バスストップ

からいれたす。

バスストップ

 七時二八分。バス。


 スマートフォンを家に忘れてきてしまった。


 緑色をしてワンポイントに果実がはいったお気に入りのスマホ。


 移動時間や休憩のちょっとした隙間を埋めてくれる。


 時間ギリギリまで寝ていたいから、時間に押されて泡を食って家を発つ毎日。


 それゆえか忘れ物はたまにある。


 母親からは前の日に用意しろなんて言われるけれども、そんな習慣は身につかなかった。


 高校生に必須、マストなアイテム。


 スマホが手元にないだけでこんなにもやることがない。


 スマホを持っていなかったときは何をしていたんだっけ?

 時間の使い方が思い出せない。


 起動したアプリとともに時間が溶けていき、気がつくと停留所でバスを降りる毎日だったから。


 ボクはバスに揺られ瞼が重くなる、きっとスマホはクレイドルで眠ってる。


 たぶん家に帰ってスマホを手にとってもヒンヤリとするだけで特に変化はない。

 着信履歴もない。

 わずかなSNS通知くらいだろうか。


 でもそんなものに、いつだって縛られていた。


 ただ、どうしようもない焦燥感があるくらいで。


 バスは交差点を左に曲がる。振られるよう右に向かった視線の先。


 ひとりで静かに右の前から二番目の座席。


 紺のブレザーに白いシャツ、臙脂のタイをする君をバックミラー越しにぼんやりと見た。


 鞄からそっと取り出した本を開いては笑顔になり、それから本と目をとじて幸せそうにほうっとため息を吐いた。


 バスの中では多くの人がスマホを手にしてなにかを見ている。


 その場所には自分しかいないように、画一化された行動の人々の隙間……本を手にしてるだけで何だか特別な気さえして、視線が離せなくなって目で追ってしまった。


 淡いデニムのブックカバー、文庫本。


 細く白い指が一定のリズムでページを繰る。


 そんななんでもない動作が僕の目を惹きつける。どんな本を読んでいるのだろうか?


 木で作られたような栞。


 鼓動が跳ねた。君のことを知りたいと思った自分が、ちょっといやかなり気持ち悪い。



 七時二〇分。待機列に人はまばら。


 いつもより早く起きて、ちょっと早めに家をでて。

 今日も僕は、いつものバスに乗る。


 スマホは鞄の中でひっそりと時を刻んでるだろう。


 朝の混雑したバスで見かける君。ボクは自分に自信がなくて、臆病で意気地なし。


 離れて見つめるくらいしかできないけど、そんなもんだよね。


 ミラー越しにページを捲るキミは今日はちょっと悲しそうな顔をして本を閉じた。


 うるさいボクの心臓を恨めしくも心地よく感じる。


 ボクは、真新しいぴっかぴかのカバーの掛かった文庫をそっと取り出した。


「国語の教科書以外で物語を読むことなんてあるのかな?」

 そんなことを言った友達がいた。


 そうだよね、自分でもなんでだろうって思うよ。


 君は僕を知らないから、このバスと同じ、終点に向かって一方通行の想いの先は行き止まり。


 今日も三十分弱、君と一緒に読書をしながら揺られるだけ。


「止まります」のボタンが赤く灯ったら、君がバスを降りてしまうから、ずーっと赤く光らなければ良いななんて詮無きことを考えながら。


「止まります」のボタンが時間を止めてくれたならって何度思ったろうか。


 バスから吐き出される君を見送ったら、僕の心臓はやけに静かになるんだ。


 ボクは鼓動も時間さえもきっと止まってる。


 最初に鞄に詰めるようになった初めて買った文庫の物語はもうすぐ読み終わる。


 手元の文庫本はスマホより温かくて、ボクになにかをくれた。

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