれを共有の語彙帳にどんどん書き足していった。それを将来目にして生かす人がいるかどうかは不明だが、それでも彼女は何かを残さずにはおけなかった。
もしかすると、彼女は実の両親以上に学者バカだったのかもしれない。彼女の知る兄も妹も学者気質はついでいないようなので、両親は血筋に後継者を得られなかったことになる。彼女の叔父がそこを惜しんでいることはエリも感じ取っていた。
あれから、三十日近く、魔物はやってこない。だが、遠くをそれらしい姿が集落目指して移動しているのは見えていた。おそらくもうこないのだろう。エリはそう思って研究に没頭した。
アラバスターの中の「彼女」は魔神の言葉で話しかけると言葉に応じた反応があることがわかってきた。そうなると、魔神への質問集を参考にいろいろ話しかけてみるしかないだろう。
「おはよう」
エリが「彼女」にする朝の挨拶は魔神語だ。おはように返す言葉はおはようだ、彼女は検出した反応を「おはよう」として記録した。時には「彼女」のほうから何か信号を送ることも起きるようになってきた。その意味はわからないが、エリはマテリアルを貼り付け、スピーカーをつないでみた。もし、「彼女」もマテリアルが使えるなら使い方を学べば音声で何か信号を出せると思ったからだ。少なくとも、エリの声には反応しているのだ。だめでもともと、うまくいけば会話できるようになるだろうと。実際、意味不明の音なら時々出るようになった。
ここから始まるのは気の長い研究になるだろう。エリはそう思った。それがなるまで生きていられるかどうかわからないが、やるだけやってやる。彼女はそう決心している。彼女の精神は頑固というより強固だった。
そのためには可能な限りここで自活できないといけない。
人のいない廃都市ではあるが、不幸な事故、事件で無人になったわけではなく、都市核の育てたものは全部健在のはずだ。人、一人分なんとかするだけの機能があってもおかしくない。トイレがあるのだ、なんかあっていいはずなのだ。エリは魔神にいろいろ聞いてみた。
魔神の答えは相変わらず判じ物だったが、エリはそれを解いた。おかげで流しと水道だけのキッチンに隠されたフードサプライを発見することができた。
出てくるものはどろっとした見た目の悪いおかゆで、食べられないわけではないが少々味気なく、食感もよいものではなかったが。
それでも食糧を食べつくしても飢える心配のなくなったことは大きい。
小躍りしている彼女の耳に、入り口のほうから不吉な音がした。何かが倒れる音だった。
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