シモキタ タイムリープ

山猫拳

下北沢

「これは、私の知り合いのお姉さんが高校生の頃、バイトしていた時に、あった話らしいの」

 向かいに座った彼女を、夕陽が照らす。彼女は美人な方の部類に、入ると思う。彼女との出会いは、SNSだ。初めは僕と同じ大学生男子だと思っていた。同じ都市伝説好きの大学生。だから、DMが来たとき、会っても良いと判断した。


 大学のゼミで、民間の説話せつわ伝承でんしょうについて調査しまとめる、という課題が出された。他の奴らは古い伝承でんしょうなんかを探していたが僕は、都市伝説はどうだろうと思った。


アメリカの民俗学者が、都市伝説も民間説話に分類されると書いていたから、間違いではないはずだ。普段から都市伝説のたぐいが大好きで、動画やネットを検索したり、SNSでつぶやいたりしては、同じ都市伝説好きとのやり取りを楽しんでいた。


 大学での課題のため、SNSで僕が気になっている都市伝説をいくつか上げ、体験談ある人いる? と問いかけてみた。その中でDMを返してきたのが、ハンターXというアカウントだった。彼が(いや、本当は彼女だけど)食いついたのは、下北沢タイムリープというネタだった。

下北沢では、街にもやがかかる日がたまにあって、そんな日は過去とつながる。

『自分も、下北で同じような現象にあった人から、話を聞いたことがある。本当だと思う』


 そう返信がきた。僕は何回かのDMのやり取りや過去の投稿から、ハンターXはどうやら都内の大学生男子らしいと思った。他に有望な返事がある都市伝説もないし、同年代の都市伝説マニアだし、友達になれそうな気がした。僕は、会って直接話を聞けないかと打診だしんした。少し迷っているようだったので、こちらから指定場所に行くと伝えた。すると、下北しもきたの喫茶店でならば良いと返事が来た。


 僕は当日指定された喫茶店に行き、先に座っているとメッセージを送った。僕の格好を聞いてきたので、黒っぽいTシャツに、グレーのパンツで、店の入り口から見て右奥に座っていると伝えた。しばらくすると、若い女の人が僕の方に近づいてきた。どうも、ハンターXですと言ってにっこり笑われたときは、吃驚びっくりして飲みかけのコーヒが、気管に入って咽返むせかえってしまった。


 女だと思われると、しつこいアカ主が多いから、男のふりをして都市伝説の情報交換を楽しんでいる、ということだった。僕は良い人そうだったので、会っても良いと思ったらしい。何か知らないが、僕は彼女のテストをクリアしたらしい。ラッキーな展開にちょっとうわついている。


「あ、話の前に……、録音しても良い? 嫌だったら、メモらせて。レポート作らないといけないから」

「録音……うーん、メモにしてもらっても良い? 私が女だって、変なとこでバレたりしても嫌だし……。別に信用してないわけじゃないの、けどちょっと……」

 彼女はすまなそうに僕をちらりと見る。

「いや、レポートに協力してもらってるだけで十分ありがたいよ。メモる、大丈夫」


 彼女はありがとうと言って、コーヒーを一口飲む。カップに付いた口紅を、親指ですっとぬぐう。その仕草しぐさ洗練せんれんされていて、少しの間、目をうばわれる。喫茶店の店内は、昭和レトロと言った感じで、赤っぽいビロード張りの椅子いす、少し色あせたこげ茶のテーブル、壁に飾られたレコード……その雰囲気ふんいきと彼女が調和して、まるで僕もタイムリープしているかのような臨場感りんじょうかんがある。

「じゃあ、話の続きね。お姉さんのバイト先は、下北の古着屋だったの」



 普段は、7時半くらいには店を出れる。けど月に何回かは、仕入れ品の仕分け分類を閉店後にする。洋服のジャンルや、状態、流行……そのあたりをカテゴリー分けしていく。その日は、仕分けの日で、店を出た時はすでに8時半は過ぎていた。


 確か季節は秋くらい、夜になると少し肌寒く感じるような時期だった。そんな季節にしては珍しく、湿気しっけが肌にまとわりつくような、そんな天気。このあたりでは、そんな天候はたまにあるらしい。盆地ぼんちのせいかもしれないと、店長は言っていた。


 街灯を見ると、少し白っぽい、もやのようなものが掛かっていて、ぼんやりと光って見える。淡い光の周りに、うっすらと虹色の光がまとわりついていた。少し幻想的げんそうてきな、そんな夜だった。駅を目指して歩いているが、その日は誰ともすれ違わなかった。時間が遅いからだろうか? 街の様子も、いつもと違うような気すらした。何かが足りないような。


