第9話 常識と固定観念(ミナリー視点)

「風よ、あの女を切り裂きなさい――〈風刃ウィンドブレイド〉っ!」


 ロザリィの杖の先から放たれるのは魔力によって圧縮された突風の刃。


 不可視の斬撃は地を這うように直進し、私の着ていたローブを浅く切り裂いて背後の壁に衝突します。ただ、円形闘技場の壁は魔法の威力を減退させる鉱石で作られているようで、ロザリィの〈風刃〉を受けても傷一つついていませんでした。


 なるほど、師匠の知り合いだけあってなかなかの魔法を使うようですね。


「ふふっ、どうですかしらわたくしの風魔法は。今のはほんの挨拶程度ですけれど、その気になればあなたの腕の一本や二本、簡単に切り飛ばして差し上げますわよ?」


「それは少し痛そうですね。回復魔法は苦手分野なので、出来れば避けたい所です」


「ならばせいぜい逃げまどいなさいな! 〈風刃〉っ!」


 ロザリィは幾度となく杖を振るい、その軌道で矢継ぎ早に突風の刃が放たれます。確かにこれは、なんの防御もなしに直撃すれば腕の一本や二本は飛んでしまいそうです。


 高速で飛来する不可視の刃。殺し合いの場ならともかく、模擬魔法戦で放つような魔法ではないですね。試験官もギョッとした表情で杖に手を伸ばそうとしています。


 さて、


「〈風壁ウィンドシールド〉」


 痛いのは嫌なので防御魔法を展開します。風を魔力で圧縮した不可視の壁と不可視の刃が激突し、闘技場に突風が吹き荒れました。


「なっ……!? 風の防御魔法ですの!?」


 砂煙が立ち込める中、ロザリィは目を見開いて驚愕を露わにしていました。


「あ、ありえませんわ。風はこの世界を廻り吹き抜けるもの……。それを一か所に縛り付けるだなんて!」


「それは、師匠に教わったんですか?」


「い、いいえ! そんなことはアリスさまに教わるまでもなく常識で――」


「じゃあ、あなたに師匠の弟子を名乗る資格はないですね」


「……っ!」


 風の防御魔法を作ろうと思い至ったのは確か、師匠とログハウスを作り始めた時のこと。私が〈風刃〉で木材を切っていると、師匠が不意にこう言ったのです。


『そういえばどうして風系統の防御魔法ってないんだろう?』


 これまで読んできたどの書物にも風系統の防御魔法は記載されていませんでした。ロザリィの言う〈風はこの世界を廻り吹き抜けるもの〉という固定観念があったからだとしたら納得がいきます。私も師匠がその疑問を口にするまでそれが常識だと考えていました。


 魔法とは極端に言えば想像力の結晶です。魔法で出来ると思ったことは何だって出来るし、逆に出来ないと思い込んでいることは何をしたって出来ません。魔法の深淵を目指すうえで最大の敵は、凝り固まった常識や固定観念です。


 そして、そんな固定観念に縛られない師匠の発言がきっかけで私は風系統の防御魔法の開発に至ったのです。


「……さすが、アリスさまの弟子なだけありますわね。今の魔法は確かに風系統の防御魔法。このわたくしが風魔法において後塵を拝するなど思いもしませんでしたわ。……ですが、たった一度だけわたくしの風魔法を防いだ程度で得意げになってもらっては困りますわよ。わたくしの本気はここからですわ!」


「へぇ、それは楽しみですね」


「そんな余裕綽々な態度もここまでですわ! ――〈魔力開放〉っ!!」


 直後、ロザリィの体内から魔力が爆発的に溢れ出します。その膨大な量の魔力は彼女の周囲の景色を歪め、私の視界には黄緑色のオーラがロザリィの全身を包み込むように見えるほどでした。


『あ、あれがロザリィ王女殿下の本気!?』


『す、すげぇ! 俺も魔力を感じるぞ!?』


『お、おい。こんなの模擬魔法戦のレベルじゃねぇって!』


 観覧席で見学していた受験生たちが一斉に騒めき立ちます。


「まさかその領域に達しているとは想定外でした」


 ――〈魔力開放〉。


 体内に保有する魔力を出し惜しみすることなく放出し、一時的に魔法の威力を大幅に増大させるスキルです。


 ワイン樽とコックをイメージすればわかりやすいでしょうか。ワイン樽を体内の魔力に見立てると、一般的に魔法を放つ際にはコックをひねって必要な分の魔力だけを体外に放ちます。


 けれど〈魔力開放〉はコックを常に最大まで開いた状態で維持します。魔力は際限なく溢れだし、どれだけの魔力量を持っていても短時間で体内の魔力は枯渇します。


 それでもスキルとして成立するのは、際限なく溢れ出す魔力をもってして、強力な魔法を行使できるがため。〈魔力開放〉とは諸刃の剣。短時間で蹴りをつけるという意思の表れでもあります。


〈魔力開放〉は師匠によれば一流の魔法使いは誰でも使えるそうですが、逆説的に〈魔力開放〉を使える魔法使いが一流の魔法使いなのでしょう。ロザリィは、その領域の魔法使いというわけです。


「食らいなさい、〈暴風刃ストームブレイド〉!!」


 ロザリィの振るう杖から、〈風刃〉とは比べ物にならない速さで不可視の斬撃が放たれる。


「〈風壁〉」


 先ほどと同じく〈風壁〉を正面に展開するも、


「無駄ですわ!」


 不可視の刃は容易く不可視の壁を食い破りました。体をそらして直撃を避けるも、髪の毛が数本斬り飛ばされて宙に舞います。


「まだまだ!!」


 ロザリィは立て続けに〈暴風刃〉を放つ。その都度〈風壁〉を展開するも易々と防御は切り裂かれ、私が身にまとっていたローブにはいくつもの切り傷が走りました。


「くふふっ。あーはっはっは! どうかしら、わたくしの本気は? 手も足も出ないでしょう、ミナリー・ポピンズ!! そろそろあなたも、避けてばかりでなく本気をだしたらどうかしら!?」


 まるで勝ちを確信したかのように、ロザリィは腕を組んでふふんと得意げに鼻を鳴らします。


 彼女は理解しているんでしょうか。私が〈風壁〉で〈暴風刃〉の進行方向を微調整し、直撃を受けないよう逸らしていることに。当たりもしない〈暴風刃〉を放ち続ける自身の魔力が、もう間もなく尽きてしまうということに。


『勝敗に関わらず王立魔法学園の生徒に相応しいかどうかを判断いたします』


 試験官の言葉を思い出す。


 高いレベルの魔法を操り、〈魔力開放〉を発動して見せたロザリィの才覚は本物です。彼女は学園に合格してしかるべき人材。この試験の勝敗がどうあれ、彼女が不合格となることはないでしょう。


 ならば、


「わかりました。そろそろ本気を出すことにします」


 ここからは私のアピールタイムです。

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