第1話 研究者 エリ・カン

 その時が来ることはわかっていた。両親はエリをかばってくれたが、それも限界だ。天蓋に覆われた半地下都市、都市ドミヌスク、そこに住まうことができるのはまだこの町が地下に完全に埋もれていたころから住んでいた小柄な矮賢族ヒュムだけの特権だ。

 都市ドミヌスクは遠い遠い母なる世界から地中に撃ち込まれ、地熱と地下資源を糧に成長してきた移民都市で、ある程度育つと住人である矮賢族ヒュムを生み出しさらなる発展を遂げる。そして地上に姿を現すとさらなる資源を求めて支配領域を広げていった。その子供世代に大柄で頑強な者が生まれることがる。それが長身族トロールマンだ。外に出た者にしか生まれないため、都市ドミヌスクの上流階級は外に出たがらない。反対にそんな余裕のない下層民に選択肢はない。

 エリは子供のころから、同年代の子供とどこか違うことに気付いていた。その違いは幼いうちはただちょっと背が高い程度にしか出ていなかったが、思春期になるともう隠しようがなくなった。普通より背が高く、体形はしゅっとしたものになった。

 エリには兄と妹がいるが、二人とも矮賢族ヒュムなのに、彼女はどうやら長身族トロールマンらしい。自分は両親の本当の子供なのか、と聞くとそれはまちがいないと返事があった。じゃあなんで自分だけ長身族トロールマンなのか。

「少しの間、私たちが外に出ていた時期があったの」

 それがどういう意味かは彼女も追放される頃には察していた。両親の仕事はマテリアルと呼ばれる魔法物質の研究である。都市ドミヌスクの奥にも地上の隅々にもあるこの魔法物質はあらゆる生物に宿っていて、不思議なこと、つまり魔法の源になっているが、都市ドミヌスクの最初の核に宿っているデータベースには一切の記録がない。大変便利なものなので、知識階級でも下位の者が多く研究に携わっていた。おおがかりな実験も希少な見本も全部外にある。なぜ外でもうけた子供が長身族トロールマンになるかはわかっているそうだが開示はされていない。

 下層民のように外に出たことがあるが、両親の身分は決して低くはない。エリが十四になるまで都市ドミヌスクにとどまれたのは不憫に思ったか両親の厚い庇護のあったがゆえである。

 その間に、彼女は両親、親戚、それらの交友たる知識階級の大人たちより様々な知識といくつかの技術を習得していた。いずれ外に追放される彼女の生きる助けになればという願いのたまものだった。両親と異なり、軍人の道を歩んでいた兄からは護身のためのあれこれも学んでいる。兄とは仲が良かったが、妹とは最悪に近かった。エリのことは一家の恥だと思って十にみたない少女は残酷な言葉をエリにあびせた。

 だから、ついにすべてが露見し追放となった時には彼女にも受け入れる気持ちが出来上がっていた。どうしても家族に迷惑をかけているという感情を消すことができなかったから。外には魔物がいて、他の都市ドミヌスクとの紛争もあって怖いところだと聞いていたが、身のおきどころのなくなった中よりまだ何かのチャンスがあると彼女なりに覚悟を決めた。

 都市ドミヌスクから出た者たちが集まって住む場所は集落カストラスクと呼ばれている。住人は外で様々な資源採取や一次加工、都市ドミヌスクから持ってきた種や地元のものを改良した農産物を魔法や魔法で加工した生物、あるいは都市ドミヌスク製造の高度なゴーレムで栽培する農民であったりする。外生まれの長身族トロールマンはあまり教育を受けていないので、下層民出身でも読み書きのできる矮賢族ヒュムより下に見られていた。

 エリも最初はそのような仕事を割り当てられた。人事監督をやっている外育ちの矮賢族ヒュムの監督は意地の悪い人物で、手作業が多く、機械に頼れる鉱夫よりきつい選鉱所の仕事を割り当てた。

「クズにはお似合いの仕事だ。教育してやる」

 実際のところ、彼は彼女がどんな教育を受けていたか知っていた。たくさんの公的認定も取っていることを知っている。それが彼の反感をつのらせた。

 残酷な悪意に初めてふれたエリはおののいた。仕事は汚れて痛くて油断すると怪我をしかねない危険な場合もあった。

 兄に鍛えてもらった体力がなければ何もかもぽっきり折れて、底意地の悪い監督の思うままになっていただろう。尊厳を守るため、訓練されたマテリアル操作で愚かな長身族の先輩たちを無力化することができなかったら、何人もいる目の死んだ長身族の女たちの仲間入りをしていただろう。

 結果、彼女は恐れられ安全な集落から危険な辺境に移された。

 住人のいない廃都市ダングの調査隊に加わることになったためだ。監督が厄介払いにと彼女の資質を並べて下働きにと推薦した。

 廃都市ダングは住民が何らかの理由でいなくなった都市ドミヌスクだ。核がまだ生きているため防衛の機能が生きていてここに侵入することは危険を伴う。それでも押し入って略奪を働くことを生業としている外の住人がいて、ハイリスクハイリターンの仕事として知られていた。本当に行き場のない者、自暴自棄になった者、さまざまな矮賢族ヒュム長身族トロールマンが茶飯事のように命を散らしている。その最終目的といえるお宝は廃都の核で、これをどこかの都市ドミヌスクに売り込めば一生の贅沢三昧が可能な褒章を得ることができた。

