ch.4

 二ヶ月に及ぶ長期のロケを終えたヒロムは、でも多忙で、なかなか会う時間がなかった。


 それでも成田に着くなり電話を寄越してきて、


「あぁ~、ようやっとユーキチの声が聞けたぁ~っ」


と、辺りも憚らない大声で言っているのは、普段のクールなヒロムらしからぬ行動で、ちょっとばかし嬉しかった。


「けっこう話題になってるみたいだもんねぇ。しばくプレスのインタビューとか、いろいろ忙しいでしょ?」

「そーなんだよ。俺、このまま大阪のほうのラジオ番組に出演することになっててさ。もう、ウチのマネージャー、おかしいよ」

「いいじゃないの。たっぷり働いて、たっぷり休暇もらいなよ」

「戻ったら、すぐにユーキチのとこ行くから」


 それで電話は切れたのだけども。

 私は不安だった。


 もう、二ヶ月前とは比べ物にならないくらい、私の体は変貌していた。

 ジーンズを履いてるが、それもマタニティ用に、ウェストを幅広のフェルト地にしてゴムでゆったりさせたものだ。Bカップだった胸は大きくなって、いまやDカップはあるだろう。


 見ればもう、それとわかる。誤魔化しようもない。


 今になると、ヒロムにさっさと事実を言ってなかったことが悔やまれた。

 あと一週間もすれば彼の誕生日だったけども、


「ハ~イ! サプライズ・プレゼントよ~っ!!」


 なーんて言えるノリでもない。


「どうしたもんかなぁ」


 さぬきうどんを手土産に訪れた友人に言うと、バカじゃないの、と斬って捨てるように言われた。


「ひど~い、宮ちゃん。妊婦にはやさしくしてよぉ~」

「やさしいじゃないの! この私がさぬきうどんなんて作ってやってんのよ。しかもダシまで作ってんのよ」


 この二ヶ月、かなり悪阻つわりがキツくて、ごはんも喉を通らなくて、なんとかエネルギー源として食べられるのは素うどんだけだった。それも味付けの薄いもの。ひたすらうどんばかりで、どうにか体力を持たせた。

 いいのかな? とも思ったけど、経験者曰く「とにかく食べたいもの、食べられるものを食べた方がいいの」とのこと。


 今はやっとゴハンやらパンやらも食べられるようになってきているけど、それでもうどんが一番。単純に腹の中にいる子供の好物なんじゃないか? という気もする……


「ありがとうございます」

「だいたいねぇ、どうして出発前に言っておかないのよ?」

「いやぁ、まぁ、いっかなーと思って」

「適当な……。大変なことだって、わかってるの? アンタも悪いけど、ヒロムさんにだって責任はあるんだからね!」

「うーん。責任ねぇ」

「なによ」

「なんかそれが嫌なんだよなぁ」


 ずるずるとうどんを啜りながら、私はひとりごちた。

 会社帰りにわざわざ寄ってくれた宮子さんは、あきれたように言った。


「アンタね、体裁気にしてる場合? 『子供がデキました。結婚して頂戴』で、いいじゃないの。何を意地張ってるの? だいたい、別に仲が悪いわけじゃないでしょ。私、お駒から聞いたよ。ヒロムさんって、けっこう性格に問題があるから、女の人ってあんまり長続きしなかったのに、吉実とは気が合ってるみたいだって」

「ホホゥ、それは初耳。まぁ、確かに昔の私だったら、いつもどおりに―― いやいや、もしかしたら最短で別れてかもしれないなー。『お前、面倒臭い』って言われて」


 妊婦特有の不安定な精神状態のせいか、言われたら立ち直れなさそうな台詞を自分で言いながら、泣きそうになる。

 自分の作ったさぬきうどんを啜りながら、宮子さんは吐き捨てるように言った。


「アンタ、まだそんなの気にしてるの? 言っておくけど、あれはあっちの男がどうかしてるの。だいたい彼女が毎日電話して、メールして、なにが悪いってのよ? それがウザイなんてね、本気で好きじゃない証拠よ。トラウマになる必要ないってば」

「うーん…まぁ、結局のところ二股だったしなぁ…」

「そうよ。あんなアホバカクソ野郎のことに言われたことなんて、いつまでも引きずってんじゃないわ。それで今の彼に予防線張ったって、意味ないわよ」


 中学生からの仲である宮子さんは、私がヒロムに微妙な距離感で接している理由を言わずともわかってくれていた。さすがだ。


「でも、今は色々忙しいみたいだしさ。こういうの言ったら、また動揺して『旅』に出ちゃいそうだし~」


 わざとらしく明るくおどけて言って、私は最後のうどん一本をチュルチュル啜る。宮子さんは頬杖ついて、じっと私を見つめてきた。


「なに?」

「アンタってば、昔っから優等生気質なのよねぇ…なんだかんだで」

「そんなぁー、優等生だなんてー。照れるわぁ」

「そうやって、茶化すし。ほんっとに素直じゃないっ」


 宮子さんは帰り際に、念押しした。


「いい! ちゃーんと、責任とってもらいなさいっ」


 ―――― 責任。


 いやな言葉。私の大嫌いな言葉。

 小学生、中学生、高校生。いつも通信簿に書かれていた言葉。


 ――――― 吉実くんは、非常に責任感があって……


 クラス委員だとか、生徒会の役員だとか、いろいろやった。でも別に責任感があったからだとかじゃない。

 本当は単なる点数稼ぎ。

 先生から、両親から、周りのオトナ達から、吉実は頼りになるね、とホメられたかっただけ。


 宮子さんの言うとおり、私は昔から素直じゃない。

 ホメて、なんていえない。甘えることも、ねだることもできない。だから、ホメられるように仕向けてみせる。小ズルイ女。


 カッコつけなのかもしれない。

 不器用なのかもしれない。

 わかってても、どうしようもない。


 もし、私がヒロムに『責任』を押し付けたら? 水戸黄門の印籠のごとく、突きつけたら?