 もう駅についても、おかしくないくらいには、歩いていた。しかし、駅は見えてこない。駅の看板すら見えてこない。道を間違まちがえたかもしれない。そう思って立ち止まった。あたりをぐるりと見回す。斜め後ろに人影が見えた。街中に一人と思っていたので、少しほっとして、人影の方を振り返った。そこにはキャップを目深にかぶった、大きな男が一人いた。自分と同じように立ち止まっている。


 今度は急に怖くなった。この道には、自分とその男二人しかいないのかもしれない。道を間違まちがっているのかもしれないが、この男と離れたいと思い、足早に歩きだした。すると、今度ははっきりと足音が分かる。誰か、きっとあの男だろうが、後ろをずっとついて来る。恐ろしくて、走り出した。足音もそれに合わせて早くなる。ついに全力で走りだした。それでも駅の看板も出てこないし、誰にも出会わない。前方に飲み屋のような、BARと書いてある光が見えた。夢中で走って、その店の扉を押し開けた。


 ところが、扉の向こうは店ではなかった。その向こうに路地ろじが続いていた。もう軽くパニックになっていた。後ろから足音が、だんだん近づいて来る。もうどうにでもなれと思って、扉の向こうの路地ろじに飛び込んで、後ろ手に扉を閉めて、再び走り出した。


 しばらく走ると前方に、今度は豆電球のような、オレンジの光が無数に見えた。たくさんの人が集まって話しているような喧噪けんそう、怒鳴り声。その光に向かってまた走る。気が付くと、古い商店街の中だった。まるで屋台やたいがずらりと並んだような、見たこともない商店街。


 オレンジの豆電球が軒先のきさきに沢山吊るされていて、店先の台には、瓶に入った米や、煙草たばこらしき箱、自転車のタイヤ、着物、色々なものが並んでいる。店の中には、下着のような薄い半パンを着た半裸のおじさんや、浴衣のおばさん、軍服みたいなジャケットを羽織はおった青年など、様々な人がいる。店先や道端みちばたにも、同じような格好の男女がひしめき合っている。物々交換している様子で、お互いにモノを見せ合って、価値を見定めあい、罵声ばせいが飛び交っていた。


 そんな人の隙間を恐る恐る抜けて、商店街の先に抜けようと、進んでいた。さっきから分からないことばかりで、自分は頭がどうかしてしまったのかもしれない。ただバイトが終わって家に帰りたいだけなのに、どうしてこんな、知らない場所にばかり行ってしまうのだろうか。すれ違う人の中には、片腕や片足がない人もいた。悪夢だ。こんな世界があるなんて。


 泣きそうになるのをこらえながら、ふらふらと進んでいると、何か大きなものにぶつかった。目を上げると、自分の横幅の2倍以上あるおじさんだった。背も頭一つ分大きい。顔は青黒く、昔ばなしで読んだ青鬼を連想した。

「この米一升いっしょうと、お前さんが来ている舶来はくらいのカーディガンを交換しないか?」

 おじさんはじっと私の目を見て聞いてきた。


「い、嫌です」

 小さな声で言い返した。怖くてたまらなかったけど、交換したくなかった。おじさんはむっすりとした表情になった。もともと無表情に見えたが、拒否すると、少し苛立いらだっている様子に見えた。おじさんは急に腕をつかんできた。

「しょうがねぇな……じゃあ二升にしょう出そう。どうだ?」

 おじさんはそう言って、指に力を入れて来た。痛い。

「やめて! 痛い!」

 そう叫ぶとおじさんは少し力をゆるめたので、そのすきに腕を引き抜いて、着ていたカーディガンを脱いで、おじさんに押し付けた。

「米はいらないから、あげる! 私は帰りたい!」


 そう叫ぶと、おじさんの横をすり抜けて、再びダッシュした。喧騒けんそうが後ろに飛んでいく、目の前に、白いもやのようなものが広がっていた。その中に突っ込んだ。前も後ろも分からないけど、とにかく足を前に出して走った。急に景色が見えるようになった。車が走る音、坂を下る自転車のブレーキ音が聞こえる。息を切らせて、立ち止まった。そこは完全に知っている。見上げると駅の入口を案内する看板があった。横を、キャップを目深にかぶった男が通り過ぎた。その時、もう大丈夫だ、すべて元通りだと思った。



