第17話 引き金
ゲートをくぐり、出た先は研究室。
何もなかったエイデンのところとは違って、なんらかの資料であろう紙が散乱しており、四方の壁と中央の床と天井にはそれぞれ七層以上の魔法陣が刻まれていた。そして最も目を引いたのはその中央の魔法陣の中心。そこには天井から伸びた鎖に両手を拘束された女性がいた。顔が見えないほどに項垂れている。意識があるようには見えない。
「もう終わった。あとは魂の定着を待つだけだ」
拘束された女性の前に、モルティスは立っていた。
「兄さん……」
「ルイ、もう6年だ。母さんがいなくなってから。思ってたよりも時間がかかった」
「……死者を蘇らせることはできません」
「不可能じゃない」
「緑神様の言葉です。兄さんなら目は通してるでしょう?」
「ああ。緑神は生命について精通していたようだから信憑性はある。けど、それを踏まえて俺は不可能じゃないと判断してる」
魔法陣が機能している様子はない。つまり完全に終わった後だと思われる。こうなると困る。止めるという選択肢がない。とりあえず結果というのを見守るか。禁忌を触れてどうなるのか、気になりはする。
「兄さんも、お母さんから魔術を教わりましたよね」
「ああ」
「その時にも死者の蘇生は禁忌だって言われませんでした?」
「言われたよ」
「……それでも、ですか?」
「それでもだよ」
妹に対しての声音は優しいものだった。俺と対峙していた時とは全く違う。
「お母さんは!! ……お母さんは絶対に望んでませんを自分の子どもに禁忌を犯してほしいなんて絶対に思ってない」
「だろうね。母さんはきっと喜ばないよ」
「なら、どうして?」
「生き返るのを望んでないとして、あの時死ぬことを望んでいたと思う?」
「それは……」
「別にいいんだ。俺が母さんからどう思われようと。だから蘇らせるよ」
女性の体が僅かに動いた。あれは器だろう。成功すればあれが2人の母親として動き出す。失敗した場合どうなるのかは見当もつかない。
「深淵から魂を取り出し、体に移した。定着するのに少しばかり時間がかかったが完了だ。さぁ、起きて。時間だよ、母さん」
下を向いていた顔がゆっくりと上がり、閉じられていた女性の瞳が開いた。見えたのはルイとよく似た顔。「お母さん……」と言葉を漏らしたルイの様子を見るに器は母親と全く同じ顔なのだろう。が、その器の見せた瞳は誰も捉える様子はなく虚だった。次に動いたのは口。ゆっくりと閉じていた唇が離れていき、
「ぁぁぁ……」
人とは思えない声が漏れ出た。
「母さん! よかった。成功した。これで、ようやくルイに……母さん?」
「ぁ、ぁぁぁ、ああぁぁぁ……! あアぁあァァあアァぁぁあァァ……!!!」
苦痛を訴えるような呻き声と共に、女性の瞳と口から液体が流れ落ちる。それは涙でも唾液でも血でもない、黒い液体。どう見ても正常ではない。異常だ。
「なんだ、これは」
その言葉は今の事態が想定外であると俺たちに知らせるには十分だった。
「セミス!!」
「あーい」
ふざけた返事が聞こえてから間も無く、あの三翼の悪魔がどこからともなく現れる。名前をここでようやく知れた。セミス。それが悪魔の名前のようだ。悪魔や天使にとって名前は重要なものだと教わったので偽名である可能性はないはずだ。
「これはなんだ!」
「これ? ははっ。これってもしかしてそこにいるお前のママのことかぁ?」
「違う! こんなの母さんじゃない!!」
モルティスの言う通りだ。器だったものは体の穴という穴から黒い液体を吐き出して、もはや人間を蘇らせようとしてできたとは思えない見た目に変貌していた。
「違くねぇよ。深淵で道はちゃんと繋いでやったんだ。お前が器に入れたのは間違いなくお前の母親の魂で、その気持ち悪い化け物がお前が蘇らせた母親だ」
「なんで……」
「そりゃあ汚れた道使ったんだから通ったもんは汚れるだろうよ」
「わかってたのか? こうなるって」
「まあなぁ。でも実際にやったことがあるわけじゃなかったからいいもん見れたよ。ありがとなぁ。あ、お前俺を恨むなよ? ちゃんと警告はしてたからな」
「母がこうなるとは言っていなかっただろう!」
「そうだったっけ? 確かにお前だけが汚染されるって言った気がしなくもないけど、覚えてねぇなぁ」
モルティスの訴えを適当にあしらうと、セミスは視線を移し、蘇生結果である器を見てそれを鼻で笑った。
「けど確かにこれは可哀想だなぁ。ぜーんしんドロドロだ。とても人には見えねぇ。……でーもやったのはお前だろ? 禁忌と分かっててやったんだ。それで俺を責めるのはお門違いってやつだよなぁ?」
