第77話 信じたいもの

 普段のあたしなら、王女命令と校則なら迷うまでもなく校則に従う。だけど今日のあたしは、ほんの少しだけ自暴自棄になっていた。疲れのせいか頭に靄がかかっていて、何が正しい判断なのか考えるのさえ億劫で。


 ほんの少しだけ夜風に当たって、スッキリしたい気分だった。


「いいわ、わがままな王女様に少しだけ付き合ってあげる」


「決まりですわね」


 ロザリィはまるでシユティ様のように悪戯っぽく微笑んで、あたしの部屋の中へずかずか入ってくる。どうやらそのまま、あたしの部屋のベランダから飛び立つつもりらしい。


「言っておくけど、バレたら停学じゃ済まないわよ?」


「バレなければ問題ありませんわ。それに、仮にバレたとしても王権でどうとでもなりますわよ」


「それは頼もしいわね。持つべきものはお姫様の親友だわ」


 なんて軽口を叩き合いながら、二人でベランダに出て箒のサドルに跨る。ハンドルを握りしめて魔力を込めると、箒に埋め込まれた飛天石が赤く輝いてふわりと体が浮かび上がった。


 さらに魔力を流し込むと、箒が魔力を推進力に変換する。グッと空気が体に圧し掛かる感覚があって、次の瞬間、目の前には星の海が広がっていた。


 ……気持ちいい。


 箒で飛ぶのはいつぶりだろう。ほんの少し冷たい夜風が肌にあたって心地いい。風を切り裂いて、どこまでも続く空を飛ぶ感覚は他の何とも比較できない爽快感だ。


「懐かしいですわね。こうして二人で飛ぶのはいつぶりかしら?」


 隣に並んだロザリィが尋ねてくる。子供の頃……と言っても姉さまが家出をした後から箒に乗り出したから5年か4年前くらいだけど、あたしとロザリィは王都郊外の空を毎日のように飛び回っていた。


「あたしが王立魔法学園に入学する前に飛んだじゃない。2年も経ってないわよ」


「言われてみればそうですわね。随分と昔のことのように感じられてしまいますけれど」


「……それで、どうして箒に誘ったわけ? ただ昔を懐かしんで……なんて理由で誘ったわけじゃないんでしょ」


 箒の進行方向を変えながら、あたしはロザリィに尋ねる。


 このまま直進すれば学園の敷地外。飛行禁止区域に指定されている王都上空に入ってしまう。そしたら校則どころか、王国の法律違反よ。すぐに待機している王立魔法師団が飛んできちゃうわ。


「別に深い理由があったわけではありませんわよ。ほんの少し気分転換がしたかっただけですもの」


「ふぅーん、あたしはてっきりまだドラコのことを引きずってるのかと思ってたわ」


「否定はできませんわね」


 なんて言いながら、ロザリィは儚げに苦笑する。風になびく彼女の金色の髪は、月明かりを浴びてきらきらと光り輝いていた。


「ですがもうほとんど吹っ切れましたわ。いつまでも悩んだり、後悔しても仕方がありませんし、何より今は彼の新たな門出が無事に行くよう信じるだけですもの」


「国外追放も、ものは言いようねぇ」


 まあ、最悪の場合は処刑もあり得ただけに、ロザリィとしては国外追放で済んでよかったって所なのかしら。オクトーバー派の一部からは処分が甘すぎるって不満の声が出て、母様が諫めるのに苦労していたみたいだけど。


「……ねぇ、どうしてドラコにあんなこと言ったのよ?」


「あんなこと?」


「ほら、王立魔法学園に転入させるって話よ。あの時、あいつがあんたの手を取ってたらどうしてたの? まさか本気で王立魔法学園に転入させるつもりだったわけ?」

「もちろん、そのつもりでしたわよ。冗談であんなこと言いませんわ」


「本気で言ってたのね……」


 あんな提案、ロザリィの立場を悪くするだけで良いことなんてこれっぽっちもない。それはロザリィにだってわかっていたはずよね……。それなのに手を差し伸べた理由は、一つしか思い浮かばなかった。


「ロザリィあんた、男の趣味最悪よ……?」


「とんでもない勘違いをしているようですけれど、違いますわよ? ドラコ・セプテンバーに特別な感情は一切ありませんわ。ただわたくしは、人が持つ可能性を信じてみたかっただけですわよ」


「人が持つ可能性……?」


「どれだけ反省や後悔をしても過去を変えられるわけではありません。けれど、未来ならばいくらでも変えることができますわ。わたくしはドラコにやり直しの機会を与えることで、未来をより良い物へ変えることを期待したんですわよ。……まあ、ドラコ・セプテンバー本人には、わたくしの自己満足だと拒絶されてしまいましたけれど」


 あの時、ドラコはロザリィの差し伸べた手を拒絶した。ハッキリとした理由はわからないけど、それはあいつなりのロザリィへの気遣いだったんじゃないかって気がする。


 ロザリィはそれをわかっているのかいないのか、


「わたくしは信じたいのですわ。人の可能性というものを」


 ロザリィはどこまでも続く星空をただ真っすぐに見つめて言った。


 人の可能性を信じたい、か。


 ようやくあたしは、ロザリィが強引にあたしを箒に誘ってきた目的を理解した。


 ドラコの一件はもうロザリィの心の中で解決している。自分の悩みを相談したかったわけじゃない。自分の理想を語りたかったわけでもない。


「わたくしは信じていますわよ。アリシアならきっと、飛箒祭でミナリーに勝てると」


「……あたしにはとてもそうは思えないけど。随分と買いかぶってくれるのね」


「ええ、いくらでも買いかぶりますわよ。だってアリシアは、わたくしにとっての憧れなのですもの」


「…………え?」


 ロザリィが口にした言葉に、あたしは耳を疑った。


 何かの聞き間違い……ってわけじゃないわよね?

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