第3話 四月のある夜長

 四月に入ったばかりのとある夜中。

 気温が徐々に暖かくなり始め、最近ではようやく窓も開けられる程になった。先月までは布団の中で芋虫のように丸まっていた。いまは部屋に心地よい風と共に、外から聞こえてくる昆虫たちの鳴き声も耳に届く。

 鈴虫などの音色は、布団に潜り込んでいる俺にとっては決して煩わしいものではなく、涼やかな耳当たりの良いものだ。

 ただ、この時期になると俺の部屋にも招かれざる者がやってくる。俺の部屋までどうやって入り込んだのかはいつも分からない。ジェームスボンドも顔負けの秘密行動によって俺の命の源を毎年奪いに来る。

「……そこか!」

 俺はそいつが出す耳障りな音を頼りに、素早く身を翻して、侵入者をとらえるべく両手を振りかざす。

「バチンッ」と、強い乾いた音が部屋に広がる。

「……やられた」

 目の前で合わせた両手をゆっくりと開いてみると、俺の獲物の姿はそこにはなかった。かわりに鈍い掻痒感と右膝の上部が小さく赤く膨らんでいた。

「……」

 部屋のどこからか聞こえる、耳障りな音が徐々に大きく聞こえてくると、俺の意識は完全に目覚めてしまっていた。

 枕元に置いてある目覚まし時計の目をやるとアナログな短い針が二時の少し前を指していた。この時間に目覚めてしまう負担は予想以上に大きく、今の精神状態を表すようによろよろと立ち上がる。ベッド近くのカーテンを開けると、外は当然のように暗闇だった。

 ようやく苦手な冬が通り過ぎたと思ったら、温かい陽気に導かれるように忌々しいそれが孵化して俺を襲ってくるわけだ。

「……面倒くさいことだ」

 暗闇の中でそいつと格闘するなんて、無謀な勝負をさっさと諦め、自分の部屋を出る。

 まだ家族が寝静まっている時間帯だが、一階のリビングにある目当てのものを探しに行くため、極力物音を立てず階段を降りていった。

 扉を開けてリビングに入ると、部屋の隅に置いてある豚を象った陶器の入れ物を見つけて、輝く豚の鼻とともに若干の希望を抱く。市販のよく見る螺旋巻きの線香とその近くにあるライターを手に取り「最高の武器を手に入れたぞ」なんて小さく呟いて、もう一度自身の部屋に戻っていく。


           *


 箱を開けると渦巻きが残り三つほど入っていた。剽軽な豚の形を模した陶器の器にセットすると、箱の側面を軽くこすりマッチの火を灯す。

 ほどなくして豚の鼻からもくもくと煙が上がり出す。これで部屋から煩わしい虫がいなくなってくれる——どうかは分からないが精神衛生上はだいぶ楽にはなるだろう。お願いだから朝まで俺の眠りを妨げないでくれ。そんなことを頭の片隅で考えながら、もう一度布団をかぶり仰向けに目を瞑った。

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