「で、そのお姉さんは普通に電車に乗って、家に帰れたんだって」

「うーん……そのお姉さんは、それっきり? またタイムリープしたりしたの?」

 話はそれなりに引き込まれたが、僕が知っている話とさほど違わない。


「その1回だけらしいよ。仕入れの分類は、その日以降店長にお願いして免除してもらったんだって」

「タイムリープだとしたら、このあたりの過去につながったってことかな? この辺りの昔ってどんな感じだったんだろ……」

 スマホで検索してみると、どうやらこの辺りは、戦後に闇市やみいちが立っていた場所らしい。第2次世界大戦の終戦当時は、配給でしか生活物資せいかつぶっしを、手に入れることができなかった。しかし、何時の時代でも抜け道はあるらしく、配給チケット以外の手段で、欲しいものを手に入れることができる場所、ということだった。お姉さんの見たものと、この説明を照らし合わせると、戦後にタイプリープしたということで辻褄は合いそうだ。


「過去につながる原因とか、いわれ? そういうの調べたいなぁ……。もやが出てるってのがポイントなのかな……。キャップの男も引っかかるな、何かの暗喩メタファーかな……」

「そういえば、海外の都市伝説にもあるんだよ。きりの中を抜けて、過去の人物に会いに行く話、知ってる?」


 彼女は、楽しそうに話し出す。その後、お互いの持ちネタを色々と話したりして、かなり盛り上がった。いつの間にか、9時をまわっていた。あと1時間で閉店する。どうしよう、別の店に誘うべきだろうか? コーヒー1杯だけで、こんなに話してしまった女子は初めてだ。


「あ、あの……こんな時間までごめん。腹減ったよね?」

「うわ! こんなに時間経ってたんだ。本当、お腹減った。謝らなくていいよ! 今日は都市伝説、沢山たくさん話せて、楽しかった」

 彼女はにっこりと僕に笑いかける。心からこの時間を楽しんでくれていたようで、僕もつられて笑顔になる。かなりいい感じだ。


「この後、とか……どう? 良かったら、場所変えてメシとか?」

 彼女は、申し訳なさそうにまゆを寄せて、僕の目を見る。しまった、まだ早かったか……。

「すごく行きたいんだけど……。今日は無理かも。本当にごめんね。また連絡する。たまに会って欲しいし。今度は、私を外に連れ出して?」

 会って欲しいのところだけが、何度も心の中に響く。

「えっ! マジで? 僕もまた会いたいっていうか、これで終わりにしたくなかったから」

 今日のところは、これでお別れだが、僕はハンターXのLINEを手に入れた。また会える権利を獲得した。


 すっかりぬるくなった水を飲み干して、スマホを閉じたその時、僕は急な眠気におそわれた。欠伸あくびが止まらない。彼女に申し訳ないと思いながらも、目が開けていられない。

「ご……め、何か、眠くて……」

 急速に意識が落ちていく、何かがおかしいと思った。けれどそんな考えも全て、眠さがおおいい隠して、僕は眠りの中に引きずり込まれた。あなたもだめなのね、と言う声が聞こえた気がした。


 ギイギイと耳障みみざわりな音がする。どこかで聞いたことがある。そうだ、学校に行く途中で聞いた。効きの悪い自転車のブレーキ。僕は目を覚ますと、辺りを見廻みまわした。闇の中、一台の自転車が横の道路を通り過ぎた。空き地のはしにある、ベンチに座って眠っていたらしい。スマホとカバンの中を確認する。問題ない。日付はハンターXに会った日。時間は9時半。一体何だったのだろうか、僕はハンターXにかつがれたのか?


 登録したハンターXの連絡先を探す。だが、そんなものはどこにもなかった。急いでSNSのアカウントを探す。アカウントは消されていた。一体何の目的で、僕と会ったのだろうか?金は無事だったし、スマホから僕の個人データを抜きとったとか? 大したメリットなさそうだけど。ふと、手に何かが当たった。レシートが置いてあった。そこには、コーヒー、2、@230、460円と書かれていた。


 僕はそのレシートをつかんで、道に飛び出して急いで駅に向かった。帰りの電車で、彼女が語った話は、知り合いではなく、彼女自身が体験したことではないかと考えた。彼女は、本当は過去から抜け出せずにいて、連れ出してくれそうな誰かを、探しているのかもしれないと。私を外に連れ出してと言った彼女の言葉が、ひどく意味深に思えた。


 あの後、彼女と会った喫茶店を探したが、見つけることはできなかった。それでもたまに下北に行くと、あの喫茶店を探してしまう。僕の財布には、安すぎるコーヒーの値段が書かれた喫茶店のレシートが、まだ捨てることもできずに入っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シモキタ タイムリープ 山猫拳 @Yamaneco-Ken

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