 核は核を取り込んでデータと処理能力をあげ、都市ドミヌスクの国力は最終的に倍以上になることが期待できたため、それでも安い代金であった。

 エリもそんな荒くれの中に放り込まれたのかと悲観したが、調査隊の幹部の一人に母方の叔父の姿を見て、これはそうではないと知った。

「実のところ、姉さんに頼まれてね」

 叔父はそういった。

 エリの境遇を両親が知ったらしい。

「それに、君は賢い子だったからきっと力になってくれるだろう」

 それは無言の脅しでもあった。役に立て、そういわれていると彼女は思った。

 それから十年がすぎることになる。


「おはよう」

 エリは「彼女」に挨拶して研究室に入った。

 「彼女」はアラバスターの棺桶に封じられ、かろうじてシルエットと顔の一部が垣間見える古代の死者で、本当に女性なのかどうかはわからないが見えている顔の線が細く、女性的な気配があるのでとりあえずそう呼ばれ続けている。全身ははっきり見えないが、矮賢族ヒュムではなく長身族トロールマンのように見えてエリは勝手に親しみを覚えている。修復中の人型魔物ではないかと言われているが、この一室に隔離されて封じられている理由はわかっていない。活動が観察されるため、修復は今でも続いているようだ。

 もう長い間研究対象とされているせいで、研究室とよんでいるこの一室には机や椅子や食べ物をいれた箱、水甕、携帯コンロにお茶の道具とくつろぎながら記録を保管できるようになっていて、ここがどこかの人の住む町の一角じゃないかと錯覚してしまいそうになる。発見当時、この部屋には「彼女」の棺桶がぽつんとあるだけで他には何もなかった。今は、「彼女」にもマテリアルと呼ばれる魔法物質で作ったいわばセンサーがいくつもはりつけられ、エリが休んでいる間も記録を取り続けていた。

 そのセンサーの上に指を這わせ、「カシコミカシコミモウシマセ」と呪文を唱えれば、彼女の中から一日の許容量から所定の魔力が吸い出され、センサーはウィンドウを一斉に開いて情報を開示した。エリの仕事はこれを記録すること。そして変化があれば所見を書くこと。できたものは三十日に一度、いくつかの集落カストラスクを経由して彼女の所属する都市ドミヌスクの学会に送られる。

 学会の関心は、しかし「彼女」にはあまり注がれていない。

 どちらかというとこの遺跡の別のところで見つかった「知恵の魔神」の存在のほうが強い関心を持たれている。それは威厳ある半裸の男神像で、正しく質問すると正しく答えてくれるものだということがわかってきていた。問題は、質問するために言葉の理解をしなければならないという点。理解すべき言葉は知恵の魔神の使う言葉で、エリたちの言葉では答えてもらえない。彼女の属する都市ドミヌスクの言葉はもう理解しているのだが、それで答えてくれるのは言葉を学ぶための質問くらいだ。

 例えば「犬はあなたの言葉でなんといいますか」と聞くなら犬だけはエリたちの言葉であとは魔神の言葉で聞かなければならない。

 魔神と「彼女」の発見からもう二世代近くが経過していた。エリも師匠であるコズミ師よりこの仕事を引き継いだ。はりつけられているマテリアルのいくつかは師匠のものを譲渡されたもので、その死後も問題なく彼女についてのデータを集めている。

 一通り読みだしたエリは水甕から小さ目の土瓶に水をくんで携帯コンロにかけ、お湯がわくまでの時間、記録の転記にいそしんだ。湯がわくと、カウフェと呼ばれる粉末カフェイン飲料をマグに一さじいれて湯をそそいだ。これはほぼほぼインスタントコーヒーで彼女の属する都市、涼陰津サザンコールドハーバーの古い区画だけで作られている希少品だった。それをわざわざ彼女に送ってくれる人がいる。それだけでほっとする。

 一息つくと、さらに記録を続け、グラフなどの可視化表現に書き換えた上で先人、学会での見解に異を唱えたり理論補強を行ったり、いずれ自分なりの大発見をしたためる。それが彼女の仕事であり野心だった。実際、一定の評価は得ている。ただ、彼女が長身族であるという一点が叔父のように名誉を得ての都市帰還のような栄誉から彼女を遠ざけていた。

 いつもはそれに没頭し、夕食の時間を過ぎたあたりであわてて切り上げて引き揚げるのがエリの日課だった。厨房は魔神の研究チームの人たちと共用で、調理担当も仕事があるので待ってくれない。食いっぱぐれたこともある。

 その時間を何で知るかというと、研究室の外を通って厨房にいく研究員や警備担当の誰かがドアを叩いてくれる親切からだった。食いはぐれたエリがあんまりな様子だったもので、そういう習慣がついた。

 そのドアが、時間よりずいぶん乱暴に叩かれたのはその時だった。

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