「……!? く、ぁ……!」
唐突にモルティスがその場で膝をついた。
「ほら、どっちにしろもう時間なんだ。やめとけぇ」
「兄さん!? 何が──」
「来る、な!!」
駆け寄ろうとしたルイを声で制止するモルティスの表情は、苦痛に歪んでいた。汗も尋常じゃないくらい出ている。そして、肌が黒くなり始めた。黒化だ。あの時に浮かんだ可能性、当たったのは後者だった。モルティスは深淵属性の魔術を扱っていた。深淵に触れてしまったものがどうなるのか、それは決まっている。
「モルティスが母親を生き返らせるのに使ったのは深淵の力だ。深淵の力は全てを喰らう。使用者も例外じゃない。内側から侵食される」
俺はそこまで説明して銃を構えた。
「それは、なんですか? 何をする気ですか……?」
「殺す。放置してても化け物になるだけだ。助からない」
「ま、待ってください!!」
ルイが銃を持つ俺の腕を掴んだ。
「兄が化け物になるところを見たいの?」
「そうじゃないです!! 兄が化け物になるところなんて、絶対に見たくない。でも、死んでほしくもない!! だから聞かせてください。本当に助からないんですか?」
「無理。黒化して助かった前例はない」
「…………」
俺は助かっていると言えなくもないが体質的に例外だ。まともな人間が深淵に侵食されて助かったなんて話はない。
「……その深淵っていうのは内側から侵食するって言いましたよね? それって物理的な侵食ですか?」
「いや、違う。体も侵食されはするけど、外側が黒くなってるのは精神の汚染に……まさか取り除く気?」
「はい。やらせてください」
「精神的な病気とはわけが違う」
「それでも、やらせてください」
深淵について、ルイがどれだけ知っているかはわからない。ただ魔術師であるのだから最低限は、どうしようもなく危険なものであるということぐらいは知っているかもしれない。なんにせよ彼女は提案をしてきた。本人にもきっとできるなんて確証はないはずだ。
ここで執行者である俺が取るべき行動は一つ。モルティスを殺す。それ以外にない。
当然だ。深淵を取り除くなんてできるかわからない。もし成功したとしてもルイは深淵に触れることになる。根本的な解決にはならない。そして失敗した場合を犠牲者が2人に増える。どう考えても今終わらせるべきだ。ティアとフィアも何も意見は口にしないが、同じ結論に至っているだろう。
ルイに無駄なことをさせる理由がない。そう、理由がないんだ。だから執行者としてモルティスを殺す。それが最善だ。
──ふと、命について訴える少女の姿が俺の脳裏によぎった。
あの姿はよく覚えている。聖剣を持って俺の前に立った時ほどではないが、鮮明に脳に刻まれている。
なぜ今思い出したのだろうか。不思議だ。まるで俺を止めるかのようなタイミングだ。
「──失ったら戻ってこない、か」
殺すのは簡単だ。けど、殺せばそこで終わる。続きはない。未来はない。可能性がなくなる。全てが無になる。
モルティスは、まだ終わっていない。
「ルイ、任せるよ」
「! ありがとうございます!!」
頭を下げるルイの後ろで、銃を下ろした俺のことをティアとフィアは驚いた顔で見ていた。確かにこれまでの俺だったら殺してた。俺はそういう人間だ。あの少女と出会ってなかったら、間違いなく引き金を引いていた。
「完全にアトルムになったらティアとフィアで殺して」
「わ、わかった。お前は?」
「あっちを片付ける」
俺たちはまだ本来の目的をまだ果たしていない。
「おいマジかぁ。殺さないの? ちょっと予想外。というか期待はずれ」
「随分余裕あるね」
「どうだろうなぁ」
セミスはずっと俺たちのことをまるで劇でも観てるかのように観察していた。少しばかり距離があるから、攻撃された際は最悪またあの瞬間移動をして逃げればいいと思っているのかもしれない。
「っ……!?」
させないが。
「そういえば、そうだった……! 距離なんて関係ないよなぁ……!」
俺は悪魔の首を掴んでいた。一歩も動いてはいない。ならばどう掴んだのか。答えはゲートを繋げた。人が1人通るほどの大きさは無理だが、手が通るぐらいは自分だけで開くことができる。
「フィア」
フィアに俺が開けた穴を広げてもらう。そこから一度悪魔を持ってきて、
「外に」
改めて開かれた穴に放り投げた。
「こっちはよろしく」
俺も後を追って外に出た。
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