 彼はきっと困るだろう。


 もし、私がヒロムにべったり甘えて、毎日の電話をせがんで、いつも一緒にいてと叫んだら?

 彼はきっと去るだろう。


 別に悲劇のヒロインぶるつもりもないし、それこそ物分りのいい姐さん女房面するわけでもないけど。(あっちの方が年上だけど)

 私はずっとヒロムとはつき合っていたい。それはもう別に、恋人という関係でなくてもいい。

 だから責任なんてとってもらうつもりはない。


 ―――― っつーのに。


 久々にヒロムの部屋を訪れた私を見るなり、ヤツは凍りついた。



*****



「…………」

「玄関で固まるな。とりあえず入れて」


 私はつとめて軽い口調で言った。

 呆然としたまま、ヒロムは私を中へと促す。


 もはや勝手知ったるものなので、スタスタとリビングに入り、ソファによいこらしょ、と腰を下ろした。


 いつまでたってもヒロムが来ないので振り向くと、ヤツはリビングのドアの前で、ぼんやり立ち尽くしていた。


「なにしてるの? こっち来たら?」


 手招くと、ヒロムはおずおず……怖々という感じで近寄ってきた。まるで馴れてない猫のようだ。

 私の前まで歩いてきて、ペタンと床に座り込んだ。


 しばらく見ない間に髪が伸びて、後ろで一つにくくっていた。髭は剃ったみたいだ。日に焼けたのかして、顔は真っ黒。細い一重の瞳が見開かれて、私の腹部を凝視している。


「そんなに珍しい?」


 私はポコンと出張ったお腹をポンポンと叩いた。


「……ユーキチ」


 掠れた声で、ヒロムが呼びかけてくる。


「なに?」

「それ、あの、俺……いや、あの……太ったとかじゃないよな?」


 私はガクッと脱力してみせた。いや、ホントにこの場面でボケを出すかね、この男は。さすがにコメディもこなすだけあるよ。


「いや、単純に妊娠してます」


 私はあえてさらっと言った。あくまで重みを感じさせないようにさらっと。


 ヒロムの視線が私を捉えた。いつになく真剣な眼差し。


「俺の、子? だよね?」

「失敬な。私がそんなに男を食いまくる女だとでも?」

「いや、違う。そうじゃなくて、一応」

「一応? なに? もしかして、子供のできない体だった? だとしたら、この子の父親はミディクロリアンかな」


 スター・ウォーズ好きのヒロムの為に、スター・ウォーズギャグを入れてみたが、反応はなかった。まぁ、無理な話か。


 ヒロムは動悸でもしているのか、深呼吸を始めた。しつこいくらい繰り返して、立ち上がり、今度はくるくるとリビング内を歩き始めた。


「どーした、ヒロさんや。落ち着きなされ」


 私がのんびり声をかけると、ヒロムはこの部屋の主であるかのようなドデカいテレビの前で止まった。


「………いつから?」

「は?」

「いつ、わかったの?」

「んー、二ヶ月ほど前かな?」

「じゃあ、俺が中国に行く前からわかってたの?!」

「んー、そーだね」

「なんで言ってくれないの?!」

「言っても困るでしょ。大きな仕事前に」

「………」


 ヒロムは絶句すると、またぐるぐると歩き始めた。


 私は放っておいた。

 そろそろ空腹になってきたので、持ってきていたアンパンを取り出す。

 食べようとしたところで、再びヒロムが止まった。今度はスター・ウォーズフィギュアを陳列してある棚の前。


「……わかった」

「は?」

「結婚しよう」

「………は?」

「だって、仕方ない」

「…………」


 むくむくと沸きあがってくる怒りを静めるために、私はとりあえずゆっくりとアンパンを食べた。ついでに持ってきていたパックの牛乳もことさらゆっくり飲み干した。

 空の袋とパックをテーブルの上に置いて、ヒロムをじいーっと見つめた。


 何を言ってるんだろうか、この男は。

 私がそんなことを望んでいると、思っているのだろうか?


「なんで、結婚しなきゃいけないの?」


 私が問うと、ヒロムはきょとんとした。


「別に結婚してもらうために孕んだわけでもないし、結婚しなきゃ産めないわけでもない」


 早口にまくしたてる私を、ヒロムは困惑した表情で見つめていた。


「私だってそこそこ生計たてて、そこそこ貯金もあるし、ちゃーんと母子家庭の福祉だって勉強してるし」

「……母子家庭って」

「別に無理に結婚することないの。ヒロムの自由だし、私の自由。産むことと、結婚は別」

「それは…でも」

「子供のために結婚するつもりなんてないっ!」


 私は勢いをつけて立ち上がると、玄関へとさっさと歩き出した。


 ヒロムは追いかけてきてはくれなかった。

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