ch.2

 ヤツはときに『旅』に出る。


 本当にどこかに出かけることもあるが、仕事が詰まっていて、身動きがとれないときは『心の旅』に出る。


 その時の挨拶は決まってる。


「俺には、一人の時間が必要だ」


 ハイハイ、わかりました。

 私は肩をすくめて、どうぞと送り出す。


 ♪恋も二度目なら少しは上手に~……ってな曲もあったけど。

 さすがに私もいい加減懲りているのだ。自分の困った恋愛体質には。

 だから、ヒロムとつき合うことになったとき、決めた。


 ―――― そんなに好きにならないでおこう。


 私が必死になったら、きっと相手は疲れてしまう。挙句、ストーカーなんて呼ばれるハメにもなる。

 だから、必死にはならない。追いかけない。去るなら去れ。

 一人になる覚悟をいつでも持っておく。

 友達以上恋人状態をキープすべし。(恋人未満と言うにはやることやっちゃってるからなー)

 それは思春期にありがちな甘酸っぱい設定ではなく、私は切実にそういう位置でいることが重要なのだ。


 私は前のように、毎日メールがなくても、電話なくても、全然慌てたり、不安になったりはしなかった。というか、そのように努めた。


 まずは私からメールしたり、電話したりは一切しないようにした。普段の日でもさほどにマメな性格でないヒロムは、滅多とメールなんてしてこない。連絡のとれない日が続くと、私は「旅に出てるんだな」と解釈した。


 ヤツはマイペースでありながら繊細な性質タチで、時々、ウツ(的症状)になってしまうらしく、そうなると家に引き篭ってしまう。

 彼女なんだから、そういう気落ちしたときこそ、慰めるべきなんじゃないの? なんてのは、大きなお世話で。

 とにかく一人でどっぷり暗く深い沼の底に堕ちて、再び浮き上がるまでは、他人に構われるのは嫌らしい。


 もちろん寂しくないわけじゃない。というかものすごく寂しい。結局のところ頼りにはならないと言われているも同然だし、もしかしたらこのままずっと一人でいたい、なんてことも言い出しかねない。

 そんなマイナス思考に陥りかけると、私は自分に言い聞かせた。



 ―――― いいじゃないか、結局のところ私は一人だ。



 友人の一人は甘えればいいのに、と言ってくれたが、冗談じゃない。


「あいつの三種の神器は、『面倒くさい』『疲れた』『一人になりたい』だよ? こんな事言う男に、甘えられる女ってよっぽど空気が読めないんだよ」

「……わたしだったら耐えられないなぁ、そんなの。だって、毎日メールしたりとか電話なんて、普通じゃないの?」

「さぁてね。知りません。でも私はそういう期待は一切しないと決めたのだよ」

「うぅぅ。哀しすぎるわ、ユーキチっつあん。そんな物分りのいい女。男がつけ上がるだけよ」

「つけ上がってきたら、こっちからフったる」


 なーんて豪快なことを言ってたけども、実際、私にそんな勇気はなかった。


 ヒロムと過ごすようになって、私の精神状態はすこぶるよかった。

 人に言うことはなかったが、実は私はときどき情緒不安定なところがあって、たまに精神科に行って睡眠薬をもらったりしていた。けれど今は飲まなくても、ベッドに入ればスヤスヤと眠って、朝も気持ちよく目が覚めた。


 隣でヒロムが無意識に私を抱き枕代わりに抱いてくれているときなどは、我ながらそのシチュエーションにうっとりした。以前、つき合っていた彼は、ヤルだけヤッたら、そっぽ向いてさっさと寝てしまうようなヤツだった。


 けれども同時に、私はちょっとばかし乙女ちっくに偏った自分の心を、すぐに引き締める必要もあった。


 見上げると、無精ヒゲをはやした、案外とあどけない表情のヒロムの寝顔がある。

 かわいいなぁ、と思う。たまにヒゲをこちょこちょしたりしてみる。ちょっとくすぐったいような、しかめ面してうーんと唸るのもいい。


 だんだん、だんだん、染み渡るように私の心を満たしていくヒロム。

 でも、私はもう二度とフラれるのはごめんだった。

「面倒くさいよ」というヒロムの言葉が、自分に向かって投げかけられるのを想像すると、心が一気に凍りついた。


 だから、これ以上好きにはならない。

 ほどよく、つき合おう。

 それが私の、ヒロムとの恋愛テーマだ。



****



 夏前に、ヒロムが映画の海外ロケで二か月ほど向こうに滞在することになると、言ってきた。


 二人でデートするのは久々だった。

 ここ三週間ほど、ヒロムは仕事もいくつかかかえていてハードスケジュール。その上、その仕事がイマイチ乗り気でなかったせいなのか、またもウツ状態に入ってしまい、例の『心の旅』に出てしまっていた。


 役作りのために髭をもっさり生やし、体重も五キロ落とした、すっかり乞食のようになった恋人の前で、私は釜揚げうどんを啜って、ふぅん、と気のない返事をした。


「なんか、テキトーな返事だなぁ」

「なにが? どういう返事を期待してるのかな?」

「二か月、ビッチリなんだよ。中国のど田舎で、携帯だって繋がらないしさ」

「仕方ないでしょ、そういう仕事なんだから」

「…………まぁ、いいけど」


 なんだか納得していないご様子だったが、私が 「行かないで! 寂しいよ! 一緒に連れてって!」 なんぞと言うとでも思ったのだろうか? というか、言ったらヒロムはどう切り返してくる?


「僕もさみしいよ。でも仕方ないさ。あ、でも休みの日があったら、戻ってくるよ」


 なーんてこと、絶対言わない。

 決まってる。予想はつく。


「仕方ない、仕事なんだし」


 だから先手とって、こっちから言ってやったんじゃないか。感謝してくれ。


 その映画は国内でもけっこう大々的に宣伝されてた。ヒロムは以前にその監督の作品に出て、よっぽど気に入られたらしく、準主役の扱いなのだ。役者冥利につきるってもんでしょ。断る理由なんてないね。


 まして、そんな大事な仕事を控えた君に、爆弾を投げつけるようなこと言えやしない。


 ―――― 子供ができた、なんてね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る